ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

黒澤明監督「赤ひげ」コミュの赤ひげをより理解するための瑣末な事項[3]

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
■3 「養生」というものの考え方 


「養生」といって誰もが思い浮かべるのは江戸中期の儒学者・貝原益軒の「養生訓」であろう。

寛永七年(1630)に九州黒田藩に生まれた。父は百五十石取りで、四男坊であった彼は幼にして儒学・医学を学んだ。平均寿命50歳の時代に84歳で死んだ益軒が全八巻、死の前年まで書き続けた「養生訓」。

その中で益軒は「元気」をこう解析している。

「人の元気は、もとこれ天地の万物を生ずる気なり。これ人身の根本なり。人、この気にあらざれば生ぜず、生じて後は、飲食、衣服、居処の外物の助けによりて、元気養われて病となる。病重くして元気尽くれば死す・・・」と。

 よく益軒の「養生訓」では「色欲を慎む」という項のみがクローズ・アップされひとり歩きしているきらいがある。

だが、この「色欲を慎む」というのは益軒が中国の医学書「千金万」から引用した文章らしいから彼の思想は入っていないと考えてもいいだろう。

益軒の生存は七代将軍・家継の時代。それが時間をかけて末端の人々に知識・見識として、健康法のみならず「人はなんのために生きているのか」といった江戸時代の日本人の生き方そのものの指針としての位置を占めているという説さえある。

貝原益軒は平均寿命50歳台であった時代に84歳まで生きた。

この彼が生き、『赤ひげ』の舞台ともなっている江戸中期は人々の生活に空前の薬ブームが起こった時であるという。

売薬が大量に出回って、庶民も競って服用したのだという。その需要の高まりから、現在にも名を残す多くの店が製薬業を通して財をなした。漢方を中心とした病気への関心の高まりは、その分日本人全体の健康への知識の向上や医療水準のアップにも繋がっていく。

益軒も「病の災いよりも薬の災い多し」と書いてあるくらいだから、無視できないレベルにあったのだろう。

益軒の「養生訓」を分析した医史家の立川昭二氏は、自然に身を委ね、日常の生活を律し,心のケアを重んじる生き方が読み取れると指摘している。

立川氏によれば、養生の基本とは、天地・天道に対して畏敬の念を持つことであった。

この畏れる気持ちから、慎み忍ぶ心が生まれ、惜しむ心も生まれてくる。

つまり「養生」とは「畏れ」「慎む」「惜しむ」という倫理観にもとづく行為であったが、それは人生を楽しむためのものとして、特に食事療法を中心としたもので、極めて簡単に言うならば、「食べ過ぎず」「飲みすぎず」楽しく食べる、といったものであった。

そしてなによりユニークなのは(「心を和らぎ、気を平(たいら)かにし、かなしみ、いかり、うれへ、思いを過ごさず」)。

といった、現在で言う「メンタル・ヘルス」に言及していることだ。

その価値観は“病気が治ったから元気になる”というのではなく、”元気になったから病気が治る“という病気観に密接な関係がある。

益軒の思想の根底には自然治癒力、自己回復力への確固たる信頼感があって、自分の身体のなかの自然を信じ、その自然のいきおいを助ける養生につとめ、病が自ら癒えるのを待つ…というのが「養生訓」全体から滲み出ている考えである。

『赤ひげ』のなかの小石川養生所の名前にもある「養生」とはこういう考えであることを根底に記憶しておいて戴きたいと思う。

そして、新出去定も明らかに外傷などで外科的処置を必要とする症例を除けば、質素だが清潔な環境を提供し、薬物を最小限に止めて自然治癒力を引き出すような治療を中心に据えている。

それは生活習慣を根底にした疾病には薬剤も満足なものがない時代においては当然の方針であったと痛感する。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

黒澤明監督「赤ひげ」 更新情報

黒澤明監督「赤ひげ」のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング