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競馬千夜一夜コミュのパーソナルエンサイン

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「ミスパーフェクト」パーソナルエンサイン(Personal Ensign)

牝・鹿毛・米国産 1984年4月27日生まれ
父Private Account 母Grecian Banner(Hoist the Flag)
通算成績:13戦13勝(1988年エクリプス賞古牝馬チャンピオン)
主な勝ち鞍:1986年(2戦2勝)フリゼットステークス、1987年(4戦4勝)レアパフュームステークス・ベルデームステークス、1988年(7戦7勝)シュヴィーハンデ・ヘムステッドハンデ・ホイットニーハンデ・マスケットステークス・ベルデームステークス・ブリーダーズカップディスタフ(G?8勝)

64年ぶりに牝馬による日本ダービー制覇という偉業を遂げたウォッカ、今後においても見られるかどうかの歴史的な快挙でした。
13戦して全勝、アメリカにおける歴史的な女傑の物語です。

プライベートアカウントとグレシャンバナーとの間に生まれたパーソナルエンサイン(パーソナルエンスン)は2歳の1986年9月28日にベルモントパークで行われたデビュー戦に勝ち、10月13日に行われたフリゼットSにも連勝します。順調な競走生活のスタートを切った彼女はBCジュヴェナイルフィリーズの有力候補になりました。しかし、サンタアニタパークに向けて出発する2日前の調教中に左後肢を骨折、競走能力を喪失するような致命的な故障でした。競走馬として大きな躓きでしたが、このことが後にパーソナルエンサインという存在を際立たせる結果となりました。
「彼女は2度とレースはできないと思った」とマゴーイ調教師は語っています。ところが、パーソナルエンサインは並の馬ではありませんでした。骨に5本のボルトを埋め込む大手術にも耐え、徐々に傷を回復させていきました。そして、デビュー戦から1年近く経った1987年9月6日に彼女はベルモントに戻ってきました。
競馬場の全ての視線はこの1頭の鹿毛の牝馬に釘付けになり、一般戦とはいえ期待を裏切ることなく3馬身3/4差で圧勝しました。さらに一般戦の勝鞍をもう1つ加えた上に2つのG?(レアパフュームS・ベルデームS)を制し、復帰後のベルモントで4連勝を飾りました。しかし、これはドラマの序章でした。

コメント(19)

ゴッドオブチャンスがこの母系でしたので、デビューからずっと応援していました。
あの馬が種牡馬になれたのは、前田オーナーのおかげによるところが大きいのでしょうが、やはり血統背景もあるんでしょうね。
ゴッドオブチャンスのお祖母ちゃんPrivate Colorsはパーソナルエンサインの2歳上の全姉ですね。母チームカラーズの父はミスプロなので、コジーンの子としてはアドマイヤコジーンより走っても不思議ではない血統だと思います。
この牝系はこれから拡がって行くでしょうね。
ウォーエンブレムにも頑張ってもらわないといけませんね。(笑)
ウォーエンブレムについては物語の進行の中で触れたいと思います。
パーソナルエンサインのオーナーブリーダーであるオグデン・フィップスにとって、最大の賭けとなったはベルデイムSだったかもしれません。レアパフュームSのわずか8日後で、マゴーイ調教師も正直どうなるか分からないと告白しました。しかし、パーソナルエンサインは陣営の不安をよそに完璧なレースで完勝しました。彼女のすべてのレースにまたがったランディ・ロメオ騎手だけは愛馬の実力を確信していました。「レース中何かトラブルがあったとしても、彼女のスピードならそこから抜け出せる」 と彼はベルデイムS後に語っています。1987年のブリーダーズCは11月末と遅い時期の開催となったため、フィップスとマゴーイはシーズン4戦4勝と圧倒的な強さを誇ったパーソナルエンスンに無理をさせることはないと出走を取りやめました。翌年のパーソナルエンサインはシュヴィーH、モリーピッチャーH、ヘムステッドH、ホイットニーH、マスケットS、ベルデイムSとG?レース5つを含む6連勝を達成しました。サラトガ競馬場で行われたホイットニーHでは牡馬と対戦し、後にその年のBCスプリントを制して最優秀スプリンターを襲名するガルチさえ破っていす。この6連勝でパーソナルエンサインが2着につけた平均着差はほぼ3馬身。いずれも楽勝といっていい内容でした。そして、最後に大一番が待っていました。12戦無敗の才媛はBCディスタフが行われるチャーチルダウンズへと向かいました。
アメリカの競走馬で競走中に故障発生(しかも牝馬)、というと、つい「ラフィアン」を思い出してしまいます。
ラフィアンも現在ならば救命できたかもしれない・・・か?
ラフィアンの手術は成功したのですが、彼女の気性が命を縮めたように思います。(1敗の名馬でもラフィアンは取り上げております。)
今年は64年ぶりに日本ダービーを勝ったウォッカやベルモントSを102年振りに勝ったラグストゥリッチーズ(意訳すれば“わらしべ長者”ですかね。)など、3歳世代は牝馬の当たり年のようです。

