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格差社会を考えるコミュの【自己責任論】

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こちらで議論をどうぞ。
他のトピックで自己責任論を振りかざす方が現れると一気に議論が停止して精神論根性論発表トピックに変わってしまうので、自己責任云々の議論はこちらでお願いします。

※一応、議論の基本を示しておきます
【主張が相手に上手く伝わらない場合のアドバイス】
■一般になじみがない、定義が明確に認知されていない概念や、通常とは異なる形で使用した用語について、きちんと定義を示すなどして説明してみる。
■主張・結論(答え)に至った前提(項の材料)、思考プロセス(公式)を示してみる。
■その前提が正しいか具体例を示しているか具体例が正しいか見直す。
■主な主張を支えている二次的主張・結論は正しいか見直す。
■主張(結論)がまとまっているか、一貫しているか、明確かどうかを見直す。

【議論のマナー】
■相手に横向きな姿勢(お前が何を発言しても一切否定するぞ!自分が正しくなきゃやだ!)は議論から逃げている不誠実な姿勢なのでしない。
■慇懃無礼(例→自分はこうだと思いますよ。こんな考え方ができないなんて中学生以下の人だと思います)な言い回しをしない。
■モラルハラスメントマニピュレート(例→道徳に照らして考えてこうだからお前は卑しい奴だ!俺と同じ考え方しろ!言うこときけ!)しない。
■勝手に一般化(例→常識的に考えて!一般的に!社会では!これが当たり前!)しない。
■議論が本題からズレたら、きちんと本題に戻して議論を保つ。
■ここは他人のコミュであることを自覚して2ちゃんねるではないことを認識し発言に責任をもつ。


さぁ思う存分どうぞ。ほとんどのトピックが自己責任論争で議論が停止しているので、自己責任論争はここだけでお願いします。

コメント(232)

> 生まれ変わったRさん

最後に

フランス革命期の議会だったか、

「貴方のその意見には反対だが、貴方がそういう意見を言う権利を私は守る」

という言葉があります。

「自己責任論が議論を停滞させる」とか、「こちらでどうぞ」とかやはりそういう考え自体が間違っていると思います。

そもそも「どっからどこまでの【内容】が排除対象になりうる」

とか誰も規定出来ないのですから。

互いに「お前が喋るから乱れた」とか「お前は喋んな」では何にもならないのですから
akirさん>
【破綻した自己責任】になった段階でも【自己責任】を問う

これはここで書いている人の多くは心得ているのではないかな。
時おり、確かにいるにはいるけど。

それと【破綻した自己責任】個人の責任能力を超えたケースのことをいわれてましたが、
破綻しないようにする方法が問題ですよね。
ただ【破綻した自己責任】なのか?ここの認識が難しいと思う。

特に雇用問題については僕はそう感じます。
正規雇用が減っている→だから俺は貧困なんだ。
というように社会問題のせいにしてやるべきことすらやらない。
こういった若者も多くなってます。

これをどう変えていくのか。
すぐに劇的に治せる代物ではないと思うな。
>>193
そのフランス革命の〜と例に出した人物は、
"言論の自由の範疇での発言について、
その発言に自分は反対であっても相手には言う権利がある"と云うことではありませんか?
>ましゃさん
>【破綻した自己責任】になった段階でも【自己責任】を問う
>これはここで書いている人の多くは心得ているのではないかな。
>時おり、確かにいるにはいるけど。

私としては、自己責任の言葉が妙にひっかかるのはこのケースなんですよね。
分かっていただけているのならばいいのですが・・・

>【破綻した自己責任】個人の責任能力を超えたケースのことをいわれてましたが、
>破綻しないようにする方法が問題ですよね。

ええ、そうです。

私の考え方ではハード面(社会システム)の見直しによって
【自己責任】が破綻しないようにすべきと考えます。

規制を強化することで、一方での弊害は生じるでしょうが、
現在のシステムでも十分に問題点は浮き彫りになってきており、
トータルのバランスを取れば良いのだと思います。


