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学は光コミュの世界との語らい 【第9回】南米チリの哲人政治家   エイルウィン元大統領 2006.8.20

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 指導者は「未来」に奉仕せよ 青年と共に! 青年のために

 世界中の指導者と会ってきた私には、人物を見る基準がある。
 まず、高潔であるか否か。
 権力は必ず腐敗する。人を虜(とりこ)にせずにはおかない魔性がある。その誘惑と戦い、打ち勝ってきた人は輝いている。
 1973年。南米チリ共和国弁護士出身の上院議員が、米国の銀行の残高証明書を求めていた。税金を申告するためである。
 さっそく上院事務局の職員が調べてみると、銀行の残高は、わずか300ドル。現在の日本円にすれば、約3万円である。
 「300ドル。申告しなくてもいいんじゃないですか?」
 「いや、だめだ。申告しなければ、私は嘘をつくことになる。それは、できない!」
 哲人大統領として、チリの軍事独裁政権にピリオドを打ったパトリシオ・エイルウィン氏である。
 「嘘は暴力に至る控室」
 「『真実が君臨する』ことが民主社会の基本」
 氏の信条である。

◆中流の生活で行け

 戸田先生は嘘つきが大嫌いだった。絶対に許されなかった。
 嘘つきは、それをごまかすために、必ずまた嘘で塗り固める。「ごまかそう」と思うこと自体が、すでに自分の心を壊している。
 平気で国民に嘘をつく政治家も多い。大衆の代表でありながら、少しばかり偉くなると狂いはじめる。
 戸田先生は常々「どんなに偉くなっても、中流の生活をするべきだ」と仰っていた。
 民衆から遊離してしまうからだ。私も、この御指導を自分なりに守り通してきた。
 第三代の会長に就任した時、大田区小林町にあった我が家は、あまりにも小さかった。
 来客も、まさかこんな小さな家であるはずがない、と何回も通り過ぎた。
 ある言論人は「これがマンモス団体の会長宅とは」と驚いた。
 関西で苦楽をともにした同志などは、朝早くから訪ねてこられた。夜行の3等車に揺られ、東京駅に着いたばかりである。我が家で朝の勤行をして、ご飯を食べていく。
 妻が手際よく用意した手料理を、満足そうに平らげていく友の顔を見るのが好きだった。

 第2に、青年の味方であるか否かである。

 青年を愛し、青年を育て、未来に奉仕することは、あらゆる指導者の責務である。未来を真剣に考えているかどうかの試金石(しきんせき)である。
 権力にしがみつくから、保身になる。捨て身になれない。我が身が可愛く、側近政治になる。腐敗が始まる。
 同じ場所で足踏みすることは、後退への第一歩にすぎない。
 「老人は、だめだ。青年に託すしかない」
 「三代会長は、青年部に渡す。牧口門下には渡しません。なぜかといえば、老人だからです」
 これが戸田先生の確信だった。
 こよなく青年を愛された。成長した姿を見れば「俺は、うれしい」「俺は泣ける」と喜ばれた。
 青年! 青年! 青年! この精神あればこそ、学会は奇跡的な躍進を遂げたのである。学会を永遠に盤石ならしめる鉄則である。

◆青年利用ではなく

 恩師は、青年を見下して利用する大人には容赦なかった。前進の邪魔である。足かせだからだ。
 青年のために生命を捧げた人生は、永遠に輝く。青年を小ずるく利用する者は、たとえ一時は順調に見えようとも、必ずしっぺ返しを食らう。
 エイルウィン氏は断言されている。
 「青年は『可能性』と『希望』の象徴である。青年の力なくしては、社会は停滞の危機にさらされる」
 「次の世代が、希望と楽観主義と信念と、成長するための実力をもって人生に直面する条件を整えなければならない」
 1994年7月には、創価大学にお迎えした。トレードマークの“エイルウィン・スマイル”が弾けた。
 「創価大学の充実した施設、キャンパスの素晴らしさに打たれました。それ以上に心に残ったのは、情熱的で、知的な関心あふれた学生たちの姿です」
 青年こそ、希望の光である。

