ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

こころの豊かさ〜今ここを生きるコミュの「心を豊かにするために」

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
「感受性が豊か」「感受性が繊細」
この言葉のニアンスには少し開きがあるように感じます。

「豊か」には太くて動かし難いイメージ、
「繊細」には細くて壊れやすいイメージを感じます。

「母性愛」には繊細という言葉が似合いません。
やはり「豊かな母性愛」が似つかわしいようです。
つまり「豊か」という言葉には動かし難い、
太くて大きくて深いなものを感じます

獣たちは本能のままに命を長らえていますが、
人は言葉を作り、文字を伝え合って理性を身に付けてきました。
医学が進歩し、寿命も飛躍的に伸びました。
しかし、そのために本能が押さえ込まれ、人間本来の能動的要素よりも
受動的要素の方が優先されてきたのではないかと推測しています。
この人たちが草食系、
人の気持ちを優先する心優しき人たちと呼ばれているかもしれません。

音楽を聴いて心が癒されるのは受動的要素ですが、
楽器を自ら練習し弾きこなす喜びは能動的要素と思われます。
グループを組んで音楽活動をするのは、
この二つの要素を同時に高められるので、とても有効且つ合理的と云えます。

繊細すぎて人の言葉が心に突き刺さるような方は、
人間本来の本能を呼び起こし、肉体と同時に心の筋肉を鍛えるために、
もっと能動的になってみてはどうでしょうか。

音楽がもし好きなら自分でも何か簡単な楽器を弾けるよう努力する。
スポーツ観戦が好きな人は、自分でも何かやってみる。
読書が好きなら日記から初めて何でもいいから書いてみる。
映画が好きなら簡単なストーリーを考えてみる。

情報を受け入れ、親の躾に縛られるだけでは繊細になる一方で
肉体だけではなく心の筋肉は貧困になっていき、
心の幹も太くならないような気がしています。
感受性をもっと豊かにするには自ら能動的なものにトライしてみてはどうでしょうか。

続きはこちら
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1331135027&owner_id=3915793


電球皆様の手段やご意見をお聞かせいただければ幸いです。手(パー)

コメント(98)

フータロ様

物事には<段階>があるように思います。

楽器(ギター)やゴルフでも同じです。

なかなか巧くできませんが、熱心に練習しているとあるとき
突然スムーズに弾けるようになったり、
うまくボールを捉えられるようになるなるものです。

その間の試行錯誤こそ楽器やスポーツを楽しむ醍醐味のよう気がします。

この時の喜びはとても密かな喜びで、他人には共感できないものの一つです。
人はしょせんどんなに群れようがどんなに時を一緒に過ごそうが孤独な生きものです。
だから密かな喜びを得る方法を一つでも知っていることはとても心を和ませるものです。

練習をして段階を経て巧くなっていくというのは、実は人生そのもののような気がしています。
3歳の頃から息子にゴルフを教え、今では私が打ったボールより遥か先まで
飛ばせるようになりましたが、ゴルフ場でいつも私が負けるかというとそうでもありません。
歳が二回り以上差があっても勝負できるスポーツはそうざらにはありません。


私は息子に「練習しなければ何事も巧くならないよ」ということを
ゴルフを通して教えたかったのです。
初めから巧い人などいない、初めから立派な人もいない、
初めから頭のいい人もいないことを学んで欲しかったのですが、
どれだけ通じたかは「彼のみぞ知る」です。
息子の年代(20代)ではゴルフと人生が結びつく事はまだ難しいと思いますが、
いずれ理解してくれると信じています。

フータロ様の<段階をふんで>という言葉に触発されて
まただらだらと偉そうなことを書いてしまいました、すいませんでしたあせあせ
今日、映画「告白」も見てきましたが、
昔読んだエラリー・クイーンの『Yの悲劇』読んだときの恐怖を感じました。
大人が計画した殺人計画書を子供が見つけて実行に移してしまう物語です。

幼い頃は、昆虫や小動物への虐待は当然のように行っていましたが、
歳を重ねるうちにその是非に気づいていきます。

私も夏になると毎年、蝉捕りに行ったものです。
捕まえた蝉に糸をつけ、部屋の中で放ち、糸を引っ張って遊んだものでした。
ところが7年も8年も土の中にいた幼虫が木に登り、
蝉の姿になってからたった一週間ほど命を終えることを知って
二度と蝉捕りに行かなくなりました。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=500809987&owner_id=3915793&org_id=500772835

