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GIGER vs DIMACCIOコミュの映画脚本のアイディア

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ギーガーとディマシオの二人が美術を担当した映画が作られるとしたらどのようなものになるか、アイディア募集です。監督は未定。

コメント(41)

 アイガーさんへ。コメントありがとうございます。パソコンが壊れて対応がおくれていました。思いつき数分で作ったコミュですけども、理解していただいたことに感謝しています。 
 エイリアンシリーズは回を繰り返すごとにナンセンスになってしまいましたね。ここらで初心に帰って、エイリアンビギンズというか、意味の建て直しをしても遅くはないかもしれません。 

そもそもあの宇宙船はどこからきたのか、エイリアンとはそもそもなんなのか。などと考えると、スペースジョッキーの別異星人とエイリアンとの確執や死闘も空想できますし、深みのある宇宙映画がもう一本つくれそうです。 
 
ディマシオの美術は映画に採用されたことはありませんが、「フィフス エレメント」のメイキング本に、非公式にディマシオの絵を盗用したようなイラストがのってましたので、映画関係者も意識はしていたのかもしれません。 

スペースジョッキーの異星人はエイリアンの被害者のようですから、まったく異質な生物を想定したほうがいいのでしょうね。ディマシオがもっと若ければきっちりやってくれたかもしれません。うーむ、秘蔵しておくにはもったいないアイディアですね。 

これからもよろしくおねがいします。
管理人様、コメントを有り難うございます。

エイリアンビギンズ、いいですね。
激しく同意です。
観る側に空想を喚起させる謎が沢山ある作品でしたが、「実はこうだったのです。」という掘り下げた作品で、エイリアンシリーズを建て直していただきたいものです。
シガニー・ウィーバーさんの出演は、考えなくていいかと思われます(笑)

コメントを拝見しながら、「フィフス・エレメント」に登場する青いからだの歌姫を思いだしました。
ディマシオの描く女性?に、かなり似たイメージのものがありましたね。

ご指摘の通り、スペースジョッキーの異星人は被害者だと思います。
エイリアンを加害者と考えて、両者を勧善懲悪で作品化するのは単純すぎるかもしれませんが、「AVP」とは違う深いお話しにまとめていただきたいものです。

管理人様、これからもどうぞ宜しくお願いします。
携帯から書き込みさせていただきます、アイガーです。

愚かにも第二案ですが、またもやリメイクです。
それは、砂の惑星。

原作の壮大なる叙事詩を、短時間の映画作品にまとめたデヴィット・リンチ監督バージョンについては賛否が分かれるようですが、キャスティングとデザインは見事だと思います。

しかしあえて、デザインだけをディマシオとギーガーで練り直したら面白そうです。
アトレイデス家をディマシオ、ハルコネン家をギーガーが担当です。
衣装、建物、乗り物、その他の小道具全てをきっちり区分けしてデザインしていただきます。

ワクワクしてしまうのは、わたしだけでしょうか(笑)
砂の惑星。 見てからだいぶたちますが、そういえば、二つの王家の対立構図なんてあったのですね。あの映画だとイランとイラクくらいの違いでしかないような印象ですし、ギーガー風、ディマシオ風、できっちりやれば、これれまた壮大かつ分かりやすいですね。

 しかし問題は二人とも高齢で、彼らにデザインを頼むのだとしたら、それが可能なもう一つの平行宇宙を想定しなくてはなりません。

 ディマシオは実際にデザインの仕事はほとんどやってませんね。 ギーガーのデザインは刺青など、新しい世代が大いに真似ています。ディマシオのデザインの可能性を誰か有能な若いデザイナーが掘り起こして、ニューヨーロピアンデザインのようなものを確立してほしいですね。日本もいまだ成金は多いですから、金持ちのラブホテルの経営者などがフル ディマシオ様式で全部ホテルを作ってもらうとかして、度肝を抜くようなものを見せてほしいですね。ハリウッドの造形能力を見るかぎり、もう新しい世代が巨匠の手を借りずとも、斬新なデザインを可能にできるのではないでしょうか。

 蛇足ながら、フレンチな業界といえば、理髪店、美容室なんかも、ディマシオ化できるはずなんですがね。ディマシオの立体は相当気合をいれないとチープになることが予想されます。

 まずはディマシオデザインの可能性からという段取りではと思いました。 

次は具体的なデザイン画募集といきますか。

 マジで面白いディマシオ立体ができれば、本人に見せたら著作権を飛び越えて喜ぶと思うんですけどね。これは日本人の先進オタク技術ならできますねえ。 

 80年代の熱さよもう一度。といったところでしょうか。
管理人様、コメントを有り難うございます。

ギーガーが、新しい世代に与えた影響は大ですよね。
それは、私たちが彼のデザインを目にする機会が多かったからだと思います。
私の場合は映画「エイリアン」を観て「いったい誰がこんなモノを?」と思って彼のことを知るに至りましたが、スイス人画家ギーガーを知らなくても「エイリアンっぽいデザイン」を知る人はたくさんいると思います。
一方で、ディマシオはギーガーほどメディアに流通しなかったので、管理人様のおっしゃるように、彼をリスペクトする若手が踏襲しないと忘れ去られてしまいます。

さて〜、ラブホテルの件ですが、いつも面白い発想されますね〜。
余談ですが、知人が札幌のラブホテル転売の仕事をしているのですが、彼の夢の一つがブレード・ランナー・ホテル?だそうです(笑)。
それから、東京白金に「ギーガー・バー」がありましたが、巨匠自らがデザインしたこともあってなかなかに雰囲気が出ていましたね。
回廊形式の三層か四層構造、真ん中が吹き抜け、照明暗し、スモーク有り、そして最近のガールズ・バーみたいに対面接客のホステスもいましたね。
(わたしはこれが目当てで通っていたクチです、アハハ。)
回廊は両巨匠に共通するイメージだと思いますので、飲食店の内、外装をディマシオ様式で構築するのも面白そうです。
やはり、多重構造で吹き抜け、そしてディマシオ巨匠の絵には必ず上部より光が差し込みますので、ここは絶対に天窓を設置!!
・・・しかし管理人様がおっしゃるように、予算を渋るとヘンテコなお化け屋敷になるでしょうね〜、間違いなく。

デザイン画募集ですか?
わたしのデザイン画ですか?

