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リジューのテレーズコミュのテレーズの残した言葉に惹かれる

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ここで、テレーズが残した言葉について
語り合いましょう

感想なども含めて、語り継いでいきたいですね

コメント(14)

私がテレーズを知ってからもっとも惹かれた言葉です

「"強い神"でいらっしゃるイエスさまがわたしたちの弱さを体験され、
 かつてあれほどせつに飲み干したいと望んでいらした苦しみの杯を見せつけられて
 震えおののかれたことを思うと、本当に慰められます」

「幼いイエスの聖テレーズの手紙」より

キリスト教の基本中の基本
神・イエスが人の子としてこの世に来られ苦難を受け入れ
私達の為に命をささげてくださったこと

簡素だけれども一番”強く”彼女の心の中でイエスへの愛が感じられて
この一文が大好きです
何かに行き詰ったとき、テレーズのこの言葉を思い出し
安らぎを求めていますクローバー
キリスト教には「とりなし」と言う言葉が出てきます
*))もしかしてプロテスタントのみ?じゃないですよね?
一般的な祈りとは違う、何か他の意味が含まれていると言うことです
ある特殊な状況下で、ある特別な目的の為に、神の御前でとる立場です
必要のある人々と一体化して、重荷を共に担い
その人たちの痛みと悩みを一緒に感じ取ることです
とりなしは問題が解決されるまで、神の御前でその場にとどまり
祈りを捧げることです
たとえほんの少しの時間しか祈れなかったとしても、常に意識を神に向けることです

そう思うとテレーズの生涯はほんの少しの時間ではなく
全人生を神の前に投げ出し祈り続けました
神のため、人々のため、静かに祈っている姿を想うとテレーズの残した

「おお!わたしが心に感じていることをどうにかしてわかっていただけたら・・・
 わたしたちを愛に導くのは、信頼、ただ信頼だけです・・・
 道が見えているのですからいっしょに走りましょう」(手紙176)

は現代のわたし達にも
「いっしょに祈り、共に神の御前でけがれなく神の道を進みましょう」と
語りかけているようです
テレーズの詩

私の心に輝いている光のほか
私は道しるべも 光も持たなかった
だが この光は真昼の光よりも確かに
私を導いていった
私を知り尽くしておられるあの方が
待っておられるところへ

病床にあったテレーズが「私には迷いも恐れもありません」と告白している詩です
*他の詩には苦しみに耐える力を与えてくださいと言ったものもあります*
病床になくても
今この時を生きている、私たちへのエールであり
「迷うことはない、道はすでに私たちの前に光輝きその道を進みなさい」とも
思える心強いテレーズからのメッセージだと思います
コミュに入会をしてから何度も読み直した一節があります

なんの支えもなく
なんの明かりもなく
暗闇を横切りながら
愛に燃え尽くされていく
私の信仰を深めるために
神は隠れようとしておられる

無宗教の私には一見、神、イエスは冷たいんじゃないの?
愛を持って信じているのに隠れてしまうって
はじめは、隠れてしまう=神が去ってしまうと思ったんですね
助けを求め祈るのに、助けてくれないまるで失恋失恋のような感じに思えたんです
「ば〜か」と笑ってもOKですあせあせ
自分がNGだとわかり始めたから
なんで何度も同じ一節だけが頭をよぎるのか
それも、自分がキツイ時に

蝋燭が最後まで燃えて消えても
それでも神は私を捜せと、探せる力が残っているんだよ、あなたには!
と勇気を与える一節なのかな?と自己解釈しています

まったく違うのかもしれないけれど
自分にはそのような力の強い声が響いてきます

皆さん(三名に増えましたねクローバー)はどう思いますか?
トンチンカンなことを言うかもしれません

神の御心でイエスは死に人(私たち)を赦したんですよね?
イエスが十字架にかかることをおそれていたのかな?って思うんです
私は悲しんだけれど神の御心によって死ぬことにイエスは【おそれ】を抱いてはいなかったと思うんです
人の何と言うのか悪い心を悲しんだ、その悲しみを背負って死なれたのではないかと
【テレーズの言う無味乾燥】は今の私には凄く難しい
「病は悲しみだけれど、死、神イエスのもとへいくことへのおそれはない」と言うことをこねこさんは教えてくださってるんのかな?