1980年代の後半から1990年代の初頭にかけては「名牝」がひしめく黄金時代でした。世界5ヶ国のマイル路線で大暴れしたミエスク、凱旋門賞を勝った上に米国年度代表馬にもなったオールアロング、英牝馬二冠と 「愛ダービー」を制覇したサルサビル。1992年にはユーザーフレンドリーが英愛オークスとヨークシャーオークスを含む史上初の3大オークス完全制覇を成し遂げました。その他にもダンシングブレ−ヴと凌ぎを削ったトリプティクや、「ラフィアンの再来」ゴーフォーワンド、G?を12勝もしたオーストラリアのバヤコアなどがいました。日本でも1986年の牝馬三冠メジロラモーヌ、地方競馬にもロジータという最強牝馬が現れました。
パーソナルエンサインもそんな時代にケンタッキーで生まれました。父はテディ系の名種牡馬、母はアルゼンチンの血を引く名牝で、既にサバートンHなどG?を2勝した全兄のパーソナルフラッグを輩出していました。父のプライヴェートアカウントは1995年のブリーダーズCディスタフを13馬身差という史上最大着差で圧勝したインサイドインフォメイションInside Informationや仏1000ギニー・仏オークス・ジャックルマロワ賞に勝ったイーストオブザムーンEast of the Moon(キングマンボや輸入種牡馬ミシックトライブの妹)など牝馬に活躍馬が多く、パーソナルエンサインも生まれたときから関係者の期待は大きいものがありました。

洋の東西を問わず人間が求める究極の名馬とは絶対負けない馬ではないでしょうか。ネアルコ、リボー、セントサイモンなどの不敗馬に伝説を感じるのは、「負ても強くなっていく」という現実と知っていながら、それ以上のものを求めてしまう心理でもあるのでしょう。不敗の名馬、という言葉は常にある種の憧憬と幻想に近い形で伝えられるものですが、なかなか巡り会えるものではありません。ミホノブルボンは最後に打ち破れ、フジキセキは伝説となる前に自らに敗れてターフを去りました。ましてやアメリカのようにセクレタリアトのような存在でも体調に問題がなければドンドン使って負けながら強くなる馬の多い国では実現が難しいものなのでしょう。故に一線級の馬として不敗伝説を築いた馬は20世紀ではコリンのみでした。デビュー間もなく致命的な骨折を負い、競走馬としての行く末を絶望視された牝馬を3年の間支えたのは、左脚に埋め込まれた5本のボルトでした。立ちはだかった苦難、それでも彼女は克服して走り続けました。不可能と思われた過酷な戦いに挑み、そしてそれを可能に変えた瞬間、世紀の名牝が誕生したのです。

引退の決まっていた彼女にとって残された関門は2回にわたりチャンスを見逃したブリーダーズカップ制覇だけでした。目指すBCディスタフは、牝馬による世界最強馬決定戦とされるレースで3歳から古馬を含めた牝馬の最終目標です。全米から選りすぐりの牝馬が集結する大舞台、最強牝馬の称号を手にいれる最後のチャンス。パーソナルエンサインは万全の体制を整えて自身最後のレースを迎えます。パーフェクトまであと1勝。
1988年にチャーチルダウンズで行われた第5回ブリーダーズカップ。牡馬と牝馬路線が明確に体系化されるアメリカにおいてBCディスタフは牝馬にとっては最終の目標であり、女王決定戦として重要でファンも盛り上がるレースです。この年のBCディスタフは全米の牝馬3強が出走するとあってレース前から特別な注目が集まっていました。
デビューより12戦全勝、5歳時だけでも既に5つのG1を含む6戦6勝の驚異的な成績を残していたパーソナルエンサイン。そこに現れた刺客は2頭。それもかつてない程の強敵が彼女の前に立ちはだかります。1875年に創設されて今年(2007)で133回を迎え、1896年に距離が12Fから10Fに変更となった以外は一貫してケンタッキー州ルイヴィルのチャーチルダウンズ競馬場において行われてきたケンタッキーダービーの長い歴史の中で史上3頭目の牝馬優勝馬となったウィニングカラーズ。彼女もまた3歳のこの年に大活躍した歴史的な牝馬でした。芦毛の馬体の痛快な逃げはケンタッキーダービーの他、サンタアニタ・ダービー(GI)、サンタアニタ・オークス(GI)も勝っていました。この時点で、後に日本で活躍するゴールデンカラーズの母なることは誰もまだ知るものはおりません。そしてもう1頭は、キングヘイローの母になるグッバイヘイローです。日本に輸出されると決まった時に、彼女を応援する現地のマスコミが新聞の見出しに「Good-bye、”Goodbye−Halo”!」と書いて悲しみました。彼女も米国牝馬三冠レースである エイコーンS、マザーグースS、CCAオークスを制し、ケンタッキー・オークスなどG1を7勝している歴史的な牝馬です。
全戦全勝のパーソナルエンサインも今回ばかりは一筋縄ではいかない強豪が相手です。しかも、大型のハリケーンが直撃して最悪の天候で行われることになりました。霙の混じった強い雨と風、気温も下がり、負けたことがないとはいえパーソナルエンサインはあまり重馬場を得意としないのではと関係者の一部に思われていました。かつてない強敵、最悪の天候、大記録へのプレッシャー、それは彼女自身にとって生涯で一番過酷なレースになることを意味していました。
この日のチャーチルダウンズには雨にも関わらず10万人近い大観衆が集まり、大声援の中でBCディスタフのスタートが切られました。
先手を制したのはもちろんウイニングカラーズ。パーソナルエンサインとグッバイヘイローは中段に付ける予想通りの展開となりました。馬場は想像以上に悪化しており、吹き付ける強風を避けて体力の消耗が少ない中段の馬群は水が溜りプール状態の馬場に脚を取られる上に、前方の馬が巻き上げる泥を全身に浴び続けることになります。先頭を走るウイニングカラーズはまるでケンタッキーダービーを逃げ切った時と同じようでした。突風の影響だけは受けますが、小回りなチャーチルダウンズ競馬場では先行した方が有利でした。レースは淡々と進み中盤が過ぎてから各馬が早めに動きを見せようとしていました。そして4コーナーを差しかかる手前に入るとウイニングカラーズペースの勢いが揺るんだのを受けて後続グループが一団となって差を詰めてきました。その中にはパーソナルエンスンやグッバイヘイローも入っていて、直線にかかる頃にはスピードが落ちたウイニングカラーズを捉えられるまでのところに来ていました。ところが、ここで予想外のことが起りました。バテたかのように見えたウイニングカラーズが再加速して後続を突き放し差をドンドン拡げて行きました。残り1ハロン、歓声が大きな溜息と変わっていきます。ぬかるんだ馬場に脚をとられ、行き脚がつかないパーソナルエンサインは、瞬く間に4馬身以上突き放されってしまいました。勝利に突き進むウイニングカラーズ、後方でもがく馬たち、もう決勝のゴールは見えていました。更にスピードを上げるウイニングカラーズ、2馬身後をかろうじて食いついるのはパーソナルエンサインではなくグッバイヘイローの方でした。パーソナルエンサインは4馬身以上も離されてテレビ画面からも完全に消えていました。
事態は絶望的でした。残り200メートルで1度離された4馬身以上の差を指し返す馬はありえません。しかも、水溜りの馬場、みぞれ混じりの風雨が吹き付ける最悪のコンディション。常に完璧な女王として君臨し続けたパーソナルエンサインの引退レースは世代交代を象徴する幕切れに終わろうとしました。いくつもの困難を乗り越えて2年半もの間負けることなく一線級の舞台で全米最強牝馬として活躍しつづけてきたこと事態が奇跡的なことでした。
焦点は2番手を走るグッバイヘイローがどこまで追い詰めるかでしたが、それもウイニングカラーズを捉えるには遠すぎました。今年のディスタフはウイニングカラーズで決まりだと誰もが思った瞬間、一度はテレビ画面から消えたはずの鹿毛の顔が少しだけ見えてきていました。彼女でした。パーソナルエンサインが来た!差が詰まっている。信じられない光景に実況アナウンサーが絶叫しだしました。信じられない精神力、絶望的な位置にいた彼女の闘争心は衰えることなく全身泥を浴びながら差を縮めていたのです。残り100メートルその差2馬身、グッバイヘイローと馬体が合うと彼女の闘争本能は覚醒したかのように更に加速しました。並ぶ間もなくグッバイヘイローを追い抜き、残り50メートルでウイニングカラーズとの差が1馬身。二人の騎手が鞭は使わずひたすら追うまくるデッドヒートがゴールまで続きました。そして2頭が同時にゴールします。全身泥まみれの馬と対象的な白馬とのコントラスト。観衆は総立ちでした。鼻差の大逆転勝利劇。完璧とよばれた「女性」が最後に魅せた勇姿、信じられない精神力で力でもぎ取ったレース。
レース後のインタビューにロメロ騎手は「本来ならあんな馬場コンディションは得意じゃないはず、彼女は100万に1頭の馬だ」。ウイニングランを終えた彼女には会場を埋め尽くす観客の止むことのない声援と祝福の拍手が贈られました。10万人を越える大観衆が集まったこの大会は多くの意味で歴史的レースとして後世に語り継がれることになりました。

