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村上春樹的世界コミュの近代日本と羊的なるもの

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皆さん、こんばんは
ここでは、先日『みみより情報』
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=11255650&comm_id=34481
でも話題になりました村上春樹さんのインタビュー記事
の紹介を皮切りに、そこでの発言の意味するものを
これまでの作品世界に照らし合わせながら
推察するとともに、本トピックの表題にしました
「近代日本」と「羊的なるもの」をキーワードに据え、
春樹さんの小説世界に感じられる意志(思想)と態度(方法論)について、
その変わらぬ意志から転換されゆく態度に至るまで
以下、少しずつでも掘り下げてみたいと思います。
皆さんのご意見もどうぞよろしくお願いいたします。

それでは、まず『クーリエ・ジャポン』
http://moura.jp/scoop-e/courrier/content036.html
での、インタビュー発言からその一部をご覧頂きたいと思います。
春樹さん、政治的発言はしないと予め断りながらも
内容は明らかに政治的な批判を含むものでした。
その中で私が特に注目したものとして

「『歴史を書き換える政治家』や安倍首相の率いる現在の日本が
戦時中に犯した残虐行為を忘れようとしていることへの懸念を表明する」

という言葉がありました。そして

「かつて祖国を捨てた作家になりたかった」
「でもぼくは日本の作家だ。ここが自分の土地であり、
 ここがぼくのルーツなのだ。自分の国から逃れることはできない」

と語られ、次の小説では日本のナショナリズムを
取り上げることをほのめかされたとのことでした。

いかがでしょう?
皆さんはどのように受け止められるでしょうか?
(私には政権を放り出す前の安倍元首相の姿が『羊を〜』における
 羊憑きの大物右翼の姿にダブって見えてしようがありませんでした。
 この羊をめぐる話については後に折をみてさせていただきたいと思います。)
個人的にはこれまでの作品でも春樹さんからは
十分に政治的メッセージとして受け止められうる言葉が
物語を通じて様々に発せられてきたと感じていますが
それらはいつも柔らかなオブラートに包まれ
優しい比喩やメタファーを潜り抜けてくるものでした。
またそれ故、読者の想像力を喚起させてくれる
ものであったようにも感じています。

以前『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』の中で
春樹さん、以下要約になりますが次のようなことを語られています。

 以前はデタッチメント(関わりのなさ)というのが大事なことだったが、
 最近はコミットメントということが、ものすごく大事になってきている。
 学園紛争の頃から個人的に何かにコミットするということは大きな問題だった。
 はっきりとした政治的意思があったわけではないが、
 その意思をどうコミットするかという方法論になると、
 選択肢はものすごく少なく、それは悲劇であったと感じていた。  

ここで言われる「コミットメント」とは他者への関わりであり
個人が世界や社会に対して如何に関わるべきか?
という「レーゾン・デートル」にも繋がる倫理的道徳的な問いとともに
そこに関係・参加していく態度であり、
すなわち、その姿勢は政治的な意思に結びつき
行動あるいは表現として反映されるものであると考えられるものです。

さて春樹さんはその描かれる物語世界を構築していく方法論において実際、
「デタッチメントからコミットメントへ」
とシフトしていかれたように感じています。
それは、誰もが辿るであろう老いの自覚とともに到達する
主張する立場から伝える立場への態度変更でもあるのかもしれませんが
それとシンクロするかのように決定的なトリガーとなったものに
オウム事件とそれに続く阪神大震災があったようです。(続く)


※お付き合い頂きありがとうございました。
 長文となりましたが以降、さらに続けてまいりたいと思います。
 稚拙な表現や誤謬などあるかもしれませんが、
 どうぞよろしくお願い申し上げます。

コメント(9)

うーん、感性は確かに素晴らしいと思うんですが、羊の大物右翼には実在のモデルがいることをご存知ですか?
その人物はフィクサーであり、安倍元首相とかぶらせるにはムリがあるんじゃないでしょうか。
ここからは私個人の推測ですが、羊を…に関して言えば村上氏のウェートは「目に見えないが大きなシステムあるいは権力」を描こうとしたのであって、それがフィクサーというものがマッチしていただけではないでしょうか。
たくさん
ご意見ありがとう。
さて

