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飛騨*美濃*尾張∞火と水の調和コミュの長良川から見た円空と飛騨のエンクサマ

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※このトピは編集中です。
(円空と関わりが多いこの地方から、長良川から見た円空について進めていけたらと思います...)



円空は寛永9年(1632)に美濃国に生まれ、元禄8年(1695)に同じく美濃国で没しました。

長良川と木曽川に囲まれた、現在の羽島で生まれる。
そして19歳の時、長良川の大洪水で母を失う。
若くして出家し、生涯に「十二万体造仏」を誓願し30代で木像を彫り始めた。
遠く蝦夷地まで行脚し、一所不住の生涯として諸国を遊行。
64歳で入定し生涯を終える。

母の命を奪った長良川を入定の地と決め、断食に入り念仏結印のまま7月15日孟蘭盆の日に没す。
弥勒寺境内の同川の畔で即身仏として素懐を遂げました。
関市池尻の弥勒寺の長良川河畔に入定塚が残っています。


円空の出自は謎に包まれているが、一説には木地師の子であるという。
木地師とは漆器などの素地を木で作る職人で、山々を移り住む漂泊生業者。
円空も木地師の如く各地を転々とする旅の生涯を送った。

しかし円空にとっての旅や彫像活動は、遊行僧である廻国聖(かいこくひじり)としての宗教的実践であり修行であった。
仏教の僧であり、道教や神道にも通じる円空は無名の宗教者。
白山権現への信仰が篤く、弥勒信仰をもっていたことも知られている。
円空は自身で再興した弥勒寺でその生涯を閉じるが、即身成仏になるため五穀を断って入定するという弥勒信仰の行者の臨終作法であったという。

そこで、円空とは何者かとの問いが無意味なほど、遊行僧、廻国聖であり、密教僧、修験者など様々な片鱗を見せる。
円空は日本の民俗信仰そのもの、その多様性を体現したのではないかともいわれています。


◆飛騨のエンクサマ

飛騨の山村では、子供が病気になれば勝手にそのあたりのお堂からエンクサマを持ってきて、病気が治るまで抱いたりして家の中に置いておいた。
それが観音だろうが不動明王だろうが、円空の彫った仏像はみなエンクサマとしてこの地方の風習となっていた。

貞享二年(1685)、円空は千光寺で両面宿儺を彫像し、この寺を拠点として宿儺ゆかりの奥飛騨を行脚している...

▽飛騨の位山と両面宿儺
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=38315287&comm_id=3180326


◆白山と長良川

円空は中観音堂(羽島市)での彫像のあと、長良川を遡行するように白山へと向かっている。
円空にとって、この長良川は他のどの川よりも特別な存在だった。

この世に生を受けたのも長良川河口域(羽島市中観音堂の地)。
彫像のはじまりも長良川中流域の美並村(現郡上市美並町)においてであった。
また、白山神から衝撃の啓示を受ける千多羅滝(現法伝滝)も長良川に流下していたし(郡上市八幡町)、この啓示の総決算として弥勒信仰とともに白山神に殉じようと入定したのも長良川河畔であった(関市池尻)。

円空の死生・信仰・思想の起点と終点を結ぶ背骨とも動脈ともいえるのが長良川で、彼は、この川から各地への彫像の旅を敢行してはこの川へと帰ってくる。
円空にとって、長良川は白山信仰を上流から運んでくる川で、その遡行は信仰の深化を意味していたことだろう。

▽白山信仰を巡る縄文の女神像
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=37847936&comm_id=3180326
▽高賀山信仰と魔物伝説
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=31251370&comm_id=3180326
▽水の祭祀をしていたムゲツ氏と円空入定の弥勒寺
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=76700236&comm_id=3180326





その他おすすめの円空スポットや、地元ならではの情報もお待ちしております...

