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戦争遺構研究会コミュの tw15・01・12

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tw15・01・12
1」AK辺野古に資材搬入強行 夜陰に乗じる卑劣な手法再び。民意無視 安倍政権に怒り。沖縄防衛局は、新基地建設に向けた名護市辺野古の埋め立て工事に向けた海上作業を再開、10日夜から11日未明にかけて、コンクリートミキサー車など十数台分の工事資材を米軍基地キャンプ・シュワブ内へ〜許せない

2」わが地域には無限の底力がある!ならば、自分自身が希望の太陽に!九州総会の意義を込めて晴れやかに開催された本部幹部会「地域社会」という使命の大地に幸福の種子を植え、平和建設に邁進していく事を〜映像で見れば素晴らしいが、何時まで続く池田先生のメッセージ指導、白ける創価学会員も多いが?

3」SK学会創立85周年開幕記念「世界広布新時代第9回本部幹部会、九州総会」を盛大に。自分自身が希望の太陽に!一人が先駆すれば必ず波動が!池田名誉会長は記念のメッセージを贈り、仏縁を拡大しながら、人間共和の先駆のモデルを創り広げていこうと〜時事川柳ーメッセージだけで誤魔化す池田さん〜

4」N農協改革を争点に保守分裂選挙となった佐賀県知事選は、農業団体の支援を受けた山口祥義氏が、自民、公明両党推薦の樋渡氏らを破り初当選。政府・与党が全面支援した樋渡氏の敗北で、成長戦略の柱の一つに位置づける農協改革の行方に影響を与える可能性〜騙されない。各地で自公の敗北が目立つが!?

5」Aボッテガ・ヴェネタ が目指す、日本の名建築の継承。62年開業のホテルオークラ東京は、谷口吉郎らが設計を手がけた日本を代表するモダニズム建築。残念ながら、その本館は15年からの建替えが発表〜世界の保存の声を聴くべきだ。歴史的、文化的に重要なので保全活用についてご検討を要望中です

6」マーガレット・ハウエル〈ホテルオークラ東京〉解体計画に物申す!25年ほど〈ホテルオークラ東京〉を常宿にしてきたマーガレット。本館建て替えを再考するよう、ロンドンのスタジオから訴えるトーマス・マイヤーが緊急来日!ニッポンのモダニズム建築を救え!〜優れた都市資産の保全活用の再考を!

コメント(1)



時事問題 tw15・01・13
1」1)10年も宙に浮き続けている国内最古級の洋館「ティボディエ邸」の復元問題が、地元横須賀でクローズアップ。15年にはフランス人技師ティボディエが日本に造船技術を伝えた横須賀製鉄所が着工から150周年の節目を迎える。市議会からは「これ以上先送りは、できないという危機感が〜再検討を!

2」2ティボディエ邸は横須賀製鉄所(のちの横須賀造船所)の副首長を務めたティボディエの官舎。起工は1869(明治2)年ごろとされ、床面積は約230平方m。戦後は米海軍横須賀基地内で集会所として使われていたが、老朽化により2003年に解体〜早急に、貴重な歴史建築の保全活用を要望します。

3」3市の移築・保存計画に賛同し米海軍は復元を前提に解体費など約3500万円を負担。梁やれんが、礎石などの部材が、市教育委員会によって保存。財政難などを理由に復元計画が宙に浮いていたティボディエ邸が脚光を浴びたのが14年夏。富岡製糸場が、世界文化遺産に登録されたからだ〜文化財に登録を

4」4構造はともに「木骨れんが造り」で建設時期はティボディエ邸の方が早い。フランス人技術者のバスチャンがいずれの建物も設計に携わり、横須賀の職人も一緒に富岡へ。富岡製糸場の敷地からは「ヨコスカ造舩所」刻印入りのれんがが出土、製糸場建設で使うれんがを製造するための見本では?〜再評価を!

5」5富岡市は「兄貴分」の横須賀を尊重。13年には「フランスから横須賀へそして富岡へ」と題した資料展も開催。横長の製綱所など、かつては木骨れんが造りの建物がたくさんあったが施設拡張による建て替えや関東大震災による倒壊などにより姿を消す。唯一残っていたのが、ティボディエ邸〜貴重な文化財

6」6横須賀市議会は昨年12月、「横須賀製鉄所創設150周年記念事業の象徴としてティボディエ邸を再建することは、世界遺産に登録された富岡製糸場の手本となった製鉄所の一端が見え、広く本市発展の礎を知ることになる」として、吉田雄人市長に再建を強く要望する決議を賛成多数で可決〜保存活用を!

7」2月から地元のミニコミ誌で『ドッコイ生きてる明治・大正・昭和の建築たち』を連載する。身近にある 懐かしい建築について紹介できればと思う。日頃、何気なく使う建築物ではありますが、よく見れば、楽しいところが見受けられます。都市の資産として、歴史の生き証人としての価値を見直してください

8」Y神戸市長田区で阪神大震災の激震と火災に耐え、その後、淡路市の北淡震災記念公園に移設された防火壁「神戸の壁」のライトアップが10日から。同公園と神戸市の市民団体「リメンバー神戸プロジェクト」が20年を機に初めて企画。17日まで〜事実を伝えるために出来れば、現在地で残せればと思う!

9」壁は、高さ7m、幅13m、厚さ20センチ。昭和初期に市場の防火壁として設けられ神戸大空襲と阪神大震災の二度の災禍をくぐり抜けた。震災後の再開発で取り壊される予定を三原代表らの尽力で、00年に淡路島の旧津名町(現淡路市)に移設。09年淡路市が野島断層とともに公園で保存〜現地保存重要

10」南海本線・浜寺公園駅舎(旧浜寺停車場)初代駅舎、は明治30年に、現在の駅舎のすぐ北側に建てられたと言われているが、明治40年に、電化、複線化だけでなく、小生は、浜寺の浜辺に建設されたロシア兵の捕虜収容所の見学に来る市民、日露戦争勝利を記念して新しく立て替えたものではと見ている。

11」大阪府の連続立体交交差事業は長年議論されたが2006年11月7日に事業認可が降り、高架化が決定している。当初は18年3月末の完成予定であったが、仮線用地の確保に手間取っており28年(平成40年)3月の完成予定へと変更されている。高架後も、現在の浜寺公園駅舎は、新駅正面に移築される

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