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ローリングサンダーコミュのローリングサンダーを訪ねて (1)

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 1992年9月17日、僕は日暮れの迫ったアメリカのネバダ州カーリンという町のとある一軒の家の前に立っていた。ある人物を訪ねてここに来ているのだ。その家のフェンスには一枚のプレートが掛かっていた。『ローリングサンダーランド』間違いない。ここだ。この家がローリングサンダーの家だ。...........本当に来てしまった。果たして彼に会う事が出来るのであろうか。

 今回の旅は一冊の本との出会いから始まった。「ローリングサンダー/メディスンパワーの探究 ダグボイド著 北山耕平+谷山大樹訳(平河出版社)」。子供の頃から漠然とアメリカ(アメリカインディアン)に対するあこがれを感じていた。

それは何なのか。15年以上ロックバンドと呼ばれる形態で音を出している。それは何のために。

どうやら僕の人生の中心は、この二点に大きく占められている様だ。その二つの事を繋ぐ一つの回答として、この本に記されていた事柄が急速に僕をアメリカインディアンの世界へと誘うことになった。

 僕が様々な影響を受けていたミュージシャンの多くがアメリカインディアンと呼ばれている人達からの精神的、文化的影響を強く受けていた(ボブ・ディラン、グレートフルデットetc....)という事実。今まで色々なヒッピーカルチャーやアメリカインディアン関係の本を読んではいたが、そういった事柄が記されていた本には出会っていなかった。この本を読み終えた僕は、まさに目から鱗が落ちる思いだった。そして、思った。ローリングサンダーに会いたい。この人には会わなければいけない。しかしこの本が出版されたのは1970年代中頃だ。今もまだ同じ場所にいるとは限らない。もしいたとしても、会ってもらえるかどうか分からない。様々な事柄が頭に浮かんできた。現実的に考えてみれば会える可能性はとても低いと思う。しかし、0%ではない。結論として、行ってみなければ分からない。自分で体験しなくては...........。

 そして「ローリングサンダー」に出会って半年後、僕は彼の家のベルを、鳴らしていた。

 この旅には、友人のレコーディングエンジニアの枚田氏が同行した。彼もやはりネイティヴアメリカンの世界に強い興味を持っていた。僕のバンドのレコーディングはいつも彼にお願いしていた。彼とは10年来の付き合いである。僕がアメリカ南西部を回る旅に出るというと、すぐ話に乗ってきた。しかし、彼は、この時点では「ローリングサンダー」を読んではいなかった。そこで僕は出発の前に彼に、必ずこの本を読んでおいて欲しいと伝え、一足先に(2週間後にロスで落ち合う予定)出発した。ロスの空港で会った彼は「まだ途中だ。」と言って「ローリングサンダー」を小脇に抱えていた。それから4日後、まだその本を読み終わる前に本の主人公と直接会う事になろうとは、まさか彼も思わなかったに違いない。

 待つこと暫し、一人の男性が出てきた。「僕達は日本からローリングサンダーに会うために、ここにやって来た。ぜひ、彼に会いたいのだが。」すると彼はOK.ではそこのテーブルで待ちなさい。」そう言って木製の5〜6人がすわることの出来るテーブルと椅子をすすめてくれた。コーヒーをだしてくれて、一冊の分厚いゲストブックに名前を書くように指示された。もしかしたら会えるかもしれないぞ。そう考えるとだんだんと興奮してくる自分を抑えられなくなっていた。しばらくすると、ガタゴトと音をたてて一台の車イスが二人の付き添い人に押されてこちらへ向かってやってきた。彼がローリングサンダーだ!。思わずその場で立ち上がってしまい身動きひとつ出来ずに立ちすくんでいた。

 それは、とても車イスに座った老人の声には聞こえない位、大きくて力強い声だった。「 I'm Rolling Thunder.  Welcome to Rolling Thunder land. HO! 」。 立ち上がったまま何も出来ずにいる僕たちに、彼はイスに座るように勧めてくれた。付き添い人に押された車イスがテーブルに着くと、彼はまた力強い声で話始めた。「ようこそ、私がローリングサンダーだ。はるばる日本から訪ねて来てくれてとてもうれしい。君達は良い日、良い時に来た。しばらくここに滞在していきなさい。うん。本当に良い時に来た。」この言葉を聞いた瞬間、今までに一度も体験した事のない様な感動に包まれた。(今僕達は正しい時、正しい場所にいる。)ここにこうして座っているのは何らかの必然性のあることなのだ。こんな気持ちは初めてだ。しばらくの間、外で話をしているとあたりがだいぶ暗くなってきた。「さあ、中へはいろう。これから丁度夕食だ。本当に君達は良い時に来たな。ハハハ。」皆笑いながら母屋へと入っていった。

