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学は光コミュの第二総東京最高幹部会でのスピーチ 2

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 絶対勝利の4原則の第二は「行動」である。
 「道の遠さに志が現れる」
 一、まもなく、立宗の日(4月28日)を迎える。末法万年の全民衆を救うため、日蓮大聖人は大慈悲で立宗宣言をされた。それは、大難と戦い「尊き弘法の歩みを貫く出発点となった。
 この立宗宣言に至るまでの間、若き大聖人は向学の行動に徹していかれた。
 大聖人は述べておられる。
 「随分あちこち走り回り、十二・十六の年から三十二歳に至るまで二十余年の間、鎌倉・京都・叡山・園城寺・高野・天王寺等の国々、寺々をあらあら学んで回った」(御書1407ページ、通解)
 真実の民衆救済の大法は何なのか──。
 それを明らかにするために、大聖人は仏道を志されて以来、立宗宣言の32歳までの間、諸国を回りに回り、研鑽を重ねられたのである。
 御聖訓には、こうも仰せである。
 「天台大師の御弟子の章安という人は、万里の道を踏み分けて法華経を聴かれた。伝教大師は二千里を経て摩訶止観をならい、玄奘三蔵は二十万里も旅して般若経を得られた。道の遠さに志があらわれるのであろうか」(同1223ページ、通解)
 求道と弘通の仏法者たちは、遠き道のりを、ものともしなかった。ただ民衆救済の大法を求めて、万里の道を歩きに歩いた。その道は、仏法探求の大道であり、仏法弘通の大道であった。
 行動なくして仏法は存在しない。広宣流布のために、どれだけ動いたか──そこに本当の信心が現れるのである。
 求道の道、弘通の道。この「道の遠さ」は、そのまま深い「志」の現れである。
 「心こそ大切」(同1192ページ)である。真実の志は、必ず「行動」として現れる。逆に見れば、「行動」なき信心には真の「志」はない。
 役職や立場ではない。「行動」という姿そのものに、その人の信心の厚薄が端的に現れるといえる。
 広宣流布のために現実に行動している人こそが最も尊いのだ。その人を大切にすることを、リーダーは決して忘れてはならない。
 一、大聖人は、遠方まで、はるばる御供養をお届けした弟子の信心を、こう讃えておられる。
 「たとえ志はあっても、行動にあらわすことは難しい。そうであるのに、今、あなたが志をあらわされたのを見て、その信心が並大抵でないことが、わかります」(同1554ページ、趣意)
 さらにまた、御書にはこう記されている。
 「一切衆生が法華経を誹謗して(不幸の道を)流転するのを見抜いたゆえに、(それをとどめるために)日蓮が日本国を経行して(=歩いて)南無妙法蓮華経を弘通している」(同816ページ、通解)
 釈尊とその弟子たちも、歩きに歩いた。
 大聖人とその門下も、歩きに歩かれた。
 牧口先生も、戸田先生も、歩きに歩かれた。
 「広宣流布のために、常に行動していく人は、まことの大聖人の門下であられる。これこそ、学会にあっては私の真の弟子である」
 この戸田先生の指導のままに、私も、行動に徹してきた。世界中を動き、走ってきた。
 この「行動」によってこそ、太陽の大仏法は、世界190カ国・地域にまで正しく伝えられ、広まってきたのである。
 戸田先生は、「誠意、誠実といっても、行動がともなわなければ、何にもならないぞ」とも、よく言われていた。
 私も「行動」しか信じない。いな、「行動」しか信じられない。
 大聖人は御書の中で、法華経法師品の次の文を何度も引いておられる。
 「よくひそかに一人のためにでも、法華経、乃至はその一句だけでも説くならば、まさに知るべきである。この人は如来の使いであり、和来から通わされて、如来の振る舞いを行じているのである」(同1359ページ、通解)
 妙法を語り、弘めゆく「行動」こそが、仏に連なる道である。これは永遠に変わらざる法理である。
 青春を
  悔いなく飾れや
   自らが
  人間錬磨の
    行動起こして
 清き心で行動を続ける、白蓮グループの友に贈った一首である。
 一、第2総東京の皆様は、新たな広宣流布の拡大の道を開くために、智慧をわき出して、先駆の行動を生き生きと起こしてこられた。
 婦人部と女子部が一体となって『新・人間革命』を研鑽し、友人もともに参加されゆく「コスモス平和大学校」も、まことに素晴らしい。
 また婦人部の「御書アカデミー」も、「行学の二道」の大いなる推進力である。
 女子部時代から、まっすぐに薫陶を受けてきた方々が活躍する、ヤング・ミセスの「マイ・サークル運動」も、さわやかな共感と友情を広げている。
 さらに婦人部の「女性広報部」の人間外交も、なんと清々しいことか。
 愛するわが地域に貢献しゆく、若手の壮年・婦人部の「地域先陣会」の方々も、深く地元に信頼の根を張っておられる。
 さらに、正義と勇気の「教宣部」の皆さま方の健闘も、大聖人は、どれほど賞讃してくださっていることか。
 広宣流布を妨げる悪に対して、ずる賢く沈黙したり、傍観したりすることは、それ自体が悪に通じてしまう。
 御書には仰せである。
 「法華経の敵を見て、世をはばかり、世を恐れて黙っていたら、釈尊の敵となってしまう。どんな智人・善人でも必ず無間地獄に堕ちる」(同1412ページ、通解)
 この戒めを、ゆめゆめ忘れてはならない。
 仏法破壊の悪人とは、「言論の剣」で、断じて戦い抜いていくことだ。
 一、どんな場所であれ、今いる場所が、わが使命の舞台である。そこで最高の広宣流布の思い出を残していただきたい。
 若き日に私は、東京・大森の「青葉荘」に住んでいた。狭い部屋で座談会も行った。
 その後、大田区山王のアパートを経て、小林町に引っ越した。
 小林町の家は小さく、住み始めた最初は塀もなかった。あの家で、さまざまな方と語り合った。
 「創価学会の会長というのは、こんなに質素な生活なのですか」と驚く方が何人もおられた。わが家に気づかず通り過ぎ、探し回る人もいた(笑い)。
 大森も、山王も小林町も、いずれも、つましい家だった。しかし、いずれも、青春の金の城だった。私はそれぞれの地を拠点に、広宣流布の理想を抱いて、全力で走り抜いた。そして勝っていったのである。
 「同体異心なれば諸事叶う事なし」
 一、仏法の世界が、なぜ美しく、深く、強いのか。それは「異体同心」という究極の団結があるからだ。
 絶対勝利の4原則の第三は、「異体同心」である。これこそ、広宣流布を成就させる要諦だといえよう。
 異体同心の組織は、必ず発展する。反対に"同体異心""異体異心"の組織は、必ず衰退する。
 「異体同心なれば万事を成し同体異心なれば諸事叶う事なし」(同1463ページ)とは、永遠に忘れてはならない大法則であり、黄金律である。
 勝負は、ひとえに異体同心の組織をどう築いていくかにかかっていると言っても、決して過言ではない。
 「水魚の思」で
 一、幾たびも拝してきた御文だが、「異体同心事」の甚深の一節を、重ねて生命に刻んでまいりたい。
 「一人の心なれども二つの心あれば其の心たが(違)いて成ずる事なし、百人・千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず、日本国の人人は多人なれども体同異心なれば諸事成ぜん事かたし、日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし」(同ページ)
 異体同心の団結があれば、必ず広宣流布できる、必ず勝てるとの大確信であられた。
 有名な「生死一大事血脈抄」には、こう説かれている。
 「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」(同1337ページ)
 広宣流布は魔軍との戦いである。
 どんな金城鉄壁の城も、1カ所、どこかに隙のある場所、弱い場所があれば、そこから敵に攻め込まれてしまう。
 いわんや、城の中に「異体異心の者」がいれば、魔にたやすく城を撹乱される。
 この御文に続けて、「剰え日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば例せば城者として城を破るが如し」(同ページ)と仰せの通りだ。
 あの熱願の法難(弘安2年=1279年)の前年に、大聖人が「くれぐれも、駿河の人々は、皆、同じお心でおられるように、とお伝えください」(同1479ページ、通解)と強調されたことを、深く拝していかねばならない。