ぎふ観光モデルコース:伝説の仏師「円空」の軌跡にふれる旅
http://www.tour-gifu.jp/007.html
円空さんを訪ねる旅
http://shigeru.kommy.com/enkuu.htm
円空連合/市町村ごとに探す
http://www.enku.jp/search/index.html


...

コメント(14)

■法伝の滝
岐阜県郡上市八幡町相生


かつて白山信仰の往来により、長良川沿いには鎌倉街道とつながる郡上街道があった。
中でも千虎(千多羅)はこの街道きっての難所で、現在国道が走っているところより上の崖っぷちにあった。

険しいが故に美しい滝があり、ここではじめて山々に囲まれた街道から遠く白山の姿が眺望できた。
公家や幕閣の要人たちはここで休憩し、千多羅滝の前で供物や願書の受け渡しをして引き返したので、いつしか宝殿=法伝の滝と呼ばれるようになったという...


円空はこの滝の岩窟にこもり、ひたすら杉の木で仏像を彫った。
滝の横にある不動堂の中で大切に安置されていた不動明王立像は、言い伝えで法伝大悲大聖不動明王尊と呼ばれてきた。

土地の人々は恐れ多くて触れることもできずにいたが、近年ようやく保存を優先して秘仏の背銘判読がなされ、延宝七年(1679)の円空作であることがわかった。
そこには円空による一文が添えられ、千虎滝で白山神から衝撃の啓示を受けたことが刻まれていたのです...


フォトアルバム
http://mixi.jp/view_album.pl?id=27357688
↑所在地の訂正です。
法伝橋の相生交差点近くだったので勘違いしました...

■法伝の滝
岐阜県郡上市八幡町吉野
円空さんの杓子

むかし、高賀の郷に、銀九郎という男が住んどったげな。家は貧乏やったが、なかなか気のええ、よう働く男やった。
ある年の冬の夜のこと。銀九郎が、ワラ布団にくるまっておると、戸口をたたく音がしたんや。底冷えする寒さに身震いしながら戸を開けると、粗末な身なりのお坊様が立ってござった。気のええ銀九郎、疲れたお坊様の様子を見ては放ってはおけん。「どっからおんさったかは知らんが、外は寒いに、さあどうぞ、どうぞ。」さっそく囲炉裏で火をたき、底の見えるような米びつをはだけて、お粥を煮てお坊様をもてなした。
つぎの日の朝、お坊様は、何を思ったのか、ずた袋からナタを取り出すと、たき物小屋のつだんだ(短く切った)木の一本で杓子を作った。「修行中の私には、これくらいしかお礼が出来ませんが、これを使ってくだされ。」 そういって、その杓子を銀九郎に渡して旅立って行かれた。
銀九郎は、米びつをさらえてご飯を炊き、もらった杓子でかきまぜた。するとどうや、ご飯が倍に増えたわい。また、その杓子でご飯を盛ると、何ばいでも盛れたんやえな。びっくりこいた銀九郎、宮の禰宜さんに聞きに行った。 「そのお坊様こそ円空様や。あんばようしてやったで、おあたえがあるんや。これからもええことがあるぞよ。」禰宜さんの言うとおり、銀九郎の家は、それから長く栄えたというこっちゃ。
今でも、高賀には「エンクさまのナタ細工」という言葉が残っておる。


高賀の郷には猿虎蛇の妖魔伝説だけでなく、数多くの興味深い伝説が残されているようです。
以下の「高賀癒しの郷」のサイトより抜粋しました。
http://www.horado.com/kouka/densetu.html

▼高賀山信仰と魔物伝説
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=31251370&comm_id=3180326
■飛騨国分寺
岐阜県高山市総和町1-83
本尊:薬師如来坐像

メモ:
聖武天皇により国分寺建立の詔(みことのり)が発せられ、757年(天平勝宝9年)頃、行基によって建立。
飛騨地方唯一の三重塔、樹齢1250年以上の大銀杏がある。


■公開している円空仏

・弁財天像
本尊の立派な薬師如来像と並んで、暗い本堂内で拝観させていただいた弁財天像。
宝冠をいただき、宝珠を手に持ったその姿は身の丈約1m(100.5cm)。
笑みを浮かべたその表情からは、暗い本堂の中でもひときわ優しい光を放っておりました。

・薬師三尊像(なべぶた薬師)
以前は非公開だったといわれる薬師三尊像が、弁才天像の足元に安置された観音開きの厨子の中にありました。
なべぶた三尊仏とも呼ばれ、3体の小さな薬師如来像の下に鍋蓋そっくりの台座がある。
中尊が薬師如来(32.5cm)で、左右が菩薩像(25.3cm)とのこと。
薬師三尊であれば日光菩薩と月光菩薩を脇侍としていることになる。


▼フォトアルバム
飛騨国分寺の円空仏(高山市)
http://mixi.jp/view_album.pl?id=33664214
■円空館
岐阜県下呂市市森2369

下呂温泉合掌村の中にあるため外観は周辺の施設に合わせえげつないが、ひとたび中に入ると素晴らしい展示空間というギャップが楽しめます...

・神像(小川神明神社蔵)
・地蔵菩薩像(小川観音堂蔵)
・伊勢大神宮像(小川神明神社蔵)
・熊野大権現像(小川神明神社蔵)
・鹿島大明神像(小川神明神社蔵)

そのほか個人蔵の青面金剛神像が2体、少々野住吉神社蔵の稲荷大明神像や、馬頭観音像、如来像、富士浅間大権現像、宇賀神像、八幡大菩薩像など、下呂市周辺の円空仏を約30体ほど集めて展示している。


▼フォトアルバム
下呂温泉合掌村「円空館」(下呂市)
http://mixi.jp/view_album.pl?id=33664669
■円空記念館
関市洞戸高賀1212番地

高賀神社のすぐ隣にありました!
円空記念館には、30体近くの円空仏が展示してあります。


古くから神々の里として栄えてきた洞戸。
全国から山伏や信者が参拝に訪れた高賀神社は円空ゆかりの地としても有名です。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=31251370&comm_id=3180326

円空は全国行脚をしつつも、中年から晩年にかけて少なくとも三度は高賀神社を訪れて修行をしています。
最初は寛文十一年(1671)、円空40歳の時。
二度目は貞享元年(1684)、53歳の時。
三度目は元禄五年(1692)で61歳でした。

高賀の郷が全国からの修験者や信者を魅了した様に、この地に魅せられ多くの作品をここに残しました。
この地で入定の決意を固め、最後の作品といわれる歓喜天を彫ったといわれています。


休館日:毎週月曜日・祝日の翌日・年末年始(12月29日〜1月3日)
開館時間:午前9時〜午後4時30分
入場料:大人200円 小・中学生無料
↑円空記念館の続きです

館内は写真撮影禁止のため、下記サイトより拝借させていただきました
http://www.horado.com/kouka/enku.html


■画像左:十一面観音・善女竜王・善財童子
長良川の源流である白山の本源神、長良川の洪水で失った母親、そして円空自身を投影したといわれる三位一体の感動もの。
一木造り三像といって、1本の木をタテに3分割して彫られているので、この3体はピッタリ抱き合うとまた1本の木に戻ります!!!

■画像中:狛犬
高賀神社には円空の狛犬が数多く残され、大小あわせて4対と1体で計9体の狛犬が残されています。
この狛犬が一番最大で1mほど。
それが盗難にあう危険が無かったころまでは、実際に神社の狛犬として門にかまえていたんだそうです。
しかしなんといったらいいのやら、この迫力。
アイヌの渦巻きに吸い込まれそうです。
こちらも陰陽和合、1対2体で、ピッタリ抱き合うと1本の木に戻ると知り感動しました!!!