 母屋に入ると、丸い大きなテーブルがひとつありそこに座った。部屋の中にはネイティブ・アメリカンのチャンティングのテープが流れている。「私は、日本の文化が好きだ。日本の映画のビデオも持っている。そうだ、丁度良い。このビデオを訳してくれ。」そう言いながら、セットされたビデオは黒沢明監督の『七人の侍』であった。まさかローリングサンダーと『七人の侍』を観る事になるとは。勿論僕達の英語力では彼の望むトランスレートなど出来る訳もなく、ただ一緒に画面に見入るしかなかった。言葉が分からないなんて事はおかまいなしに、彼は度々歓声をあげながら興味深く?鑑賞していた。

 いったいこの状況は何なのだろうか。半年前に本を読んで以来、ずっと頭の片隅から離れる事のなかった一人のアメリカインディアンと、ここアメリカ・ネバダ州の砂漠の町で、会ったその日に『七人の侍』を観ているのだ。いったい誰がこの状態を想像出来たであろうか。どう客観的に判断してもかなりユニークな場面である。そんな事をあれこれと考えていたら体から緊張が抜けて、なんだか急におかしくなってしまい、つい笑い声を漏らしてしまった。

 長い映画も終わり、食事もたいらげ、くつろいでいると「君達は酒は飲むか。これはとても体に良い酒、グッドメディスンだ。私はこれだけは毎日飲んでいる。」とグラスに半分ほど注いだ酒を勧めてくれた。お世辞にも美味とはいえない酒を口にしながらローリングサンダーが再び話しはじめた。彼はまず食べ物の話をしてくれた。我々が普段口にしている食べ物の中には有害な物質が数多く含まれてふくまれていると。彼の話によると人間が患う多くの病気の原因として、現在の我々の食生活がかなりの割合で、影響を及ぼしているらしい。何を食べるかという選択はとても重要な事であり、多くのアメリカ人が食しているアメリカンフードなどはかなり体に良くないらしい。ちなみに彼のフェイバリットフードはメキシカンフードと日本食だそうだ。僕達にもしきりに何か日本食は作れないかとリクエストしていたが、今回は残念ながら期待に応える事ができなかった。(翌年の再訪時にはごちそうしてあげる事ができた。とても喜んで食べてくれた。)

 その後も色々と若い頃海外へ行った時の話や、現代の人々が抱えている問題点等、とても興味深い話を続けてくれたのだが、長時間の運転とローリングサンダーに会った緊張感からくる体の疲れに加え、先程の酒とローリングサンダー独特の包み込む様な言葉のリズムが完全に僕を捉え、彼の話に耳を傾けるよりも先ず、睡魔との戦いに集中しなければならなくなっていた。ほとんど勝ち目はない。僕の正面にいるヒラタ氏を見るとすでに勝負のついたあとのようである。完全に寝ている。そんな僕達を察してフランク(初めに出迎えてくれた年長の付き添い人)がローリングサンダーに「彼等は疲れている様なので休ませてあげてはどうか。」と提言してくれた。

 フランクに案内されるまま母屋を出た僕達は、同じ敷地内にある一台のトレーラーハウスを借りる事になった。中には古い毛布や前にいた誰かが残した衣類等があった。フランクが数枚の毛布を運んでくれた。昼間の暑さからは想像もつかないくらい冷え込みの厳しいネバダ砂漠。その砂漠の中にあるローリングサンダーランドでの一日が終わろうとしている。トレーラーハウスの窓から見える空には、たくさんの星が輝いている。時折窓の外から聞こえてくるサザンパシフィック鉄道の貨物列車の走る音だけが、今実際ここにいるという事を認識出来る唯一の拠り所である。それがなければ、今起きている事は映画の中のワンシーンであるかのような錯覚に陥ってしまうのだ。寝床に就き今日起きた出来事を整理しようとするのだが、考えれば考えるほどノンフィクションの出来事とは思えない。うーん、何が起こっているのだろうか。どんどん眠りから遠ざかってく。.......

 いつの間にか貨物列車の音が子守歌となり、明確な答えを出せずにいる僕の思考が、無意識のチャンネルへ切り替わると同時に『ローリングサンダー』は僕の中に強力にインプットされてしまった。

 その夜とてもはっきりとした夢を見た。

《何人かが輪になって座り何かに祈りを捧げている。その内の一人は女性でビーズの装飾が施された特別な鹿皮の衣装を身につけている。 多分メディスンウーマンであろう。僕もその輪の中に参加しているのだがひどく興奮している。》.........

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