「信仰の暗闇に陥ってしまって絶望的だ!イエスさま私の声が届いていますか!?」という叫びなのかな、やっぱり・・・
私は「隠れようとしておられる」を「神があえて姿を隠そうとしてるけれど、
私はその姿、その影は見失わないです」と超前向きに受け止めています

普通に考えれば、暗闇を彷徨ってる一節ですよね
こねこさんの言うように正解は無いと思いますが私はポジティブすぎあせあせ
今まではクマココさんと二人で「あ〜でもない、こ〜でもない・でも、心に響くんだよね」まででしたが、
自分でここに文章として書いてみると、想いが明確になります
信仰の暗闇を歩いていくというのは、信者にとって死ぬよりも辛いことだと思います
本当の死の間際に、その信仰の暗闇を歩いていたのなら
テレーズはどれほどの苦しみを背負っていたのか
私の思っている十字架のイエスの悲しみとおそれに勝手にあてはめてしまいますが
「悲しみ」の最期だったのかな・・・・

私自身、イエスを静かに眠らせない自信があるので(すみません)
テレーズには試練を与える立場であり
私はテレーズからやすらぎを与えられている立場です
短い一説の中で苦しみに共感をもち涙する人
反対に勇気を与えられる人が出てくる人(私です)

難しいけれど、もっともっと深く知りたくなってきました
えびぞうさん

手紙や詩と言うのは結論は出ないものだと思うよ
今日の考えは昨日の結論の続きじゃなく、明日の結論の為に今日の想いを
掘り進むことでもないと思うしね
毎日違う風が吹いて地上の埃がどこかに運んで行くように
響く言葉はぐるぐる頭をまわっていていいと思うんだよね

無理に「これはこうだ!」ではなくて
えびが今感じた気持ちを優先してみたら?
「トンチンカン」なことは言っていないよ
わからないことをわからないといって聞くっていいことだと思うし
私はえびがここまで深く思っているって言うことに
このテレーズの一節の素晴らしさがあらわれているんだと思います

難しく考えず、えびが感じた気持ち、それを大切に
自分の生きる糧になっていけばいいと思うし、そうなっている

有名な自叙伝254(の中略)

「わたしの天職、それは愛です」

私はこの一言に恥ずかしいけれどクリスチャンとしてショックを受けましたもの
恥ずかしいと思い、テレーズの強さを想い、神の前で祈り涙が出ました
あまりにも恥ずかしくてね、今までの自分の信仰が

理屈ではないんだなって思いますよ
こねこさんのおっしゃりたいことわかります
私は何事にも理屈・屁理屈・何故?と考えて「つまり〜〜なんだよね?」と
決めたがるんです
神の存在を盲目的に信じていると言うのは羨ましいことだと思います
私は常に「根なし草」のようでフラフラしてすがるものがない
「困ったときの神頼み、悪いことがあるとこの世に神なんていないんだ」なんて考えるお馬鹿ちゃんです
こねこさんとは違う暴走ですねあせあせ
こねこさんの「自分の考えが暴走」すると言うのはどういうことなのでしょう?
勿論、答えたくなかったり秘めた想いであればスルーしてください

一言、言えるのはテレーズの手紙、自叙伝を読むと
やさしい言葉の羅列でありながら、ふと振り返るととても奥が深い
クマココさんが「心に響く言葉」と言うのをよく言いますが本当にそのとおりだと思います

それから、私の意見なのですが
「文章が支離滅裂になっても【ごめんなさい】はいわない」と言うルールにしませんか?
*暴言など無いと思いますがそういう場合を除いてです
クマココもこねこもえびも(皆、生き物の名前ですね)
手探りでテレーズの元に辿りつこうとしているのだからクローバー
私は自分の考えが暴走すると言うのか信仰に迷うことがあります

プロテスタントの静かに祈る教会に属しています
いま、プロテスタントでは勢いのある「ペンテコステ派」や
やや勢いをなくしているけれど「カリスマ運動」と言う【派】が人気です