新しいトピックを建てたほうがよろしいのでしょうか?
ギーガーバーは19歳のウブな時期に行きまして、バーに居た女の子達にも私は憮然とした態度で対応してました。「ギーガーにはバーよりも教会を作って欲しかった、」なんてもらしていた思い出があります。

ところでChronicles of Riddick という映画がありますが、壮大でありながらどことなくチープで、それこそ安っぽいラブホや田舎の温泉にあるようなアンティークな装飾的デザインにちょっと笑ってしまいました。部分的に、ディマシオ村を襲うギーガー帝国ともとれるシーンがあると思うのですが。どうでしょうね。

それから勿論、私は毎日こういうことを考えているわけではありません。



こんばんは、管理人様。

わたしがギーガーバーに通っていたのは、20代前半の多感?な頃でした。
強いバーボンを無理して吞みながら、やがて酩酊してくるとホステスさんにギーガーの画集を持ってこさせ、「この絵はね、こうでね、ああでね、そしてね・・・。」と、クドクドのたまっていました。
最悪な思い出ですね。

そして、Chronicles of Riddickのディマシオ村を襲うギーガー帝国のイメージ。
管理人様、やはり面白い発想だと思います。
というか、そのように見えます。
黒を基調とした異質で攻撃的、官能的なギーガーの世界観と、セピア調の懐かしさと温かさを感じさせるディマシオの世界が感じられます。
面白いですね、面白い!
 やっぱりギーガーバーはシュールな思い出ですね。あんなものを創ろうと思った当時の日本の大人達も無邪気というか天晴れというか、加藤茶主演の子供探偵番組でしたけども、悪の組織がライブハウス Giger barにあることが判明し、ギーガーのエントランスに向かってカトチャンが走っていくシーンなどもはっきり覚えています。ありえない光景でしたね。

 自業自得ですが、このコミュのせいで最近、仕事中も妄想が生まれてしまって、調子づいてもう一件提案したいと思います。

80年代のホラー映画、FROM BEYOND を ギーガー VS ディマシオでリメイク。

といいますのは、ビデオテープのジャケットがディマシオのパクリだということには気付いていたのですが、実際見てみるとラブ クラフト原作なのでダークなギーガーのほうが似つかわしく、ディマシオの入る余地がありません。しかし、ちょっと脚本を変えて、悪のマッドサイエンティストをギーガーミュータントに、恋人のいる男の科学者をディマシオミュータントに変えて、主人公が狂気を克服して神となり彼女を救う、という最終場面に変えると、これもなかなか面白いB級映画になるのではないでしょうか。


「あっ!あっ!! 頭が痛い!」とミュータント化パワーに耐えているうちに、頭からディマシオが描いている角がにょきにょきと出てくるという、うわぁ、それもまたキモイですね。この動画はフランス語ヴァージョンなんで、そんな連想も可能かと。「マニフィック!」 
 



管理人様、ご返信が遅くなりました、申し訳ありません。
最近吞んでいてばかりで、PCにタッチ出来ませんでした。

さて〜、『FROM BEYOND』。
申し訳ありません!未見でした!
リンク先のYou Tubeにて拝見しましたが、『遊星からの物体X』かと思わせるクリーチャーに驚きを禁じ得ません。
これはひょっとして・・・、映画の偶然?なのでしょうか?
それにしても、「あっ!あっ!! 頭が痛い!」のシーンのイメージは、まったくもってディマシオのデッサンそのものではないですか!?

とにかくですね、今回はっきりと認識いたしました。
管理人様は、私の”マスター”です、師匠です。

ということで、マイミクになっていただけたら・・・と、切に思う次第です。
どうぞ宜しくお願い致します、”マイ・マスター”!!
私も夜はよく酒のみます。 うむ、拙者はユア マスター となったのですか。酒は若干、サイケデリック効果もあるので、意味の爆発具合に問題が起こることもあるでしょう。どうか、昼に真面目に働いている老若男女様が眉をひそめることがないよう、祈りつつ寝るばかりです。

 とにかく総括すると、ギーガーさんとディマシオさんの功績は、膨大な潜在的可能性を残してくれたことです。二人とも実は画家としてはもう終わってます。今後、傑作も奇跡的コラボレーションも期待できません。私達 人類はこの二人の天才にアンコールコールを送る前に、幕が閉じてしまったのでなす術もなく呆然としています。天才と凡人は関係ないのか? いえ、ばっちり関係があります。彼らは人類全体の集合無意識を変えてしまったのです。ですから今後の検証としては、我々凡人がどれほどこの変性後の集合無意識から可能性をひきだすかということなのです。


 今では、市井のオバちゃんたちも抽象画をなにげに描いたりします。それを100年前にやることは不可能だったのです。抽象画家達が集合無意識を変えた結果なのですね。

 Giger VS Dimaccio 我々はこんどこそ見つけてやるぞ、奴らの秘密を。(ブルーブック プロジェクト風)
こんばんは、マイ・マスター、今夜は自宅で吞んでいます。
ううっむ、紙パック焼酎もなかなかいいもんですね。
親父道、まっしぐらです。

さて、二人の巨匠の功績について総括していただいたご考察、なるほどです。
我々の集合無意識に影響を及ぼした歴代の作家達と同じ過去の偉人なんですね、この二人は!
残念であります、切ないですね・・・。

しかーし、我ら凡人が二人の巨匠が開墾した畑に大輪の花を咲かすやもしれません。
マイ・マスター、このコミュニティが一石を投じるきっかけになるのではないでしょうか!
(ああ、これぞ酔っ払いの「大きな話し」)

とにかく、今後とも宜しくお願いします!!
今宵の秋はしみじみしますなあ。こちらもおやじってます。

マスターの称号をいただいてから、さきほども、想像力が破裂してきまして。
あのくそくだらないエイリアンVSプレデター  シリーズの起死回生案です。

AVP3で明らかになることはプレデターは実はアリ地獄宇宙人であり、幼虫形態であるということです。それが明かになって初めて、プレデターが何故 エイリアンとあえて戦う文明を選んだのかを理解できるという設定を考えたことがあります。

 アリ地獄は幼虫時代にさんざん悪いことを重ねて捕食者として生きなければ、カゲロウ成虫になれないという宿命で、プレデターの悪事は全て究極の善意のためだったのです。もっとも大きな悪事をしたプレデターがもっとも偉大な善意をもったカゲロウ成虫になることが可能であり、そのことを追求する一環の一つがエイリアンとの戦いであったのではないでしょうかという。この場合、エイリアンは蟻ですね。

 その新しいカゲロウ宇宙人は アリ地獄プレデターとは似ても似つかぬ美の権化であり、そしてそれはエイリアンとの死闘を通して彼らの文明に究極の祝福としてもたらされるというわけです。

 そしてそのカゲロウ宇宙人はディマシオ空間をもたらす存在でもあり、美と光に満ちております。

 選ばれたプレデターの背中が割れて、徐々に光とともに中からカゲロウが現れてきます。プレデター帝国の幾万、幾億の猛者達がついにその光に傅くことになりました。新しい世紀の始まりです。

 エイリアンはどうなったのでしょうか、エイリアンは地球人を進化させるためにさらなる厄災を解き放ち始めました、プレデター達は知っておりました、最善のためには最悪が必要だったということを。

いっやあ〜、盛り上がってまいりました。
もちろん今宵も吞んでおりますです、はい!

