黒澤明監督「赤ひげ」コミュの映画脚本を原作としたテレビ・ドラマ「赤ひげ｝

【　フジテレビの飽くなき挑戦：黒澤＆小津は現代に蘇ったか　】

★２００２年夏の『東京物語』が好評だったために、フジテレビでは名作映画のドラマ･リメイクという路線を打ち出して年末と年始に分け、黒澤　明作品『赤ひげ』、小津安二郎作品『秋刀魚の味』の２本のドラマをオン・エアした。
ともに映画のシナリオをそのままにドラマ化するようにみえて『赤ひげ』は実質２時間弱であるから１時間以上短くして、『秋刀魚の味』はほぼ同じランニング･タイムで構成されている。

それにしても、この出来栄えの違いはなんたることであろうか。

★『赤ひげ』では岡山県みろくの里での大ロケーションの効果もあり、セットなどでの大きな不満は感じさせない。だが映画を原作にするなら、まったく違う設定がまかり通るのはおかしいと思わざるを得ない。

映画が三船敏郎扮する赤ひげと加山雄三扮する長崎帰りの若き蘭学医保本　登の出会いから、確執を超えて医学のみならず人生の師とも仰ぐようになる過程を江戸の庶民たちとの関わりのなかに描いていくものであった。

★ドラマでの赤ひげは江口洋介、保本は伊藤英明が扮するが、これでは２人は兄と弟のごとく年齢差はほとんどない。したがって、人生の師とも仰ぐほどの人間の器量、経験の軽重の差もほとんどないことを意味する。

もし、大きな差異が生じるなら、保本がいかに世間世間知らずでうつけ者であるかという設定にするしかない。それでは山本周五郎の原作からも大きく離れていくことになり落差は拡大の一途を辿ることになる。

だがどうしても赦せぬことには、この年齢差がないことから改悪というより、むしろ犯罪的と思われる描写に繋がったことだった。

それは映画でもラストのクライマックス。お目見え医としてお城に上がれる道が開かれた保本が、蓄財や栄達とは無縁の小石川養生所に残ることを宣言。
「お前はきっと後悔するぞ」
「お許しがでたんですね。試してみましょう。」と師弟の永遠の契りを表面化する名場面だが、ドラマではあろうことか赤ひげに対して鉄拳をもって宣言するのである。

★スターを並べなくてはいけないと考えたのか内藤洋子が扮していたまさえ役は長谷川京子が演じた。しかし、このまさえは封建社会のなかの子女なのに、保本と会った瞬間からまるで祝言を挙げることが分っているかのようにふるまうありさまで恐れ入る。

「六助の死」「佐八とおなか」「往診」「おとよと長坊」などすべてのエピソードはそれぞれの役者たちの頑張りもあって破綻はそうない。

とくにおとよに抜擢された鈴木　杏は良かった！長次に扮した子役も、頭師佳孝という天才子役と比較するのは可哀想だが、江戸弁の歯切れよさはでている。

★意外だったのは左八役にベテランの小林　薫がキャスティングされているのだが、ピンとこなかったこと。ボクにとっての佐八がもう少し若くあって欲しいイメージがあるからだろう。

★どちらにしろ今回のドラマ化は無謀とも思える挑戦であったが、テレビ・ドラマだから予算も時間的にも当然矮小化させてしまうスタンスが生じたため不首尾に終ったのである（なにしろ『赤ひげ』は撮影に足かけ３年、日本映画最高最大の映画の１本なのだ）。

部分的に大成功した「おとよと長坊」も鈴木　杏という上げ潮若手女優の出す若き才能のオーラによって、この引き算手法を刎ねつけたのだ。

★『秋刀魚の味』は小津安二郎の遺作である。ドラマは映画との間に、昭和３７年と現在における時間的な（実に４０年の歳月である）ものに由来する変化を持たせた以外大きな改変はない。

いちばん大きな設定の変化は、
?娘・岩下志麻（２２歳）は晩婚の時代を反映して財前直見（ドラマの上では３３歳）に。いまは消失した「適齢期」が大きく超えた年齢になっていること。それとファンには気がかりな、
?岸田今日子のママ（今回は片平なぎさ）がいるバーの描写の点である。“軍艦マーチ”は高度成長期を華やかに思い出させる”世界の国からこんにちは“になっている。あとはひたすら『秋刀魚の味』の再現にトライしたプログラムとなっている。

★笠　智衆・中村伸郎・北　竜二の旧制中学同窓生トリオは宇津井　健・米倉斉加年・井川比佐志が、東野英冶郎の恩師は植木　等、その未婚の娘・杉村春子は泉ピン子。

★演出の福原義人（脚本にも手をいれている）が小津の独特の世界を再現すべく腐心している。それは彼が本当に小津が好きであるからだろう。『赤ひげ』になく、『秋刀魚の味』に溢れているものこそ、この視点なのだ。

★主人公の自宅のセットの造型も映画そのままだ。ファンが好きな映画のセットをそっくり自宅に再現したようなものだ。贅沢な遊びといえば、これほど贅沢なものはない。

しかし、そういう遊びを恥ずかしく思わないのかと口に出すひともいるだろう。クリエーターとして、あの軽妙洒脱な会話や乾いたペーソス、そういったものが果たして再現可能か試してみたくなったのだろう。

奇跡的に再現は成立した。だが完全に再現できたために浮かび上がったこともあった。いくつか挙げてみよう。

?３人組の会話がうまく成立すればするほど、いったいいつの時代の住人なのか・・・と超時代的な印象が膨れあがる。全員が内田百閒や永井荷風の弟みたいな印象だ。これなど、永遠の前衛作家たる小津の面目躍如であろう。
?佐田啓二・岡田茉莉子扮する長男夫婦（今回は佐野史郎、余貴美子）が住む団地は当時庶民のあこがれの住宅であった。今回彼らが住んでいるのは公団住宅であろうが、現代では、イメージとしては社宅以下で、希望に満ちた環境には見えない。
?また妻が夫にポンポンと皮肉っぽくしゃべることも当時では新しい夫婦のイメージで好意的に捉えられたと思しいが、同じセリフを聞かされると現代ではなんと殺伐に聞こえることだろうか。（小津は『晩春』の月丘夢路、『麦秋』の淡島千景と、こういうタイプの女性を戦後派の女性像と考えて、好んで登場させている。）
?当時では２２歳の女性でも適齢期というシバリがあった。そのために笠はさしてやりたくもない娘を嫁がせたのだし。現代のように晩婚もしくは非婚女性が珍しくない時代ではむりやり嫁がせる緊急性がない。恩師の営むうらぶれたラーメン屋で、いくらぎすぎすと険のある娘を見たとしても父親として危機感を持ったかは疑わしい。ましてや映画でトンカツの食べっぷりがいいだけの吉田輝雄に心惹かれるエピソードはさすがに割愛されている。

★『秋刀魚の味』が少なからず好意的に感じられる最大の理由は、この作品が『東京物語』ほどに老人問題や親捨てなどの今日的な悲劇的なテーマが希薄であったからである。そしてファン意識まるだしでセリフ回し、ロー･アングル、はては丸ビルなどのインサート･ショットにいたるまで登場させた無邪気さゆえの好成績であった。

★それにしても財前直見の実年齢は、文金高島田の前に初々しさとはかけ離れたたたずまいになった。（また『赤ひげ』での保本　登におんぶされたおとよ（鈴木　杏）の、なんと長い肢であることよ。日本人の体型は４０年前とは比べものにならぬ成長ぶりなのだなあ。この体格の変化だけでも時代劇が遠のくはずだ。）

★いまから２５年以前フジテレビは小津の名作を現代に生かすと連続ドラマ『春ひらく』を放送した。そして筋書きだけをなぞった小津ものは、単なるホーム･ドラマ以下の出来栄えとなった。

これは『また逢う日まで』などの懐かしの映画ドラマシリーズにもなべて言えることだった。ＮＨＫも故・野田高悟の娘である脚本家立原りゅうを起用し『新東京物語』を放送した。だが小津のロー･アングル、独特のセリフ回し。世界一独創的なスタイルなくして再現は噴飯ものと斬り捨てるファンが少なくなかったのである。

前述した“永遠の前衛映画作家”という小津への形容は覆ることはないだろう。それほど小津映画はいつの世にあっても極めて特殊な位置を確保し続けるのである。

★しかし黒澤プロはよほどの資金難なのか、黒澤映画の再映像化権を矢継ぎ早に決定している。梅田コマの松平　健公演『用心棒』に続いて、ヴィデオ・ムーヴィー『旋風（かぜ）の用心棒』がＣＭを流している。これはなんと、パチスロのプロを描くものであるらしい。伊万里の黒澤　明記念館の計画がらみの資金難による乱発ではなかろうかと思われてならない。

２００３年１月３日の日記より。