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学は光コミュの牧口先生とカントを語る?

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一、人間の心は、「善(ぜん)」と「悪」の戦場である。
人間の社会も、「善」と「悪」が激しいせめぎ合いを演じている。民衆を踏(ふ)みにじる権力者もいれば、虚偽(きょぎ)で欺(あざむ)く聖職者もいる。どうすれば、この世界の「悪」をなくし、「善」を生(しょう)じさせることができるのかーカントは、哲学者として、「悪の原理」に対して「善の原理」を勝利させる道を真摯(しんし)に模索した。彼が、「努(つと)めて賢(かしこ)くあれと人間精神の啓蒙(けいもう)を促(うなが)し「教育の変革」を訴(うった)えた理由も、ここに見いだすことができよう。
カントの『教育学』には、こうある。
「善(よ)い教育とは、まさに世界のあらゆる善が生(しょう)じる源泉にほかならない」(加藤泰史訳)
「(人間が)道徳的で賢明にならなければ、悪の量が減少するようなことはないのだ」(同)
民衆を賢明にする「教育」こそ、社会を「善」の方向へと導(みちび)く正しき軌道(きどう)なのである。
さらにカントは語る。
「教育計画のための構想は世界市民主義的に立てられなければならない」(同)
教育は、「世界市民の教育」へと変革されなければならない。国家を超(こ)える視野を持った世界市民こそが、「永遠平和」を築く礎(いしずえ)となるからである。
だからこそ、カントは、権力欲に駆(か)られた政治家が、国家予算を「戦争」に費(つい)やして、「教育」をないがしろにしていることを批判したのである。
人間に「賢くあれ」と促(うなが)すカントの思想については、哲人政治家として名高い、統一ドイツのヴァイツゼッカー初代大統領とも語り合った。(1991年6月、ドイツのボンで)
大統領とは、新生ドイツにおける最重要の課題は「教育」であるという点でも意見が一致した。
「社会の変革」のためには、「教育の変革」そして「人間の変革」が不可欠である。世界の真剣な指導者は、共通して、この不変の原理を志向(しこう)している。
世界に「大善(だいぜん)」を広げゆく「世界市民の教育」は、牧口先生、戸田先生の宿願(しゅくがん)でもあった。私が、創価大学、アメリカ創価大学を創立したのも、両先生の構想を実現するためである。
「善の勝利」 へ「善の行動」を
一、カントは、この世界に「善の勝利」をもたらすためには、善の実現と拡大を目指す?倫理(りんり)的な共同体″が必要であると主張している。
勇気の旗(はた)のもとに、あらゆる人間が結合し、「悪」と戦うことを展望した。 真の宗教の役割も、ここに見いだしていたのである。
カントが、宗教において、何より大切にしていたのは、「善の行動」である。「善の行動」なき宗教は?死せる宗教″である。
カントは、「善の実現と拡大」に努力する人間が結合してこそ「永遠平和」の世界が実現することを示したのである。
人間の革命へ、世界平和へ、創価学会は、これまで「教育」と「宗教」の両輪(りょうりん)で前進してきた。
これからも、それは変わらない。 創価学会は、「民衆教育の総合大学」であり「善の拡大を目指す大哲学運動」なのである。
講義は知的な啓発とユーモアが
一、カントは、母校のケー二ヒスペルク大学で41年間、講義を続けた。
自然、政治、教育、宗教、芸術など、あらゆる分野に広がりをもつカントの哲学は、母校で続けられた、日々の講義とともに生まれた。
カントほどの哲学者であれば、当然、数ある大学から、より好待遇(こうたいぐう)での招聘(しょうへい)があった。しかし、すべて断(ことわ)り、愛する母校にとどまった。そして、老衰(ろうすい)で講義に立てなくなるまで、教師としての使命を全(まっと)うし、最後の最後まで母校に尽くしたのである。
カント哲学が広く信奉(しんぽう)された理由の一つが、カントの教師としての「誠実さ」「熱心さ」にもあったことは、見逃せない事実である。
カントは、はじめ15年間、私講師〈聴講(ちょうこう)した学生から授業料をもらうー種の非常勤講師〉として母校に務めた。そのため長い間、定収入が得られなかった。いくつもの異(こと)なる分野の講義を受け持たざるを得なかった。
しかし彼は、熱心に、誠実に講義を行った。休養を取ろうともしなかった。絶対に手を抜(ぬ)かなかった。
講義は、知的な啓発(けいはつ)を与えずにはおかない魅力があった。大変、ユーモアにも富(と)んでいた。 学生にとっては、「楽しい人間的なふれ合いのひととき」であった。カント自身、学生を楽しませ、笑わせるのが、とても好きだった。決して、威張(いば)ることもなかった。
真の知性は、人間の振る舞いに現れる。
御聖訓には、「畜生(ちゅくしょう)の心は弱きをおどし強きをおそる当世(とうせい)の学者等は畜生の如(ごと)し」(御書957?)、と仰(おお)せである。権力にへつらい、弱者に威張るのは、畜生根性である。
