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学は光コミュの名誉会長 「牧口先生とカントを語る」(上) 2001年11月18日

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一、21世紀最初の「創価学会創立記念日」を、全同志とともに晴れ晴れと迎えることができた。
創価学会は、同志の皆さま方の真剣なる信心と、勇敢なる広宣流布への貢献によって、日本一、世界一の宗教団体に発展した。
 ドイツの大哲学者・カントは言う。 「熱情(ねつじょう)なくして偉大なものは成就(じょうじゅ)されたことがない」(浜田義文訳)と。
創価学会が偉大なる発展を遂げたのは、「広宣流布への熱情」が燃えていたからである。
獄中(ごくちゅう)でカントを
一、「創立の日は、牧口初代会長が亡くなられた日でもある。
〈創価学会は、創価教育学会として昭和5年(1930年)11月18日に創立。牧口初代会長は昭和19年(1944年)のこの日に逝去(せいきょ)〉
私は、牧口初代会長、戸田第2代会長に対する報恩感謝の唱題を、懇(ねんご)ろにさせていただいた。
全学会の同志とともに、先師、恩師に最大の感謝を申し上げたい。
 牧口先生は、獄死(ごくし)される直前まで、カントの哲学を精読(せいどく)しておられた。
先生の独創的な「美・利・善」の価値論は、カントの「真・善・実」をはじめとする、大いなる哲学の峰々(みねみね)を登攀(とうはん)する中で生まれた。
きょうは、先師を偲(しの)びつつ、カントの宇宙観、人間観、平和観、宗教観等について、少々、思いつくまま所感を語りたい。もとより、本格的な哲学論ではなく、カントという一個の「真理を求め続けた人間」の誠実さに学びたいという趣旨である。
なお、創立の日の記念として、ドクター部の方々や創価教育の同窓生、また「長城会(ちょうじょうかい)」の友らから、数々の貴重なカントの原書や研究書をお届けいただき、感謝に堪(た)えない。
 真心の書物を開き、見つめながら、私は、牧口先生の精神を継承しゆく、英知の指導者の栄光を祈った。
 賢者の皇帝
一、先月、アメリカ航空宇宙局(NASA)の教育プログラムである「アースカム」に、日本から唯一(ゆいいつ)、関西創価学園が参加した。今回で2度目である。
国際宇宙ステーションに搭載(とうさい)されたデジタルカメラを、生徒が遠隔操作(えんかくそうさ)して、地球を撮影する試みである。 「宇宙から人間を見つめる」視点は、人類の境涯を高めていくだろう。それが、平和と共生の心に通じていってほしいと私は願う。
今から200年以上前に、大宇宙の次元から人間を見つめ、「地球の永遠平和」と「人間の尊厳」を高く掲(かか)げた哲学者がいた。 それが、「賢者(けんじゃ)の皇帝」とも呼ばれたカントである。
一、「カントの哲学は、西洋の哲学の歴史に新章節(しんしょうせつ)を開いた「哲学革命」であったといわれる。カントは、いかなる革命をもたらしたのか。それは、「理性批判(りせいひはん)」である。人間の理性が、理性自身に対して徹底して批判を加えることである。
?理性は「神の存在」の問題などについて解答を与えうる″という独断的立場が、それまでの哲学にはあった。 カントは、「人間の理性が真に知りうるものとは何か」を明らかにし、そのうえに、新しい哲学の体系を打ち立てたのである。 
銀河を望んで
一、「カントの関心は最初、自然に向かった。
若き日、ニュートンの影響を強く受けたカントは、『天界の一般自然史と理論』を著(あらわ)した。
?太陽系は、星雲(せいうん)状のガス体から生まれた″とするカントの仮説は天文学史に名高い。
〈カント=ラプラスの星雲説〉 
人類の生きる、この「太陽系」が、大宇宙に存在する幾多(いくた)の銀河のうちの、一つの銀河にある小さな存在にすぎないと、カントは見ていた。
幾多の塁や銀河が「生成」 「消滅(しょうめつ)」 「再生」を繰り返すと考えた。また、地球以外にも、生命が存在すると信じていたのである。
一、結局のところ、カントが志(こころざ)したのは、宇宙の一切を統一している根源的なものを探究し、「人間とは何か」との問いに等えることにあったといえよう。 それは、「人間の尊厳」の探究でもあった。
