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大相撲コミュの☆★思い出の土俵★☆

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BSチャンネルの放送中に時折流れる懐かしの映像。
なかなか見られない方々が多いことから、
今回リクエストを受けて専用トピを作成しました。

動画サイトyoutubeにアップされているもの限定ですが、
このページで当時の映像を懐かしさを感じながら
ご覧いただければ幸いです。

中には当時まだ生まれていない方々もいるかもしれません。
そういう場合も当時の活躍力士などを知るいい機会だと
捉えてご覧いただければと思います。

映像と共に当時の番付と場所のコメントも
簡単に添えておりますので、
様々な面で懐かしさを感じながら語っていきましょう!

コメント(9)

【昭和55年秋場所】

https://www.youtube.com/watch?v=bSd0Gfu94o0
https://www.youtube.com/watch?v=nJ1h8QIrv4k
https://www.youtube.com/watch?v=2i7xPdryXpE
https://www.youtube.com/watch?v=0dWu2I-yqyg

まずは先月行われた秋場所の中で放送されたものです。
今から39年前ということを考えると、相撲協会を退職されている方や既に亡くなっている方の
名前もちらほらとありますね。

この場所となった優勝は横綱の若乃花は二代目、後に間垣親方になった方です。

番付を見て何より驚いたのは、この1年後に横綱昇進を果たした千代の富士が当時はまだ小結だったということ。
それだけこの1年間が如何にとんとん拍子だったかが分かりますね。
さらには、後に番付を駆け上がった隆の里や琴風もこの時はまだ平幕でした。
そしてこの場所新入幕の高鐵山は、後の板井であることにも驚きです。

動画を振り返っての第一印象は、とにかく体形がスリムであること。
次に下半身の強靭さと器用さを兼ね備えた力士が多かったことです。
それだけ当時が如何に猛稽古だったかが伺えますね。

それでは、当時の熱戦・好取組をご覧下さい。
確かに懐かしいですね。

まず最初に思ったのは、短命な力士が多いなという事。私は北の湖と同じ学年、同い年なので、少し上の輪島、貴ノ花、隆の里も含めとても寂しく感じました。
また、当時の力士の体格は動きやすい体形が多く、近年のような巨体の力士は少ないですね。
それから、当時は賞金が少なかったな、と改めて思います。

見た中では、富士桜と麒麟児の突き押し相撲や増位山の内掛け、鷲羽山の蹴返し、それに貴ノ花や輪島の足腰の良い相撲が印象的ですね。
やはり体重の増加によって技が変わってきていると思います。

当時は旭国の相撲が好きでしたが、今見てもやはり良い相撲を取っていましたね。
>>[2]

ご自身と同年代の力士たちが亡くなっていいることを思うと、確かに寂しい気持ちは募りますよね。
対照的に、当時をリアルタイムでご覧になっていた背景を思うと、昭和62年生まれの私にとっては羨ましい限りです。
どの取組も瞬き一つで展開が大きく変わってしまうのが現在とは大きく違いますね。
特に内掛けや外掛けといった足技がこんなにも素早く鮮やかに決まっていたとは…。
それだけ当時の土俵に立っていた力士たちの偉大さが伺える映像でした。
ちょうど千代の富士が力を付けて上がって来た時期ですね。

千代の富士は入幕当時は相撲が大きく荒っぽくて、良く脱臼していた記憶があります。同じようなタイプはなかなか大成しない印象があったので、千代の富士も人気力士にはなっても横綱になるなどとは思いもしませんでした。
映像にある昭和55年の後半には三役に復帰して上昇気流に乗りましたね。

体は小さかったですが、筋肉をつけて化けた感じでした。この一年前の映像があるとどの程度化けたか分かるような気がします。

北の湖と全盛期が少しずれているので私などは北の湖の強さが印象的なのですが、昭和55年秋場所以降の相撲を見ると千代の富士の強さが目立つと思います。
【昭和56年初場所】

https://www.youtube.com/watch?v=pwTMk-pGNZo

前回の投稿(昭和55年秋場所)から2場所後の番付です。
前の場所で横綱の三重ノ海が引退を発表し横綱は3人体制。
この場所に貴ノ花、翌場所には輪島と増位山も引退という
まさに世代交代を大きく象徴する年だったと言えますね。

後に全勝相星決戦を繰り広げた
千代の富士と隆の里のライバル横綱が当時は東西の関脇。
さらには後に大関まで上り詰めた北天佑が幕内2場所目、
若島津もこの場所新入幕を果たして敢闘賞受賞と、
新鋭が着々と力をつけていることも伺えます。

最終的には14戦全勝の千代の富士が
千秋楽に1敗の北の湖との直接対決で並ばれるも、
決定戦で見事勝利して初優勝と大関昇進を決める結末でした。
やはりほとんどが千代の富士の取組です。
個人的には北の湖に土がついた一番が無かったのは残念に思います。
※北の湖に土をつけたのは朝汐でした
【平成5年春場所】

https://www.youtube.com/watch?v=BCyUUoLtEhU
https://www.youtube.com/watch?v=aMa4Lj53DT8


前回の投稿からかなり時間が経ってしまいましたが、
今場所放送されている思い出の土俵が動画サイトにアップされています。

この場所は曙が新横綱、貴花田が貴ノ花に改名して新大関と
場所前から昇進の話題が多く集まった記憶があります。

上位の顔ぶれを見ると、
大関に貴ノ花、関脇に安芸ノ島、小結に若花田と若翔洋、
さらには前頭上位に貴ノ浪や三杉里といった二子山部屋の力士が集中。
先代の定年に伴い藤島部屋と合併したことで
協会も取組編成には苦労したことでしょう。

平幕では新入幕に先場所優勝した徳勝龍の師匠にあたる肥後ノ海がいますね。
さらには前頭14枚目の剣晃が中盤までの活躍を大きく評価され、
この地位ながら終盤に若貴との対戦も組まれたことも覚えています。

最終的にこの場所は小結の若花田が初優勝を飾って翌場所若ノ花に改名。
途中までは弟の貴ノ花と兄弟子の若翔洋も優勝争いに関わり、
展開次第では同部屋による三つ巴も期待できたかもしれませんね。


柏戸大鵬の柏鵬時代が物心ついたころで
それに大関(?)の豊山(初代?)が絡んでました。

家族も周囲も圧倒的に大鵬ファンだったけど
今思うと完璧な品性と圧倒的なイケメン面でも母親世代も大好きだったんだな目がハートあせあせ(飛び散る汗)
校庭や農家大家の庭や空き地の広っぱに棒切れやズックの先で円形土俵描いて相撲したのって何年生までかな? 中学じゃだれもやらなかったような・・・

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