傲慢(ごうまん)は、野蛮な動物性の姿なのである。
カントに学んだ文学者のヘルダーは、教師としてのカントについて、?真理を求める熱意″?真理を人類の幸福に役立てようとする情熱″?党派心、派閥(はばつ)根性から懸(か)け離(はな)れた態度″?人気取りや名聞名利(みょうもんみょうり)を求めぬ姿勢″に感銘(かんめい)したと賛辞(さんじ)を捧(ささ)げている。
「思索(しさく)する力」を
一、カントの講義には、常に新しい工夫(くふう)と創造があった。それは、世界市民としての広々とした視野を培(つちか)うものであった。
大学の講義に、先駆的に「人間学」と「地理学」を設けたのもカントである。その講義は、人気を集め、いつも満席だったという。
カントが講義で語った有名な言葉がある。
「諸君は、わたしから哲学を学ぶのではなくて、哲学することを学ぶでしょう。思想を、たんに口まねするために学ぶのでなくて、考えることを学ぶでしょう」(小牧治訳)
学生が自(みずか)ら「思索(しさく)する力」をつけることを目指して、講義を進めたのである。
さらにカントは、学生の生活や就職にも心を配(くば)る、慈愛(じあい)あふれる教師だった。
教え子からは「人道主義の真の先生」と慕(した)われ、その影響のもとに、多くの文化運動や教育改革の指導者が育っていったのである。
創価大学もまた「学生のための大学」である。この崇高(すうこう)な志(こころざし)を忘れることなく、「建学の精神」のもと、教員と学生が一体となって、「人間教育の理想」を実現していただきたい。
何のための学問
一、カントは、当時の「学問」のあり方を厳しく批判した。
「学者は、すべては自分のために存(そん)すると思っている」 (尾渡達雄訳)とカントは言う。
多くの学者たちは、狭(せま)い専門に閉(と)じこもり、偏(かたよ)ったものの見方にとらわれていた。学識をひけらかし、?虚栄(きょえい)の道具″にしていた。「何のために学問するのか」という目標を見失っていた。
人間が真に必要とする「学問」とはどんなものかーそれは「人間であるためにはどのようなものでなくてはならぬかを学びうる学問である」(同)と、カントは明言している。
さらに、学問を、単なる「知識」に終わらせないためには、「知恵」が不可欠であるとした。
「知恵」があってはじめて「知識」を活用できる。「人間が解決しなければならない」課題に立ち向かうことができるからである。 そして学問は、「人類の福祉(ふくし)」を目的とすべきであると確信していた。
母校に生涯を捧(ささ)げたカント 創造的な魅力(みりょく)の講義
学問は「虚栄(きょえい)の道具」ではない
教育で世界市民を
カント「決意は実行せよ」「私は私の道を行く!」 
カントは、こうした考えをもとに、あらゆる学問の源泉となり、あらゆる行動の源泉となる「人間学」の確立に、死の直前まで情熱を注(そそ)いだのである。
一、「御聖訓には、 「『心』の不思議さこそ、仏教の 『経典』と『論』の説(と)く肝要(かんよう)なのである。この(不思議なる)『心』を悟(さと)り知った人を、名づけて『如来(にょらい)』という」(御書564?、通解)と仰(おお)せである。
仏法は、人間生命の内奥(ないおう)を探究した人間学の究極(きゅうきょく)である。「人間は、いかに生きるべきか」。その智慧(ちえ)を、今こそ世界が求めている。
価値を探求して日蓮仏法に到達
一、牧口先生が、「価値論」を含(ふく)む『創価教育学体系』を著(あらわ)されたのは、日本を覆(おお)う教育の諸問題を打破し、子どもたちを「幸福」に導く教育を実現したい、との思いからであった。
社会の行き詰(づ)まりの根底には、哲学や思想、教育の行き詰まりがあることを、先生は鋭(するど)く洞察(どうさつ)しておられた。
哲学の中心課題の一つである「価値」について、教育実践の中で、全力で探求していかれた。
人生の目的とは何か。その実現のために、何を「価値」とし、その価値を、どう「創造」していくのかー
こうした根本の問いに答える大哲学こそ、日蓮大聖人の仏法であると、牧口先生は発見された。
新たな哲学の地平を開く「価値論」は、人生の目的である「幸福」を全人類にもたらす指導原理ともなったのである。
日本が国家主義への傾斜(けいしゃ)を強める中、牧口先生は?教育に関する展望をもて!″″価値論を根本哲学として取り上げよ!″と主張された。そして、その魂である大聖人の仏法を、声高く叫び続けていかれたのである。
牧口先生の、獄中からの最後のはがきには、こう記されている。(昭和19年(1944年)10月13日付)
「カントノ哲学ヲ精読(せいどく)シテ居(い)ル。百年前、及(およ)ビ其(その)後ノ学者共(ども)ガ、望(のぞ)ンデ、手ヲ着(つ)ケナイ『価値論』ヲ私ガ著(あら)ハシ、而(し)カモ上ハ法華経ノ信仰二結ピツケ、下、数千人二実証シタノヲ見テ、自分ナガラ驚(おどろ)イテ居ル。コレ故(ゆえ)、三障四魔(さんしょうしま)ガ紛起(ふんき)スルノハ当然デ、経文通リデス」