カントの哲学を集約する有名な言葉がある。カントの墓碑銘(ぼひめい)ともなった言葉である。
?私の心を感嘆(かんたん)と畏敬(いけい)で満たす二つのものがある。それは、星の煌(きら)めく天空と、私の内なる道徳律(どうとくりつ)とである″ 〈「ここに二つの物がある、それは−我々がその物を思念(しねん)すること長くかつしばしばなるにつれて、常にいや増す新たな感嘆(かんたん)と畏敬(いけい)の念とをもって我々の心を余(あま)すところなく充足する、すなわち私の上なる星をちりばめた空と私のうちなる道徳的法則である」 (『実践理性批判』波多野精一・宮本和吉・篠田英雄訳、岩波書店)〉
このカントの言葉については、私もこれまで、NASAで「人類初の月面着陸の総責任者」を務めたジャストロウ博士や、作家の井上靖(やすし)氏など、多くの知性の方々と語り合ってきた。
また、宇宙的なスケールで、人間の苦悩と歓喜、精神の崇高さを謳(うた)った楽聖ベートーヴェンが、カントの哲学を熱烈に学んだことは、よく知られている。
宇宙を貫(つらぬ)く妙法
一、古来、世界の知性は、真摯(しんし)に「宇宙と人間」の関係を考察し、そこから、人間としての正しい生き方を追究してきた。大宇宙に心を向けるとき、わが内なる宇宙の律動(りつどう)も自覚しやすくなる。
そうした謙虚な努力を忘れた時、人間は、幸福への「生命の軌道(きどう)」をはずれ、欲望に翻弄(ほんろう)されゆく、卑小(ひしょう)な、迷走(めいそう)飛行の人生となってしまうであろう。
仏法の宇宙観は「宇宙即我」 「我即宇宙」と説く。仏法の眼(まなこ)は「外なる宇宙」と「内なる宇宙」の一体性、連関性を見つめてきた。
また、宇宙は「成(じょう)[生成]」 「住(じゅう)[安定]」「壊(え)[崩壊]」 「空(くう)[非存在]」というサイクルを永遠に繰(く)り返していくと教えている。
宇宙と人間を貫く「法」が「妙法」である。それは、慈悲と調和の法であり、平和と幸福をあらゆる国土に広げゆく光源なのである。
大学の学長も
一、カントは1724年、東プロイセンの首都ケー二ヒスペルク(現在はロシアのカリーニングラード)に生まれ、1804年、79歳で亡くなった。
彼が生きた時代は、18世紀後半。啓蒙(けいもう)思想の成熟(せいじゅく)と「フランス革命」の時代であった。母校のケニヒスペルク大学で学部長、学長を歴任。その間に、多くの著作を残した。
主なものを挙げると、宇宙論としては、初期の『天界の一般自然史と理論』。
「真・善・実」の哲学体系の中軸をなす『純粋(じゅんすい)理性批判』 (真理の研究)、『実践理性批判』(善の研究)、『判断力批判』 (実の研究)。宗教論では『単なる理性の限界内の宗教』。平和論では『永遠平和のために』。また『実用的見地における人間学』 『教育学』などの著述(ちょじゅつ)もある。人間に関(かか)わる幅広い分野に論及(ろんきゅう)し、世界史的な影響力をもった著作ばかりである。
カント私が感歎(かんたん)してやまないのは「煌(きらめ)く星空」と「内なる道徳律(どうとくりつ)」
不幸に屈するな勇気で立ち向え
一、カントは、貧(まず)しい庶民(しょみん)の出身であった。むしろ、それを誇りとしていた。
青春時代も、決して、悠々(ゆうゆう)と学べる環境にいたのではない。
カントが13歳の時、母親が亡(な)くなり、馬具(ばぐ)職人の父親は22歳の時に亡くなった。
貧しいゆえに、その葬儀(そうぎ)の費用にも、ことかくありさまだった。靴(くつ)や衣服を友人に借(か)りることさえあった。またカントは、病弱だった。
そうした困難の中で、家庭教師をしながら、苦学を重ね、力をつけていったのである。
「不幸に屈(くつ)するな、ますます勇気をもってそれに立ち向かえ」 (西牟田久雄・浜田義文訳)
青春の日々に彼が自らを励ました、大詩人ウェルギリウスの言葉である。
カントは、晩年に至(いた)るまで、繰(く)り返し、?両親が貧しいなか教育を与えてくれたこと″そして?誠実さを欠いた卑怯(ひきょう)な生き方を一度も見せなかったこと″に感謝を語っている。
「私の家柄(いえがら)について誇りうることは、(職人階級出身の)私の両親が正直と礼儀(れいぎ)作法の点で模範的であり(中略)教育を私に与えてくれたことです。その教育は道徳的にみてこれ以上のものがありえないほど立派なものであって、私はそれを思いだすたびにいつも深い感謝の気持で一杯
