ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

クソ映画を率先してみる人たちコミュの映画 『無人地帯』 の問題点

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
藤原敏史氏と映画『無人地帯』の問題点を考える会

http://blog.goo.ne.jp/fujiwaradaikantoku/e/1eeb5aef2bda46117d82d3d2099899a4


私達は映画『無人地帯』を批判します


≪主旨≫


?藤原敏史氏はインターネットのツイッター上で、毎日、膨大な罵詈雑言を垂れ流しています。その目的は、彼が「愚かだ」と思った人を見つけ、すさまじい罵倒と断罪を繰り返すことです。


?その罵倒と断罪は、東日本大震災以後、主に「反原発」「脱原発」に対するアクションを行っている人や、「原発への不安」を抱えている人に対して行われています。


?私達は「作者と作品は別だ」という大前提に立ちながら、それでもなお、作品を評価するに当たって、両者を画然と切り離せるのか、と問いたいと考えています。つまり映画『無人地帯』を、藤原敏史氏の言動から切り離して評価することが許されるのか、ということを問いたいのです。



≪藤原敏史氏のツイッター上での主張・その代表例≫


?自分こそが本当の脱原発派だ。


?今回の福島第一原発の事故は、大した事故ではない。
人々が狂騒状態になるほどの重大事故であるかは疑わしい。


?今回の福島第一原発の事故に際して、東京電力を非難するのは間違いである。


?マスコミが、東京電力というクライアントを失いたくないために、
原発についての批判をしてこなかったという事実はない。


?反原発デモに参加している人々は、内輪で集団マスターベーションをしているだけ。
自己満足の正義ごっこに耽溺し、福島県及び福島の人々を差別している連中である。


?福島の人々は反原発デモに対して「そんな暇なことやってるなら、除染の手伝いに来い」と言っていると主張。


?反原発デモに参加している人々が、国や東京電力を批判するのは、匿名性のファシスト集団と同様である。
関東大震災後に「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマを流したことと同様のことである。


?福島から避難した人々は、無知である。


?小出裕章氏は、科学者としての能力がないので出世できなかった。
実験科学において、データの精査ができない人である。


?山本太郎氏は、俳優として売れなくなってきたから、売名行為で反原発の活動をするようになった。

等々。




≪藤原敏史氏のツイッター上でのスタイルについて≫


?まず藤原敏史氏にとって「愚かな人」を探す作業を始める。


?全く面識のない人物に対しても、自分から絡んでいって「間違い」「愚かさ」を指摘する。


?相手が反論してきたら、「なぜ間違いを認めないのだ!愚かだ!」と罵倒を始める。


?相手が認めないと、「虚偽」「はい嘘ね」「謝罪と撤回」と、相手が嘘を言っていると言い出す。


?相手がそれでも引き下がらないと「〜障害」者、「卑劣」「馬鹿」扱いをする。


?自分から絡んだくせに、相手を「粘着」「ブロックしますよ?」「誹謗中傷により通報しますよ?」と言う。


?面倒臭くなった相手から、ツイートが返ってこなくなる。


?新たな「愚かな人」を探す旅に出かける。


※「藤原敏史カントク・ツイッター罵倒分析

http://blog.goo.ne.jp/06yocchi より転載




◎私達は映画『無人地帯』を批判します



?現在、YouTubeで映画『無人地帯』内のインタビュー映像と予告篇を見ることが可能です。
その中の複数のインタビュー映像を見る限り、インタビュアーの藤原氏と、インターネット上の藤原氏とのあまりの落差に驚きを感じます。
藤原敏史氏は、相手の立場に立って、耳をすませ、相手から言葉を引き出す「被災者の良き理解者」という役を全力で演じています。
しかし「相手の立場に立って、耳をすませ、相手から言葉を引き出す」姿勢は、私達の知る藤原敏史氏に最も欠けている態度です。



?映画『無人地帯』と、藤原敏史氏の言論活動は切り離すことはできません。
何故なら彼自身が、積極的に映画を自分の「言論活動」に利用しているからです。
例えば彼は福島の低線量被曝を低く見積もり、避難を呼びかける者たち、政府に避難の要請をする者たちを激しく攻撃しています。
その際、彼は『無人地帯』のインタビューシーンをYouTubeにUPしたものを貼り付け、「まずは、これでも見てから言ってよ」と言い放ちます。
つまり、「自分は被災地を実際に見てきた。映画も撮って来た。被災者の人たちに話も聞いて来た。俺は福島のことなら何でも知っているんだ、知りもしないお前が外野から何を言う!」と、福島の「代弁者」をきどっています。
しかしながら、彼は実際には数日間撮影に行っただけです。
ツイッターを読んでいる人々の多くが、藤原敏史氏が何ヶ月も被災地で汗を流し、被災者と共に生活しながら取材してきたのだろうと勘違いし、また勘違いするような悪質な印象操作を行っています。
また一方で、藤原敏史氏が数日間撮影に行っただけ、ということを知っている人々に対しては、自分は「代弁者」なんかではない、ただ「紹介」しただけであると発言しています。
映画『無人地帯』は、「飯舘村や浜通りはこんなにいいところなんですよ、と紹介する観光映画」「深刻な映画ではなく笑いがそこここでみられる、一種のコメディ映画」だと解説しています。この言い方は、主題偏重ではないシネフィル的価値観を意識して、それを当て込んでの発言と考えられます。



?藤原敏史氏のツイッター上での言論活動は、「福島が今回の原発事故の最大の被害者であるという周知の事実」に従い、「最も弱い立場の者、最大の被害者に自己を同一化」させ、そこから「あらゆる者を裁く」という活動です。
実際には、被災地にたった数日しかいなかったので、被害者に寄り添ってなんかいません。被災者に寄り添うというスタンスをとることによって、自分の言説に正当性を与えようとしているだけです。



?映画『無人地帯』の「審美主義」は、以上のような彼にまつわる「現実」を「美学」のもとに見えなくさせるものです。
彼はたった数日の被災地への滞在で、いわば被災者と被災地の映像を上澄みだけ盗み取り、美学的に利用しているだけなのです。



映画『無人地帯』は、「福島第一原発事故」という映画の「外」にある「現実」に依拠し、そこからリアリティを汲み上げている作品です。
観る者は、映画「外」のコンテクスト抜きに、この映画を観ることなどありえません!


だったら、我々が映画『無人地帯』を観る者に、或いは評価する者に、作品外の情報を、作品を評価するに当たって不可分な要素として、積極的に取り入れなければならないと要求して何が悪いのか?


映画『無人地帯』が、暗に依拠している映画「外」の「現実」と同様の権利を、或いはむしろ、その「現実」の一部をなすものとして、我々の提示する情報に接しよ、と要求することの、どこが不当なのか?


私達は、映画『無人地帯』が、藤原氏の言説と分かち難く結びついていることを、実際にそのように機能させていることを、注視しなければならない。



私達が藤原敏史氏に対して指摘している問題点は、下記サイトでより詳しく紹介しています。
是非ご一読下さい。
http://blog.goo.ne.jp/fujiwaradaikantoku

コメント(1)

「植民地なんか自国を守るために真っ先に切り捨てられる対象だぞ?」なんて無責任許される分けないだろうが、すげえ平和ボケwww。他所様をそんな切り捨てる存在なんて失礼な扱いしたら、謝るだけでじゃ済まされないのは当たり前の話だろうに、どこまでガキなんだお前?

https://twitter.com/#!/toshi_fujiwara

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

クソ映画を率先してみる人たち 更新情報

クソ映画を率先してみる人たちのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング