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学は光コミュの「SGIの日」記念提言 1

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「平和の天地 人間の凱歌」(上)
 人類意識に立った新たな世界秩序を
 「人間主義」を時代精神に!!

 第33回「SGIの日」を迎え、世界の恒久平和への祈りを込めつつ、私の所感の一端を述べておきたいと思います。

混迷の度を増すグローバル社会

 約半世紀にわたり、国際社会を呪縛してきた冷戦構造が終結し“世紀”をまたいで20年近くの歳月が経過しましたが、それにとって代わる新しい世界構造は、まったく見えてきません。
 ライナス・ポーリング博士(ノーベル平和賞、同化学賞受賞者)といえば、生前、私が4度お会いし、対談集を上梓し(1990年10月)、遺志をくんで「ライナス・ポーリングと20世紀」展も世界各地で開催させていただきました。
 その博士が、対談集の冒頭で「今後の世界情勢の動向を思うと、私の胸はおどります。勇気がわきます。ソ連が動きだしました。ゴルバチョフ大統領のリードで、現実に世界軍縮への潮流が流れ始めました。(中略)人類が、初めて『理性』と『道理』にかなった道を歩む。そうした世界への転回が、いよいよ始まったのです」(『「生命の世紀」への探求』、『池田大作全集第14巻』所収)と、明るい展望を語っておられました。90歳を目前にした平和の闘士の温顔が目に浮かぶようです。
 残念ながら、その後の動きは博士の期待を大きく裏切るものとなってしまった。グローバリゼーション(地球一体化)の不可避な流れのなか、その先頭を行くアメリカを中心とする「新世界秩序」なるものも、一時は喧伝されましたが、新たな軋轢を次々と生じ、みるみる退潮を余儀なくされ、現状は無秩序に近い。
 しかし、歴史の歯車を逆転させてはならない。万難を排して、人類意識に立った新たな世界秩序を模索し、構築していかなければ、グローバル社会は混迷の度を増していくばかりであります。
 とはいえ、秩序への模索が種々試みられていることも事実です。過日(1月15日〜16日)、スペインのマドリードで開かれた「文明の同盟フォーラム」=注1=なども、その一例でしょう。国際平和と安全の維持には、文化的な敵意を克服する努力が不可欠として、75以上の国連加盟国および国際機関が参加しているもので、スピーチをした国連の潘基文事務総長は「あなた方は、それぞれ異なった文化的背景や展望を有しているかもしれない。しかし、『文明の同盟』が、極端主義に対抗し、私たちの世界を脅かす分断の動きを鎮める上で重要な方法であるという共通の信念を、ともに分かち合っている」として、平和への行動の第一歩を促しています。
 また、フランスのサルコジ大統領は年頭の会見で、人間性の重視と連帯などを核とした文明政策を提起した上で、「20世紀の体制のままで、21世紀の世界を形作ることはできない」とし、改革の一環として現行のG8サミット(主要国首脳会議)を、中国、インド、ブラジル、メキシコ、南アフリカの5カ国を加えた「G13」に拡大すべきと提案しました。傾聴に値すると思います。
 私もかねてより、サミットの参加国に中国やインドなどを加えて「責任国首脳会議」に発展的改編を行い、よりグローバルな形で責任の共有を図るべきと訴えてきただけに、この提案に深く賛同するものであります。