(いっぱい)になるのです」(浜田義文訳)
特に母の思い出を語る時には、感激いっぱいに瞳(ひとみ)を輝かせていたという。
「私は母を決して忘れないだろう。それは母が私の内に善の最初の芽(め)を植えつけ、自然の印象に心を開かせてくれたからである。母は私の知識を目覚ませ拡(ひろ)げてくれた。その教えは私の生涯につねに有益な影響を与えてきた」 (同)
庶民として生きる誇り、そして感謝ーここに人類の精神界にそびえ立つカントの出発点がある。
「何を得 (え)り「何を為(な)すか」
一、カントの言葉に、こうある。
「私の誇りは、ただこれだけ、つまり、私が人間である、ということだけである」(尾渡達雄訳)
カントの眼差(まなざ)しは、まっすぐに「人間」そして「人間の生き方」に向けられていた。
人間は、いかに生きるべきか。享楽(きょうらく)のみを追い求める人生では価値はない。
人間の価値とは、「どんな物を得たか」ではなく、「何を為(な)すか」にあるのではないかー。
あらゆる虚偽(きょぎ)に鋭(するど)い批判を加え、「思想革命」をもたらしたカント哲学―それは「人間として正しい生き方とは何か」という原点の問いに立ち返ったところから生まれたのである。
カントに、最初に、そうした方向性を身をもって教えたのは、両親であった。
仏法の究極(きゅうきょく)は、「人の振(ふ)る舞(ま)い」である。仏法を正しく実践する皆さまは、「人間王者の道」を進んでいる。
後に続く子らに、そして青年たちに、創価の正義の人生を厳然と伝えてまいりたい(大拍手)。
牧口先生とカントを語る (中)
カントの叫び人間を”手段”にするな
「政治家の二枚舌(にまいじた)」と「聖職者の偽善」を批判
「戦争」こそ最大の「害悪(がいあく)」
  戦争の廃止へ国際連盟を主張
一、「美しいものに出あう時、人は感動にふるえ、心に何かが目覚める。カントは、「美」に、「人間を善(ぜん)へと促す力」を見いだした。彼は言う。「美しいものは、道徳的に善なるものの象徴である」と。
カントの「美」についての思索は大詩人ゲーテにも感銘を与えたという。牧口先生の『価値論』も、「美」の価値を重視している。
そして、創価学会は、「美」の価値を創造する文化・芸術運動を進め、世界的規模で「善」の連帯を広げている。
詩は最高の芸術 
一、さらにカントは言う。 「およそ一切の芸術のうちで、最高の地位を占(し)めるものは詩である」(篠田英雄訳) ?詩は、人間の心を開かせ、強くする″からである。私も、そう思う。
世界桂冠(けいかん)詩人として、人間精神の新たな地平を切り開く詩を、さらに謳(うた)い、残したいと決心している。
キング博士ら人権運動を鼓舞
一、カントは、人間が、身分や人種、国民であるということ以前に、自立した「人格」をもった存在であると見た最初の思想家の一人とも言われる。
カントが示した有名な道徳の原則の一つに、こうある〈定言命法(ていげんめいほう)の定式(ていしき)〉「人類を、自分自身であろうと他人であろうと、いかなる場合であれ、けっして単なる手段としてではなく、目的として扱え」(原好男訳)
人間を手段にしてはならない!これは無条件に守られるべき原則だ。人間は尊厳であるー。
このカントの宣言は、アメリカ公民権運動の指導者・キング博士をはじめ、現代にいたる世界の人権運動を鼓舞(こぶ)し続けてきた。(現代の生命倫理学においても「カント的制約」などと呼ばれる)
人間は、使命があって地球に誕生した。それを自覚すべきだ。人間が等しくもっ「神聖(しんせい)な権利」を尊重せよ。「世界市民」として共存していくべきだ。−これがカントの信条であった。そして人類の共存、永遠平和を、多くの機会に訴えていったのである。
創価学会は、仏法の「生命尊厳」の哲学を掲(かか)げ、全世界で平和主義を貫(つらぬ)いてきた。
私が、トインビー博士と、カントの哲学などを通して語り合った焦点の一つも、「人間の尊厳」「生命の尊厳」をいかに守り、輝かせていくかであった。創価学会は、永遠に、「人間を手段とする」転倒(てんとう)とは断固、戦い抜く。 
道徳か権力か
一、「しかし、「人間の尊厳」と言っても、この現実の世界で、どうやって実現するのか?