>羊の大物右翼には実在のモデル

の「実在のモデル」といわれるのは
春樹さんが公言されている分けではありませんよね?
また、

>安倍元首相とかぶらせるにはムリがあるんじゃないでしょうか。

において「ムリ」とまで、いわれるとなると
たくさんの云われる「実在のモデル」の根拠を
教えていただきたくもなるのだけど・・・
で、僕には作者が示さない限り
それは憶測の域を出ないものじゃないか?
って、考えているんですね。
そしてそうしたことを憶測することは
このトピックにおける本意ではなかったのですが、
折角のご呈示でもありましたので、
戦犯などに関する記録と
「実在のモデル」に関する僕の考えを
以下、具体的に呈示させていただきますね。
(長文となりますので二つに分けてアップします)

まず、A級戦犯でありながら裁判に付されずに
巣鴨拘置所から釈放、ないしは指定解除された主な人物を次に列記します。

安倍源基、安藤紀三郎、天羽英二、青木一男、後藤文夫、本多熊太郎、石原広一郎 岩村通世、岸信介、児玉誉士夫、葛生能世、西尾寿造、大川周明、笹川良一、須磨弥吉郎、多田駿、高橋三吉、谷正之、寺島健、中島知久平、正力松太郎

これらの人物の中で
特に中国大陸にて権力を掌握、あるいは深い関係を築きながら
戦後政治の表舞台と裏社会において注目されてきた人物に
岸信介、児玉誉士夫、笹川良一等が挙げられるでしょう。
満州との関係においては、岸信介、児玉誉士夫が、
国交回復後の中国との関係においては笹川良一を
挙げることができますが、彼らはプリズントリオとして
右翼を始め暴力団などの闇社会や新興宗教との
深い繋がりも指摘されているところですね。
また彼らが不起訴となった理由に
日本を「共産主義に対する防波堤」とした
アメリカの対ソビエト政策があり、アメリカに協力するならば
彼らの持つ反共姿勢と中国への影響力を
最大限に利用しようとした方針変換があったといわれています。
中でも安部元首相の祖父であるところの岸信介は
東條英機等と同じ第一次戦犯指名として最初に逮捕されていながら、
他の第一次戦犯指名者がいずれも刑に服しているのに対し
岸だけは東條ら7名の処刑の翌日に釈放されています。

その他、『羊〜』との関係において
個人的に特に注目している人物を以下二人挙げてみます。

まず正力松太郎氏は特高制度を生みだした元警察官僚であり
関東大震災時に6000人の朝鮮人虐殺を誘発させた
「朝鮮人暴動の噂」を流布させた張本人とされ、
後に読売新聞の経営権を買収し社長に就任、
1944年には貴族院議員に勅選され小磯内閣顧問になっています。
また巣鴨プリズン出獄後、アメリカCIAの意向に従って
行動していたことも米国国立公文書館によって公開されています。
「政権政党の中枢を握り〜情報産業を掌握している」
と云った「相棒」の話にもリンクしていますね。(続く)


※写真
左:護国寺・音羽陸軍墓地
中:陸軍中野学校・警察大学校跡地
右:A級戦犯となり自決した本庄繁陸軍大将男爵による
  国旗掲揚の為の「国威宣揚」石碑/中野の路地にて
次に紹介させていただく中島知久平氏は
『羊をめぐる冒険』の舞台にも関係して
僕が最も注目している人物になります。