「対立」超える「対話」の架橋作業
原理主義への傾斜が随所で顕在化

 さて、冷戦終結後に志向された「新世界秩序」が“錦の御旗”として掲げていたのが、周知のように「自由」であり「民主主義」であります。両者ともに、それ自体文句のつけようのないものですが、ひとたびそれを異なった政治文化の中に根付かせようとすると、どんなに困難が伴うか。それどころか、「自由」や「民主主義」を一定限度実現しているところでも、維持向上の努力を怠ると、みるまに似ても似つかぬものへと堕落してしまう――。このことを“ベルリンの壁”の崩壊(1989年11月)を受けた直後のSGI提言の中で、私はプラトン(田中美知太郎・藤沢令夫他訳「国家」、『世界古典文学全集15 プラトンII』筑摩書房)の洞察に依りながら訴えたことがあります。
 すなわち、「自由」といい、「民主主義」といっても、行き着くところ「欲望の大群」を生み出して、それによって「青年の魂の城砦」が崩されてしまえば、救いようのない無秩序、カオスを招き、あげくの果ては、事態収拾のために、「一匹の針のある雄蜂」が待望されるようになる。「民主制」は「僣主制」への衰退=注2=、逆行を余儀なくされるであろう、と。
 その警鐘は、決して杞憂ではありませんでした。金融主導のグローバリゼーションの、蝶番の外れたような進行は、世界的規模の格差社会をもたらし、拝金主義と不公平感を蔓延させ、それを一因(最大の要因といってもよいかもしれない一因)とするテロ行為は、拡散の一途をたどっております。テロや犯罪の発生する構造的要因を析出し、きめ細かく対処せずに、一方的に力で抑え込もうとしても、事態を悪化させるばかりであることは、歴史の教訓です。力による秩序は、むしろ無秩序、カオスに隣接している。
 私が仏法者として一番憂慮していることは、こうした風潮に乗じて昨今の“原理主義への傾斜”ともいうべき現象、心性が、随所に顔をのぞかせていることであります。
 かまびすしく取りざたされている宗教的原理主義に限らず、民族や人種にまつわるエスノセントリズム(自民族中心主義)やショービニスム(排外的愛国主義)、レイシズム(人種主義)、イデオロギー的なドグマ(教条)、あるいは市場原理主義にいたるまで、カオスに乗じて、わが物顔に横行しているといっても過言ではない。そこでは、万事に「原理」「原則」が「人間」に優先、先行し、「人間」はその下僕になっている。それぞれの分野での細かい定義は措くとして、そうした“原理主義への傾斜”を端的に要約すれば、かつてアインシュタインの遺した「原則は人のためにつくられるのであって、原則のために人があるのではない」(ウィリアム・ヘルマンス『アインシュタイン、神を語る』雑賀紀彦訳、工作舎)という言葉に尽きていると思います。
 原理・原則は人間のためにあるのであって、決して逆ではない――この鉄則を貫き通すことは、容易ではない。人間は、ともすれば手っ取り早い“解答”が用意されている原理・原則に頼りがちです。シモーヌ・ヴェイユの比喩(田辺保訳『重力と恩寵』筑摩書房)を借りれば、人間や社会を劣化させてやまない「重力」に引きずられ、人間性の核ともいうべき“汝自身”は、どこかに埋没してしまう。私どもの標榜する人間主義とは、そうした“原理主義への傾斜”と対峙し、それを押しとどめ、間断なき精神闘争によって自身を鍛え、人間に主役の座を取り戻させようとする人間復権運動なのであります。

四面楚歌にあって己を貫いたジイド

 ここで、原理主義と人間主義の対峙という点で、忘れがたい有名なエピソードを一つ、想起しておきたい。それは、希代のヒューマニスト(ユマニスト)であったフランスの作家アンドレ・ジイドとソビエト社会主義にまつわるものであります。
 1936年6月、敬愛するM・ゴーリキーの重篤の報に、ジイドは急ぎモスクワに飛ぶが、その翌日、ゴーリキーは死去。葬儀や一連の行事を終えた後、かねてからの希望もあって、1カ月ほど地方を旅した。その感想を11月上旬、『ソヴェト旅行記』(小松清訳、岩波書店)として世に問いました。

人間を強くし、善くし、賢くする宗教のヒューマナイゼーション

 その上梓は、フランスはもとより、欧米各国や日本においても、まさに歴史的ともいうべき喧々囂々たる論議を巻き起こしていったようです。内容は、ジイドがロシア革命やその後のソ連の歩みに、十分な歴史的意義を認めながらも、次第に見え隠れしつつあったソビエト社会主義の病理に、今日から見れば控えめすぎるほど控えめに、批判のメスを入れている。その多くが鋭く、正鵠を射たものであることは、ソ連崩壊後の今日、誰の目にも明らかです。
 しかし、当時は“赤い30年代”といわれ、全体主義と戦うスペイン内戦=注3=の影響もあって、多くの知識人、青年が、雪崩を打つように左翼へとなびき、ソ連へ希望の眼を向けていた。それだけに左翼の一員と思われていたジイドの警告は、学界、ジャーナリズムの世界、政界を巻き込んだ大反響を引き起こした。賛否両論といっても大多数は“否”であり、なかにはジイドを裏切り者扱いする者も多く、彼は孤立無援に近かった。
 しかし、四面に楚歌を聞きながら、ジイドは一歩も退かず、己に誠実たらんとする一点を踏まえて、こう言い放ちます。
 「私にとつては、私自身よりも、ソヴェトよりもずつと重大なものがある。それは人類 であり、その運命であり、その文化である」と。