しかし、マイ・マスターの想像力妄想力説得力「芸術は爆発だ!!」。
・・・申し訳ありません、図に乗っています。
あ、さて〜ーー、アリ地獄宇宙人幼虫形態についてのご妄想ですが・・・
う、うむむむん!
す、凄すぎますです、マイ・マスター!!!

エイリアンの繁殖方法について、ある種の蜂の生態に例えたコメントを読んだ記憶がございますです、はい。
なんでも、蜂が蜘蛛を捉えて麻痺させたのちに卵を産みつけ、生かされた蜘蛛の体内で蜂の幼生が成長していくというおぞましい内容でした。

あうう!
ダメでごわす、意味不明で言語野麻痺寸前でありんす。
明日、改めますです、はい!!!
こんばんは、マイ・マスター、先日は失礼いたしました。
今夜も酒を吞んでいます。
麦焼酎ですね。

エイリアンが地球人を進化させるためにさらなる厄災を解き放ち始めたということと、それを画策したプレデター達の「最善のためには最悪が必要である。」という理由・・・、もの凄い因果関係ですね。
素晴らしい!
さすが、マイ・マスター!!

関係ありませんが、私のコレクションを自慢させてください。
Tsukuda HOBBYの1:5スケールP.V.Cモデルです。


おはようございます。今日もコーヒーと煙草がうまいです。

私もエイリアン2のツルツルフードがついてないものを買って作ったことがありますが、実家の物置のどこかに放置されて忘れ去られています、もうだいぶ昔でもありますから。それにしてもエイリアンは見飽きることのない鮮烈な形をしていますね。この何にも似ていないという存在感、この世にあってはならない物体ですね。

エイリアンの生態に関する推察もあまり耳にしたことがありませんね。あの小さなベビーが何を食ってあんなに大きくなったのでしょうか、船内に居る猫や人間を食って一年間食い続けてあそこまででかくなる設定はいくらエイリアンでも不自然です。

 鍵は船体をも溶かす強烈な酸の体液しかないでしょう。私は船体の金属を食って、エイリアンはあそこまで成長したのだと思います。ではなぜ、人間を食うのでしょうか、食うというより噛み付いて殺す程度で、どうも体の栄養分としては彼らは興味がなさそうです。ここに関しては、映画マトリクスに引き継がれているアイディアが応用できそうです。基本的にエイリアンとは無機存在であり、無機を吸収排泄して生きているわけですが、それのみでは生命体としては維持できず、人間か動物の生命力や感情が栄養分として必要なのです、人間にとって無機ミネラルが必要なのとちょうど逆ですね。とくに最良のご馳走は恐怖感と絶望感という感情かもしれません。

 ここで今大胆な仮説を思いつきました、あの異星で発見された宇宙船は非常に奇妙なデザインで内部は有機的な装飾そのものなのですが、あれを直接建造したのはエイリアン達そのものであったのではないでしょうか。

 エイリアン達は短期間で大規模な巣の壁を構築する能力があり、特殊な金属化合物を口から吐き出すなどして集団で頑強な構造体を蜂たちのようにくみ上げていくわけです。そうだとするなら趣味としては不自然なあの有機的な船内のデザインが理解できます。

 そしてその大工職人達でもあるエイリアンを統括コントロールする別異星人が実はスペースジョッキーの宇宙飛行士であり、その棟梁異星人が完璧にエイリアンをコントロールしているうちはエイリアンは彼らの文明にとって無くてはならないものであり、大工職人であると同時に兵器にもなりうるわけです。このような究極の奴隷であるエイリアンは数万年をかけて養殖改良されてきたのですが、なんらかの事故があり、エイリアン達をコントロールできなくなって墜落したのがあの宇宙船だったのでしょう。


  エイリアンのあの長い頭には何が入っているのでしょう。脳であればポテンシャル的に相当な知能が備わっているということですね。そしてそれらは無機電気的な脳であり、外部からの送信でコントロールが可能なのかもしれません。

 まったく、エイリアンシリーズは4回まで無為に重ねながらほとんどエイリアンの偉大なポテンシャルを生かせないままできたと思えるのですが、どうでしょうね。
こんばんは、マイ・マスター。
毎回のことですが、マスターの大胆な仮説に驚かされるばかりです。

アラン・ディーン・フォスター著「エイリアン」(角川文庫)、これは脚本を小説化したものらしいのですが、ケーンから誕生したチェスト・バスターのことを「ケーンに与えられる蛋白質、栄養物、それに体内脂肪を横どりしていたんだ。」と、アッシュが推察するシーンがあります。
これはしごく当然な理屈ですが、その後の2mを越えるエイリアンに成長するまでの説明はありません。
エイリアンが人間を食べるということは、やはりないように思われます。
3作目で「脳味噌を食われるう!」といったシーンがあったように記憶していますが、私にとっての「エイリアン」は1作目のみですので、これは気にしません。
やはり、エイリアンが人間を襲う理由は「自己の種族の増殖」でしょう。
アッシュは「種族的寄生動物」と指摘していました。

そして、マスターの仮説「スペース・ジョッキー=棟梁異星人」。
とても面白いです!
一体全体どのようにして、このような発想が出来るのか?
マスター、素晴らしいです!
映画「エイリアン」のミステリアス性を高めている謎の巨人「スペース・ジョッキー」のことを考えると、妄想がすすみます。
やっぱりこれは「エイリアン・ビギンズ」で掘り下げて、巨人の種明かしをして欲しいですね。

4作目まで製作されたものの、マスターもおっしゃる通り、このミステリアスでエレガントなエイリアンの魅力が生かされておりません。
ストーリーや主演女優を考えずに、まるで動物ドキュメンタリー映画のようにエイリアンだけしか登場しない作品って、・・・やっぱり無理ですかね?
おはようございます。


 一晩寝ておきても、昨日考えたことが残っていたので吐露してみたいと思います。確かに、どうやってエイリアンが二メートルまで成長したのかは全く不明ですね、フィクションですからどんな考え方もできるのですが、こういった妄想の意義はあくまでエイリアンの実在感から発してこそなのだと思います。たぶんいるんでしょう、どこかの時空に。

 それでどのような世界観、状況がエイリアンという存在を宇宙に許すのかという前提で考えますと未知のエイリアンを核として未知の背景も予感できてくるわけですね。映画のストーリーとは、いわば 実在するエイリアンの背景を納得させるための仮説であり、この仮説には何通りもあるということですね。 


 成人エイリアンの排泄、食事の仕方がどうにもイメージできす、指が12本あるみたいですから、パソコンの早撃ちもけっこうできるのではと考えたりもします。動物というよりは人間のように労働してご飯を食べているのかもしれません。金属を溶かして体にとりこむだけなら、なぜ歯が必要なのか、捕食動物であれば餌となる別の生き物も要るのではないか。