ペンテコステ派のメッセージはとても力強いんですね

一時期、ペンテコステ派に変わった友人に誘われて礼拝に参加していた時期がありました
その時は

「なんて神がこんなに近くから語りかけてくるのだろう」と

メッセージで印象的だったのが
@イエス様が空腹を覚えられた時、
サタンが「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」と言った言葉に対して有名な言葉をお語りになる。
それは「人はパンだけで生きるのではない。」と言う言葉があります(マタイ4:4)

この言葉は、クリスチャンの命だ

『しかし、その場合、人はただ、食べるために生きているのではない。
 「もっと大事なこともあるよ」たとえば「夢や理想を求める」とかと続くのだ!!
 神を、イエスを愛せよ!!
 愛情ではなく!【情】はいらない。なさけではなく強いあなたの愛だ!
 あなたの賛美がイエスを喜ばせ成功に導く!!
 ハレルヤ!!』

というようにね
上記のメッセージを聞いたときに、カラダが震えるのがわかりました@

・・・・正しいのだけれど、でもね
実際には聖書では
「神の口から出る一つ一つのことばによる。」とイエス様は続けられました
「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げること」と通じています
私たちは食物を食べる
それは空腹という、それを求める心があるからで
食べると味があり、美味しかったり、まずかったりするよね
またそれは、体の栄養分となり、健康のための必要であり
健康によって活動でき、命が保たれる、これが食物です

冷静になってみると
今も生けるキリストは教会をご自身の体として
この世界の中で生きて働いておられます
このことを考える時に、教会のあるべき姿が分かってくるの

まず、教会は教会自身のためにではなく
教会の外の人たちのために存在するということ
教会は決して、自分を保持するためにあるのではないということ

(ペンテコステ派の方には違うと言われるかもしれませんが
 メッセージを聞いていると、先に自分の幸福があって
 教会は神の体の一部ではなく、願う人の集まりだと導いている気がしたんです)

教会は人々の救いのために存在するという原点から離れてしまっていました

キリストは生き、贖いの代価となって死なれました
キリストが死からよみがえられて、教会の真ん中におられて
教会をご自身の体としておられるというの比喩ではなく事実だとわかるんですよね

今回はテレーズについて書いていません
カトリックとプロテスタントは違いますが現代のプロテスタントのあり方を
テレーズが知ったら、どのように嘆かれるのかと思います

私にはカトリックではどのような【派】があり、それぞれの特長などわかりません
信仰の迷い・暗闇は信者が乗り越えなくてはならない壁なのか
それとも、光を見つけて扉を開けることなのか

私の信仰の迷い・暴走を告白しました

>それから、私の意見なのですが
>「文章が支離滅裂になっても【ごめんなさい】はいわない」と言うルールにしませんか?
>*暴言など無いと思いますがそういう場合を除いてです
>手探りでテレーズの元に辿りつこうとしているのだからクローバー

これ、私は賛成です

「ごめんなさい」を書きたくなったら
「上手くまとまらないけれど、伝わると嬉しい」で結びませんか?

上手くまとまらなかったけれど、なんとなくでいいので伝わると嬉しく思います
今日のこの日を感謝します


「(前略)主を愛し、小さいあやまちを犯すたびに、主のみ腕の中に飛び込んで
お詫びしに来る人びとに対して、イエスさまは、心からおよろこびになって、放蕩息子の父親がしもべたちに言ったように、「一番よい服を持ってきて、このこに着せ、手に指輪をはめなさい。そして、みんなで喜び合おう」と天使たちに言われます。ああ、イエスさまの慈しみの愛はなんとわずかしか知られていないのでしょう!(中略)わたしはあなたが、神さまとごく単純にお付き合いになるように願っています」
(手紙231)

自分でもわかっているのに犯してしまう罪
今日も罪を犯して生きてしまう人の弱さ
私はこの手紙を読んだときに涙があふれました

神よ、感謝します!



手紙231、素敵ですね
私はどうしても疑ってかかる性格なので
最後の

「わたしはあなたが、神さまとごく単純にお付き合いになるように願っています」

にドキリとしました

単純に神を信じる

できそうで、できないコトじゃないですか
辛い目にあったりすると、その時だけ「神さまなんていないんだ!」って思っちゃいますもの

素敵、だけじゃない、違う!・・・自分を省みる強いメッセージですね

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