人間主義の立つ普遍的な足場

 ジイドは大仰な言い方を嫌うかもしれないが、明快にして要を得た、まさに人間主義宣言ともいうべき歴史的留言であります。ジイドにとってヒューマニティー(ユマニテ)とは、今日、使い古されてすっかり手垢のついてしまった、それ故さしたる共鳴を響かせなくなってしまったヒューマニズムがもたらす語感とは違い、極度に磨きすまされた、そこ以外に正義の根拠を求めようのない普遍的な足場であった。そして、「私自身よりも……」と述べられているように、その擁護のためには命を賭してもよい「文化」――自他の尊重、差異や多様性の尊重、自由や公正、寛容などの精神的遺産に裏打ちされた普遍的価値であった。その信念こそが、時流に抗した不屈の精神闘争を支えていたにちがいないのであります。
 そのヒューマニティーの普遍的な広袤(ひろがり)は、仏典で説かれる「法性の淵底・玄宗の極地」(一切諸法が拠りどころとする根本の真理)を連想させます。仏法を基調とする人間主義とは、その普遍的な足場――仏性という誰もが具えている金剛にして不壊、清浄にして無垢なる心性を「心蓮台」(心の蓮台=仏の座する蓮華の台座)と名付けるのは、普遍的な足場、根拠をよくイメージさせます――を踏み外すことなく、宗派性はもとよりのこと、あらゆる主義・主張の相違、民族や人種の相違、社会を構成する位階秩序の順逆などを相対化し、正しく再構築していくことを本領とする。「原理」ではなく「人間」が主役であるとは、そのことをいうのであります。
 故に仏典では、「然れば八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり、此の八万法蔵を我が心中に孕み持ち懐き持ちたり我が身中の心を以て仏と法と浄土とを我が身より外に思い願い求むるを迷いとは云うなり此の心が善悪の縁に値うて善悪の法をば造り出せるなり」(御書563〜564ページ)と説かれている。
 「八万四千の法蔵」とは、直接的には釈尊一代の説法を指しますが、敷延すれば“差異”の世界のすべてともいえます。そうした“差異”を超えて、あらゆる人間が共有する無差別・平等な境地を探り当て、一切がそこからスタートし、そこへ帰着してくる。アルファ(出発点)であり、オメガ(究極)なのであります。あらゆる原理主義は、その点が逆倒し、倒錯しているといってよい。

自ら作ったものの奴隷となる弱小さ

 半世紀以上も前、フランスのユマニスム研究と紹介に生涯を捧げた渡辺一夫(当時、東大教授)が、第2次世界大戦中に吹き荒れた狂信(原理至上主義)の嵐を振り返りながら「宗教のヒューマナイゼーション」を提起したことがあります。
 「第二の宗教改革が、新しいルッター、新しいカルヴァンによってなされねばならず、その道は、奇妙な表現であるが、宗教のヒューマナイゼーションしかない。そして、宗教のヒューマナイゼーションとは、『鴉片』的なものを一切自ら棄てて、神すら人間のためにあるものであることを認知し、自らの作ったものの機械となり奴隷となりやすい人間の弱小さに対する反省を、自らも行い他人にも教え、ルネサンス期以来人間の獲得したものに対する責任を闡明する役を買わねばならない」(大江健三郎・清水徹編『渡辺一夫評論選 狂気について 他二十二篇』岩波書店)と。
 以来60年、それ以降のそして昨今の宗教事情を顧みれば、このラジカルな問題提起は、今もって未完の問いかけであり続けていると言わざるを得ません。何といっても、原理主義という言葉が最も頻繁に使われるのは、宗教のあり方をめぐってであるからです。
 とはいえ、いつまでも未完のまま放置しておいてよい訳では決してない。それでは、宗教は平和構築の原動力どころか、戦争や争いの加担者になってしまいます。
 それ故、私は「21世紀文明と大乗仏教」と題するハーバード大学での2回目の講演(1993年9月)で、宗教を持つことが、人間を「強くするのか弱くするのか」「善くするのか悪くするのか」「賢くするのか愚かにするのか」という視点を、宗派性を超えて導入すべきであると、自戒の念を含めて、強く訴えたのであります。宗教が人々の平和と幸福に資するためには、何よりもその宗教が、人間を「強く」し「善く」し「賢く」するよう促し、後押しするものでなければならない。それは「宗教のヒューマナイゼーション」とほぼ同義語であり、その内実であります。