 こう考えるとやはりエイリアンは自然発生した生命体ではなくある目的をもって生物工学によって作られた生命体であるというほうが納得がいきます。まず分解者の蟻として、食い物はそのへんに落ちているプラスチックゴミ、鉱物、なんでも食える。そして建築素材として化合して体からまた出すことができる。歯や尻尾は戦闘用であり、口から飛び出るアゴの中に鉄の玉などをしこみますと、勢いよく押し出して飛び道具にもできる。その弾丸も体から自前で作り出すことができる。エイリアンを味方にできるのならこれほど便利で頼もしいものはありません。エイリアンを制するものが宇宙を制す。というような宇宙常識があるのかもしれません。


 映画中、アッシュはかなりのことをすでに知っていた様子です。彼はサイボーグでありいわばエイリアンと同じ工学的に作られた同類です。
 たしかにそのスペースジョッキーの異星人に極めて大きい意味がありますね、あまりに大きいので映画関係者も気にはなっていても様々な事情で扱い方が分からなかったのかもしれません。
 地球人とあの異星人とはすでに密約があったのではないでしょうか、異星人との取引条件はエイリアンを地球側に提供する代わりに、人間を寄生母体として差し出すというものだったかもしれません。当時、地球は100億人くらいはとっくに超えており、寄生母体はいくらでもあったので、人口削減も実現できて一石二鳥とふんだ当時の地球の支配者は密約にいったんは応じたものの、事の恐ろしさに徐々に気付いていったのでしょう。そこで一方的な密約違反を犯す危険を実行し始め、エイリアンを遠隔でコントロールするための原理の研究もすすめつつ、人間の生贄を差し出すことなく、タダでエイリアンを捕獲しようとしたのではないでしょうか。その方法は、ある特殊な周波数を運ぶレーザーのようなものを異星人の船に放射することで、奴隷エイリアンと棟梁異星人とのコントロール系統を破壊するというもので、それは成功し、墜落した惑星の位置ももちろん知っていたわけです。あとは密約と秘密計画の内容をアッシュに託してあの惑星に派遣させたというのが第一話エイリアンの前に想定できるストーリーではないでしょうか。


ここまで書いて、ちょっとさっぱりしました。こういう話ならもっと恐ろしいことがこれから起こってきそうです。
 
こんばんは、マイ・マスター。
最近は、このコミュニティ参加が生活の一部になりつつありますです、はい。

さて・・・、マイ・マスター・・・、あなた様という方は、まったくもって計り知れない底深さをお持ちでいらっしゃるのですね。
もーーーぅ、マイ・マスターを改めさせていただき、本日これより・・・
!!マイ・ゴッド!!と呼ばせていただきますです、はい!

生物工学によって作られた生命体が「エイリアン」であるというゴッドの仮説。
ううっむ、納得納得、大納言!改め大納得!
ギーガーが描く生物と機械の融合生命体の総称を、彼自身が「バイオ・メカノイド」と呼んでいたことを思いだしました。
そして、映画の中でアッシュは「純粋に行動する完全無欠な生物」とエイリアンを賞賛しまくりましたが、それが進化と淘汰を経て辿り着いた形態ではなく、第三者によって最初から作られた鋳型のことを賞賛していたと考えられるので、とても面白いです。
私がアッシュが首チョンパされた後に三人の乗組員と対峙するシーンで感じたのは、「科学者」として役割をインプットされたアンドロイドのアッシュが「科学者」の思考でエイリアンを論評したと思っていたのです。
ところが、工学世界から生み出された同類同士と考えると、「俺もよく出来ているけど、こいつはもっとすげえや!ちぇっ!」という、まあ、アンドロイドですから感情は無いかもしれませんが、まあ、ひょっとしたら悔しかったかもしれません(笑)
話しがどんどん脱線してしまって申し訳ないのですが、映画「エイリアン」のミステリアス性と緊張感に貢献しているのが、他ならぬ英国の名優イアン・ホルム演ずる科学者アッシュだと、私は思います。

話しを元に修正いたしますです、はい。
地球人と棟梁異星人との密約についてですが、これまたユニークです、ゴッド!
地球支配者側の思惑としては、軍事利用と人口調節の一石二鳥だったはずが、余りの凶暴性に恐れをなしたと・・・。
遺棄船からの信号が「近寄るんじゃないよ!」の警告だったことを、会社(地球)は最初から知っていたとアッシュが告白するときに、棟梁異星人を「高潔な種族なのかもしれない。」と示唆しています。
地球人達には持ち得ない工学技術を持ち、「エイリアンを制するものが宇宙を制す」時代にこの種族はある一定期間の繁栄を築いたかもしれませんが、何かの理由でこの素晴らしき道具エイリアンを手放したくなったのでしょうか?

うっ、ううーーーん、映画「エイリアン」での棟梁異星人の描写は、操縦席に鎮座して化石化したパイロット?のみでした。
椅子と一体化した巨人でしたが、パイロット以外も巨人なのでしょうか?
それとも、パイロットだから巨人なんでしょうか?
蟻や蜂などの社会性を形成する昆虫達に似て、棟梁異星人それぞれの役割に応じて大きさや形態がバラエティに富んでいるのでしょうか?

・・・妄想が止まらなくなってきました!妄想万歳!!ゴッド!!!
まいどさまで おはようございます。


 何かひくにひけぬ状況に私達は来てしまったのでしょうか。さいきん私は オーマイ ガーット! が密かな口癖になり 煙草の火が絨毯に落ちた瞬間もおもわず oh my God! を口にしてしまいます。西洋の代表でもある英語圏の人々は、これを思わず言ってみたいがために、素っ頓狂なものを発明しようとするのではないでしょうか。

 映画クローバー フィールドを見ると、ほとんど Oh my God!以外の何ものでもない気がします。 実は日本にも素っ頓狂なイマジネーションが豊富にあり、奇怪なものに日本人が遭遇すると、「なんだこれ!」「やべー!」 「わ!」と言うか、あるいは見なかったことにして沈黙を守るというかんじですね。Oh My Godは パニックを抑えてくれるような気がします、どんな異質なものでも我々の創り主たる神の体系の中にはめ込んで処理してくれるわけです。

 私はハリウッド版 ゴジラを見て、東西の違いを考え始めました。ハリウッド版では、ゴジラはあくまで一方的な脅威であり、やっつけて処理する対象であり、オリジナル日本版のような、ゴジラのほうに感情移入できるようなものでは全くないわけです。あるいはイラク戦争のアイロニーともとれる「スターシップ トゥルーパーズ」においても異質な昆虫エイリアンは完全撲滅の対象でしかありませんでした。日本にとって異質なものとはむしろやむにやまれぬ事情によって出現せざるを得なかった犯罪者 兼  革命家 であり、場合によってはヒーローなのかもしれません。 