映画の子供たちは、まるで『Yの悲劇』のごとく人を殺め、
昆虫や小動物を虐めるように仲間を虐めます。

子供の世界から出て大人になることを拒否しているかのようです。

自分たちの特権を失うために、まるで豊かな心を持つことを拒否しているかのように見えました。

大人になることを拒否する子供たち。
彼らは実は、疲労と倦怠と欺瞞が満ちた大人の社会を感じるとっているのかもしれません。

 映画「告白」の主人公である<モンスターチルドレン>です。
映画では<モンスター・ペアレンツ、ドメスティックバイオレンス>も見られますが、その根源は同じだと思います。

それは<エゴ>です。

 金を儲けようとする大人たちはこのような異邦人たちに眺めながら、しかも彼らを煽りモノを売ってきたのです。大企業は競って<エゴ>を刺激する商品開発を試み、企業の存在意義は売上や利益が最優先となり、エゴを満足させるヒット商品作りに没頭していきました。日本経済の発展は、膨大な<エゴ>の出現に力を貸してしまったのです。そしていつの間にか「我慢」や「辛抱」を知らない、<エゴ>と自由の区別さえつかない、「告白」に登場するようなモンスターチルドレンが出来上がってしまったのです。

 動物は欲望を制御できません。それは生存本能であり<エゴ>とは異なります。我々はそれを制御(=自律)できる心を持つことによって人となりました。欲望を制御できない最たるものが犯罪者となっていきます。ウォークマンの大ヒット以降、大量に<エゴ>を発生させました。やるべきことを模索する努力もせず「やりたいことをやろう!」と叫ぶ歌に付和雷同する安易な社会が生じ、エゴだらけの社会への変貌を自由への近道と勘違いし、拍手喝采して安易な社会の到来を享受してしまったのです。

 <エゴ>と自由の違いを教え理解させることは、決して容易なことではありませんが、大人達は自らを律しながら、改めて子供たちに自由のルールと尊さを教えなければなりません。

それには私は<情>と教えることだと思っています。

 情とは言い換えれば“連帯感”のことです。あまりにも物質的に豊かになりすぎて、資本主義経済の終着駅である個人主義へと一気に走り込んだのです。個の主張があまりに大きすぎれば連帯など生まれるはずがありません。昔から野球やサッカー、バレーボールのような団体で行うスポーツが何故推奨されるのか、この連帯感を感じて欲しいからに他なりません。グループでのコーラス活動や音楽活動もこの連帯感を味わえます。心の豊かさもこの連帯感から生まれるものだと思っています。

魚さかな様

昔はそのような団体活動が多かったように思います。
運動会にしても小学校だけのものではなく地区の運動会もあり、
地区での遠足もあったように思います。

和歌山の川ベリで飯ごう炊さんや水泳したことが
とても楽しい想い出として残っています。

>雪の日に学校で作ったアイスクリーム、本当においしかったです。
一生忘れられない想い出でしょうね。

幼い頃の楽しい想い出作りは、豊かな心作りに大きな影響を与えると思っています。


魚さかな様

あなたの文章を読んでいてこんなことをまた思い出しました。

幼い頃、飼っていた犬が5匹の子供を産み、そんなには育てられないので、
一番元気な子犬を私が選び、他の犬は近所の家に貰っていただきました。
母犬もおもちゃ屋さんに引き取ってもらいました。

5年ほどしてその母犬と出会ったとき、私のハッピーと母犬は歯を剥きだして争い始めました。
まだ小学校5年生くらいだった私はとても悲しくなったことを覚えています。
これが畜生の定め…?