ヴィーゼル氏の良心からの叫び

 ノーベル平和賞を受賞したエリ・ヴィーゼル氏は、教条主義や原理主義につきまとう狂信と憎しみを凝視し、自ら創設した人道財団が中心となって、「憎しみの分析」をテーマにした国際会議をこれまで数回開催してこられました。
 氏はその動機を「今日、多くの知識人たちが狂信に惹かれているのをどう説明したらよいのか? また、こうした魅力に取りつかれないよう免疫力を宗教につけるにはどうしたらいいのだろう」とし、「<歴史>始まって以来、人間だけが狂信と憎悪に苦しみ、それをせき止めることができるのも人間だけだ。人間だけがその能力を持ち、そしてその罪を犯しているのである」(村上光彦・平野新介訳『しかし海は満ちることなく 下』朝日新聞社)と強調しています。人間の良心のやむにやまれぬ叫びであり、宗教のヒューマナイゼーションへの、切なる期待といえましょう。
 少年期、アウシュビッツで父の死を目の当たりにし、母や妹を失い、ナチズムという最悪の原理主義の地獄をくぐり抜けてきた人の言葉だけに、人類史の直面する容易ならぬ課題を実感させる、重みと響きがあります。そして、それは、我々が避けて通ることの許されぬ難題(アポリア)なのであります。
 そうした努力を怠り、宗派性のみに固執していれば、宗教が人間の精神性を「弱く」し「悪く」し「愚か」にしてしまい、「鴉片的なもの」を増長させ、かえって戦争や争乱を助長し拍車をかけてしまう。ヴィーゼル氏の指摘するように、いわゆる“原理主義への傾斜”であり、あえて実例をあげる必要もないほど人類の歴史に刻まれてきた宗教の暗部、負の側面であります。

狂信と憎悪の重力にいかに立ち向かうか

 私が「未完の問いかけ」としたように、「宗教のヒューマナイゼーション」ということは、21世紀の今日、今なお越えねばならぬハードルとして、我々の眼前に立ちはだかり続けている。宗教史の明と暗のバランス・シートをどう捉えるかは難しい問題ですが、少なくとも、21世紀文明と宗教のあり方を考える際、宗教は人間性の向上、平和と幸福のためにあるという視点を忘れてはならないと、強く訴えるものであります。

歴史家ミシュレが提起した宗教観

 その点、かねてより私が注視していたのは、19世紀の大歴史家ジュール・ミシュレの宗教観であります。
 ミシュレの生きた時代はオリエント・ルネサンスと呼ばれたように、古代ギリシャ・ローマ文明の発見・再興であったルネサンスを受け、さらに、インドやペルシャなどを含むオリエント(東洋)への関心が増大し、時間的にも空間的にも、ヨーロッパ中心のキリスト教的世界観からの脱皮を迫られていた時代であった。当時の時代精神はどこか今日のグローバリゼーションと似た雰囲気があったのかもしれない。著書『人類の聖書』(大野一道訳、藤原書店)で、ミシュレは言います。
 「われわれの時代は何としあわせな時代か! 電線を通して地球上の魂を、今現在の中に一つに結びつけ調和させる時代である。歴史の流れを通し、いくつもの時代を照応させ、友愛にみちた過去を共有していたという感覚を与え、地上の魂が、同じ一つの心によって生きてきたことを知る喜びを与える!」と。
 「電線を通して……」などという表現は、今日のネット社会を連想させますが、何といっても、19世紀前半といえば、近代の科学技術文明の夜明けというか“揺籃期”であります。ミシュレの個人的資質も加わって、文明のフロンティア、世界像の拡がりへの期待は、時間的にも空間的にも無限大で、ほとんど手放しに近い。その点、30年以上も前にローマクラブの報告が「成長の限界」を警告したように、近代文明の“黄昏期”を余儀なくされている我々の時代とは、際立って対照的です。急速に進むネット社会に漂う、ある種の手詰まり感は、情報科学のもたらすコミュニケーションの拡大がそのまま「地球上の魂を……一つに結びつけ調和させる」ことにつながるとする楽観論など、現状は皆無に近いことを物語っているといえましょう。
 その意味では、ミシュレの時代は、ヨーロッパ人が、自らの文明を相対化しつつも、というよりも相対化の故に、人間の力や可能性の普遍的な拡がりに自信を持つことができた幸福な時代であったのかもしれません。そうした時代精神は、ミシュレの宗教観にも如実に映し出されております。それは、まさしく「宗教のヒューマナイゼーション」そのものでした。
 『人類の聖書』とは、「新・旧約聖書」に限らず、ミシュレが「真の著者、それは人類である」と述べているように、インドの「ヴェーダ」や「ラーマーヤナ」、古代ギリシャの英雄叙事詩や古典劇、ペルシャの「シャー・ナーメ」、あるいはエジプト、シリアなど、漢字文化圏を除くほとんどの文明圏の「聖典=聖書」(神々)を広く渉猟したもので、それらを過不足なく比較・検証した上で、彼は、こう大胆かつ明快な結論を導き出しております。「精神活動が宗教を包含するのであって、それが宗教の中に包含されるのではない」と。すなわち「人間」を超越し、「人間」に先行する一切の宗教的要因を拒否するのであります。「ヒューマナイゼーション」たる所以です。

