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介護体験から学ぶコミュの【ケース記録】兄弟は他人の始まり(2/2)

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■兄弟は他人の始まり

【レビュー】http://mixi.jp/view_item.pl?id=994058
【著者】真島久美子

■私の実家
【テーマ】暴言→暴力→医療保護入院

【対象者】父=アルツハイマー型認知症、母=脳梗塞
【介護者】私
【私の実家】
父=ゼネコン社会で生きてきた。
  「人を蹴落としてでも自分が前に出なければ、男はダメだ」
父=典型的な仕事人間。まじめを絵に描いたような人。人付き合いもない。
父=若い頃は、グレゴリー・ペックに似た二枚目。
  http://www.geocities.co.jp/hollywood/5710/g-peck.html
父=おしゃれ(スーツは銀座の英国屋のオーダーしか着ない、家では和服)
母=女子専門学校卒業→和服の仕立て職人の下で和裁の技術を身につける。
母=病院への強い不信感を抱き、現代医学に見切りをつけ、鍼灸、整体、民間療法、玄米菜食。
 2人目の弟=小児麻痺で2歳の誕生日前に死亡。3度目のお産=難産→後遺症で身体を壊す
弟=おとなしい子

【履歴】
1928-7月 父=誕生
1931   母=誕生
1956   私=誕生
1974   弟=歯学部付属高校に進学したものの、学期末は、決まって成績で父にどなられる
     父46=成績表をびりびりに破り捨てる。教科書やかばんを窓から外に放り出す
     父46=怒り出したら、止められる人は誰もいない。嵐の過ぎるのをひたすら待つしかない。
     母43=いつも、弟と一緒に教科書やかばんを拾い集め、頭を下げる
     弟=3年間の奮闘の末、やっと歯学部に合格。・・・母の内職で学費を出す。
1983   弟=歯学部卒業、国家試験合格
1983春  父55=ゼネコン→大手鉄鋼会社の建設部門に出向
1988夏  私32=夫と結婚が決まる
     弟29=歯科大の医局に残っていたが「おれもそろそろ仕事を探す」 
     弟29=雇われ院長になる・・・アパートを借りて、自立
     両親=弟に頼りにされるもの・・・と決めてかかっていたし、楽しみにもしていた・・・落胆
  -12月 私32=夫と結婚、夫=T市に1軒家を購入
1989-2月 姑65=脳梗塞で倒れる→緊急病院・・・半身不随
    →私=結婚3ヶ月未満、夫=長期海外出張中
  -8月 夫=海外出張での不健康な食生活・・・体がボロボロ
     私34=舅姑から妊娠しないことを詰問される
1991   私36=妊娠
     弟32=結婚宣言(受付の女の子)
     弟32=オーナーから根拠のわからない借金・・・オーナー=悪質な金融ブローカー?
     弟32=家族と絶縁状態
1992-1月 彼女の父親=なくなる、彼女=妊娠2ヶ月
  -3月 私35=長女出産
  -4月 弟33=無断で結婚
     父63=弟の荷物を送りつける。・・・アルバムの写真=ことごとく切り刻んであった
  -9月 弟33=長男誕生
1993夏  母62=頭痛を訴え、8時過ぎまで寝ていることが多くなった
     母62=脳梗塞で倒れる
     母62=「病院はイヤダ」→私が在宅介護
     父65=会社を辞める
1994   母63=起き上がれるようになり、体操もできるようになった
1995夏  母64=自力で歩ける、簡単な家事ができる
     母64=ろれつが回らない、適当な言葉が思い出せない、おかしな言葉使い
     父67=いらだつようになった・・・
     私と夫=私が同居に賛成→夫の判断で断る→息子に背かれた父の傷口をえぐる。
     夫=(性格が気難しくて神経質な)年寄りと一緒に暮らす難しさを知っていた
     父67=受け入れられない結論。母を激しく罵る。弟が出て行ったのは母のせい。          
     母64=脳梗塞の影響で手の込んだ料理は作れない。作り方を思い出せない。
     私39=次女を妊娠。→べビ−シッターを頼む
     父67=長時間他人と一緒にいることが耐えられない性質。
     父67=母に対する態度と私に対する態度が違う(愛想がよい)
     私39=裏表の激しい父の態度が許せない
       →わざと無視したり、神経を逆撫でする口答え→父の病状を悪化させた
     父67=朝起きると新聞を読む、リビングでタバコを吸いながらテレビを見る。
        身体を動かすのは、タバコを買いに行くときぐらい。そのほかは何もしない。
     ベビーシッター=父がテレビ祖見ているそばで、長女と遊ぶ。・・・それが一日続く。
     父67=次第にイライラ。2人のベビーシッターは、どちらも気に入らない。
     父67=忍耐がなくなり、次第にシッターを見下すかのような傲慢な言い方をする。
     私39=父をたしなめる。
     父67=プライドが高い→顔色を変えた。私や母と口を利かなくなった。
  -12月 私39=次女を出産
     父67=生れたばかりの孫の写真をとろうと、カメラを持って翌朝病院に駆けつけた。
     父67=病院が孫にあわせてくれない→大きな声でどなりだした。
     私39=「もう、いいかげんにしてよ、出て行って!」→父=真っ青な顔で出て行った
     私39=気持ちが不安定なまま退院、実家に戻る。夫=2週間後、海外出張へ。
     父67=長女が次女におもちゃを落とそうとした時、「なにをするんだ!」と大爆発。
     父67=リビングに閉じこもり・・・部屋を真っ暗にしたまま一人でテレビを見続ける。
1996-1月 私=自宅に帰る。
     父68=定期的にリビングに閉じこもるようになった。・・・毎年5、6月が、引きこもりの時期
     父68=一定の時間が過ぎると何事もなかったかのように出てきて普通の生活に戻る。
1998-3月 私と夫=T市内に以前より一回り大きな家に買換える
2001? 母70=手首を骨折。→ 私45=家事援助してくれる人を頼む
     父73=「午前中だけなんて・・・効率が悪すぎる」
     私45=「有償ボランティアの人たちは、ほとんどが家庭の奥さん
          お金を稼ぐことが目的ではないの。」
     母70=2槽式の洗濯機で腰を痛める。
     私45=全自動洗濯機を選んで注文。→水道栓もかえる必要がある。→水道屋に依頼。
     父73=水道屋の電話に「そんな話は聞いていない!」一方的に怒鳴り、電話をきった。
     ・・・女だけで話を進め、自分をないがしろにしたと怒った。
     母70=ヘルパーが話し相手もしてくれる・・・喜んでいた
     父73=母が楽しそうにしているだけで癪に触る→「お前は人の使い方が下手だ」と怒鳴る
     秋=両親に同居することを伝える(前年、舅80がミツさんを籍に入れる)
2002   私46=通い介護9年、長女=小5、次女=小1・・・体力が続かなくなっていた
  -3月 私と夫=家を売却〜引渡し
     舅82=私の実家に引越しすることに大反対 →夫=その気がうせる
     私46=夫をひっぱたく。夫婦喧嘩。離婚の危機。→父=「だったら離婚しろ」
     私46=父に舅と話し合ってもらう→物別れ
  -4月 父74=弟に遺産相続放棄を求める。→弟=あっさり承知。
     父74=弟に「望んだ子ではない」・・・父の妄想
  -5月 弟=復縁の申し出→母=拒絶
     母71=「父が家を建て替えるなんてとんでもない」と医者から言われた。
     私47=両親を見放すためにケアマネに相談→ケアマネ=ボケが原因
     私47=区役所の相談窓口〜総合福祉事務所は「家族の問題」として片付ける
     私47=特別養護老人ホームに相談(サイトウさん)・・・介護認定調査
     母71=要支援になった
2003-6月 一郎兄夫婦の娘ルミ=結婚。ハワイで挙式。舅とミツさんをご招待。
  -8月 私48=同居の許可をもらおうと舅を訪問。舅はボケていると確信。
  -8月 ルミ=結婚披露宴 、夫=舅から嫁の実家で同居することの同意を得る。
2004-1月 私と父=ハウスメーカーSと打合せ。
     父75=細かい物忘れで話に詰まり醜態(認知症の症状)をさらす。
     ・・・菩提寺の住職に上機嫌で、言わなくてもいいうそを言う
     ・・・母の介護認定調査の時も、横から口を挟む。勝手に一人で話し始めて止まらない
     私49=「認知症の人と家族の会」に電話相談。病院検査を決意。
     父75=任せたといいながら、一人で勝手に話を進める
     父75=夫と私が決めたことを簡単にひっくりかえす。
     父75=「話し合い」という形で、一方的に自分の考えを押し付けたがる
     私49=父に手紙を出す。うつ病、認知症の恐れがああり、専門医の受診を勧める。
     父75=「クミコに迷惑をかけるわけにはいかない」
       →自分が入れる施設がないか、区役所に相談に出かけた。
  -2月 実家=解体・・・元の基礎工事がでたらめ
     父と母=アパートで仮住まい
  -3月 私49=4月からの長女の通う学校にあわせ、両親のアパートにもう一部屋借りる。
     父75=整地が終わった土地に新たに盛り土。
        +杭を打って強化しなければならない
        +費用こちらもちで、隣の塀を壊す
  -4月 メーカー=地鎮祭の当日、追加の書類に判を押してほしい
     父75=理由が納得できない。押印拒否。 ・・・
        (急な決断を迫る→パニック→勝気な性格の人は、相手を攻撃)
     父75=境界線の確認作業で現場担当者を激しく罵り、延々1時間以上、説教を続けた。
  -5月 父75=医療センターの精神科、受診 
     医師=「おそらくアルツハイマーでしょう」
     医師=「自分のことは自分で出来るのになぜ病院にいらしたんですか?」
     私49=父の目の前で、困っていることを言えるわけがない。