 破壊者への理解に関する際立った例が「風の谷のナウシカ」でありました。人類にとっての脅威である 腐海や虫達が実は人類が撒き散らした毒素を分解浄化する役割を担っていたというアイディアは、善悪を超えた深い根底に宇宙の慈悲があったということを私達に教えてくれます。

 エイリアン4の評価できる点があるとするなら、人間側の一方的な都合ではなくエイリアン側から見えてくるものを主人公を通して暗示していたということでしょう。これは悪を完全撲滅することのみを発想しがちな欧米SF映画としては珍しいことかもしれません。4におけるリプリーは仮面ライダーのように敵の技術と味方の心の混合体であったわけです。

 あるいはたしかに科学者アッシュは自分はアンドロイドであると自覚しつつも人間ではない哀しさ、科学の業を背負った存在としてエイリアンを代弁していた可能性がありますね、首チョンパの後に、人間達よせいぜい頑張っておくれ、みたいな。


 前置きが長くなりましたが、いままで妄想マスターとして考えてきたことの方向性の一つとして上記のようなものがあると自覚しました。エイリアンを味方にすればこれほど良いものはないという発想です。それは原子力にも似た両刃の剣なわけですね。


 
つまりそこでいわゆる棟梁番頭異星人たるスペースジョッキーの文明の輪郭を想像する入口に立てるのではないかということです。棟梁異星人にとってエイリアンは敵なのか味方なのか、そもそも誰がエイリアンを創造したのか?疑問は尽きないわけですが、アイガーさんがおっしゃるように棟梁異星人は他人の迷惑を想像できる良い存在である可能性が大ですね。たんに浅はかな商売人でもない気がします。

 地球人が宇宙航海を始めて日も浅くないあの時代に、とにかくアッシュの口ぶりからすると人類がエイリアンに接触したのはノストロモ号が初めてではないようですね、スペースジョッキーが化石化する時間を考えると、密約説にも矛盾がありますが、惑星の気候条件で化石化したのかもしれません。

 何故、いかなる犠牲もはらってエイリアンが欲しい人間がいたのか?これは会社の都合ではなく、金の問題だけでもなく、裏には必ず地球の政府がいたと思います。

 一つ目に地球人の思惑、
 二つ目にエイリアンの役割
 三つ目に棟梁番頭異星人の対応、そこから見える彼らの価値観

 そのへんに妄想力がこれから絞られていくような気がします。

スペースジョッキーの面影を見ていますと、「千と千尋の神隠し」に 出てくる釜ジイを思い出します。もしあのジョッキーが稼働中なら、職人気質に黙々とやっていそうです。実際に宇宙服を着ていたのは当時、小さな子供だったようですね、ジョッキーを大きく見せるために。おかげで、無垢な子供の目線というものも想像できるのです。

子供達「こんにちわー!!」

棟梁 「おーよく来たねえ。今忙しいからもうちょっと待っておくれ。」

子供達 「おじさん何してるの? なんかプロっぽいね。」

棟梁 「あたりめえよ。俺はもうこの仕事はあんたらの時間にして200年ほどやってるからね。」


子供達 「おじさん!なんか黒いものが動いてるよ!」

棟梁 「おう、心配ない、俺はこうやって動けないから、あいつら俺の代わりに    お茶を入れてくれるのさ、おい、黒蟻たちよ、早くお客さんに飲み物を   さしあげろ、俺ものど渇いた。」

子供達  「うわーおじさんって偉いんだねえ。」

棟梁 「まあ、やることをやっているということさ。」




エイリアン5は、 今の流れにのって、子供を主人公にしたファンタジー路線で決定!
オー・マイ・ガッッ!!
ご無沙汰しております、マイ・ゴッド!(意味不明なご挨拶で申し訳ありません。)
折り返し火急的速やかにご返信するつもりが、遅れて今夜になってしまいました。

さて、ハリウッド版『ゴジラ』についてのゴッドのお考えに、アイガーも同意です。
勧善懲悪をはっきり描く作品が目立つハリウッド映画界ですが、以前NHKスペシャルで観た『巨大映画産業・ハリウッド』でしたか?それを思いだしました。
「地域別、世代別に試写会を繰り返しながら、観客の満足度が高くなるように脚本を書き換えていくマーケティング戦略で興行収入までも予測するハリウッド、これは正に産業である。」といった内容の番組だったと記憶しています。
アメリカ人の観客はヒーローを好み、異質な分子はコイツなんです!という結果を望んでいるので、その期待に応えることで興行も成功すると考えるらしいです。
「あ〜、よかった!」「あ〜、すっきりしたん!」という、カタルシスを与えないといかんのですね、アメリカ人のお観客さんには。

対して日本の場合は、ゴッドのご指摘通り「異質なものとはむしろやむにやまれぬ事情によって出現せざるを得なかった犯罪者・・・」。
ここまで読んで、角川映画全盛期の横溝正史原作の映画を思いだしました。
やむにやまれぬ事情により人を殺めていく『犬神家の一族』の松子夫人、同様に『悪魔の手毬唄』のリカ女将、『女王蜂』の神尾先生等々・・・、アイガーは感情移入しまくりましたよ(涙)。

・・・またまた脱線しました、元に戻します。
妄想マスターとしてのゴッドのご発想、「エイリアンを味方にすればこれほど良いものはない、それは原子力にも似た両刃の剣」、うーん、何故にこのように巧くまとめられるのか!流石です!!ゴッド!!!

そして「千と千尋の神隠し」に出てくる釜ジイに、スペース・ジョッキーの面影を重ねるゴッド。
スペース・ジョッキー稼働のイメージなんて、これまた妄想大爆発です。
あの望遠鏡のような操縦桿のようなモノが動くなんて、オー・マイ・ガッッ!

そして結びが、「エイリアン5は、今の流れにのって、子供を主人公にしたファンタジー路線で決定! 」・・・。

オー・マイ・ガッッ!!!
我らがゴッドに乾杯!酒吞みます!!(今夜は芋です)
どうも、アイガーさん。毎度さまです。全国のコミュメンバーの皆様も今日一日ご苦労さまでした。

 先週、ぎっくり腰寸前になりまして、思わず「オー マイ ガット!」と言い放ってしまいました。とある事情で近くにニュージーランドの若い女性がおり、「Are you OK?」と心配してくれました。おかげさまで今は腰は落ち着いています。


 この間、後に引けなくなった私は、「エイリアン」をついに10年以上ぶりに借りて視聴しました。うーむ。年月がたってみても、あの映画は定義づけられない浮遊感というか得たいの知れない穴ぼこのようなものです。映画として好きだったわけではないのですが、なんでこんな映画がこの世にあるのだ?という後味を残します。リドリー スコット が エイリアン5 か6を創るつもりだ、とコメントしていたので、ここで我々のアイディアが集合無意識を刺激すれば、スコットの頭にも影響を与えるかもしれません。さらに、彼は、宇宙のどこかで生物兵器による戦争のための輸送中だったのだろう、と仮想しています。

