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若松バプテスト教会コミュのマラキ書

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●あなたがたは、神がわれわれをあわれまれるように、神の恵みを求めてみよ。(1:9)

新しいコインも古いコインもその値は変わらない。しかし、献金は金額の高が問題ではない。ささげる心が問題である。心が金額をきめるのであって、ささげるのだから額はどうでもよいということにはならない。

その神に対して、最善、最高のものをささげて初めて「神のみ前にとどく」(使徒10:4)ものとなり、ささげることに意味がある。

神がかけがえのないひとり子を賜わったという聖書のメッセージを信じるとは、自分もかけがえのないものを主にささげることである。信仰は神とわたしたちとの間の生きた関係である。そのゆえに、献金は私たちの信仰にとって大切なものである。信仰に基づく倫理生活についてはやかましく叫びながら、献金になるとあたかもタブーのごとく何も言わないことが紳士的であると思うのは、誤った精神主義である。信仰生活とは信仰告白文を唱えることだけではない。聞いた神の愛に対してそれを本気で受け入れ、それに真実にこたえることである。私たちは神の愛への心のこもったささげ物をしているかどうか、今一度点検してみよう。ささげ物をささげる時―これがわれわれをあわれまれた神に対するまごころからの応答であるかどうか深くかえりみてみよう。(一日一章)

コメント(2)

ゆえにみずから慎んで、裏切ることをしてはならない。(2:16)

マラキは神がわれわれ(既婚者)に何を望まれるか、それは自ら慎んで、その若い時の妻を裏切らないことであると語っている。結婚とか離婚とかいう事柄を神のところに携えていくことは大切なことである。それぞれに違った家庭に育ち、別個の人格として成長してきたものが、互いに愛情を感じるようになるとき、あたかも二人が一体であるかのごとくに感じる者だが、これは誤解であり錯覚である。どこまでも別である。たとい何十年一緒に暮らしても、一つになることはできない。ただ年を重ねると協調していく要領がうまくなるだけである。

自分たちの結婚は神のみ心によるものであり、神が自分に最もよしとする者を与えてくださったのだとして相手を受け入れてこそ、人間の限界が越えられていくのである。また、神のみこころによって実現した結婚であればこそ、妻を裏切る(捨てるとの訳あり)ことは神の望まれるところでなく、神の憎むところであるとすることによって、互いに真実を貫き通していくことができるのではなかろうか。今は離婚がふえ、いたるところで家庭の崩壊が見られるが、これは、自分たちの生の起源に神のみこころを認め得なくなり、神を信じなくなった現代人が当然受けなければならないさばきであろう。(一日一章)
●これをもってわたしを試み・・・(3:10)

収入の十分の一をささげることは今日のわれわれにとって相当困難なことであるが、その当時の人々にとっても、それはかなりの決断を要したことのようである。・・・十分の一をささげるということは生活を神にゆだねるしるしであり、このことによって、神のご支配を、み愛を具体的に知ることができるのである。信仰を、本を読んだり、議論したりすることによって得られると考えている人が多いが、それは間違いである。神のみ愛やご支配は、具体的に決断をもって神に従っていくところで出会うものである。

まことに主は喜んでささげるときに、天の窓を開き、世界じゅうの人々を動員して、支障なくささげられるようにしてくださることを知らされ、神をまことに身近に感じることができるようになった。(一日一章)

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