        一週間後、医師=「海馬の萎縮が激しい。間違いなくアルツハイマー病ですね」
  -7月 家=完成
  0715 父76=誕生日・・・「JCOMには、いつ頼むんだ?」・・・
     町の電気屋=父のお気に入り・・・高いものばかり売りつける
     父76=自分の気が済むように工事を変更・追加→家一軒が高価なおもちゃ
  0731 夫=心筋梗塞・・・入院
     次女=両親の引越しの日、玄関のドアを閉めたら開かなくなった・・・
     父76=逆上「なんでこんないたずらをするんだ!」
     私49=怒鳴り返し→父=蒼白で帰り、ふてね。
     ・・・
     父76=預金通帳を見せる。数千万円の貯蓄を百数十万円に使い果たす。
     夫=退院・・・両親の家に退院の挨拶・・・父は昼寝
     父76=ダンナを呼んで来い。挨拶もないじゃないか・・・
        俺を無視してバカにしているんだ。弟も、本当はお前が追い出したんだろう!
        お前が財産目当てて弟を追い出したに違いない。お前が全部、裏で画策したんだ!
     ケアマネ=Kクリニックを紹介してくれる
     父76=ああだこうだと理屈をつけて結論を先送りし転院を渋った
         ・・・「決断できない」という認知症の症状
     母73=やさしい語り口に感動。院長の言ったことが、母にはうれしかったのだ。
     母73=要支援、父=要介護1
     父76=夫の退院後半月過ぎて、出会っても、夫は挨拶するが、父は決して言葉をかけない
     父76=夫に対して冷たいことを除けば、容態は安定していた
     父76=コミュニケーションをとるのが苦手
     父76=威嚇するか、怒鳴るか、命令するか。父にはその3つの方法しかなかった。
     父76=毎回クリニックに行くのを楽しみにしていた。
     父76=自分の身体の具合の悪い部分を延々とワープロで書き出したものを持っていった。
     父76=父にとって、それは報告書を作る仕事だった。
     父76=久々にやりがいのある仕事を見つけて打ち込んでいた。
  -12月 クリスマスで一緒に食事会
     父76=「こんな日が来るとは思わなかった」
     父76=私たちとうまくいかないことに悩んでいた
     父76=愛情の対象は、私だけだった。
        12年前に息子に背かれている父は、今度は私を失う恐怖に苦しんでいた。
2005-6月 母74=脳内出血で倒れる・・・脳外科専門の個人病院
     私50=手術しないことを決意
     母74=座らせられっぱなしで2時間放置。ナースコールを押しすぎて、ボタンをはずされる
     父76=何日かに一度、一人で電車を乗り継いで、母を見舞いに来ていた。
  -7月 母74=退院。・・・要介護4・・・毎日夕方の1時間ヘルパーが入る。オムツ交換と清拭
     母74=体温調整がうまくできない
     母74=精神状態が不安定
       ・・・時々錯乱して、自分がどこにいるのか、何をしているのかわけがわからなくなる
       ・・・3週間ほどで安定
     父77=炊飯器の使い方を何度教えても「わからない」→ 私=朝晩の食事をもって行く
     父77=私の食事を食べていない
     父77=母がしていたお金の管理ができない 「お前に任せる。金は預かってくれ」
     私50=洗濯1日5回・・・2家族分の生活を背負う
     母74=便秘がち。・・・毎日おからを食べさせると治った。
     母74=毎回の食事を、いつも「おいしい」と喜んで食べていた・・・介護のしがいがある
     父77=お粥が固い、やわらかい、今日はまずかった
     父77=一日に何度も自分の家と母の部屋を往復する。
          ばたばたと足音を響かせる。ドアの開け閉めも大きな音を立てる。
     父77=何日もお風呂に入っていない臭いがする
     母74=父が持ってくる果物で、便秘に苦しむ
     私50=父にいい感情をもてなくなった。気持ちはすぐに顔に出る。
     父77=私のやることなすことに、文句をつける。食事へのクレームが多くなった。
     父77=私に預けていた通帳とキャッシュカードを黙って持ち去った。
     母74=父を呼んで話し合い。通帳とキャッシュカードを返してくれた。
      「娘だからって、ただでクミコを使っていいと思っているわけじゃないからね。」
     ケアマネ=食事のヘルパーをいれてもらう。・・・私=父とほとんど関りをもたなくなった
  -8月 暴力事件
     父77=「なんでこの部屋はこんなに汚いんだ!」・・・怒りで顔をこわばらせて、
           いきなり手を振り上げて、私をたたいたり蹴ったりしはじめた。
     私50=ケアマネ事務所に逃げ込む。・・・ 父=「やっちゃったよ」とケアマネに話す。
     私50=玄関に鍵とドアチェーンをかけて、父が家に入ってくるのを阻止。
     私50=買い物に行くとき、母の部屋の窓を開けておく・・・父=まどから出入りして母に会う。