実質的に、あの異星人文明は、数万年、数億年先未来の我々の文明と解釈していいのかもしれません。つじつま上、宇宙飛行士が異星人に遭遇したという設定でしょうが、巨大なタイムラグのある文明に接触したことによる破滅的ショックがエイリアンの本質であり、またギーガーの芸術でもありましょう。

 ですから、地球人の思惑と異星人の価値観という関係で推察することには限界があり、両者はもともと別時空にあって交差が許されない性質のものであって、ストーリーにすると、論理的にも破綻しそうです。ですから、人間関係抜きにしてまずは想像してもいいのでしょう。



 まず、確かにエイリアンは一週間もたたず、ひょっとしたら数時間で巨大化しています。そういうことを可能にする時空条件とは、こういう事だと思います。何か確かに原子力のようなものと関係があるのではないでしょうか。エイリアンとは鉱物存在であると以前いいましたが、それだけではなくエネルギー存在でもあるのでしょう。つまり原子核レベルで物質を変換して吸収できる生き物であり、ビックバンのような巨大なエネルギーを瞬時に自在に物質化できるということです。そうでなければあのような瞬時の成長と意志の力、瞬発力が説明できません。エイリアンとは錬金術師であり、プラスチックを食って、それを鉄として吐き出すということも可能なのかもしれません。 

 もう一つ言えるのは、エイリアンの文明においては人工と自然という対立概念がとっくの昔に消滅しているということです。ですから貨幣もパソコンショップも彼らの文明には存在していません。

 ここでGiger VS Dimaccio コミュらしい、未知の本題が見えてくるのですが、つまりいったい人類とはそもそも何なのでしょう?という根本的な謎なのです。

 人類は裸のサルとして、他の生物と差別化される面があります。もし人類が環境に強靭柔軟に対応できる毛皮、皮膚をもっているのなら服は必要ありませんでした、どんなものでも噛み砕いて消化できる体であれば、調理文化も無用です。

 他の生物は昆虫にしろ植物にしろ体全てが知性であって、道具を使う知性はほとんどありません。道具は全て自分の体なのです。

 対して人類は自分の体の外に道具として知性を外在化させなければ生存できないのです。人類の有機体としての弱さが知性の外在化という役割として発展し、人工と自然という対立概念を生み出したのではないでしょうか。そして今日、人工知能やロボットのような知性までをも外在化させようとしています。

 そしてご存知のようにここに問題があります。外在化した知性=人工物=文明が本体の人間を劣化させるのです。それは近代戦争のやり方に分かりやすく現れています。ボタン一つで敵を消滅させる兵器などは、人間の責任感、身体能力、と全く関係ありません。

 プレデターはあのようなハイテクをもちながら何故、身体を使って戦うことに固執するのかというと、本体としての身体を放棄すれば文明全体が滅びるということを知っているからであり、このことを今の人類も知るようになれば戦争の形態も変わっていくでありましょう。ロボットを使うにしてもそれは必ず責任をもつ人間の身体が中心価値となっていくわけです。


 実はディマシオの世界がその身体を中心とした文明の未来像だと思います。テクノロジーと同化して鉱物的虚無と一体化した文明がバイオメカノイドだとすると反対の方向性をディマシオ文明はもっているということです。方向性は違いますが、彼らの世界では知性の外在化としての文明はとにかく終了しているのです。

 

 





 人工と自然が同一の究極の世界とは、知性を外在化せず逆に内在化していく文明だと思います。それはすでに文明とはいえず、限りなく、蜂や蟻のような裸の有機体のようになるのではないでしょうか。

 例えば女性が化粧をしようと思えば、工場で作った化粧品を貨幣を出して購入しなくてはなりませんが、人工=自然 の世界では、化粧という概念が身体そのものから実体化してきます。つまり体から自然と化粧が製造されてくるのです。

 このようなことは想像しがたいのですが、SFによって想定された様々なヴィジョンによって何か予感できるような気がするのです。その典型的なものにアキラのテツオの変容があるのではないかと思ったことがあります。変容したテツオは右手を機械化したためにギーガーのバイオメカニカルな印象とディマシオのような身体拡張の印象の二つが共存しています。テツオはあまりに早まって未来人類の意識に足を踏みいれたためにコントロールを失い、宇宙に吸収されてしまったということなのでしょう。


「神、の、、、力ですか。」    今夜も Oh My God!  




おはようございます、マイ・ゴッド、今日は仕事が休みです。
月曜夜の深酒で火曜は昼ぐらいまで寝ているのが通例なんですが、今日は不思議と早起きしました。
そこで、久し振りにネル・ドリップ式で珈琲を点てました。
豆は「マンデリン」、苦みのパンチが効いたお気に入りの品種ですね。
煙草によく合いますです、至福の一時ですね。

ぎっくり腰寸前とは、オー・マイ・ガッッ!
落ち着いたとのこと、安心しております、ゴッド。
私もゴッドの影響なんでしょうか?最近は好んで必要以上に「オー・マイ・ガッッ」を口にしてしまいます。
遥か以前ですが、フィリピン・パブで吞んでいるときにタレント(ホステス)の子達から「オー・マイ・ガッシュ!だよ」と発音を正されました。
あちらでは「ガッシュ」と発音するのでしょうかね。

さて、「鉱物存在だけではなくエネルギー存在でもある」という、エイリアンについてのゴッドの仮説、面白いですね。
素晴らしい代謝機能と生産機能?を備えた完全生物というか、ゴッドの仰せられる通り錬金術師ですね。
我ら人間は水と空気と栄養によって生存していますが、これらを全て100%のエネルギーに変換する代謝機能は持ち得ていません。
エイリアンは、取り込んだ物質以上のエネルギーに変換出来る特殊な酵素を持ち合わせているのかもしれません。
ゴッドの「原子核レベルで物質を変換して吸収できる生き物であり、ビックバンのような巨大なエネルギーを瞬時に自在に物質化できる」、この仮説によりエイリアンの以上な成長速度が納得出来ます、有り難うございます!ゴッド!
 
そして、「知性の外在化」についてのゴッドのお考えですが、ううむ、毎回のことですが、何故にこのような発想が出来るのでしょうか?
羨まし過ぎて面白過ぎますよ、ゴッド!
なんだか教授の講義を拝聴している気分です、プロフェッサー!!
(マスター → ゴッド → プロフェッサー・・・称号がどんどん増えていく)

有機体としての機能がどんどん退化、脆弱化しているヒト生物と、ヒト文明について考えさせられますね。
人類とは何ぞや?という根本的な謎・・・。
外在するモノに依存しながら生き長らえ、消費ばかりしていて生産性に欠ける生物ですよね。
「外在化した知性が生物を劣化させる」ことを理解しているプレダターが、自己の身体を使った肉弾戦に固執する・・・面白いですなあ、ゴッド!