人類の未来を展望し、数々の警告を行ってきたローマクラブ。SGI会長は、その創設者であるペッチェイ博士との対談集に加えて、2005年にホフライトネル名誉会長(右)との対談集を発刊。グローバリズムの課題や世界市民教育などについて論じ合った(1996年2月、東京・信濃町のSGI国際会議会館で)

「平和創出の源泉」「人間復権の機軸」「万物共生の大地」の三つの観点から、“人間のための宗教”の要諦について論じたハーバード大学での講演(93年9月)

社会の悪は座視せず、徹して戦う
人間こそ歴史創出の主役
 そして言います。「アジアとヨーロッパとの完璧な一致、はるかな昔の時代とわれわれの時代との一致が分かったのである。(中略)――したがって、唯一の人類が、唯一の心があるのであって、二つに分かれてあるのではないということが分かったのだ。空間と時間を貫く大いなる調和が、永遠に復元されたのである」と。

自己規律に基づく骨太な人間讃歌

 人間不信や閉塞感の遍満する現代から見れば、まさに隔世の感を深くします。確かにそれは、近代文明の“夜明け”“揺籃”の時代の、ユートピア的というか、あまりにもおおどかで楽観的な人間観、人間讃歌といえるかもしれない。そして、人間性の開花の系譜を、古代インドやギリシャの人間観から、中世の“暗黒時代”を経て、ルネサンス、フランス革命(自由・平等・友愛)へとたどるミシュレの期待と展望を、その後の歴史が大きく裏切ってきたことは周知の事実であります。20世紀の2度にわたる世界大戦、“アウシュビッツ”や“ヒロシマ”の惨劇を経験し、知識や科学技術が油断のできない“諸刃の剣”であることが骨身にしみている我々は、到底そのような手放しの楽観論に与することは不可能です。また、前世紀末のソ連の崩壊が、歴史の進展をフランス革命からロシア革命へとたどる進歩主義的歴史観に終止符を打ったことも、我々の記憶に新しい。
 とはいえ、我々は「沐浴の水と一緒に子どもまで捨ててしまう」(ドイツのことわざ)愚を犯してはならないでしょう。ミシュレが「お願いだから<人間>であるようにしよう。人類の聞いたこともない新しい偉大さによって、偉大になってゆこう」と訴えているように、人間が原点であり、人間こそが、宗教を含めた歴史創出の主役でなければならないという基本スタンスだけは、忘失されてはならない。我々の標榜する人間主義の戦いの成否も、そのスタンスを共有し、どう深化させ、継承していくかにかかっているからであります。
 特筆すべきは、ミシュレの人間讃歌が、今日のヒューマニズムという言葉にまつわる曖昧さ、骨格の定まらぬ情緒的な脆弱さとは縁遠いダイナミズムを有していたこと、換言すれば、人間解放とは似て非なる、エゴイズムの野放図な拡大にほとんど無防備であったその後のヒューマニズムの歩みとは対照的に、人間精神の規範性、自己規律という点でも、一本の太いバックボーンを有していた点であります。『人類の聖書』の末尾には、「インドから[一七]八九年まで光の奔流が流れ下ってくる。『法』と『理性』の大河である」という人類史の正統を継いでいるという自信、そして「諸々の時代にあって同一であるもの、自然と歴史の堅固な基盤にのった永遠の『正義』が輝き出る」とされ、「法」や「理性」「正義」を根拠ともバックボーンともしながら、自らを律し、創り直し、もって歴史創出の主役たらんという自覚、自負が、骨太に謳い上げられています。おおどかな人間讃歌が“遠心力”であるとすれば、これは“求心力”ともいえる。両者が均衡を保ってこそ、人間の魂は正常にはたらくことができます。
 ミシュレのいう「法」とは若干ニュアンスを異にしますが、それは仏教で説く「自帰依、法帰依」の構図と重なってきます。いわく、「みずからを洲とし、みずからを依りどころとして、他人を依りどころとすることなく、法を洲とし、法を依りどころとして、他を依りどころとすることなかれ」(増谷文雄『仏教百話』筑摩書房)と。昔も今も、人間が人間(主役)たらんとするには、何らかの依るべき「法」が不可欠なのであります。

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