中島知久平氏は中島飛行機(のちの富士重工)の創始者であり
陸軍の主力戦闘機として採用された一式戦闘機(隼)を生産するなど
飛行機王として知られていますが、その中島飛行機は
「水曜日のピクニック」をした現在のICUにありました。
軍需産業の波に乗り巨額の資金を得た中島は
政界に進出し、鳩山一郎と張り合い近衛内閣の鉄道大臣を務めたほか、
1939年には、「政友会」を分裂させた上、総裁にもなっています。
興味深いことに、中島は政界への野心を実現するため、
政治経済に対する調査機関を「市政会館」(日比谷公会堂隣接)内に
「国政研究会」として設立させ、巨大な資金力と情報収集機関をバックに
政界においても巨大な影響力を行使出来るまでになったと云われています。
戦後、中島はA級戦犯の指名を受け自宅拘禁後解除されますが
現ICU内にある「泰山荘」で昭和24年“脳溢血”にて急逝しています。
尚、「国政研究会」については
大正天皇崩御の際、東京日日新聞による年号誤報騒動を題材にした
『天皇の影法師』/猪瀬直樹著(朝日文庫)に詳しく、
スクープした担当記者が退社の後、しばらくして
「国政研究会」の事務局長として雇われていた
という事実の掲載により、知ったものになりますが、
同書を読んだ折は『羊をめぐる冒険』が直ちに
思い浮かばれ、興奮したものです。

さて、「実在のモデル」に関する私見ですが
特定の人物が該当されるとは思えませんが
あえて言うならばこれまでに紹介してきました
岸信介、児玉誉士夫、笹川良一、正力松太郎
そして中島知久平等を挙げたいと思いますが、
また、さらに付け加えるならば
A級戦犯の指定は受けなかったものの
陸軍中佐から関東軍参謀、シベリア抑留から帰還後、
伊藤忠商事に入社し会長にまで上りつめ
中曾根康弘政権のブレーンとまでなった瀬島龍三氏も
モデルになりうる興味深い存在ではなかろうかと考えています。

以上、例えば上述してきましたような人物像を参照にしながら
春樹さんなりに物語における「大物右翼」像を
作り上げたのだろうと個人的な解釈ではありますが
推測している次第です。

さて中島知久平氏の中島飛行機は戦後、GHQによって解体され
その後、三鷹研究所の跡地のほとんどがICU設立に用いられており
残りの一部敷地が現在の富士重工業となり存続しています。
去年の秋のお散歩会【水曜日じゃないけど水曜日のピクニック】
http://mixi.jp/view_event.pl?id=12346520&comm_id=34481
ではICUキャンパスをはじめ『1973年のピンボール』の舞台と
考えられる野川公園(元ICUのゴルフコース)や
中島知久平氏がその生涯を閉じた「泰山荘」も見学しています。

安倍元首相については“羊憑き”と
いう意味において特にダブって見えた
と個人的感慨を持った次第です。
大変な長文となり失礼いたしました。
では。

※写真
左:「市政会館」
中:「旧中島飛行機三鷹研究所本館」(現ICU大学本館)
右:「泰山荘」
NASCIさん
丁寧なコメントありがとうございます。
確かにNASCIさんがおっしゃるように村上春樹氏自身は特定の人物を公言しているわけではないですね。
私自身の記憶という曖昧なものでコメントしてしまったことを申し訳なく思います。
さて、公言されていないながらもモデルと「されている」のは児玉誉士夫です。
NASCIさんが挙げられた旧戦犯の右翼は多いに共通点はありますが、実際に首相になった岸信介や読売グループを治めた正力松太郎は羊の中のフィクサーとしては外れるでしょう。また実際にヤクザと関わりがあったのも児玉誉士夫です。
しかしながら、NASCIさんのおっしゃる安倍首相との類似性は正しいかもしれませんね。
そして、NASCIさんが列挙してくれた旧戦犯達の奇妙なまでの類似性や一体感は、何かしら概念的ですらあるというのが僕の感想です。そう考えると、物語中の「羊」というものが極めて概念的であることと一致するのではないかとも思ったりします。

浅学非才のコメントですがどうかお読み下さい。
たくさん

コメントありがとう。

「『されている』のは児玉誉士夫です」
ということは、たくさんの考えによるものでは無いということなのかな?
僕は思うのだけど、その人物がどういう人物で
どういう根拠に基づき「モデル」であると考えられるのか
そうした考え方や中身が重要であって、もし異を唱えるのであれば
ご自身の考えをしっかり提示するべきなんじゃないかな。
ま、しかしながら児玉誉士夫については
僕もプリズントリオの一人として挙げていた人物になりますし、
「右翼の大物」としてはかなり有名人物になりますね。
特に『羊をめぐる冒険』の執筆当時は
ロッキード事件の黒幕として大きくマスコミなどにも
取り上げられた後になり世間の注目を浴びていた人物ですね。
またその影は今でも正力松太郎の後継である渡邉恒雄氏との関係や
先日逮捕された元公安調査庁長官緒方重威の起こした
詐欺事件などでも浮かび上がったりしていましたね。