ハッピーを自分の給与からお金を出して、
本当に心から一生懸命に育ててくれた賄いのおばさんがいました。
私の家は商店街で商売をしていて、住み込みの人が多い時は5人もいました。
母も店に出ていたので、食事はそのおばさんの仕事でした。
当然私も大変可愛がってもらいました。
そのおばさんが、実家(宮崎)の親が倒れたので賄い仕事を辞めて帰ってしまいました。

5年ほどしてそのおばちゃんが関西に出てきたついでに私たちの家に寄ってくれました。
それを一番喜んだのがハッピーでした。
もう10歳以上になっていた彼は、飛び跳ねながら尻尾振ってあばちゃんに跳びつき、
舌で顔をベロベロ舐めまくりました。

親や私をはじめ家の誰の顔もベロベロ舐めたことなど一度もなく、
あんなに喜んだ様子も見たことはありませんでした。

以前、私は母犬に牙を剥いた野性を悲しく思いましたが、
犬は<情>を理解し、返してくれるとても頭のいい動物であることを知りました。
情とは野性同士では教えられないもの、人間だけが教えられるものかもしれないと感じました。

つまり犬でも<情>を忘れないのです。
人間である私たちは<情>を感じ<情>を返すことを忘れてはいけないのです。

今でもハッピーの跳び上がって喜んだ姿が目に浮かびます。
彼は大切なこと私に教えてくれました。


彼に捧げた鎮魂歌です。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1146000214&owner_id=3915793

魚さかな様

>たくさんのよい思い出は人生を今一度、歩むための元気をくれるのではないでしょうか。

おっしゃる通りです。手(パー)
だから何でも一所懸命がいいんです。

親としてそんな想い出作りができたかどうかわかりませんが、
いまだに私たちのそばを息子(27歳)が離れないのは、
少し楽し過ぎたせいかもしれませんね。
盛んに自立を奨めています。

何でも過ぎるのは良くないですね。


「春を待ち」を聞いてくれたんですね。
とてもうれしく思います。わーい(嬉しい顔)

それではもう1曲だけ聴いて下さい。
兄の結婚式のために作った歌です。
お姉さんができることがとてもうれしくて、そのお姉さんに捧げた曲です。

「今私は嫁いでゆく」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1153574184&owner_id=3915793
魚さかな様

聞いていただきありがとうございますわーい(嬉しい顔)

私はあまりいい声ではないので、いつもウー、アーが専門のハモ担当です。
声のいい、歌唱力のある仲間を見つけるのが得意です。
つまりヘタな曲をうまく歌って貰おうと思っているからです。あせあせ

オヤジバンドの件ですが、
今年で37周年を迎える<Love Appleコンサート>(http://www.love-apple.net/index.htm)があります。
1973年から高校のフォークソング部のOB達で始めたコンサートです。
第1回、第3回、1991年?、計3回出演して以来ご無沙汰しています。
今年も8月初旬に開催します。
毎年お呼びがかかっていますが、私はどうしても仕事があって参加できません。

仲間とコーラスや演奏するというのは<連帯感>を共感できます。
大学に入っても同じようなクラブに入り、お互いに鹿児島出身でもないのに
「おいどん」というデュオグループ結成し、クラブ全員で歌うSINGOUTを経験し、
その時私はコンサートマスターという映画で云うと監督のような役を任されました。
このことが私の仕事選びに直結したのです。
レストランの店長という仕事はまさしく<コンサートマスター>と同種でした。
振り返れば高校時代に私の進路が知らず知らず築かれていったうようです。

「<情>が組織を作る」と言ったのは元楽天イーグルスの野村監督ですが、
<情>を違う言葉で言い換えれば「連帯感」だと思います。
この「連帯感」が現代失われつつあるのは、幼い頃を含め学生時代に仲間とのチーム作りという
経験が少なくなっていていることが要因の一つではないかと思っています。

豊かな心作りもまた<情>や<連帯感>と共に築かれていかれるものかもしれません。
「こんな夫を選びなさい!」

阪急電鉄の創始者、小林一三氏がおっしゃったお話です。

卒業生のタカラジェンヌに語った言葉だそうですが、
この言葉からも氏の暖かい眼差しが感じられます。
心豊かな企業人として、そして人間として尊敬できる数少ない人として
私の心の中に存在しています。


<strong><どんな職業でもいい。結婚相手はその仕事自体が好きなのか。
 成功したい出世したいから、
 やむなく仕事をしているのか。そこを見ろ></strong>

出世や成功を目的に働く人は、いきおい不平が多くなる。

<strong><自分の職業を重荷の如く考えて、その辛さ、苦しさ、
 割の悪さを並べ立てるような青年を決して選んではなりません></strong>

<strong><自分の職業が好きで楽しみ親身になって働く人を選べ。
 ただ、仕事ばかりの人は人間生活が狭くなるからいけない></strong>

<strong><趣味の広い人がいい。
 一つの趣味に凝り固まって他に見向きもしないのは無味趣味と同じ>

<趣味の広い青年は、家庭生活を楽しむことのできる青年です></strong>


 
なんだか自分の普段言えないような事が全てここに詰まってる気がしました。
本当にすごいです。見てみて下さい。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3925503
*Miria*様

<自分の職業を重荷の如く考えて、その辛さ、苦しさ、
 割の悪さを並べ立てるような青年を決して選んではなりません>

一代で大企業を創立し、今も続く「宝塚歌劇」まで創立した言葉だけに
言葉にはとても暖かい豊かな心と眼差しを感じます。


何故、グチを云う人はいけないのか?

自分の職業を否定し、社会を受け入れず、
前向きに生きようとしていない限り、
周囲の人まで幸せを遠ざけてしまうからです。

どんな仕事でも一生懸命な人は、周囲まで温かくしていくように思います。

卒業するタカラジャンヌ達への暖かい眼差しを感じます。





何故、こんなにずる賢い利己的な輩が増えてしまったのか。
情報過多の社会にも問題があるように思えてくる。
テレビやネットや携帯電話がない時代、家族や仲間を守って生きていたなら
現代の若者たちが陥る孤独など知ることもなかったように思えてくる。

アドレスを持ったが為に、毎日どれだけの悪徳メールが届くだろうか。
情報社会では、情け容赦なしにしかも無軌道に、豪雨のような情報が降り注ぎ続ける。
哲学や心がないコンピューターを使った悪魔の所業と云える。
マンションにいまだにピンクチラシが放り込まれたりする。 
善と悪の判断もつかない人格形成中の幼い子供たちがそれを手に取るのだ。
金を儲けて何が悪いという開き直った正義が多くの人の心を蝕んでしまった。

孤独なアスファルト・ジャングルに、欲望を突き動かす情報シャワーが降り注ぐ。
金を手にすることでこのジャングルからの脱出を計ろうとする輩たち。
そんなことでジャングルの孤独から抜け出せるはずがないことに気づかない。
己の欲を満たすため、弱き者に襲いかかる獣たち。
嫉妬が心の中を常に動き回り、人の善意まで疑い、
そのストレスを癒すために人を陥れる輩と変貌する。
獣には他の動物の痛みなどひとかけらも感じない、慈悲も情けもありはしない。
だからこそ獣であり続けるのだ。

孤独を持て余す年輩者たち。
わずかな年金をパチンコ等のギャンブルにつぎ込み、自己破産する人たちが後を絶たない。
孤独を紛らわすことは今や欲望の一種のように思える。
子供から年配者まで個人主義から快楽主義へと移行していくように見える。

ますます荒涼と化すアスファルト・ジャングル。
企業の欲望に翻弄される政治家たちの国、それが資本主義国家、わが国なのだ。
金儲けに汚染された国民は景気の底上げを最優先に考えしまう。
大多数の欲望が正義となったのだ。
少数の理想を大多数の希望にすることが政治家としての本領ではないか。
残念だが、荒涼と化すアスファルト・ジャングルに住んでいることを
我々は認知するべきなのかもしれない。

そして、まずは自らを守るべく心身を鍛えるしかない。
ひ弱な身体には、ひ弱な心しか育たない。
強固な身体にして降りかかる悪徳情報シャワーから身を守り、
自ら嫉妬や邪悪な欲望に侵略されない心を育てたい。

「セント・オブ・ウーマン」の少年のように。

<少女A(マナーモード)>

自分から声をかけたことなんか一度もない

振り向いてくれなかったら…

言葉を返してくれなかったら…

苦笑いされたら…

なんてことを想像する私は臆病だから

傷つくのが恐ろしいから

だから私はいつもマナーモード


<少女B(ルーズソックス)>

いい子になんかなりたくない

無駄なことをするのも絶対にイヤ

やりたいことをやっていたいの

大切なものはお友だち

お友だちだけと暮らして行ければいい いつもそんな夢を見ている

だけとそんなことができなことは分かっている

暮らしていくために好きでもない仕事について金を稼がなきゃ

そんなこと誰だって分かっている

人が泣きながら生まれてくるのは 

暮らしていくことが苦しいことだと知っているから

大人たちを見ているとそのことがよく分かるよ

だから今は遊ぶの したいことをするの 云いたいことを云うの

だから私は友だちとルーズソックス


<少女C(人生はギャンブル)>


あたいは絶対に生き残りたいの

いい学校を出ることは生き残るための十分条件よ

いい学校を出ることは いい人に出会えることための十分条件よ

三角関数や漢文も関係代名詞も社会に出ても必要じゃないことなんか分かっている

算数と簡単な読み書き 片言の英語がしゃべれればOKよ

生き残るための必要十分条件なんて人生にはないの これくらい分かってててよ いい? 
だから人生はギャンブルと思わない?

