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ショート小説〜ホッと一息編〜コミュの『祝賀』

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こんなめでたいお祝いの席で、あの男は何をさっきからがみがみと文句を言っているのだろう。
 畳敷きの二十畳の大広間、京都でも有数の一流料亭での会食だ。温かな空気の満ちた会場で、静かに祝賀の気分に浸りたいものだ。なのにあの男はさっきからしつこいぐらいに、それもよりによって、一番上座に近いところにいる司会進行役に対して、ぐちゃぐちゃと小言を言っている風情だ。おかげで会の進行もままならない。
 会場には近畿地方在住者を中心に、招待された客がざっと六十名ばかり、袴やスーツの正装で居並んでいる。その厳かな景色といったら壮観なものだ。自分もそのうちの一人かと思うと、役不足のような気がしてならない。全員端坐し石のように硬くなったきり、咳払いだにしない。座敷全体が水を打ったように静かである――ただ一人、あの男を除いては。
 各々の目の前に設えられた食台の上には、さいぜん前菜料理が並べられたなりだ。次の料理が運ばれる様子もない。みなあの男のせいなのだ。出席者はみな、とっくの昔に料理を食べ尽くしている。これから始まる会席料理に胸をときめかしたまま、ずっとあの男に待たされているのである。あの六十歳くらいの、ぴったりとした黒色のスーツを身にまとった、黒髪に白髪の混ざった、鼻の下にひげを蓄えた、現役の頃は会社の中でも重役を任され、ずいぶん幅を利かせていたのであろう、少し神経質そうなあの男のためにである。
 そのうちに足は痺れるし、腹は減ってくる。いかに紳士を気取って連なった我々でも、生理的要求は刻々と度を増してくるのである。もう我慢も限界だ、と思っていたころ、
「おい君、いい加減にしないか」
 私の右斜め向かいにいた恰幅のいい黒髪の男性が声を荒らげた。
「会がちっとも、進まないじゃないか」
 体の大きな彼にとって、長時間正座を続けることは、我々並みの体格の者に比べて相当の苦痛なのだろう。
「そうだ。なんだってこの大事な祝いの席で、君はそんなに、クレームばかりつけるのかね」
 大きな男の勢いに便乗して、またどこかから威勢のよい声が上がった。
 後はこの声に続けとばかりに、一斉に怒号の嵐である。クレームの男に対する、積りに積もった皆の怒りが、堰を切ったように会場内に溢れ出した。
 一方あの男はと言えば、六十人総がかりの攻撃にさすがに威を削がれるかと思えば、却っていかなる罵声にも受けて立とうという姿勢である。居並ぶ面々に対して体を正対させ、胸を張って仁王立ちだ。そしてひとしきりの怒声を浴びた後に、
「うるさい!」
と一喝した。
「何がうるさいだ」
「君はこの会の趣旨をわかっているのか」
「せっかくの祝五十回記念の祝賀会が、台無しじゃないか」
 重ねて放たれるこれらの怒号に、クレームの男は顔を真っ赤にして怒鳴り返した。
「馬鹿野郎! 理解していないのは、貴様たちの方だ!」
 会場がどよめいた。
「馬鹿とはなんだ」
「慎みたまえ」
「俺たちが分かっていないだと? 馬鹿はお前の方だ」
 一見すると多勢に無勢だが、この日のクレームの男の迫力は、一人分で十分に六十人分に対抗していた。決して若くはないはずのその細い体からは、想像もできない猛烈な声量で六十人の攻めを押し返す。
「何が記念だ。何が五十回目だ。貴様たちは、踊らされているのだ!」
 この言葉にまた座敷中がざわざわと色めき立ったが、男は今度は反論を許さず声を張った。
「貴様ら、五十回も世界と戦争をして、それが名誉と思うのか!」
 業を煮やした六十人の紳士が勢いよく立ちあがった。私はその中で、比較的冷静にこの様子を傍観していた左隣の男性と、さっきまでの正座を崩さず成り行きを見守っていた。
 ふと、左隣の男性の食台に目をやると、食べ尽くしたと思われた前菜料理の中で、銀杏の串揚げだけが、手も付けられずに残されていた。
「銀杏、お嫌いですか?」
「ええ、どうも苦手で」
「なんなら、戴いてもよろしいですか?」
 男性は人のよさそうに相好を崩し、
「ええ、もちろん」
と、銀杏の乗った小皿を私の前に差し出した。
 私は隣の紳士から戴いた、きらきらと金色の輝きを放つ三粒の銀杏の串揚げをゆっくりと食べながら、いつ終わるともわからないこの騒動を、気長に静観することにした。

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