 戸田先生も、「団結第一でいけ!」と徹して訴え抜いておられた。
 また、「御書にあるように『自他彼此の心なく』異体同心であってこそ、生死一大事の血脈、仏になる血脈を継いでいるのだというのです」とも語られた。
 「信心の団結」を
 一、また、「水魚の交わり」という言葉もある。
 『三国志』において、劉備玄徳が、智慧の名将。諸葛孔明との絆を重んじた故事に由来する名句である。
 ちなみに、孔明は劉備よりも20歳若かった。しかし、年下だからといって、見下したりするのではない。英知が光り、正義に生きる青年を、一個の人格として、最大に尊敬していったのである。
 異体同心の団結には、上も下もない。
 「同体」ではない。「異体」である。それぞれの個性、特質を大事にして、皆が「同じ心」で、平等に力を合わせていくのである。
 戸田先生は言われていた。
 「創価学会のこれまでの発展というものは、なんの団結によるものかといえば、信心の団結以外には何ものもない。
 異体だが、同心とするものの団結である。
 心などというものは、縁に紛動されて、どうにでもなってしまう。それが同じ心になるというのは、よくよくのことだ。号令をかければ簡単にできるなどというものではないのです」
 めまぐるしく動く、自分の小さな感情にとらわれていては、「異体同心」はできない。
 富士のごとく、どっしりと、何ものにも揺るがぬ自分自身の信念を堅持することだ。そしてまた、大海原のように境涯を広げながら、同志を包み、励ましていくことだ。
 一、戸田先生は、わかりやすく、こうも語っておられた。
 「君も苦労しているか、君も苦しいか──それでは、お互いに御本尊を拝もうではないか。
 これを異体同心というのです」
 御書には、次のように仰せである。
 「絶対に、法華経を受持する者を互にそしる(=悪意の心でののしる)ことがあってはならない。
 その理由は、法華経を持つ者は必ず皆仏なのであり、仏をそしれば罪を得るからである」(同1382ページ、通解)
 「法華経を一偈一句でも説く人に対しては、『当に起ちて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし』の道理であるから、(法華経を持った者は)仏を敬うがごとく、互いに尊敬し合うべきである。たとえば、法華経の宝塔品の儀式のとき、多宝如来が半座を分けて釈迦仏を迎え、二仏が並座(並び座る)したように、互いに尊敬し合わなければならない」(同1383ページ、通解)
 「名聞名利」の輩を追い出せ
 一、さらに、「異体同心」を固める重要な点がある。それは「城者として城を破る」動きを許さぬことだ。
 師子身中の虫である「異体異心の者」と徹して戦い、その魔性の根を断ち切っていくことだ。
 戸田先生は厳命なされた。
 「いかなる幹部であろうと、広宣流布を忘れ、自己の名聞名利で、自己の派閥をつくろうとする人間には、断固として、幹部が団結し、自分勝手な利己主義の輩を追放せよ」
 "戸田の命より大切"と言われた、この創価学会の和合を、未来永遠に護り抜く。
 広宣流布の命脈は、この一点にあると訴えておきたい。
 千万の
  誉れも高き
    同志かな
  異体も同心
    永遠に不滅と
一、「異体同心」の前進のために、一番、肝心なことは何か。それは「師弟不二」で生き抜くことだ。
 「師弟不二」こそ、「異体」を「同心」たらしめる要諦である。それが絶対勝利の4原則の第四点である。
 日蓮大聖人は、油断ならない状況のなかで信心に励む池上兄弟の二人に、こう教えられた。
 「こう言うと恐縮ですが、お二人がともに日蓮のことを(師匠として)尊いと思い合わせていきなさい。もし二人の仲が不和になられたならば、二人に対する(諸仏・諸天等の)加護がどうなってしまうかと考えていきなさい」(御書1108ページ、通解)
 一人一人が、師と心を合わせ、広宣流布に前進する決意を深めていった時に、初めて異体同心の団結が固まる。そこにこそ、妙法の功力が燦然と発揮されていくのである。
 さらに御書を拝したい。
 「師弟相違せばなに事も成べからず」(同900ページ)
 「日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし」(同988ページ)