一、創価大学大学院で学ぶ伊藤貴雄さんが、諸先生方の研究を踏まえ、若き日の牧口先生とカントについて報告してくださった。 それによると、50代で『創価教育学体系』を執筆されるまでの間に、著作や文献から、いくつもの接点が確認される。
牧口先生が公刊した最初の論文は、24歳の時のもので、「観念類化(かんねんるいか)作用」という題である(明治29年『北海道教育雑誌』第39、40号に掲載)。
この観念類化という言葉は、カントの代表作『純粋理性批判』の影響のもと、カントを師と仰(あお)いだ教育学者のヘルパルトが用(もち)いた言葉である。
26歳の時の論文にも「カント」の名が見える(「パーカー氏の所謂(いわゆる)学校に加(くわ)ふべき社会的趣味の意義如何(いかん)」)。
また牧口先生は、『人生地理学』出版後の明治37年、32歳の時に「茗渓(めいけい)会」(東京高等師範学校の同窓会)が発行する雑誌『教育』の発行兼(けん)編集者に就任した。
この雑誌『教育』に、哲学者の朝永三十郎氏(ともながさんじゅうろう)〈ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎氏の父〉が、「カント以後に於(お)ける唯心論(ゆいしんろん)の発展」と題する論文を寄稿している(第59号・第62号、いずれも明治38年)。
さらに牧口先生は、大正6年ごろ、カントを論じた一冊の本に出あう。
左右田(さうだ)喜一郎著『経済哲学の諸問題』である。先生が、47歳のころであった。(左右田氏は、ドイツで新カント派の哲学者リッケルトに師事)
牧口先生が熟読されたこの『経済哲学の諸問題』には、「カント認識論と純理経済学」という論文が収められている。
「嫉妬と忘恩は悪魔的悪徳」
一、カントの言葉は、人生に深い示唆(しさ)を与えてくれる。
「嫉妬、忘恩、他人の不幸をよろこぶ気持ち・…それは悪魔的悪徳と名づけられよう」(飯島宗享・宇都宮芳明訳)
悪徳のなかでも最大のものが「嫉妬」であり、「忘恩」であると、カントは断じている。
また、「みずからの決意を実行に移(うつ)すことをいつも延期してしまうような人間によっては、多くのことは実行されえないままである」 (加藤泰史訳)。
「いつか」ではない。「今」である。大切なのは「ただちに実行すること」である。
カントは、自(みずか)らの哲学のままに生きた「求道者(きゅうどうしゃ)」であった。そこにも、彼の偉大さがある。 そして、「私は私の道を行くであろう。それを歩みつづけることを何ものも妨げることはできない」 (浜田義文訳)と。
カントの若き日の「宣言」である。彼は、誓いのままに、生涯を真理の探究に捧(ささ)げ、人類史に不滅の足跡を残したのである。
平和の新世紀を
一、まもなく、カントの逝去(せいきょ)から、200年を迎える(2004年)。この年は、牧口先生の殉教(じゅんきょう)から60年の節目ともなる。
カントそして牧口先生の「人間の尊厳」 「永遠の平和」の理想は、21世紀にこそ、断じて実現しなければならない。 そのためにも、嫉妬や忘恩の悪徳の輩(やから)を踏(ふ)み越えて、私たちは、私たちの信ずる「創価の哲学の大道」を、堂々と歩み続けてまいりたい。
一、71年前の11月18日、牧口先生と戸田先生という、久遠(くおん)の絆(きずな)で結ばれた「不二の師弟」が、全人類のために立ち上がった。 この日は、わが創価学会が、末法万年尽未来際(じんみらいさい)へ、「世界広宣流布」という深遠(しんえん)なる使命のもとに出発した、創立記念の日となった。
そして、この日は、われらの偉大なる先師・牧口先生の命日でもある。
来る年も、来る年も、「正義の魂」が燃え、「勝利の旗」が、いやまして立ち並びゆく日が、11月の18日である。 創立の日は、日本中、世界中で、広宣流布の決意の同志が、総立ちしゆく日である。
2001年11月18日、我らは新世紀の幕開けを祝い、「希望の鐘(かね)」を乱打し、新たなる大前進を開始した。 尊い、大切な全同志の皆さま方が、絶対に、そして確実に、一人ももれなく「幸福」と「栄光」の人生の勝利者となられんことを心より祈り、私のスピーチとさせていただく。 どうか、風邪(かぜ)などひかれませんように!(大拍手) (2001・11・20文責=石黒忠之)
※カントについては、編集部でまとめる際、主に次の資料を参照した。
岩波書店『カント全集』。理想社『カント全集』。法政大学出版居『カントーその生涯と思想』
アルセ二イ・グリガ著、西牟田久雄・浜田義文訳。勁草書房『若きカントの思想形成』浜田義文著。
岩波文庫『ドイツ古典哲学の本質』ハイネ著、伊東勉訳。理想社『ロロロ伝記叢書 カント』U・シュルツ
著、坂部恵訳。清水書院『人と思想15 カント』小牧治著。弘文堂『カント事典』。

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