ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

永瀬清子コミュの佐藤惣之助と永瀬清子

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 永瀬清子が18歳のとき、佐藤惣之助(さとうそうのすけ、1890-1942)に詩の実作についての指導を受け、以来、佐藤惣之助が主宰する同人誌「詩之家」に加わったが、第一詩集『グレンデルの母親』出版後は、佐藤惣之助の指導から離れていった。

 佐藤惣之助の詩集(新学社「近代浪漫派文庫」の第23巻)を読む限り、佐藤惣之助の詩風と永瀬清子の詩風とが、根本において乖離しており、永瀬清子が佐藤惣之助の指導から離れていったのは、自然なことだと私には思われる。

 端的に言うと、「自分の」生活に強く息づいている永瀬清子の詩風に対して、佐藤惣之助の詩風は、「言葉の上だけの」観念的な詩風にとどまっており、そのあくまで戯れ的な比喩の多用などには、永瀬清子はあまり同調しなかったのではないか。

 たとえば、佐藤惣之助の詩「マッチ製造会社にて」「潜水夫」「土木師」(それぞれ詩集『深紅の人』所収)などは、マッチ製造会社で働いている女性・子供、潜水夫、土木作業員などの職業について歌っているのだが、その表現方法が、悪い意味でロマン派的であり、あくまで観念的に美々しく歌い上げてしまっているもので、読んでいて、すっかり空々しい思いにかられる。実際にその場で働いている人が、これらの佐藤惣之助の「自惚れ的な」美辞麗句を読んだとして、どのような感想を持つことだろうか。詩人の空言、と指呼されるたぐいのものではないかと。

 佐藤惣之助の詩「マッチ製造会社にて」から最後の二節を引用してみる(全文は長すぎるので)。

 「マッチ製造会社にて」

(…)
われわれは汚れたプロメシウスの子孫のよわよわしい女や子供が
火と賃金の牢屋から
悲しい胃の腑の戦ひをはたし
霊彩なる文明の火軸を製出するのを見る。

おお火よ。われわれは火の真因を見た
火は神々しい貧人の手でつくられるといふ事を。


 この二節を読んでも、「プロメシウスの子孫の」とか「霊彩なる文明の火軸」とか「火の真因を見た」とか「神々しい貧人」とか、こういった佐藤惣之助の頭の中だけでぐるぐる回っているようなロマン派的な詩句に違和感を覚える人は少なくないはずだ(といってもこのコミュのメンバーは二人だけなのだが…)。こういった詩句を永瀬清子が好んだだろうか。あまりに現実離れをしている、実際にその職を体験したことのない、そういった詩人の言葉を好んだだろうか。

 『短章集』(思潮社、詩の森文庫)の121・122頁では、次のように書かれている。

「詩を書くのは今を破るため、
詩を離れられないのは新しい自分の意味を探すため。
いつも糸巻のはじめをみつけようとする
死と反対の仕事―」

 同じく、128頁には
「書かなければわからない、自分の言葉は。
それが書く値打ちがあるかどうか。
書いてはじめて自分の背中に気がつき、蹠に気がつく。
自分という叢をはなれてはじめて、走り出たのが雉であったか蛇であったか、その本当の姿が見える。」

 「新しい自分の意味を探すため」「書いてはじめて自分の背中に気がつき、蹠に気がつく」と、こう書かれているように、永瀬清子はその詩作に際して、あくまで「自分」へと、「自分の生活」へと、回帰している。この姿勢によって観念的な詩句のいたずらな美辞は峻拒される。


 新井豊美『女性詩史再考』(思潮社、詩の森文庫)の73・74頁に次の記述がある。

「自然と人情をどこか南方的なモダンな感覚で官能豊かにうたう佐藤惣之助の詩を読み、その懇切かつ具体的な指導を受けたことはたしかに清子の詩の出発を助けたにちがいない。だが『グレンデルの母親』を出した後の清子にとって、惣之助の世界はすでに物足りぬものがあったはずである。(…)
 永瀬清子の詩を特徴づけるもののひとつは、「私」というこの一人称の主語の多出である。」

 ここで新井豊美は佐藤惣之助の詩風を「南方的なモダンな感覚で官能豊かにうたう」と評しているが、「観念的な比喩の多用とモダンな感覚で官能豊かにうたう」と言い換えてもいいだろう。「グレンデルの母親」では、現実的な生活に根ざした詩ではなく、中世英詩『ベオウルフ』に材をとった「空想的な」詩になっているが、これは佐藤惣之助の影響によるところが大だろう。

 初期において、永瀬清子は佐藤惣之助の指導を受けたが、新井豊美も言うように、永瀬清子と佐藤惣之助との詩風は全く異なっているものであって、時に小難しく観念的になる佐藤惣之助の「非生活者」の詩風から「生活者」であった永瀬清子が離れていったことは当然の成り行きだったように思う。