もはや絶体絶命の位置に追いこまれ、誰もが勝利も見捨てた危機的状態。そこから不可能を可能にした奇跡の逆転勝利劇。ゴールまでの1ハロンに渡る凄まじい攻防は、まさしく息をもつかせないもので、その結末は人々の想像をはるかに凌駕していました。どしゃぶりの大雨の中、全身泥まみれになりながら、それでも懸命にゴールを目指したパーソナルエンサイン。ゴール版を越えた瞬間、精も根も尽き果てたかのように失速していった姿に彼女の、そしてサラブレッドの集大成を見ました。
ゴールした。究極のパフォーマンス。高々と突きあげられた拳。止むことのない声援と祝福の拍手に、騎手のロメロは人差し指を天に向け、自分の馬がナンバーワンであることを、彼女に変わって何度もアピールしてみせました。ブリーダーズCディスタフを勝ったパーソナルエンサインは生涯無敗で引退しました。米国競馬における無敗馬の誕生は、1908年のコリンColinが15戦全勝して以来の、実に80年ぶりとなる快挙でした。
距離の長短、馬場状態も問わず芝でもダートでも発揮された高い能力は、まさに「強い馬」の象徴でした。「ミス・パーフェクト」人々は完璧すぎる彼女を見て、尊敬を込めてそう表現したのでした。どんな苦境だろうが、とにかく「絶対」に最後まであきらめない。アメリカには珍しい肉体的よりも精神力の強さを感じさせてくれる馬でした。
史上最高レベルの戦いとなった世界女王決定戦BCディスタフはパーソナルエンサインが奇跡的な大逆転勝利劇で優勝、13戦無敗で引退しました。BCマイルは、仏の歴史的名牝ミエスク(3カ国で合計G110勝)が前代見聞となる連覇を達成。2歳牡馬部門のジュヴェナイルでは、「セクレタリアトの再来」と呼ばれ翌年あのサンデーサイレンスとクラシック戦線で死闘を繰り広げるイージーゴア(2着)が会場を沸かせました。翌年のニューヨーク牝馬3冠とケンタッキーオークスを制することになる名牝オープンマインドもBCジュヴェナイルフィリーズを圧勝して素質の片鱗を伺わせました。2頭のデッドヒートとなったメインレースBCクラシックは、ダービー馬であり2冠馬でもあるアリシーバが直線入り口で先頭に立ったシーキングザゴールドを2着に破り、ジョンヘンリーの持つ収得賞金の世界レコードを塗り替えました。また、鞍上のクリス・マッキャロンが、騎手生命絶望といわれた落馬事故からの奇跡的なカムバック第1戦だったことも重なり、ファンは総立ちで歓声に包まれました。この年の米国年度代表馬はパーソナルエンサインではなく、僅差でアリシーバでした。