 「もし法師に親近するならば、速やかに悟りの道を得るであろう。この師に従って学ぶならば、恒河の沙の数ほどの仏にお会いできよう」(同1070ページ、通解)
 「弟子と師匠とが心を同じくしない祈りは、水の上で火を焚くようなものであり、叶うわけがない」(同1151ページ、通解)
 「法華経の大海のような智慧の水を受けた根源の師を忘れて、よそへ心を移すならば、必ず地獄等の六道の迷苦の生死を経巡るという災いにあうこととなろう」(同1055ページ、通解)一つ一つの御金言に明確なように、仏法の極意は「師弟」にあるのだ。
 一、日興上人は仰せである。
 「この大聖人の法門は、師弟の道を正して、成仏していくのである。
 師弟の道を、少しでも誤ってしまえば、同じく法華経を持っていても、無間地獄に堕ちてしまうのである」
 「師弟不二」にこそ、成仏を決しゆく根幹がある。そして「師弟不二」にこそ、広宣流布を永遠たらしめる大道がある。
 これまでも論じてきたように、日興上人と、違背の五老僧を決定的に分けた点が、「師弟不二」であった。
 日興上人は、日蓮大聖人を「末法の御本仏」と正しく拝し、あくまでも自身を「日蓮大聖人の弟子」と誇り高く称されていた。
 それに対して、五老僧は、権力に媚びへつらい、弾圧を恐れて、愚かにも、「天台沙門」と名乗った。さらに、大聖人が庶民のために仮名まじりで記された御手紙などを、師の恥であるといって、焼き捨てたり、すき返したりした。
 日興上人御一人が、この仮名まじりの御書を大切に護り、未来に翻訳して、中国やインドなど世界へ伝えていくことまで、御心に定めておられたのである。
 〈日興上人は「日本の大聖人の金言も、広宣流布する時は、また仮名文字を翻訳して、インド、中国に流通すべきである」(御書1613ページ、通解)と仰せである〉
 「師弟不二」を厳粛に貫き通された日興上人と、師弟に徹しきれなかった五老僧の違いは、あまりに歴然としていた。
 広宣流布は「師弟不二」であってこそ成し遂げることができるのである。
 「師弟」という柱がなければ、たやすく自分の感情に流され、時代の状況に流されてしまうからだ。「師弟」がなければ、難に直面したとき、あまりにも、もろく崩れ去ってしまうからだ。
 大聖人の御入滅後、日興上人の峻厳なる師弟不二の大闘争は、半世紀以上に及んだ。
 その烈々たる執念の破邪顕正の法戦によって、五老僧の邪義は、完壁に打ち破られたのである。
 戸田先生が逝去されて50年──。
 私は、先生の直弟子として、一点の曇りもなく、万年に輝きわたる「弟子の道」「後継の道」「不二の道」の規範を打ち立てることができたと確信している。
 師子王と
  なりて今世を
    勝ち征かむ
  師弟不二なる
    大道歩みて
 創価の師弟不二の完勝を、私は、第2総東京をはじめ全世界の同志とともに、晴れ晴れと宣言したい(大拍手)。
 精神を受け継ぎ改革の名指揮を
 一、トルストイは語った。
 「たた信仰のみが人間を結合させる」(米川正司訳「信仰について」、『トルストイ全集』第16巻所収、岩波書店。現代表記に改めた)
 「団結は、互いを高めるために良いのである」
 かのトルストイ家の子どもたちが通い、トルストイ自身もしばしば訪れた学校の場所に立っているのが、トゥーラ国立教育大学である。
 今回、お越しくださった、聡明な女性教育者であるシャイデンコ総長の指揮のもと、トゥーラ国立教育大学は、ロシアの名門教育大学として大発展されている。
 じつは、総長は、母校であるトゥーラ国立教育大学の総長に就任されたとき、ロシアのなかで最も若い総長の一人であったという。
 若き総長は、年齢が自分より上の経験豊かな教員や、かつてお世話になった教員の方々も、リードしていかなければならなかった。
 礼儀を尽くし、調和を図るのは当然としても、遠慮したり、萎縮していては、改革や前進の指揮を執ることはできない。
 そのなかで、英邁な総長は、トルストイの精神遺産の継承を高らかに掲げ、団結のリーダーシップを見事に執ってこられた。そして真剣に、誠実に、忍耐強く力を発揮して、皆の信頼を勝ち得てこられたのである。
 トゥーラ国立教育大学は、トルストイという大師匠のもと、皆が団結して進んでこられた。
