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アンネ・フランクコミュのアンネのバラ

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アンネのバラに関すること。情報、自宅で栽培している方、雑談もOK♪

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アンネのバラ 被災地に(朝日新聞より)

ナチス・ドイツのユダヤ人迫害で死亡、隠れ家生活を描いた「アンネの日記」で知られる少女アンネ・フランクゆかりのバラの接ぎ木会が福山市御幸町中津原のホロコースト記念館旧館(御幸教会)であった。小中高校生と保護者ら約30人が約50本を接ぎ木し、鉢植えした。1〜2年育て、東日本大震災の被災地の学校などに贈る。


 ベルギーの園芸家がバラ好きだったアンネをしのんで開発した品種で、花の色が変化する。贈呈されたアンネの父が約40年前、親交があった日本のキリスト教団体に苗木を贈り、接ぎ木で増やしてきた。


 18日、福山ばら会の指導で、根付きの野バラと「アンネのバラ」の枝をナイフで削って重ね合わせ、テープで固定した。尾道市立栗原小6年の島田真友さん(11)は「スパッと削るのが難しかった。大きく育ってほしい」と話した。(野口拓朗)
風の電話ボックスにアンネのバラを 岐阜から被災地へ
(朝日新聞より)

バラの苗の生産量が全国一の岐阜県大野町で育った「アンネのバラ」が、東日本大震災で被災した岩手県大槌町へ15日に贈られる。被災者らの心を癒やしてきた「風の電話ボックス」が置かれている庭園を飾る。

 「アンネのバラ」の品種は、第2次大戦中にユダヤ人強制収容所で亡くなった少女アンネ・フランクを悼み、ベルギーの育種家がつくった。アンネの父オットー・フランクさんが1972年、奈良県の牧師に贈ったのが日本でのルーツ。その後、京都府の元高校教諭が息子と栽培して全国各地に送り、広まった。

 岐阜県には約30年前、県ユネスコ協会を通じ、大野町のバラ農家青木宏達さん(58)の元に苗1株がやってきた。「つくり続けないと途絶えてしまう」。接ぎ木で年10株ほどを育て、小学校などに寄付してきた。

 大野町と大槌町をつないだのは、岐阜市のカメラマン三浦寛行さん(46)。震災直後から被災地の支援を続け、岩手県大船渡市に大野町のアンネのバラを贈る仲介をしたこともある。大槌町で自宅の庭に「風の電話ボックス」を置く庭師の佐々木格(いたる)さん(70)とは、1年ほど前に知り合った。

 「電話ボックス」は実際の電話線とはつながっていないが、被災者は受話器を手に、天国の亡き人に思いを伝える。1月に強風で倒れたがボランティアの支援で再建。アンネのバラは佐々木さんが望み、三浦さんが「逆境に耐えたアンネゆかりのバラを被災地に」と青木さんに持ちかけた。

 佐々木さんは「大切な人を亡くしてボックスを訪れる人たちを勇気づけられるのでは」。青木さんも「バラの花が、訪れる人々の癒やしになればうれしい」と話す。苗を託された三浦さんが15日に大槌町を訪れ、佐々木さんに手渡す予定だ。(竹下由佳)

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アンネのバラは真冬以外の季節に咲き続けるので、電話ボックスに来た人達にとって少しでもバラを観て癒してもらえるときっとアンネにとっても嬉しいことでしょう。沢山の方に愛でていただきたいですね。

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