いい人というのは自分の好みを云っているんじゃないよ 勘違いしないで

生き残る確率が高い人のこと あたいを守り切ることができる男のことよ

いい男とは後ろ指さされない仕事を持っていて あたいや家族を死んでも守りきる奴のこと

それが愛されるということ 好きや惚れたはおままごとの世界

金や家系は人を守ったり幸せにもできないの

人よ 身近な人が人を守るの 幸せにしてくれるの

女ができることはたかが知れている 世の中は不公平そのものよ

女が一人で生きて行くには 世間は冷たすぎるの
このコミュニティーを見ると心が豊かになります。http://m.mixi.jp/view_community.pl?id=3925503&
レイナ*様

訪ねてみました。

ありがとうございます手(パー)わーい(嬉しい顔)

素敵な詩の数々に感激しました。
PS:少女D(世界は360度)

私は恐れを知らない女の子

確かに戦争や飢え 交通事故やヤクザさんの喧嘩は恐ろしいけど

私には心から恐れるものはありません

だから何だってできるような気がします


人生は決して平坦な道ばかりではないと思います

でも一生懸命頑張って努力すればきっと何とかなるはずです

そう考えると私の前には世界が360度広がっていることになります
「心安まる同期会 40年来の友」

  過ぎた日の楽しかった想い出は 決して色褪せぬもの
  歳を重ね自らの姿が どんなに変わり果てようとも

  父や母の老いを まじかで見てきたにも関わらず
  自らの老いに あまり気づかぬもの

  結局 鏡なくして 人は自らの姿を見ることができないのだろう
  岡目八目も同じことにちがいない

  いつのまにか 子供たちも成人し 孫までできた仲間がいる
  しかし その成長と時間の流れに 
  呆然とし 信じがたい自分たちがいる

  
  
  時の流れを止めたくなるような歓喜の瞬間が
  かつて幾度もあったように思う

  しかし 今この歳になってそんなことは思いもしない
  歳を重ねるたことで喜びの数も哀しみの数も増えていく

  何百回 何千回の喜びと哀しみの記憶が
  その振幅を小さなものにする
  だからこそ 大きな哀しみにも堪えていけるのかもしれない

  歳を重ねることに いいイメージがなかった
  しかし 最近になって そんなイメージが払拭されつつある

  その理由を考えると
  限られた時間を意識し始めたせいかもしれないと気づいた
  以前は限りある時間に気づかなかった 気づこうともしなかった
  そんな暇などなかったのだ

  限られた時を惜しむ気持ちが生まれてきたことが
  物事を深く見、豊かに感じさせるのかもしれない

  歳を重ねることは
  決して寂しいことではないのだと言い聞かせる


  母を失い 父を失った仲間たち
  老いを感じる顔を見ながら
  限りある時を 少しでも楽しく過ごせればいい
  今日までよく頑張ってきたな

 
  声なき声で語りかけた
  そして うまく歳を重ねてこれたことを心から感謝した

グッドラックさん
ありがとうございますハート達(複数ハート)涙一緒デスネほっとした顔
多分涙
 家事も仕事も同様ですが、人はストレスを溜めないように自分なりに工夫を凝らして大抵の事は合理的に処理できるようになります。そして、息抜き手抜きを覚え、気分転換をうまく図りながらいつの間にかそれが当たり前となり、日常となっていきます。 ストレスをうまく解消できずに、ガンや潰瘍になる人は実は人がよくてストレスを自分で必死に処理しようとします。周囲を巻き込もうとしません。悪口も少なくおとなしい人が多いようです。

 解消できなかった未処理部分がガンや潰瘍を発生させます。ここにも物事の原理原則たる<作用反作用の原則>があるように思います。つまりストレスが少なければ、作用も少なくなり、血液の萎縮も少ないのです。ストレスによる粘膜の萎縮の強い人は、萎縮のない人に比べて5倍も胃がんになりやすく、萎縮性胃炎が進行したところにさまざまな発がん因子が積み重なり、胃がんが発生すると考えられています。