 学会の組織にあっても、「広宣流布」という大目的に向かって、「師弟の精神」のもとに、皆が団結していくことだ。また、皆を団結させていくことである。
 先輩は、若いリーダーが伸び伸びと力を発揮できるように道を開いてあげる。後輩は、尊い功労者が張り合いをもてるよう、心を配る。
 大事なことは、全体が広宣流布へ、新たな一歩前進をしていくことである。
 「勇気を失ってはいけません!」
 一、トルストイは、2歳になろうとする時、母を亡くし、さらに9歳になる前、父も失った。
 若くして、そうした深い悲しみを乗り越えた魂こそが、人類を照らし、励ます光を放っていくのである。
 父母を亡くしたトルストイを、父のごとく、母のごとく支えてくれたのが、美しく豊かな故郷卜ゥ−ラの大地であった。
 また、母に代わって、トルストイを育て、深い影響を与えた一人が、ヨールゴリスカヤという遠縁にあたる婦人であった。
 青春時代の試練のとき、彼女は、こう激励してくれた。
 「愛しいリョーバ(トルストイの名レフの愛称)よ、こういう嫌なことも、忍耐強く、逞しく耐えるのです。
 人生は、いつもバラ色の時ばかりではないのですから。勇気を失ってはいけません」
 温かく見守ってくれている婦人の存在が、どれほど若きトルストイを勇気づけたことか。私には、未来部の担当者の方々の姿と重なりあって迫ってくる。
 第2総東京は、未来部育成においても、模範を示している。
 若き友を大いに励まし、育て、伸ばしていこう!
 トルストイにとって、ヨールゴリスカヤは"心の美しさの手本"であった。彼女から"人々に尽くす献身の姿勢を学んだ"と、トルストイは感謝を込めて語っている。
〈『復活!! トルストイ──生誕170年祝典号』昭和女子大学学園本部トルストイ室を参照〉
若き友に"精神の宝"を贈れ
 言葉だけでなく、先輩の姿が、振る舞いが、生き方それ自体が、後輩の手本となる。
 そして、心の美しさこそ、最高に尊い。精神を育む糧こそが、最高の宝なのである。
 トルストイは喝破した。
 「外部の優秀さのみを誇る者は、精神の価値や、その高邁な意義を解さぬ人である。何故ならば、精神的の価値は、物的のそれとは比較にならぬ程高いからである」
(小西増太郎訳『生きる道』桃山書林。現代表記に改めた)
 真心からの励ましの一言が、どれほどの精神の糧となるか。
 「善は他人の心に善を喚び起こし、たとえそれが外に見えずとも、確かにその効果を生ずる」(八杉貞利訳「訓育に関する諸考察」、『トルストイ全集』第20巻所収、岩波書店。現代表記に改めた)
 反対に、心ない一言が、どれほど人の心を傷つけてしまうか。
 「一語は大事である。一閃の火が全村を焼き得る如く、一語から至大の不幸が生じ得る」(八杉貞利訳「修身問題に関する児童達との対話」、同)
 トルストイの人材育成についての言葉である。
 御聖訓には「わざわい(禍)は口より出でて身をやぶる・さいわい(福)は心よりいでて我をかざる」(御書1492ページ)と仰せである。
 いかなるときも、私たち創価家族は、温かく励ましあって前進していくことを忘れてはならない。
 「常楽我浄」の生命の旅路を
 一、トルストイの生命観に──
 「生命は死によって滅びるものではなく、形を変えるだけである」(北御門二郎訳『文読む月日』ちくま文庫)
 「もし生が──幸福であるならば、生の欠くことのできない条件である死もまた幸福である」(小沼文彦編訳『ことばの日めくり』女子パウロ会)
 「他者を助け、できる限りのことを為したとの実感があれば、死さえも、苦しみではなく、歓喜となる」と。
 私が、ハーバード大学での2度目の講演(1993年)で論じた「生も歓喜、死も歓喜」という生死観とも響きあっている。
 この私の講演を基軸として、今、アメリカでは、最高峰の知性の先生方が考察を深めてくださっている。
 ともあれ、世界は、大仏法の哲理を志向している。
 この「常楽我浄」の生命の旅路を、さらに誇りも高く、ともどもに、明るく朗らかに、そして、勇敢に堂々と進みゆくことを決意しあって、私の記念のスピーチとしたい。ありがとう!(大拍手)
 (2008・4・5)

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