そして、母となったパーソナルエンサインのドラマが始まります。

足に5本のボルトを入れたまま競争生活を終えた「ミスパーフェクト」の強さを際立たせた最後のレースは、他に2頭の名牝がいたからこそのものです。それぞれが独立したトピになり得る女傑でした。


ウイニングカラーズ(Winning Colors)
牝・芦毛・米国産 1985年生まれ
父Caro 母All Rainbows(Bold Hour)
通算成績:19戦8勝(1988年エクリプス賞3歳牝馬チャンピオン)
主な勝ち鞍:ケンタッキーダービー、サンタアニタオークス、サンタアニタダービー

彼女が逃げ切ったケンタッキーダービーには、2着がフォーティナイナー、3着にリズンスター、ブライアンズタイムは追い込むも4馬身差の6着。7着にシーキングザゴールドが入線しています。
引退後はアメリカで繁殖牝馬となり、産駒のゴールデンカラーズは輸入されてクイーンカップ2着、その娘チアフルスマイルはキーンランドカップを優勝するなどそこそこの活躍を見せてはいますが、母からみれば物足りなさを感じます。。ゴールデンカラーズの全姉ミンデンローズ(Mr.Prospecter)と妹のダンジグカラーズ(Danzig)も輸入されて牝系を拡げていますので、近い将来に強いのが出てくると思います。2000年にはアメリカ競馬名誉の殿堂入りを果たしています。


グッバイヘイロー(Goodbte Haio)
牝・栗毛・米国産 1985年生まれ父Halo 母Pound Foolish(Sir Ivor)
通算成績:24戦11勝
主な勝ち鞍:CCAオークス、マザーグースS、ケンタッキーオークス、ハリウッドスターレットS、デモワゼルS、ラカナダS、ラスヴァージネスS、チューラヴィスタH、エルエンシノS

輸入された当時の協和牧場は種牡馬のナスルエルアラブに力を入れていたため、グッバイヘイローも3年連続付けられて結果を残せませんでしたが、ダンシングブレーヴを得て1995年にキングヘイローが生まれます。その後も母の成績に見合う産駒は誕生しておらず、近年は不受胎や流産も多くなっています。語弊を覚悟で言わせていただければ、社台系やノースヒルズなど生産馬の成績上位の牧場であったなら結果は違っていたのではと思います。そうなるとキングヘイローは生まれてないわけで…なんとも言えないのですが。
ウィニングカラーズの娘、ゴールデンカラーズは現役のころ応援してました。
予想通り(?)母親を超えられなかったのは残念ですが、繁殖で母系を広げて欲しいです。

グッバイヘイローが輸入されたのはバブル真っ盛りだったと思います。
ウッドマンの母であるプレイメイトも同じころだったような。
「サヨナラ、グッバイヘイロー」と向こうのスポーツ誌が特集したと聞きました。
牡馬はともかく、繁殖馬を手放すのはあまりないので、相当ショックだったらしいですね。

そこまでして輸入した繁殖牝馬ですが、ちゃんと母系を残してくれてるのでしょうか。
でないとあちらに対して失礼ではないかな。
日本にやってきたウイニングカラーズの3頭の娘たちは、それぞれに後継牝馬が複数誕生しており、裾野は拡がっていくと思います。グッバイヘイローもウチュウニカガヤク(ナスエルアラブ)とクィーンヘイロー(トウカイテイオー)、ツルハチクィーン(ラムタラ)が既に繁殖に上がり産駒が走っています。女傑の血を再現するような走りを早く見たいものですね。
引退したパーソナルエンサインはクレイボーンファームで繁殖牝馬となりました。1990年に初仔となるMr.Prospectorの牡馬を生みます。そのMiner’Markは1993年のジョッキークラブゴールドCを制するなど18戦6勝の成績で種牡馬となり、スカイラヴィルSを勝ったCall Me Upなどを出しています。翌年もミスプロとの間に牡馬を生みます。そのOur Embiemは重賞こそ勝てなかったものの、G1のカーターHで2着するなど通算27戦5勝、種牡馬としては2002年にケンタッキーダービーとプリークネスSの二冠を制し、SSの後継種牡馬として社台が輸入したウォーエンブレムを輩出しました。現在のOur Embiemはブラジルで種牡馬となっているようです。1992年にもミスプロとの間に牝馬のPennant Championが生まれ、7戦して小レースに2勝しています。