ところで、このトピックにおいて
僕が重きを置いているところですが
先のログでもお話したように、例えばフィクサーと云われた等する
特定人物を割り出すことにはないんですね。
岸信介や正力松太郎など歴史の表舞台に立った人物を含め
先に挙げたような人物たちを輩出するに至った
その時代背景や国家という顔の見えない存在を含めて
人々の心に共通するものとして「羊的なるもの」があったのだろうし、
そうしたものに注目してトピックを立てたものなんです。
それはきっと、今生きている私たちの社会でも
個のパーソナリティを脅かす存在として、しばしば顔を覗かせたり、
あるいは亡霊のように人々にとり憑いているものなのかもしれません。

「『歴史を書き換える政治家』や安倍首相の率いる現在の日本が
戦時中に犯した残虐行為を忘れようとしていることへの懸念を表明する」

と言い放った春樹さんの言葉には
無責任で匿名的な群れをなす集団的志向や
都合の悪いことを隠蔽しそれを無かったことにしてしまおうとする
権力者や大衆による自分本位で暴力的思考に対する
呪詛にも似た痛烈な批判の意が込められているのだろうって
僕は解しています。
それは『沈黙』における以下の言葉にも
通じていると感じているものです。

「僕が本当に怖いと思うのは、青木のような人間の言い分を無批判に受け入れて、そのまま信じてしまう連中です。自分では何も生み出さず、何も理解していないくせに、口当たりの良い、受け入れやすい他人の意見に踊らされて集団で行動する連中です。彼らは自分が何か間違ったことをしているんじゃないかなんて、これっぽっちも、ちらっとでも考えたりはしないんです。自分が誰かを無意味に、決定的に傷つけているかもしれないなんていうことに思い当たりもしないような連中です。彼らはそういう自分たちの行動がどんな結果をもたらそうと、何の責任も取りやしないんです。本当に怖いのはそういう連中です。」(『沈黙』/『レキシントンの幽霊』(文春文庫)より)

そして僕が、安倍元首相について“羊憑き”であったと
特に感じるのは、自らを国家権力の頂点にあると称し、
唱えた『美しい国へ』の主旨骨格が
右翼団体のたとえば『日本会議』の首長が語るところの主張
http://www.nipponkaigi.org/0100-toha/0140-kaicho.html
の受け売りでしかないということや、
政治判断に自己が妄信する他者の“お告げ”を
持ち込むまでになった、その抜け殻状態に
“羊憑き”であったと感じざるを得なかったということになります。

春樹さんは次の小説で日本のナショナリズムを
取り上げると、ほのめかされたそうですが、
もしその小説が全面的に政治にコミットメントするものと
なったならば、読者の相当数を失うことになると思うのですが、
今の春樹さんには、そうしたことに臆することなど
きっと無いのだろうと思うんです。
たとえば『海辺のカフカ』における
森の中の二人の兵隊のような存在に代弁させるのだとしてもね。(続く)

※次回は「羊的なるもの」について触れてみたいと思います。


写真左:大久保利通哀悼碑(暗殺の地、紀尾井坂・現清水谷公園にて
                  玄孫に麻生太郎、武見敬三など)
写真中:大村益次郎像(靖国神社)
写真右:二・二六事件慰霊像(渋谷区役所裏・元陸軍刑務所処刑場跡)
みなさん こんばんは
先のログで、次回は「羊的なるもの」について触れてみたい
と後書き致しましたが
ここでは過去ログで触れた二つの文章の抜粋を
そのままに以下掲示させていただきます。

まず去年の秋のお散歩オフ会【水曜日じゃないけど水曜日のピクニック】
http://mixi.jp/view_event.pl?id=12346520&comm_id=34481
での、報告ログの一部から。