---------

 ちなみに、そんな二人なのだが、面白いことには二人ともが宮沢賢治の詩集『春と修羅』を日本で真っ先に評価した数少ない詩人だということだ(私の知る限り、他には草野心平)。永瀬清子の熱烈な賢治への共鳴は、『短章集』『短章集 続』に書かれているから省略するとして、佐藤惣之助は宮沢賢治のどこを評価したのだろうか。残念なことに『佐藤惣之助全集』が手元にないので、私にはわからない(宮沢賢治の詩に対する評を記した散文があるはずなのだが)。ただ、佐藤惣之助の田舎の風物を材としたいくつかの詩篇を読む限り、「なんとなく」ながら分かるような気もするのだが。当時の田舎風物抒情詩の一般的作風は、「四季」派のグループの詩人たち(津村信夫、室生犀星、田中冬二、大木実、竹中郁、三好達治、堀辰雄など)の作物によく反映されているのだが、そういった作風と佐藤惣之助の、そして宮沢賢治の作風とは明らかに質を異にしているのだから。

 以下に佐藤惣之助の田舎風物詩の一篇を引用・解説しておく(mixiの日記に書いたものです)

「花咲ける田舎で」

空気は花にかがられて
あをい肺を川に映してゐる

風は祭り日の娘をつれ
はなやかな薫りの麻布を織ってゐる

垣根は饗宴の卓子(テーブル)かけを
台所はうす紫の木綿を懸けてゐる

時計が響くと田舎家は帆をあげ
樹々は日曜色の草をあんでゐる

女は燃えて水を恋しがり
紅い大気の薔薇になる

畑は舞台のまぼろしとなり
藪は花籠の合戦に参加する

やがて灯らぬランプがひそかに
路傍の花や影へ配達されるまで

女は芽花の青ショールをかけ
夜と地球は田舎で恋しあふであらう

わたしは今明るい木と人の豆絞りの中を
赤い競走馬のやうにかけぬけよう

春は村々の光栄に吹かれて
花咲く喜びに照らし出される時に

               詩集「華やかな散歩」から

 初めの二行が一番小難しいかな。「あをい肺」という隠喩が何故登場してきたのかよく分からない。
 4・5・6行目の「麻布」「卓子(テーブル)かけ」「木綿」という隠喩は、1行目の「かがられて」という動詞から派生した連想かもしれない、この連想は、続く8行目の「日曜色の草をあんでゐる」という表現まで持ち越されている。
 7行目の「田舎家は帆をあげ」という、船に関する比喩は、よくこの詩人が使う作業。
 9行目の「女は燃えて水を恋しがり」の「水を恋しがり」の表現は必要なのか疑問。
 11行目の「藪は花籠の合戦に参加する」という、戦いに関する比喩もしばしば使われる。
 12行目と13行目の「やがて灯らぬランプがひそかに/路傍の花や影へ配達されるまで」という表現は回りくどいかな。「灯らぬランプ」って何でしょう、月明かりでしょうかね。
 18行目の「春は村々の光栄に吹かれて」というのは、通常だと「村々は春の光栄に吹かれて」となるだろうけど、あえて主客を転倒させているのか。

 個人的には、「風は祭り日の娘をつれ/はなやかな薫りの麻布を織ってゐる」、「わたしは今明るい木と人の豆絞りの中を/赤い競走馬のやうにかけぬけよう」などの表現は面白い。

--------

 永瀬清子の『短章集』において、佐藤惣之助(師)に関して少し触れている箇所があるので、それもついでに紹介しておきます。

「自分のことばをみつける事が大切なのだと、昔、詩の書きはじめに師は云われた。
そのことがどんなにむずかしい事かが、次第に理解される。
(…)」『短章集』37頁

「師が森の奥で思ったことを、貧しき我は食堂の窓の枝垂れた三本のアメリカ楓によって思う。そしてわがペンをそのすくない緑のインキにひたす。
(…)」『短章集』94頁

「私の過去を話せという。
「最初に上田敏詩集を読みました」
「なるほど、それで判った」と人々は云う。(どこが「なるほど」なのか)
「佐藤惣之助に詩をみて貰いました」と私がいう。
「おかしい、似ていない」と人々は云う。
(それじゃ詩はまねするものと人は思っているのか)。
ネコジャラシの茎も麦の茎も、茎だけみれば似ているが、穂になればすっかり別だということがわかる。
それが本当の事なのだ。」『短章集』123・124頁

--------

…と、まあ、長い文章を書き連ねましたが、佐藤惣之助と永瀬清子の師匠・弟子関係が解消した実際に関しての徒然の文章でした。参考程度に。


コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

永瀬清子 更新情報

永瀬清子のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。