 人が快楽を求めるのはストレスの反作用と考えて下さい。ベータエンドルフィンやドーパミンは「快楽ホルモン」と呼ばれ、毛細血管をひろげ、血行をよくします。ドーパミンは脳を覚醒させ、快感を誘い意欲を発揮させる重要な働きがあるのです。「英雄色を好む」という言葉がありますが、これも反作用です。「快楽」といっても決して色恋だけでなく、趣味やスポーツで、身体を動かせば血液の循環は活発となりベータエンドルフィンの分泌が盛んになります。つまりハイの状態になるのです。これが血管を広げストレスの解消となります。「よく仕事をする人はよく遊ぶ」これも結局、作用・反作用の仕業です。

心を豊かにするにはこのストレスをどのように受け止めるかが鍵となります。新入社員だったら、夢中になってその職場でのプロを目指すのです。若い主婦だったら夢中になってプロの主婦を目指すのです。子育てが始まったら夢中になって子育てに励むのです。

 初心者 →(開き直り)→ プロ(職人) → 天職(=幸福感)

 →の間に、必ずストレスがかかるものです。でも子供の笑顔や成長を間近に見て、また仕事の改善や独自の工夫で進歩を自覚し、組織での昇格や昇給で認められる喜びを自覚することでストレスは軽減できるものです。スポーツや音楽、読書、芸術、旅行のように文化に触れることでも萎縮した血管が広がりストレスを軽減できるものです。

 ストレス解消には、仕事でも家事でも、遊びでも<夢中になる>瞬間が必要だと思います。天職と思うにはかなりの時間を要すると思いますが、夢中になることは決して難しくはないと思っています。
グッドラックさん、ありがとうございますハート達(複数ハート)
それを聞いて一安心しましたるんるん
巡り逢えて本当に良かったです指でOKハート手(パー)

お元気にお過ごしください手(パー)
お互い様ですねクローバーハート達(複数ハート)ぴかぴか(新しい)ムード
タッツミー様

>富裕層になりましょうぴかぴか(新しい)

私は一度もそんなことを考えたことはありませんが、
そう望んでいる人はきっと多いに違いありません。

私が望むものは“幸福感”です。
そのために心を豊かにしたいと思っています。

ある一日、共感し合える連れ添いが
丁寧にいれてくれたコーヒーを飲みながら
好きなギーターを弾き、好きな映画をゆったり観たり
面白い小説をじっくり読むことができればいい。

そんな何でもない一日が数多く送れればいいと思っています。

これなら富裕層でなくても送れそうな気がしています。
「はい」と云う返事。

 このコミュンケーションは、子育ての間に何度も親子間で経験してる。そのときの子供への躾が、良き習慣となって後に大きな差になって表れる。将来を見据えてないと躾はおざなりになる。

 経験の量と質が、人格を形成していくと思っている。様々な経験に、どう対処していくかが人格を作る。その第1歩が「はい」という心地よい返事ができるかどうかのような気がする。
 幼い頃、実家は商店街で商売をしていて、私や兄は何度も父から命じられた経験がある。小学校の頃、父はこういって私を叱った。

「どっちみちやるなら、気持ち良くやれっ!」
遊びたい盛りの私は、きっと返事も表情もいやいやだったのだろう。

 子供は最初、自分の感情を親に読まれているとは考えないものだ。度重なるしかり方が、自分の本音を指摘されるだけに、利発な子は読まれていることに気づきだす。私の場合、気持ちを読まれているなど高校を過ぎるまで考えもしなかったが…。しかし、悪知恵が働く子は、いずれ親を騙すようになっていく。騙す相手は親から兄弟姉妹、そして他人へも波及していく。だから子供が小賢しくなる前に、親は子供に良き習慣を躾ける必要がある。最初は半ば強制的でいいと私は思っている。そして、小学校低学年までに良き習慣を躾け終えてなければならない。

私が考える<良き習慣>とは?
・「はい」という心地よい返事。
・整理整頓
・身辺を清潔に保つ
・命じられたことは、いやいやせず誠実に行う
・喧嘩はせず、弱き者は守る
・読書する
・スポーツをする
・敬語や言葉使いには気をつけ、挨拶を大切にする
・字は誰が見ても分かるように丁寧に書く
・気分や好き嫌いではなく、誰にでも平等に接っする