 第3に、戦争の悲惨を知っているかどうか。

 戦争ほど残酷なものはない。同時に、戦争を忘れ去ることほど愚かなことはない。
 私が対談してきた人物は、何らかのかたちで、人生に戦争の記憶が刻まれていた。
 2度の世界大戦。ベトナム戦争。中東戦争。民族紛争。内戦……。
 いやおうなく人間の死に接したことが、その後の人生を決定づけた。それぞれが「平和」と「安国」の道を模索されていた。
 エイルウィン氏も、第2次世界大戦、軍事独裁政権下の悲惨を、骨身に徹して知っている。

◆若い命を奪う愚挙(ぐきょ)

 何よりも戦争は、若い生命を奪う。わが家も戦争に4人の兄をとられた。長兄はビルマ(現ミャンマー)で戦死している。悪名高いインパール作戦中に機銃掃射によって撃たれ、川に落ちたと聞く。
 作戦の死傷者は約7万2500人。功を焦った指導者が暴走し、空前の悲劇を生んだ。
 長兄だけではない。隣近所では、誰が死んだ、誰の消息が不明。悲痛な会話が日常茶飯事のように交わされていた。
 あの戦争では、ちょうど私の兄に当たる世代が露と消えた。 20代、30代の青年層が、こぞって日本から失われたのである。
 なぜ私が戦争に反対するのか。
 戦争ほど青年を犠牲にする愚挙はないからだ。青年の未来を奪う魔物だからだ。
 戸田先生と初めてお会いしたのも8月であった。
 もう60回目の夏になる。
 座談会で恩師は「立正安国論」を講義されていた。
 飢饉(ききん)、内乱、天変地夭(てんぺんちよう)。おびただしい人間の死が眼前にあった鎌倉時代。人間の生命が、あまりにも軽んじられていた。
 安国論は、いわば時の軍事政権のトップを諫めた書である。指導者自身が変わらなければ、民衆の幸福はない。真の平和も築けない。
 「立正安国」の精神は、日蓮仏法の魂である。

 エイルウィン氏は今年88歳。大統領を務められたのち「正義と民主主義」財団の総裁として活躍されている。
 92年に初めてお会いした。以来、SGI(創価学会インタナショナル)の運動に全幅の信頼を置いてくださってきた。
 今年の5月3日「創価学会の日」にも祝福のメッセージを頂戴した。
 有り難いことに「SGIのためなら、何でもさせていただきます」とまで言ってくださっている。
 チリのインファンテ前駐日大使が日本に赴任する直前である。エイルウィン氏は前大使を招き、こう言われたという。
 「日本は、数回しか行っていないので、それほどよく知っているわけではないんだよ。でも、一つだけ、はっきりと言えることがある。私には一人、友人がいるんだ。それは池田大作博士だ!」
 日本とチリを隔(へだ)てる距離は、1万7000キロ以上。しかし友情は、太平洋をも結ぶ。

注) バトリシオ・エイルウィン 1918ー : 国立チリ大学法学部で学び、弁護士に。46年、同大学教授に就いた。「社会正義の実現のために」と政治活動に参加。51年には、33歳の若さでキリスト教民主党の総裁に選ばれ、7期務めた。この間、上院議員(65-73年)、上院議長(71-72年)。73年のクーデター以来、軍事政権が長期化すると、民主化運動に挺身。中道から左派までの民主派政党連合を結成し、幅広い勢力を結集した。89年12月、大統領選挙に勝利。16年間、続いた軍事政権にピリオドを打ち、世界の注目を集めた。大統領在職中(90年3月?94年3月)に、民政移行を実現。貧困の撲滅などに尽力した。
 92年11月、チリ共和国の国家元首として初来日した折、池田名誉会長と会談。93年2月(チリの大統領府)、94年7月(東京)にも語らいを重ね、対談集『太平洋の旭日』(河出書房新社)を発刊した。

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