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学は光コミュのわが忘れ得ぬ同志【第3回】  リチャード・コーストンさん── イギリスSGIの初代理事長

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  広布の使命に生き抜いた英国紳士(ジェントルマン)
   ── 「学会の前進が人類の幸福と平和の前進」

 「創価学会の信奉する仏法は、世界を救う仏法である。
 創価学会の前進は、人類の幸福と平和の前進である」
 イギリスSGI(創価学会インタナショナル)のリチャード・コーストン初代理事長が、その全人生を賭(と)して放っていった叫びである。

 それは、金の思い出と輝く、一九九四年の六月十五日 ── 創立五百五十年の歴史を誇るスコットランドの名門グラスゴー大学から、私は光栄にも、名誉博士号を拝受した。
 ヨーロッパ屈指の学問の王座であり、教育の殿堂である。まことに厳かな儀式であった。
 何ものにも動ぜぬ、荘厳なる伝統が光っていた。
 何ものにも侵されぬ、厳正なる品格が薫っていた。
 グラスゴーの緯度はモスクワと、ほぼ同じである。
 初夏とはいえ、式典会場から外へ出ると、風が肌寒かった。
 その時、後ろから、とっさに自分のコートをぬいで、私の体を覆(おお)ってくれた紳士がいた。コートの温もりから、心の温もりが伝わってきた。
 振り向けば、あのコーストンさんの微笑みがあった。
 「私の母は、ここグラスゴーの出身でした。きょうの池田先生の受章が、私は、嬉しくて嬉しくてなりません」

◆何と愚かな事を

 コーストンさんには、良き英国紳士の気品があり、風格があった。
 祖先は、印刷技術をイギリスに伝え、多大な貢献を果たした名家である。今でも、ロンドンの国会議事堂の近くには、祖先の名「カクストン」を冠した立派な集会ホールが存在する。
 母方も、グラスゴーの裕福な家系であった。
 その名高い家門に、コーストンさんは、一九二〇年(大正九年)、生を受けた。
 長男として大切に薫育された彼は、名誉ある王立陸軍士官学校に学び、国を守りゆくエリート軍人になった。
 しかし、第二次世界大戦下、英印(えいいん)連合軍の少佐として、インドとビルマ(現・ミャンマー)の国境付近で戦い、日本軍がインド東北部への侵攻を企てた「インパール作戦」を迎え撃ち、戦争の残虐と悲惨を嫌というほど体験した。
 「我々は、何と愚かなことをしているのか」 ── 敗走する日本軍を追撃しながら、累々(るいるい)と横たわる屍(しかばね)を目の当たりにし、コーストン少佐は慟哭(どうこく)した。
 私の敬愛する長兄・喜一(きいち)も、ビルマで戦死した一人である。

 戦後、コーストンさんは平和への夢を描きながら、長い軍人生活に別れを告げ、実業界に身を転じた。
 ロンドンのハロッズ・デパートで副総支配人を務め、その後、ダンヒル社の極東支配人として、何度か日本へ来るようになった。
 その折、学会員の光子(みつこ)さんと出会い、やがて結婚に至る。
 光子さんの母君の薦(すす)めもあり、手にした英語版の小説『人間革命』に衝撃を受けた。ここにこそ、求めてやまなかった平和の大哲学がある、と。
 東洋流にいえば、「天命」を知り抜く五十歳の年輪を重ねて、一九七一年(昭和四十六年)、凛然(りんぜん)と入会されたのである。
 喜々として活動を開始し、ほどなく在日外国人メンバーの中心者となり、自宅では求道の息吹あふれる国際座談会やセミナーが活発に開かれた。

◆次はロンドンで ──

 入会された当時、夫妻は新宿区信濃町の聖教新聞本社の近くに住んでおられた。私の家とも、目と鼻の先である。
 光子夫人は、一時、聖教新聞の配達員もしてくださっていた。
 不思議なご縁だが、コーストンさんと初めてお会いしたのは、フランスの地であった。
 一九七二年の五月三日、仕事でフランスに滞在中の夫妻を、パリ本部にお迎えしたのである。
 みずみずしい若葉の庭で、私は夫妻に語りかけた。
 「東京で隣同士の私たちがパリで出会うとは、素晴らしいことですね!」
 この二日後、私は大歴史家トインビー博士と、ロンドンのご自宅でお会いし、二年越し四十時間に及ぶ対話を開始したのである。
 世界の諸文明を鋭く洞察されてきた博士は言われた。「文明は、その基盤をなす宗教の質によって決まる」と。
 そして近代西洋文明の行き詰まりを打開する力として、「今こそ新しい宗教が必要です」と、仏法の人間主義に大きな期待を寄せてくださった。
 ここヨーロッパにも、本格的に大法弘通(だいほうぐつう)の時が来たと感じた。ふと脳裏に浮かんだのは、誇り高き英国紳士コーストンさん夫妻の顔であった。
 その年の夏には、日本でコーストンさんと一緒に勤行をする機会もあった。
 私は、彼の手を握って言った。
 「次はどこでお会いしたらいいか、ずっと考えてきました。今度は、ロンドンで、いかがでしょうか」
 彼は、「グッド・アイデア!」と顔をほころばせた。

 折から、コーストンさんは考え始めていた。
 母国の「平和」と「広宣流布」に後半の人生を捧げゆくことが、自分の今世の使命ではないか、と。
 しかし、日本での暮らしは、家庭も仕事も、すべて順調だった。帰国すれば、その安定を一切、捨てねばならない。「日本永住」は、光子さんとの結婚の条件でもあった。
 しかし、ご夫妻は真剣に唱題を重ね、イギリスの妙法広布を深く決心したのである。
 私は、書籍に、「久遠元初からの永遠の友」と記して、お二人に贈った。
 「イギリス一、幸福なご夫妻になってください」と。
 渡英の直前には、信濃町のコーストン夫妻のお宅で開かれた最後の座談会に、私の妻も参加した。
 イギリスで一番苦労するのは光子さんだからと、妻は、自分の体験を通しながら、「ヨーロッパの広宣流布をよろしくお願いします」と、膝を交えて語り合ったようである。
 ご夫妻が旅立ったのは、一九七四年(昭和四十九年)の春三月であった。

 折しも東西冷戦下、米ソ対立の狭間(はざま)で、ヨーロッパもまた、分断の苦悩が続いていた。ベトナムや中東の戦火も絶えなかった。
 戦争から平和へ!
 私は、その転換の原動力こそ「対話」だと、決然と世界へ打って出た。
 この七四年には、アジア、アメリカへ、さらに中国へ二度、ソ連へも。
 共産圏への訪問を揶揄(やゆ)して「宗教者が、なぜ赤いネクタイをするのか」等の中傷を浴びたが、私は歯牙にもかけなかった。
 翌七五年一月には、再び渡米。戦争の悲劇の島グアムで、SGIを結成した。
 「世界広宣流布」即「世界平和」をめざして!
 歴史的な発足式には、コーストンさんも飛んで来られた。「必ずイギリスにも行きます!」と伝えると、彼の笑顔が弾けた。
 「日蓮が慈悲曠大(こうだい)ならば南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)・未来までもながる(流布)べし」(御書三二九ページ)
 この永遠の妙法を根底に、イギリスにも、いな全ヨーロッパにも、必ずや「永遠の平和の都」を築くのだ!
 これが、彼と私の決意であった。

◆師弟不二の誓い

 コーストンさん夫妻の再出発は、苦難続きだった。
 期待していた仕事の当てが外れ、給料は激減した。
 光子夫人が慣れない異国の地で、ベビーシッターをして生活費を助けた。
 七五年の五月、約束したロンドンでの再会が実現した。
 私のイギリス初訪問から十四年。この時、イギリスで法人が認可され、コーストンさんが初代理事長に就(つ)いた。
 「私たちは、どこまでも、師弟不二の精神で前進します!」
 彼の就任第一声は、毅然(きぜん)としていた。
 新しいスーツも靴も買えず、生活はどん底だったが、広布に戦う心は朗らかに不撓不屈(ふとうふくつ)であった。
 「長き夜も必ず明ける」(シェークスピア)。輝く朝を見つめ、彼は戦った。
 車や電車を乗り継ぎ、地方都市に住む同志の激励にも回った。
 大雨の日、破れた靴から靴下が濡れ、やっと訪ねた家で仏間にあがれなかったこともある。
 コーストンさんは、ロンドン西部の自宅アパートの一部屋を、拠点兼事務所に提供してくださった。イギリス広布の草創期を共に歩む尊き同志たちと、大家族のような楽しい日々だったと振り返っておられた。
 「立正安国論」「諸法実相抄」等の御書を講義し、青年部と共に、“トインビー対談”の勉強会も真剣に行った。
 現在のサミュエルズ理事長、フジイ副理事長、プリチャード婦人部長らも、“コーストン学校”の栄えある卒業生である。
 リッチモンドに新会館が誕生すると、ご夫妻に管理者になっていただいた。メンバーも皆、わが事のように大喜びした。

 戦場という生死の境で指揮を執ってきた彼は、指導者のわずかな気の緩みで、幾多の人々を犠牲にしてしまうことを、身に沁(し)みて知悉(ちしつ)していた。
 ゆえに誰よりも自分に厳しいリーダーであった。
 また、連携を密にして、報告を迅速・正確にしていくことが、組織の生命線であることを、常に訴えていた。
 さらに、あらゆる戦いにおいて、皆の食料や休憩(きゅうけい)・睡眠を確保することが、指揮者の責務である。
 彼は、いかなる時も、メンバーがお腹をすかしていないか、疲れていないか、交通手段は心配ないか等々、細やかに心を砕いていった。

◆正義は学会に!