まだまだあるような気がするが、すぐに思い出したのはこんなところか。
50歳を過ぎた私がこの良き習慣を身に付けているかというと、
・清潔に保つ
・喧嘩はせず、弱き者は守る
・読書する
・敬語や言葉使いには気をつけ、挨拶を大切にする
・気分や好き嫌いではなく、人には平等に接っする。
せいぜい、この4つくらいだろう。
父に教わった「はい」という心地よい返事は、40歳頃まではできていたように思うが、
この歳になるとそうそうできるものではない。
とにかく、大切な時期、父の教えは私の良き習慣の一つだったと述べておく。

<習慣>というのは苦痛を伴わない、意識しないでできる行為のこと。
私には読書する習慣があるが、もし「本を読まなければいけない」という意識のもとに、
読んでいる人と習慣で読んでいる人では量的にもかなりの差が生じるはず。
読書という習慣が知識をいつのまにか広げていく。(私の場合、かなりの偏りがあるが…)
読書の習慣は学ぶという姿勢をいつまでも保つことができる。これがいい。

<良き習慣>はその後の人生に多大な影響を与えていく。
豊かな心もそんな土壌に育つもの。
このことをしっかりと意識し、子供達や若い部下達に半ば強制的でもいいから指導すべきだ
というのが私の熱い想いです。
淡い色を付けて満開になり、散っていく桜。
新緑の木の葉が様々な色に染まり、冷たくなった風に吹かれて散っていく木の葉。
この自然の営みには人の一生を感じずにおられないものが潜んでいます。
紅葉に感動する人たちはきっと同じ気持ちなのかもしれません。

自然の営みや人の心の動きがだんだん分かるようになると
周囲の世界や自然の移り変わりが違って見えてくるようになりました。
昔見た名作と呼ばれる映画も違って観えてくるものもそのためです。

それはただ時を過ごすだけでは得られないものかもしれません。
人を深く愛することができて、
限りある時を心から惜しむことができて
初めて「無常」を感じる能力が得られるかもしれないと思うからです。

モミジの紅葉の移り変わりに人生を感じられる日本人に生まれて
つくづく良かったと感謝しています。

思い通りにならない人生
想いが届かない人生
掴みたいのに掴めない人生
もっと生きたいのに限りある人生
昨日吹いた風が今日には吹かない人生
永遠などないことを知っていながら永遠を求めてしまう人生
いつまでも若くありたいと思ってしまう人生

「無常」とはすべてのものが、そのままではなく変化することを意味します。
すなわち、自然界にあるのものはすべて刻一刻と老化し、最後に死んでいくということです。

ところが私たちは誰もが若くありたい、死にたくないと思っています。
「事実」と私たちの「思い」が食い違いを起こします。
これが「苦」というものが起こる要因です。

その「苦」から逃れるためには、
「事実」と「思い」との間に食い違いを起こさないようにするしかありません。
「事実」の方は変えようがありませんから、
私たちの「思い」を換えて「事実」に合わせるしかないのです。
この方法が<受け止める>というスタンスです。
つまり「やがては誰もが死ぬのだ」と思い切り、心から認めるのです。
そうすると「事実」との食い違いがないので、
「苦」というものは起こらず、心は穏やかになるというわけです。
この心をもっと探求していけば「悟りの境地」、つまり解脱できるのでしょうが、
煩悩の世界でもがいている私にはとても行き着けるとは思えません。
この煩悩の世界を惜しんでいるから
この悲哀に満ちた<無常>の世界に未練を感じているから
行き着きたいと思ったこともありませんが…。

歳を重ねてきて自分もまた無常の世界にいることに初めて気づきました。
上記のような仏法の話も理解できるようになりました。

そして、愛する気持ちや惜しむ気持ちをより深く感じ始めたのです。
それは緑色の紅葉がどんどん色を変えていく様と似ているような気がしてなりません。
しかもどのモミジの紅葉も染まり方が違い、同じ木でも光の当たり方で色が変化していくのです。
「限りある命の尊さを実感し心から<生>を惜しむ」

そんな気持ちになったとき
人は生まれてきたことを きっと心から感謝するに違いありません。

「紅葉狩り」から帰ってきてこんなことを考えてしまいました。   
はじめまして★




えっ 私の年収低すぎ?!あせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)