■画像左:歓喜天
台座には「釜且 入定也」と彫り込まれています。
三年後の64才で入定することを決意して予言し、歓喜天の台座に「大地にかりそめの入定也」と刻書したものと考えられているそうです。
元禄五年、造顕活動を止めて三年間「千日行」を高賀で行った円空は、関市池尻弥勒寺で即身仏になるため入定しました。
最初は顔がのっぺらぼうの抽象的で荒削りな像だと思って見てました。
でも、よ〜く見ると鼻の長い1対2体の象さんが抱き合ってるじゃないですか!!!
おじゃまします〜。高賀の、美濃乃國高賀太鼓の婉曲に、円空 という演奏があって、円空さんの道行と、仏像をほる姿が、太鼓演奏で、物語となっています。
今回ご縁をいただき、笛を入れさせていただきました。
仲間入りさせていただき今後も、入らせていただくこととなりましたので、よろしくね〜るんるん

> ナナさん

妖魔さるとらへびとして討ち取られた縄文の神々が眠る深い森。
その森で生きる民衆の信仰を救った円空。
そこには三位一体、陰陽和合の神々の姿があった。
そんな高賀にふさわしい、素晴らしいイベントでしたね...
http://mixi.jp/view_event.pl?id=45408288&comm_id=3180326

しか〜しっ、せっかくのチャンスだったのにナナさんと美濃乃國高賀太鼓の円空の演奏を見逃しちゃいました〜(泣)
ぜひまたどこかで聞かせていただきます!!!
↑フォトアルバムのリンク訂正^^;

法伝の滝と円空(郡上市八幡町)
http://mixi.jp/view_album.pl?id=27357688&owner_id=4857509
飛騨国分寺の円空仏(高山市)
http://mixi.jp/view_album.pl?id=33664214&owner_id=4857509
下呂温泉合掌村「円空館」(下呂市)
http://mixi.jp/view_album.pl?id=33664669&owner_id=4857509
今日訪れた羽島市の八神(コメント6〜7参照)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=39564987&comm_id=3180326

そこから北へ行ったすぐ近くが円空生誕の地。

写真左:
奥に見えるのが羽島円空資料館。
左手に中観音堂が隣接。
右手には円空の産湯となった井戸が残っている。

写真中:
中観音堂のご本尊。
この地で彫った2m22cmの十一面観音は円空仏の中でも最大といわれ迫力がある。
ここは生誕の地であり、2才のときに母親を失った地でもあるがゆえ、その想いに計り知れないものを感じる。

写真右:
こちらはその隣にある羽島円空資料館。
時間的にもう閉まっていたところを管理人さんがわざわざ開けてくださいました。
感謝。

羽島巡礼つづく…
写真左:
江戸時代とはいえ、円空の出生は謎に包まれている。
しかしこの地では、ここは円空さんが産湯を使わした井戸として伝わっている。

写真中:
続いて中観音堂から北にある薬師寺をめざす。
その途中に通りかかった神明神社に立て札が。
江戸時代までは長良川と木曽川の合流地点。
この豊かな大地は洪水に見舞われたり干ばつが続いたり。
今でもあちこちに、雨乞い踊りが伝統芸能として残されている。

写真右:
薬師寺のご本尊である薬師三尊像。
円空はこの地で出会った乞食に薬師如来を彫って手渡した。
やがてその乞食が死ぬと神々しい光を放ったという。
それ以来ここに安置されている。
2014/11/22(土)

“円空さんが生まれ、生涯にわたって何度も歩いた長良川流域に残る、175体の仏像を1日で体験する特別企画…”

長良川おんぱく2014 円空入門 長良川をめぐる175体の円空仏ツアー
http://nagaragawa.onpaku.asia/programs/5369c90c7777772e72020000
“年に一度の宝物の虫干し行事で、狒々退治伝説の秘刀「祖師野丸」、鎌倉時代の木造狛犬、円空仏神像が公開されました…”

祖師野八幡宮の宝物虫干し - 飛騨金山には訪ねてみたい場所がある
http://blog.livedoor.jp/kanayama_tour/archives/12211025.html

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