 一九七九年 ── 嫉妬に狂った坊主と恩知らずの反逆者の大陰謀により、私が第三代会長を辞任した年の秋のことである。
 彼は、同志と共に、私が指揮を執る神奈川文化会館まで、勇んで来てくれた。
 私が「学会は正義です。何の心配もいりません。『十年後を見よ!二十年後を見よ!』との心意気で進みましょう」と語ると、彼の力強い声が響いた。
 「狂った日本で何があろうとも、池田先生は、永遠に私たち創価学会インタナショナルの会長です。
 SGI会長として、イギリスにいらしてください!
 我らのヨーロッパで、世界広宣流布の思う存分の指揮をお願いします!」
 その生命の叫びを、どうして忘れることができようか。

 八一年の五月、正義の師子は、いよいよ鎖を断ち切り、二カ月間で地球を一周する平和旅に疾駆した。
 六月上旬には、雄壮なサント・ビクトワール山(勝利山)を仰ぐ、南仏(なんふつ)トレッツの欧州研修道場にいた。
 十八力国五百人の地涌の友が集い、欧州広布二十周年を記念する研修会が行われたのだ。
 研修初日の六月六日は、創立の父・牧口常三郎先生の生誕百十周年の佳節であった。今、この日は「ヨーロッパの日」として歴史に刻まれている。
 期間中、早朝から深夜、そして明け方まで、不眠不休で運営にあたってくれたのが、コーストンさんだった。当時、六十一歳。
 少し休んでほしいと心配する青年に、感謝しながらも、断固たる口調で言った。
 「今、欧州は広布の草創期だ。自分の体をかばっている時ではない!」
 彼は、愛する青年たちに繰り返し語った。
 「常に会員第一たれ」
 「現場主義が大切だ。官僚主義に陥ってはいけない」
 「自分に負けて、為すべきことをしないことは、仲間を裏切り、陥れることだ」
 「大切な同志を、自分の信念を、絶対に裏切ってはならない」

 その十年後の九一年三月、日顕宗の学会破壊の謀略に怒ったコーストン理事長は、烈々たる抗議文を日顕に叩きつけた。
 「私たちがSGI会長を裏切り、SGI組織を解散するはずだと、汝は信じているのか!そこまで我らを見下しているのか!」
 「汝が行おうとしていることは、イギリスの広宣流布を何百年も遅らせることでしかない!」
 この火を噴く正義の論陣が、イギリスはもちろん、全ヨーロッパのSGIを厳然と護ったのだ。

 妙法は「活(かつ)の法門」
  ─ その国の伝統も その人の人生も輝く

◆文化の城(タプロー・コート)の誕生

 イギリス広布という「人生の本舞台」に立った時、コーストンさんのそれまでの一切の苦闘は、豁然(かつぜん)と生きてきた。
 「ノブレス・オブリージュ(高貴な者に課せられる高い義務)」という伝統の精神も、仏法の菩薩の生き方を根底にすれば、新たな「世界市民精神」として蘇生していくのを、コーストンさんは確信した。
 以前は悔いていた軍人としての経験すら、青年に伝えるべき「民衆奉仕のリーダー学」の知恵の宝庫となった。
 妙とは「開く義」。
 妙とは「蘇生の義」。
 そして、妙とは「円満具足の義」である。
 仏法には無駄がない。
 御聖訓には、「一切の事は国により時による事なり、仏法は此の道理をわきまうべきにて候」(御書一五七九ページ)と仰せである。
 その国の良き伝統を最大に生かし、その時代に応じて、人間と社会の幸福のため、豊かな精神の価値を生み出す。それが「活の法門」である。
 一九八九年五月、美しき七彩(しちさい)の虹のもと、壮麗なタブロー・コート総合文化センターが堂々と開所した。
 あの“ベルリンの壁”が崩れる、半年前であった。
 二千年の歴史が薫る天地に立つ城館(じょうかん)が、世界市民の集う平和と文化の大殿堂として蘇った。それは、コーストンさんの大勝利の雄姿そのものであった。
 晴れの開所式に馳せ参じた私は、偉大な“城主”のご夫妻に一首を捧げた。

 不思議にも  夫婦(めおと)の使命は 永遠に この地に残らむ 世界に薫らむ

◆最後の最後まで

 コーストンさんが逝去されたのは、一九九五年一月十三日の朝。享年は七十四歳であった。
 肺がんと告知されても、一歩も退かなかった。逝去一週間前のイギリス総会にも、出席する決意だったようだ。
 心地よさそうな、眠るような最期であった。薄らぐ意識の中でも、口を動かし続け、題目を唱えていた。
 傍(かたわ)らで手を握っていた光子夫人が、「私も元気で戦っていきます。心配しないでください」と呼びかけると、その手を強く握り返した。
 ピンク色の頬を、早朝の太陽が美しく照らし、まことに荘厳な、新しい生命の旅立ちとなった。
 五十一歳で入信した時、「あと二十年は妙法のために戦いたい」と願った彼。
 その通りの歳月を広宣流布に捧げた“妙法のジェントルマン”は、ヨーロッパの平和の夜明けを見届けたのだ。
 そして、新世紀の広布を託したヨーロッパの青年たちの大前進を、あの柔和な笑みで見守り続けているにちがいない。
 タプロー・コートには、コーストン初代理事長を讃えて、その端正な顔のレリーフが掲げられている。
 私が贈らせていただいた言葉とともに ── 。
 「最後の最後まで、戦って戦って戦い切って、世界広宣流布の歴史に、不滅の功績を留めし、大功労の英雄なり」

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