個々人の賢明(けんめい)な行(おこな)いはある。しかし世界全体としては、人間は「愚(おろ)かさ」「幼稚(ようち)な虚栄(きょえい)」「子どもっぽい意地悪(いじわる)」「破壊欲(よく)」などに翻弄(ほんろう)されてきたーそうした歴史に、カントは、やるせない思いを抱(いだ)いていた。
「甚(はなはだ)しく人類を苦(くる)しめるのは、人間同志(どうし)が互(たがい)に加え合う害悪(がいあく)である」(篠田英雄訳)
その最大の「害悪」こそ「戦争」であった。人間を?手段″にする、最たるものだからである。
一、カントは、永遠平和を阻(はば)む悪を、何に見いだしたか?
それは、人間が道徳の命令に従(したが)わず、自分の欲望に従うという「転倒(てんとう)」にある。
なかんずく、政治家の権力悪が問題になる。 彼は言う。
?政治の原理を道徳と両立させる″政治家であるべきだ。その反対に、?道徳を政治家の利益に役立つように焼(や)き直す″道徳家などいらない。
権力の増大を目的とする為政者(いせいしゃ)は、道徳を?政治を正当化する仮面″にしている。
自(みずか)らの政治行為を誇(ほこ)ってはいるが、その内心は、エゴと謀略(ぼうりゃく)に満たされている。人間社会を「私物」のように考え、権力と利益の拡大のみを目的とする。自分たちの利益のためには、世界をも犠牲(ぎせい)にできるとさえ思っている−。
カントは、こうした権力根本の政治を、「偽(にせ)政治」「ごまかし」「見せかけ」「二枚舌(した)」などと批判した。そうした為政者こそ、永遠平和への「改善」を妨(さまた)げる張本人だからである。
権力悪は恐ろしい。だからこそ戸田先生は「青年よ、心して政治を監視(かんし)せよ!」と遺言(ゆいごん)されたのである。
人間の為の国家
一、カントは、「人間の権利」を、政治よりも上に位置づけた。
人権を守るために「諸国家の連合体」の構築を主張した。そして「永遠平和」をもたらすことが「最高の政治的善」であると展望したのである。
こうしたカントの「永遠平和論」は、人類初の国際平和機構「国際連盟」の創設を基礎づけたことで知られる。今の「国際連合」にも、つながる。 カントは「常備軍(じょうびぐん)の全廃(ぜんぱい)」も提唱していた。
国家のために人間があるのではない。人間のために国家がある。人間のために政治がある。
そう明確に主張した先駆(さきが)けの一人が、カントであった。
?偽(いつわ)りの宗教″?偽りの聖職者″
一、カントは、人間の尊厳を踏(ふ)みにじる悪として宗教や聖職者における虚偽(きょぎ)を批判した。
真の宗教は「善」へ人間を革命 
彼は主張した。だれもが本来、善に目覚め、自身の心を高め、変革することができる。
真の宗教(道徳的宗教)とは、善への「人間の革命」を励(はげま)ますものである。
それに対して、善の行動や努力を怠(おこた)らせ、?人間を「未成年状態」のままにする″宗教がある。
そこでは、聖職者は、宗教の本質ではない「儀式」や「規則」を中心にしがちである。
宗教の儀式・規則を司(つかさど)る自分が、それらを利用し、神と人間を仲介(ちゅうかい)するがごとく振(ふ)る舞(ま)って、自分を権威づけ、人の心を不当に支配しようとする傾向がある。
本来、「奉仕(ほうし)」すべきであるのに、「命令」し、「支配」し、奴隷(どれい)のように従(したが)うことを人々に要求する。