って感じている方に必見です♪
 文明は間違いなく進化しています。しかし、多くの人がその進化についていけず、ストレスを溜め込み、刺激や快楽を求めジャングル徘徊する獣へと退化しているように思えます。本能(=感情)に身を任せる方がストレスを感じず、心地良いからです。人間が作り上げた愛情や絆、道徳、学問や規律に縛られる方がストレスを溜め込みます。人間性の向上にはストレスが生じる。しかし、アゲンストの風(=ストレス)を浮力に変えられるか、そこに音楽やスポーツ、本や映画の世界が触媒となるような気がしています。

 自分を守るために誰かを誹謗したり、誰かを貶めるのは容易い。水が低きに流れるように人は易きに傾く。幼なければ幼いほどその傾向が高まる。これらは自分を守ろうとする本能。しかし、獣への退化と共に孤独が影のようにつきまとう。それを振り払うために無関心、無感動に装っていく。どんなものでも学ぼうとするとき、苦痛や辛抱を伴う。心を豊かにするためにはストレスを浮力に変える技が必要となる。

    
    容易きものを掴んでも喜びは生じない
    だから 多少難儀なものに挑戦しよう
    失敗はつきもの 恐れることなし
    ただ失敗の原因は探ろう
    
    自分にとって難儀にも関わらず
    何度も再挑戦したくなるものが必ずある
    失敗はつきもの その失敗をむしろ楽しめ
    うまくできないことのストレスを楽しもう

    勇気を持とう
    失敗の中にこそ 価値あるものがある
    失敗の中にこそ エネルギーがある
    生きるために 勇気が必要になる 
    その勇気が生じたとき 生きていることに気づくだろう

    自分にとって難儀なものに挑戦する勇気を持とう
    その勇気の中にストレスを解消できるものがある
    その勇気の中に価値あるものがある
    その勇気の中にエネルギーがある

人は大きな風呂敷を持って生まれてくる
その風呂敷にどんどん必要なモノ 
手に入れたいモノを入れていく

しかし いずれそのその重みに押しつぶされそうになる
どうしようもなくて立ち止まり 満杯になった風呂敷からモノを捨て出す

自分の限界を知って 泣きながら道ばたに捨てていく
何を残さなければならないか
泣きながら大切なものに初めて気づく
その時 人は子供から大人になっていく

自分の限界 限られた体力 限られた時間 限られた金に愕然としながら
死という到着点に向かうしかないことを知る
そして 哀しみや無常に感じながら 現実を受け入れる
大人になることに悲しみながら 現実を受け入れる

想いは深刻になった時
鉛のような重いモノと姿を変える
しかし その想いは次元を越えたとき
膨大なエネルギーと昇華する

暗黒の世界をまるで獣のように彷徨していたヘレン・ケラーは
「奇跡の人」アニー・サリバンという家庭教師を得て
現実の世界に舞い戻ってくる
三重苦という現実を知り そのハンディの大きさに愕然としながらも
モノには名前がある 水はWATERと知ったことから
彼女の想いの世界は自分だけの世界か飛び出した
そして その熱い想いはエネルギーとなって 彼女を天高く押し上げた

熱い想いは 負のエネルギーにも姿を変える
心のあり方によって姿を変える
「スター・ウォーズ」のダース・ベイダーのように暗黒の世界を引き寄せる
武田晴信が山本勘助に云った
「復讐だけでは無意味なモノとなる」と同じ意味だ

大人には守らなければならないものがある
風呂敷の中には捨てがたいモノが存在する
大人になれば容易にその風呂敷の中のものを捨てきれなくなる
容易に捨てられものに価値あるものもない
しかし 本当に大切なものは目に見えない
そして 風呂敷にも入りきれない

「想いは無限」
「想いはエネルギー」

「熱い想い」を胸に 限りある人生を行く
風呂敷に放り込めないものに気づきながら…
はじめまして★


業界で初めて、成功報酬型を導入したシステムがあります♪


これでみんなも笑顔が増える♪



??? って思った方はいつでもどうぞ^−★電球電球
おはようございます☆★




えっ、私の年収少なすぎ?あせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)




という方必見です電球

ログインすると、残り68件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

こころの豊かさ〜今ここを生きる 更新情報

こころの豊かさ〜今ここを生きるのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。