ギーガーとディマシオが描く世界観を観て、身体が中心価値の未来像だとは、これまた言い得て妙です。
確かに方向性は違いますが、これはそれぞれの種族が選んだ目的により完成したと考えて良さそうです。
エイリアンは自己の種族の増殖を純粋に追求した結果、攻撃力、防御力、耐久力、適応力に優れたバイオ・メカノイドを手に入れたのでしょう。
躊躇いも迷いも感じない、純粋に行動する完全無欠な生物です。
ディマシオの描く世界の種族は、何が目的なのでしょう?
別種族との共存、共栄でしょうかね?
探ってみたい妄想テーマです。

更に、人工と自然が同一となる究極の世界として、蜂や蟻のような裸の有機体のようになるのではないか?とのご推察ですが、激しく理解しました(変な日本語ですね)。
究極の目的と役割に特化した身体をもち、そのためだけに生存する有機体でしょう。
天寿を全うするんでしょうね、いや、そんな達成感も悦びも必要ない有機体なんでしょうかね?

また、コーヒー点てます。
 こんばんは アイガーさん と皆さん。 今日も一日ワクワクでしたか。というバシャールのような前置きはさておき、今晩はブラック ニッカを飲んでいます。昔は カスタム スピリット が最低限の ウィスキー でしたが、技術革新で駆逐されたようです。ブラックの髯親父はいまではスーパーで670円くらいですね。 しかし、私は酒癖の悪い人間ではありません。全くノーマルです。ちょっと脳みそに隙間を空けて、サイエンス フィクション メソッドを駆使しやすくしようとしているのです。

 SFという分野は嫌いではありませんでしたが、今にいたって、なるほど。SFとは思考方法としてなかなか役にたつのかもしれないと思いはじめました。サイエンス フィクション であれば、 それは フィクションに過ぎませんが。 フィクション サイエンス と置き換えれば、 フィクションを通してサイエンスする、というふうに発想できます。 かつて学生時代に ジョン C リリー の講演会に行って、彼に質問したことがありますが、最後に「自分の疑問は妄想でしょうか?」と訊きました。すると彼は「妄想は存在しない。いかなる情報も理性的に対すれば、有用な情報が引き出せる。」という趣旨の回答をしました。
それはまさに フィクション サイエンス というものでしょう。嘘を通して真実を予感する。それは一種の芸術でもあるのでしょう。


 朝のコーヒーの思考も良いものですが、夜の酒による思考も侮れないかもしれないですね。

 さて。ギーガーのエイリアンに思考が焦点化したために、ディマシオの世界が置き去りにされていたように思いました。ディマシオは絵にタイトルをつけませんし、ほとんど自作についてキーワードを残していません。あたかも、「あなたにおまかせ。」というふうに。 それならば、おまかせならば、色々考えてもいいということですね。


 ディマシオは画家として恣意的なところがあります。全て真に受けることができません。しかし基本的に超人像を描いているのだと思います。超人といえば、ニーチェですけども、彼はこのようなことを書いていましたね。

 
「わたしはあなたがたに超人を教えよう。人間は克服されなければならない或物なのだ。あなたがたは人間を克服するために、何をしたというのか?
 これまでの存在はすべて、自分自身を乗り超える何物かを創造してきた。あなたがたはこの大きな上げ潮にさからう引き潮になろうとするのか、人間を克服するよりもむしろ動物にひきかえそうとするのか?
 人間から見れば、猿は何だろう? 哄笑の種か、あるいは恥辱の痛みを覚えさせるものだ。超人から見たとき、人間はまさにそうしたものになるはずなのだ。哄笑の種か、あるいは恥辱の痛みに。
 あなたがたは虫から人間への道をたどってきた。そしてあなたがたのなかの多くのものはまだ虫だ。かつてあなたがたは猿であった。だが、いまもなお人間はいかなる猿よりも以上に猿である。
 あなたがたの最も賢明な者も、植物と幽霊のつぎはぎか、あいのこにすぎない。だがわたしはあなたがたに幽霊になれ、もしくは植物になれと命じるだろうか?
  いや、わたしはあなたがたに超人を教えよう!
 超人は大地の意義なのだ。あなたがたの意志は声を発して、こう言うべきだ。「超人こそ大地の意義であれ!」と。


人類が超人に到る過程の存在であるとするなら、人類の目的は超人ですが、超人になってしまったら、何が目的になるのでしょうか。それはその時に考えればいいということなんでしょうか。超超人、 超超超人。 と超が増えていく。それもまたナンセンスな感じですね。それはあたかもドラゴンボールの悟空が無制限に強くなっていって、マンネリになるという事態にも似ています。

 ギーガーのバイオメカノイドは現代社会の中に無数の兆候を見出すことができますが、ディマシオの世界は掴みがたいところがあります。ディマシオの描く人物には体毛が無いと言われますが、ここがキーポイントの一つではないでしょうか。

 何故男性は毎朝 髯を剃るのでしょうか、そして女性は何故、臑毛腋毛を処理しようとするのでしょうか。しかし頭髪を剃ろうとする人は、お坊さん尼さん、ヤクザ以外にはあまり居ないようです。毛があるということは獣に近いということであり、今でも放っておくと、あっというまに鼻毛モジャモジャ、髯ボサボサになってしまいますが、実際は人間には毛が一本も無くてもなんら不自由することはありません。霊長類ヒト科は一応哺乳類に属しているのでしょうが、ヒト科はここまで体毛が後退して、実はその次に控えている全く違う生物、超人へ到る準備段階なのかもしれません。禿げ頭は超人に近いのかもしれませんね。

 いずれ次の人類には毛が一本も無くなるのかもしれません。哺乳類を離脱するのです。ディマシオの初期の絵には頭髪の無い男女が出てきますが、彼は結局、頭に関しては奇妙な角や装飾が生えてくるように描きました。そのことは、ちょうど、女性達が体毛を処理しても頭髪まで無くそうとはしない、ということに符号しているのではないでしょうか。 ヘアースタイルはその人間を表現する重要な部分です。ツルッパゲの人間というものは何か本来のあり方から離れているという印象を与えます。体毛の無くなった人類がツルッパゲを放置するわけが無いと思います。そこで、知性の内在化がすすんだ人類は自ら独創的なヘアーというかヘッドスタイルを内部から創りだしていくのではないでしょうか。それがまずディマシオが描く人物像の意味だと思います。それを色々創意工夫するのも日々の楽しみになるでありましょう。学校で茶髪禁止などということは超人にとっては意味不明なんでしょうね。


 この辺のとっかかりまでいたって力が消耗いたしました。続きはまた今度にしたいと思います。

 
おはようございます、ゴッド、そしてコミュニティの皆さん。
今日も仕事が休みですので、この時間から自宅PCに向かっています。
そして、今朝もコーヒーを点てました。
今日は「モカ」、昨日の「マンデリン」よりも香りが際立つ品種らしいです。

