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范蠡(陶朱公)コミュの救国の英雄 楚の沈尹戌と申包胥

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沈尹戌(しんいんじゅつ)は楚の名将と言われた人で、闔廬(こうりょ)の下、孫武(そんぶ)・伍子胥(ごししょ)・伯ヒ(はくひ)がそろう呉の楚侵攻軍に立ちふさがった人です。この人、もともと呉に仕えてみたいですね〜。なんか理由があったのか、楚に走って将軍になっています。当時の呉軍ってのは人材的にも優れてたでしょう、連戦連勝の勢いですから。この時、沈尹戌は副将的な立場で、総大将は子常(しじょう)って人でした。沈尹戌なりの献策を提案しますが、子常って人はそれほど人の話を聞くような人ではなかったらしく、暴走してこてんぱんにやられてしまいます。劣勢の中、敗残の兵をまとめ、楚の首都陥落後(前?)、油断している呉軍に反撃に出た沈尹戌でしたが、闔廬をあともう少しで倒せるというところまで肉薄しながら、孫武の活躍もあって力尽き、自刃してしまうのです〜。彼が時間稼ぎをしたおかげで、秦の援軍が到着し楚は滅亡免れたというお話です〜。
 申包胥(しんぽうしょ)はもともと伍子胥の親友として登場します。父兄を殺されて楚を去る親友の伍子胥が「必ず楚を滅ぼしてやる〜」と言ったのに対し、「そしたら必ず楚を再興させてやる〜」と言った人です。
楚の首都陥落後、伍子胥が復讐のため平王の遺骸に鞭打った話を聞き、伍子胥に非難の手紙を送っています。それに対し、「日暮れて道遠し・・うんたら」の言い訳を伍子胥が返信したというのは以前にも書きました。これに前後して、申包胥は秦に赴き、楚のための援軍を要請します。しかし、「自業自得やん〜」とけんもほろろに断られてしまいました〜。でも申包胥はあきらめません〜。7日間、宮廷の前で飲まず食わずで号泣します。・・無茶苦茶だな〜、実際できないでしょうけどね〜、誇張されてるのかな〜。それを見て秦の哀公(あいこう)は「楚にもこんな忠臣がいたんだ〜」ということで援軍を出します。こうして申包胥は楚に舞い戻り、楚は再興を果たすのでした〜。
呉が撤退したのは王弟夫概(ふがい)が呉都で反乱を起こしたというのもありますが〜。
 一説によると范蠡は楚の出身とも言われています〜。この時期には楚にいたのか、またはこの時に他国へ流れていったんでしょうかね〜。楚の首都郢(えい)陥落がBC506年。范蠡が登場する儁李(すいり)の戦い(史記では会稽の戦いから)がBC496年なので、微妙なところですね〜。ま、これ以前に越に行ってるということも考えられますが〜。

コメント(3)

この時期、沈伊戌や申包胥の他にも、楚には子期(しき)や子西(しせい)といった人達がいます。彼らは平王の息子達で、子西は当時王位にあった昭王(しょうおう)の兄でもあります〜。子期はどちらかは分からない・・。ま、子西は弟に王位を譲ったみたいですね〜。この兄弟コンビは民政の子西、軍事の子期という風に、うまいこと分担して楚の復興に尽くすわけです〜。
 この人達、伍子胥が楚から一緒に逃げた勝(しょう)を迎え入れてます。勝はかつて伍子胥が父と兄を殺されることになった平王の跡継ぎ争いのもととなる太子健(けん)の息子です。太子健は鄭で殺されますが、伍子胥は幼い勝を連れ、苦難の末呉にたどり着くわけです。ところが子西に招かれて、伍子胥に無断で楚へ行ってしまうんですね〜。それで白公(はくこう)と呼ばれるようになりました。なぜこうなったかは、あんまりくわしく分からないです〜。伍子胥と仲たがいでもしたのかな〜。ところがこの人、扱いが不満だったのか反乱を起こします。この乱は鎮圧されますが、子期と子西も巻き込まれて二人とも亡くなってしまうんですね〜。
 
 ちなみに戦国時代秦の名将白起(はくき)がこの白公の末裔という説もあります。唐の大詩人白居易(はくきょい、白楽天はくらくてんという呼び方の方が知られてるかな?)が白公勝と白起の末裔と称してたところからみたいですけど〜
ちょっと補足〜
白起(はくき)は戦国時代後期の秦の将軍です〜。武安君(ぶあんくん)とも呼ばれます〜。范蠡より200年後くらいの人ですね〜(だいぶ離れてきたな〜)。この人に関してはいろんな本がありますので、サクサクっと。巧みな用兵と優れた智謀を持ち、常勝将軍と言われ、趙・魏・韓・楚などの軍を何度も破った名将です。有名な戦国時代最大の戦いである秦・趙の長平(ちょうへい)の戦いに大勝し、40万人と言われる趙の兵士を生き埋めにしてしまいました〜。その後、趙と和睦したのを不満に思ったのか、病と称して出仕・出兵命令を拒み続け、最後は自害させられている悲劇の名将です〜。
当時の宰相范雎(はんしょ)との確執があったみたいですけどね〜。范雎は范蠡とちょっと関係して来るのでいずれまた書きます〜。
白居易(白楽天)は唐の詩人。有名な「長恨歌(ちょうこんか)」の作者ですね〜。長恨歌は楊貴妃(ようきひ)を失った唐の玄宗(げんそう)の悲しみをうたった詩ですね〜。(って読んだことないんですが・・)平安期の日本にも大きな影響を与えた方です〜。枕草子とか源氏物語とかはそうみたい〜。文学とかになるとよく分からないんですけど・・。う〜ん、脱線しすぎだな〜。

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