★羊について
みなさんはどのように考えているでしょう?
「羊的思念」とは?「羊的なるもの」とは?「羊男」とは?
というお話から。

「羊的思念」というと
羊博士が語ったように
「世界を一変させてしまうような巨大な計画」を目的とした考えであり
鼠が云ったように
「美しく、そしておぞましいくらいに邪悪」で右翼の大物を利用し
「巨大な権力機構を作りあげた」その思念なのでしょう。
それは『海辺のカフカ』における
ジョニー・ウォーカーが猫の魂を集めて作った
システムを志向する強力な笛の音に通じているようです。
しかしながら、羊男のように、あるいは鼠のように
そうした思念や暴力から逃げる姿も見られます。
それは弱さや苦しさそしてつらさにこそ自己を感じる
そんな自己を永遠に守りたいとする思念であるようでもあります。
「戦争に行きたくなかったからさ」という羊男の話は
『海辺のカフカ』において森の中でカフカくんが会った
二人の兵隊の話を思い起こさせます。
春樹さんの中で兵隊はきっと羊男でもあるのでしょう。
さてこうして振り返ってみると
羊や羊的なるものは二面性を表徴するものであるようです。
それは単に強さと弱さを示すだけでなく
私たち人間の心の二面性を表すと同時に
「羊の皮を被った狼」の如くあるいは「羊たちの沈黙」の如く
人間のもつエゴや弱さを糧とした
匿名的・潜在的暴力性を示しているとも考えられるのかもしれません。

今回のお散歩会に因む物語の登場人物を
強者と弱者で色分けするならば
強者:右翼の大物、綿谷昇、永沢さん、ジョニーウォーカー 
弱者:鼠、羊男、ナカタさん、直子=佐伯さん、森の中の兵隊
などと云えるのかもしれませんね。

★井戸と洞窟について
『ねじまき鳥〜』における井戸体験と
『羊をめぐる冒険』の羊博士の洞窟体験は
同質のものであると感じています。
つまり
洞窟体験→羊つき→特殊能力
井戸体験→顔のあざ→特殊能力
ということですね。
それは象徴的儀式と刻印がセットになり
閉鎖空間における内面の掘り下げが
ある種の覚醒に結びつくことを意味しているようです。
それはたとえば異界との間を行き来する
トリックスターとしての能力であり、
他者の心を理解し、繋がっていく可能性に通じることもあれば
集団暴力における潜在力にもなりえることを示しているようです。

さて、お散歩会で
僕らは羊に会うことは叶いませんでしたが
羊的なるものは僕らの中に生き続けていくことでしょう。
そして「うさぎ館」で可愛いミミと会うことが出来ました。
シャムではありませんでしたが
『わが名はミミ』のミミさんです。
ではすっかり長くなっちゃいました。
「暖かい仲間」とまた逢う日まで。

「ここにいわしあれ」

(続く)
次は先日開催したばかりの
【ラジオ体操第一から始める和敬塾寮見学会】
http://mixi.jp/view_event.pl?id=23371847&comm_id=34481
でのログの抜粋になります。

春樹さんの描く世界には必ず具体的で
緻密な情景描写の伴う土地や建物がでてきますよね。
そしてその場所が実在しない場合でも
必ず近似するモデルが存在していると思うんですね。
で、その土地あるいは建物には、
たいていの場合、登場する人物と同様にその背景やコンテクストとして
「羊的なるもの」を有しているし、それは主題ではないにしても、
どこかに必ずそうしたものを、ちゃっかり覗かせているように思うんです。
それは特に『羊をめぐる冒険』や『ねじまき〜』、『海辺のカフカ』
そして『アフターダーク』に至るまで
物語を動かしていく力にもなっているように感じています。
たとえば、『羊〜』の場合なら
かつて中島飛行機だったICUに始まり右翼の大物の屋敷、
そして近代日本の精神に関わり北海道開拓史にまで遡る
緬羊産業の拠点『北海道緬羊会館』などを登場させていますよね。
これまでのお散歩会でも、そうした「羊的なるもの」を意識し
物語と現実を繋ぐ「入り口の石」を探求しながら
手がかりとしてイメージされる多くの場所を
巡ってきたように感じています。