ゴッド!昨夜、妄想に関するタイムリーなTV番組を拝見しました。
NHKのハイビジョン特集で「映画監督 押井守 妄想を形にする〜新作密着ドキュメント〜」という番組です。
映画「スカイ・クロラ」を知らなかった自分を恥じましたが(笑)、それよりも感心させられたのは押井監督の「妄想を形にする」までのプロセスです。
アニメなのにロケハンをきっちりと行う理由として、妄想の舞台となる町や建物、風景をキチンと知ることで、私(押井監督)の妄想がより具体化してきて、キャラクターが生き生きとしてくる、とおっしゃっていました。
ファンタジーよりも、近未来の世界を描こうとされている作家さんとしては当然の情報収集かもしれませんが、そのこだわりと緻密な描写には感心させられました。
映画のストーリーを考えるときには、リアリズムではなくリアリティを積み重ねて大きな嘘を考えるとも言いますが、土台がしっかりしていればその上に君臨する虚像が揺らぐことがないということなのでしょう。

そして、過去の優れた作家による妄想の世界に共通しているのは「ありそうな世界」だと思います。
観ているこちら側に「こんな世界があるかもしれないよなあ・・・」と、思わせてくれます、ダマされます。
現実が速いスピードで変化しているこの現代社会において、妄想世界を描く作家さんは一歩先を行かないと説得力を持ち得ないように思います。

それから超人についてですが、十数年前に読んだ立花隆さんの「文明の逆説―危機の時代の人間研究」の「超人類」についての考察を思いだしました。
ヒトが猿を超越して「超猿」に進化したのと同じように、ヒトを超越した「超人類」が出現するであろう、いや既に存在しているかもしれない、というレポートでした。
ヒト生物にのみ発生する親殺し、子殺しという異常行動の理由から始まり、やがて「超人類」によってこの地球生物の進化は最高到達点を迎え安定するであろう、という結びであったと思います。
とてもショッキングな内容でしたが、発刊後二十年以上経た現在、立花さんの考察通りにこの地球世界が推移していることが驚きです。

立花さん曰く、猿がヒトの思考を理解出来ないのと同様に「超人類」の思考や行動を私たちは予測出来ないとしつつも、ヒトの五感プラス第六感に目覚めた、もっと言うと第六感だけによる社会行動で成立する文明を持つ種族ではないだろうか?と、予測していたように思います。
手塚治虫先生の「三つ目がとおる」でしょうか?

ディマシオの描く超人像に想いを馳せるとき・・・いかん、酒吞みたくなってきました。
また今夜お会いしましょう、ゴッド!
こんばんは。日本の皆さん。 

 こちら北国はますます寒くなってきました。灯油価格が下がったらカップメンも安くなりましたよ。160円から140円くらいに。妖怪人間ベムじゃありませんが、はやく超人になりたいな。超人になれば選挙の投票も一人100票。普通の人間は一人一票のままでよろしいのではないでしょうか。国民は競って超人を目指しますね。超人化グッズが通信販売で大流行、猫も杓子も超人話題で持ちきり。しかしニーチェの言う超人がそういうテーゼではないのは百も承知していますが。

 超人で画像検索したらこんなのしか見つかりませんでした。国をあげて超人を追及しなくてはならないというのに、まったく超人とはなんとマイナーなテーマなのでしょう。

 いったいいつまでこの妄想を続けることができるのだろうとほんのちょっと不安になっていましたが、アイガーさんからネタを提供していただき、何かまた暖炉に薪がくべられた感じです。これでしばらくは燃え続けるのではないでしょうか。

 押井守さんが出演したNHK番組「ようこそ先輩」は興味深く視聴しました。子供達相手に語っていたことは、パースペクティブを変えて世界を見ると見慣れた風景が全く変わって見える、そのことに気付くと毎日が、「ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ」楽しくなるとおっしゃっていました。第一線のクリエーターではありますが、どこかに寂しさというか妄想の限界というか、別にたいしたことはやってませんよ、というような諦念も感じました。押井さんすら超人には及ばないのでしょう。そしてディマシオさえその輪郭を掴みきれていない気がします。

 確かにリアリズムとリアリティは別ものですね。リアリティ、それは計算だけでは算出できないものであって、いかに、どれほど、どっぷりと、足から頭までその世界に浸かることができるかという問題であると思います。そこには懐かしさという不思議な感覚が宿ることになります。 

ディマシオはギーガーよりも一般的に評価は低く、しかも途中で狂ってしまったのか近年、変な絵を連発するようになりました。実はディマシオのほうがはるかに深い謎に肉薄していたのではないでしょうか。どうにもこうにもあの世界がなんなのか分かりません。ディマシオという画家を一人の人間として見た場合。悲劇性がほとんど匂わない人物のようでもありますが、イカロスのような人生だったのではないでしょうか。巨大なエネルギー体である太陽に近づきすぎ羽が溶けて落下してしまった。

 ディマシオさん。ご苦労さまでした。あなたの努力は無駄にしませんよ。今、地球の裏側にいる日本国民は超人を目指して頑張っています。
  
 世界が大混乱になったときにそれらを宿命的に俯瞰する賢者が必要になってきます。立花さんは今の時代をどうごらんになっているのか。フォトンなんとかがやってきてどうかなるのか。


 今晩はこの動画でしめくくりたいと思います。 


http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=15&id=825401
[eiga.com 映画ニュース] かねてから噂されていた、リドリー・スコット監督が傑作SFホラー「エイリアン」(79)のプリクエル(前章)を製作するという話が少し実現性を帯びてきたようだ。

 「エイリアン」シリーズ4作やスピンオフ「エイリアンVS.プレデター」を製作した20世紀フォックスの共同会長トム・ロスマンが、4月28日、アリゾナ州テンペで行われた「ウルヴァリン/X-MEN ZERO」のプレミアに出席した際、映画サイトIESBの取材に答えて、「確かに、リドリー・スコットは『エイリアン』の前章についてあれこれ考えているようだ」とコメントした。

 「それが実現したら我々にとっても最高だよ。何と言ってもリドリーは最初にこの作品を作り上げた人なのだから、元祖がやってくれるのが一番いいに決まっている。私自身、実現することを祈っているところだ」

 現在、スコット監督はラッセル・クロウとケイト・ブランシェット主演の「ロビン・フッド」(2010年公開)を製作中。なお、「エイリアン」シリーズ4作でヒロインのエレン・リプリーを演じたシガニー・ウィーバーも先日、再びスコット監督と組んで「エイリアン」を作りたいと意欲を見せていた。

我々の想念をリドリー スコットに届けることには失敗したようです。全然見る気にならない自画自賛映画の雰囲気に落胆しました。まさにマンネリ、マニエリスム。

 これに懲りず、神の想念が如何に恐るべきものかをハリウッドの限界を超えて人類に見せつけようではありませんか。

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