2006年1月31日にケンタッキーのクレイボーンファームで1頭の牡馬が誕生しました。母は2002年の2歳牝馬チャンピオンStorm Flag Flying、初子の父はA.P.Indyでした。Storm Flag Flyingは2002年のBCジュヴェナイルフィリーズの勝馬で、母のMy Flagも1995年のBCジュヴェナイルフィリーズを勝っています。そのMy Flagはパーソナルエンサインが1993年にEasy Goerとの間に生んだ牝馬です。BCジュヴェナイルフィリーズに勝った他、アシュランドS、CCAオークス、ガゼルHなど20戦6勝という成績でした。劇的なフィナーレで幕を閉じた第5回ブリーダーズカップから7年。骨折でジュヴェナイルフィリーズには出走が叶わなかった母の無念を晴らすかのように、そして父イージーゴアも1988年のBCジュべナイルでスタートの出遅れが響き僅差の2着と涙を呑み、前年に9歳の若さでこの世を去っていました。母娘でのBC制覇でも凄いことなのに牝馬による3世代連続のBC制覇達成は史上初の快挙でした。この母系のドラマを見ているとStorm Flag Flyingの初子が牝馬でなかったことに少しガッカリな気持もありますが、ドラマはこれからも続いていきます。ダイナカール、イットーやアグネスレディー一族にも頑張って欲しいものです。

パーソナルエンサインは再びミスプロと配合されて1994年にProud and Trueを生みます。同馬はG3のバルチモアBCHで3着するなど9戦3勝で種牡馬となりましたが、活躍した産駒は出ていません。
1997年にはミスプロとの間にTraditionallyが生まれます。2001年のオークローンHを勝ち母にとっては3頭目のG1ホースとなりました。20戦5勝の成績を残してTraditionallyはニュージーランドで種牡馬となりました。
A.P.Indyと配合されて2000年に生んだのは牝馬のPossibility、6戦1勝でした。2001年はUnbridledとの牝馬Saiute、2002年はMonarchosとの間に牝馬のTitle Seeker、2003年はKingmamboの牡馬Baronialを出産しています。

繁殖牝馬としても複数のG1馬を生んだパーソナルエンサインは1993年に競馬の殿堂入り。1996年には、マイフラッグ、ミナーズマーク、アワーエンブレムの3頭の活躍により最優秀繁殖牝馬に選ばれました。ミエスクやダーリアのように一流競走馬にして繁殖成績も超一流という世界的な名牝になりました。「ミスパーフェクト」の称号は繁殖牝馬となって更にパズルの目を埋め尽くしました。
ウイニングカラーズが2月17日の朝(現地時間)死亡しました。
あのBCディスタフの激闘から20年、ケンタッキーダービー馬ウイニングカラーズが疝痛による合併症によりケンタッキー州にあるハギャード馬診療センターにおいて安楽死の処置がとられました。23歳、レキシントン近郊のグリーンツリーファームで永遠の眠りにつきました。
ウイニングカラーズは近親に名種牡馬Chief's Crownなどがいて、1986年のキーンランドジュライ セールにて57万5000ドルで落札されました。重賞初制覇となった1988年のサンタアニタオークスを8馬身差で圧勝すると、牡馬クラシック戦線に参戦。サンタアニタダービーも7馬身半差で圧勝すると、牝馬としては史上3頭目のケンタッキーダービー優勝という快挙を達成しました。
繁殖入り後は、10頭の産駒が生まれ、現在までに7頭が出走。現2歳にはOrientateの牝馬がいて、1歳はMr.Greeleyの牝馬、今年もMr.Greeleyを受胎していました。
3頭の娘たちミンデンローズ(Mr. Prospector 1992)、ゴールデンカラーズ(Mr. Prospector1993)、ダンジグカラーズ(Danzig1994)が輸入されて牝系を拡げています。姉のレイズレイン(Raise a Native)も日本にいて、タップダンスシチーは甥になります。
死闘を演じたグッバイヘイローは新冠の協和牧場で繁殖生活、パーソナルエンサインも健在のようです。

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