     私50=医師に相談。
     医師=「入院させましょう。暴力は必ずエスカレートします。医師として放置できません」
     私50=父を「医療保護入院」させることに同意。
  -9月 私50=父を説得する方法が見つからない
     家族の会=「本人は家族の言うことを聞かない。他人が受診を勧めるのが一番。」
     私50=父の入院を、民間救急の業者に委託。
     業者=「今回は私の顔を立てて、検査に行くだけでもお願いしますよ」
     父=「検査だけだぞ」
     医師=「暴力的な人はこの病院では引き受けられません」
     私50=専門病院であるにも関わらず「痴呆性病棟」などと明記するのは腑に落ちない。
     私50=「医療保護入院届」の手続き・・・入院の日から1ヶ月以内・・・
     医師=「転院してほしい」
     私50=子供や夫が出かけた後、9時に母を起こす。
     母74=車椅子でリビング移動→一緒に朝食。→テレビを見てから横になる
        →正午、一緒に昼食。→夜は家族そろって夕食→8時には寝る。
 ー11月 父77=同じ病棟患者に暴力を振るった
     医師=薬は使いたくない→個室を勧める(個室25万円/月)
 ー12月  私50=転院先病院を見学
2006-1月末 母74=意識不明に・・・私=入院しないことを決める
      母74=1週間後「スースー」といつもと違う呼吸
      医師=「自然死前段階の呼吸です」、私=弟に連絡
  -2月 母75=死去
     山本先生=父を見舞いに。・・・父=「娘が不当に拉致監禁した。訴えてやる」
  -3月 父77=転院・・・父=歩行器に掴まらないと歩けない・・・実は薬漬けだった
     父77=「俺はここを離れるつもりはないぞ」・・・私=「拘束して連れて行ってください」
     父77=転院先病院で、愛想良くしていた。
     私51=弟嫁に対するわだかまり
         1.弟嫁が自分の身内を使用人扱い
         2.反対を押し切って結婚したことに対する弟嫁の母親の挨拶がない
         3.母が弟嫁の母親から怒鳴りつけられたこと
         4.弟嫁には、私たちに対して心配りするつもりはまったくない
  -5月 母の納骨
     父77=十二指潰瘍
     D病院=医師も医療相談員もまったく相談に乗ってくれなかった。
     W病院=対照的。入院患者の食費に補助の制度があることをはじめて知った。
        家族のためになる制度は積極的に教えるという態勢。
        家族の身になって考えるという姿勢がはっきり見えて安心した。
     ナース=暴力や暴言があったなんて信じられないくらいです。
     父77=「お前に話すことは何もない、帰れ」
     医師=出口まで見送って深々と頭を下げた。
        医師がこれだけ家族に丁寧なのだから、ほかのスタッフの対応は推して知るべし。
     W病院=父の容態や治療については、変化があるたびに電話で報告してくれた。
  -6月 父77=歩行器に掴まりながら、歩き始める
  -7月 父78=自力で歩けるようになる
     弟=父に会いに行く・・・「あいかわらずだったよ」
  -8月 父78=弟と会ってから塞ぎこんでいた。
     父78=日常的なことができない若い患者に細かく注意し、しかりつけている。
     父78=妄想がひどくなっている(私が母を殺し、父を病院に監禁して財産を奪い取った)。
     私51=長女の高校受験を告げる。
     父78=かなり激しいうつ状態+認知症(自分の部屋がわからない、廊下で失禁)
      ・・・弟との面談で落ち込み、自分が長女の受験の妨げになる、と悩む
 -12月 父78=退院請求を申請・・・医療審査会に自分で電話して手続きする必要があるが、
           よく理解できなかったため、けんかして電話を切ってしまった。
     父78=うつから復活して、私への攻撃の手紙を書く。
2007-3月 長女15=中学校卒業業、都立Hに入学

コメント(5)

▼暴言と暴力は同じです。暴言を吐く人は、必ず暴力を振るうようになります


▼医療保護入院
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%BB%E7%99%82%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E5%85%A5%E9%99%A2

・・・精神病院入院中の患者の3割が医療保護入院とされている。
▼認知症患者が暴力を振るうのは、本人が嫌がることを言ったりしたりした場合である。
必ず原因があるので、それを取り除けば暴力は防げる

・・・しかし、原因を取り除くことが不可能な場合もある。

▼家族の身になって考えるという姿勢▲

・・・これは、このコミュの基本的目的でもあるかも。

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