そうして、人々に善の行動への勇気・努力を失(うしな)わせるのみならず、?儀式に出て、規則に従ってさえいれば、罪も許される″という怠惰(たいだ)な信仰者を生み出す。
また、悪(あ)しき自分の内実を、儀式に出ている姿で覆(おお)い隠(かく)す?偽(にせ)の信仰者″をはびこらせる。そんな危険がある。
カントは、偽(いつわ)りの聖職者に支配された偽りの宗教は、こうした?虚偽の連鎖(れんさ)″ともいうべき堕落(だらく)をもたらすことを、克明(こくめい)に指摘したのである。
それゆえカントは、権力者から迫害され、批判を公言できなくなったが、それでも「自分の内面の確信を取り消し、否認するのは、恥(は)ずべきことだ」と信条を曲(ま)げなかった。
後に、宗教権威から破門されたトルストイは、このカントの宗教論にも啓発を受けていた。
(特にカントの『単なる理性の限界内の宗教』を愛読。日記には「カントを読み、感動した」「非常に良い」等とある)
宗教革命の正道
一、?偽(いつわ)りの聖職者″?偽(にせ)の信仰者″とは、まさしく、今の日顕宗の姿そのものである。
それを打ち破り、正しき「宗教革命」に立ち上がったのが創価学会なのである。
一、ルソーを読んで、目を開かされ、「人間を尊敬することを学んだ」カント。民衆を愛し、青年を愛した彼は、多くの人々から敬愛された。 
カントの葬儀の際には、聖職者はいなかった。しかし、大学の学生や教職員をはじめ、数千人の市民が、別(わか)れを惜(お)しんだという。
カントも論じたように、聖職者が人間の幸・不幸を決めるような宗教は間違っている。
仏法の本義から見ても、聖職者が葬儀に関(かか)わるかいなかは、成仏と、まったく関係ない。
信心で決まる。行動で決まる。
それを事実の上で証明しているのが、学会の友人葬(そう)である。私たちは、宗教革命の?正しき道″を歩んでいるのである。
法華経に着目
一、カントは、すでに200年以上前、日本で信仰される仏教経典として、「法華経」に言及している。
〈日本について、「彼らの宗教書は花の本〔=妙法蓮華経〕と呼ばれる」と述べている。1781年の講義ノートにもとづくもの(『自然地理学』三枝充悳訳から)〉
昨年、欧州初の「法華経とシルクロード」展(SGI、東洋哲学研究所、ロシア科学アカデミー東洋学研究所が共催)が、オーストリア、そしてドイツで開催された。
訪れた学者から、法華経が伝える「平和の精神文化」に大きな反響が寄せられた。
牧口先生は、孤独(こどく)の獄中(ごくちゅう)でカントの哲学を読みながら、西洋の大哲学をも包(つつ)みゆく、東洋の大哲学の真髄((しんずい)に生き抜き、未来の創価学会の「世界宗教への道」を開いてくださった。
先生が創立した創価学会は、今やSGIとして世界177カ国・地域に発展を遂(と)げた。法華経の「生命尊厳」の哲学が、世界の「常識」となり、「世界精神」となる日を、私どもは目指して進む。
カントは言った。「真の永遠平和は、決して空虚(くうきょ)な理念ではなくて、われわれに課(か)せられた課題である」 (宇都宮芳明訳)と。
大迫害の中、人類の悲願である「永遠平和」のために、不惜身命(ふしゃくしんみょう)で戦われた牧口先生。その遺志(いし)を継(つ)ぎ、断固として世界平和へ進みゆくのが、創価学会である。それが「人間革命」の大運動なのである。

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