で、個人的に着目したいのは、
幕末から昭和にかけて日本の近代を導いてきた
政治家や軍人の御殿跡や墓が多いということですね。
旧細川公爵邸だった和敬塾はもちろん、
隣接する椿山荘は、軍閥の祖とも云われている
山縣有朋の私邸であったわけですし、
その山縣の墓は近く陸軍墓地のある護国寺にありますよね。
さらに向こうには豊島ヶ岡皇室墓地の森が広がっています。
また胸突坂を挟んだ広大な敷地は
土佐藩の尊皇派の武士で維新の功労者、
学習院院長、警視総監、宮内大臣等も歴任した田中光顕の邸宅跡ですね。
その他、目白通り沿い並びにはあの旧角栄御殿もあり
坂を下り神田川を渡れば大隈重信の早稲田となるわけです。
この地はそうした国家権力に結びついた
多くの“偉人たち”が眠る「地霊」色濃い
場所であると考えられますよね。

僕はそういう国家権力の“地霊”色濃い男子学生寮に
春樹さんは馴染めなかったのだろうとも思っています。
少し話が外れ、冗長になるかもしれませんが
『羊をめぐる冒険』の「羊的なるもの」とは
そうした国家の近代化過程における闇の部分、
それは集団化体制の中で隠蔽されてきた部分であり
集団的匿名的な力に深く関わるものであると感じているものです。



さて、上記見学会では
『ノルウェイの森』の舞台となり春樹氏自身も
学生時代そこで暮らした『和敬塾』見学をメインに
物語りの展開に沿う視点からだけでなく
その場所や空間の持つ意味に着目し、
場が有しているであろう記憶や背景に想像を巡らしながら、
目白から新宿にかけて歩く長いお散歩会となりました。
この街歩きにおいて個人的な目論見を明かすならば、
『和敬塾』において主人公が感じていた
「根本的なうさん臭さ」
なるものを確かめその背景にあるであろう
日本における近代化のプロセスの足跡を
地霊として感受することにありました。
すなわちそのコースは近代日本国家形成期の
政治・軍事・教育において重要な役割を担った
施設や“偉人たち”所縁の場所を辿ることとなった次第です。

(続く)

※写真
左:学習院・乃木館
中:和敬塾正門アプローチ
右:蕉雨園(旧田中光顕邸門)
【新たなる『羊をめぐる冒険』に向けて】

みなさま 大変ご無沙汰しておりますが
こちらの主題「近代日本と羊的なるもの」に沿い
七年余りの時を経て
こちらで新年のご挨拶をさせていただきます。

村上春樹の小説『羊をめぐる冒険』では
羊は日本近代の虚構性の象徴として登場します。
それは大衆の持つ弱点を梃子にして社会を動かしていくものであり、
欲望や弱さに吸着しそれを養分としながら自己拡大していく
邪悪な力であり闇なるものとして描かれます。
物語は羊憑きとなった者と
それを拒否しようとした者をめぐって展開します。
羊憑き即ち己の弱さ故に羊に魂を明け渡した者は、
代わりに強大な権力を得ることになりますが、
彼は傀儡でありその思想たる想像力は
いわば「永遠のゼロ」という訳です。

物語ではどちらも羊憑きになる事に自覚的でしたが、
今日、暗澹たる思いにさせられるのは王様だけでなく
大衆まで無自覚的な羊憑きになりつつある事です。
その空虚さ故、不都合への単純な憎悪排除と
「この道しかない」なる独裁を容易にさせている事です。

今年始まる「羊をめぐる冒険」は
その呪縛を解くことにあり目先の利や上面ではなく
内実に向かう事にあると考えます。
アレントの言う「凡庸な悪」が
この社会を覆ってしまわぬように
私たちは新たなそして常なる
「羊をめぐる冒険」を迫られているようです。
澱みない平和と幸せという共通の願いを胸に。

皆さま今年もそしてこれからもどうぞよろしくお願い申し上げます。

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