一方で、ソフト面(教育強化等)の見直しで改善を考える方もいらっしゃいます。

一体どれだけの人を対象に、どれだけの期間を費やし、どのような教育を施すのか。
費用にどれくらいの予算が要り、効果が現れるのにどれくらいの年月がかかるのか。
ビジョンが示されることがないので、実効性、即効性について懐疑的に成らざるを得ないです。

勿論、ハード面、ソフト面の両面から見直していくというのは多いに賛成です。
ですが、ソフト面だけの見直しで【自己責任】が破綻しないようになると考えるのは難しいと思っています。

>ただ【破綻した自己責任】なのか?ここの認識が難しいと思う。

この認識は明瞭だと思います。
【破綻した自己責任】は、起こっている過程を捉えるのではなく、
実際に起こった結果(過去)をカウントすればいいのです。

例えば、生活保護の件数などで追えば、近年増加傾向なのは統計的にも確認できますね。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2950.html
>>196さん
私の事後救済含めた自己責任論の立場では、

その責任能力が破綻する個人を減らさないと自己責任社会は実現が困難と云う見方に立っていて
自己責任社会を実現するにあたってその意識改革をしていく必要があると云う見方をしています。

そこで出てくるのが「教育の問題」、
日本の反知性主義・律法主義のような国民性の「空気」「空気による論理的思考の排除」「村社会」「思考停止」をどうするか、
これがある限り国民の思考力や判断力が育たない。

"自立した思考力や判断力がある、
発達した国民性でなければ、責任を自覚して行動せずに責任能力を越えた事案を次々に起こしてしまいかねない。
それをいちいち救済するのでは社会保障費が増大する。
それを抑えるためにも国民の自立した思考力と判断力を育てる改革をするべきである"
なので
"教育の問題を掲げている"訳です。


私が最初から言っていることはすべて一貫性があるんです。

民主主義の見方で自己責任社会を実現するにあたっては
事後救済を疎かに考える訳にはいかないからです。
>生まれ変わったRさん

仰られている教育ですが、どのような年齢層を対象とし、
どれくらいの期間で成果が出るとお考えですか?

既に責任能力が破綻する個人は増えてきており、
教育が実を結ぶ前に事後救済が破綻するという可能性もあると思うのですが。
私は>>196のakirさんと同じく「自己責任社会」を
実現するに当たって教育強化などのソフト面よりも
社会構造(日本型雇用の見直しや負の所得税等)などの
社会システムにメスを入れることで全体の流れを変えることが
優先されるべきと思っています。

それによって中途半端な市場原理主義の導入による「格差感」
不公平感と言いかえてもいいですが、それをまず無くすことで
自己責任を追求しやすい社会へと変化していくのがいいと考えています。

現状の日本の社会体制では、新しい価値観と過去の価値観が歪に併存し、
それゆえに不公平感が生じていると思いますので、ハード面の改革を
徹底すべきだと考えます。

それにより失敗者が言い訳しづらい社会になりますので、それから
ソフト面に手をつけるべきだと思ってます。

要はきちんと自己責任を追及できる社会にする為に中途半端な
社会体制を見直そうというわけです。
>>198さん
現在の日本の自己責任の状況から話しますので少々お待ちください。
>>199さん
ですので、
他のトピックでその雇用や社会システムの議論をしている時に自己責任論争が割り込んで邪魔をしていたので、このトピックが立った経緯は御存知かと思います。

"先に理想的な雇用や社会システムを実現するよりも、先に自己責任社会を実現しよう"と云うトピックではないと云うことです。


ここはあくまでも自己責任論についてのトピックですので
ここから社会構造の話しのトピックに変えると主題からズレてしまいますよね?

それをすると、
雇用や社会システムの議論に自己責任論争が邪魔するから立ったトピックで、

今度は自己責任の話しが主題のトピックで、雇用や社会システムの話しが割り込んで主題が飛んでいってしまった。となりかねませんよね?

ですので
その話しはその話しでトピックを立てて議論してはどうでしょうか?

【と、云うよりも】
そもそも他トピックで、その雇用や社会システムを議論していたのに
自己責任論争が割り込んでいた訳ですorz

>>200

なるほど了解です。
おっしゃっていることが理解できました。
>>198さん
先に状況から話しますね。
教育の問題でもあり、育児の問題でもあり、その育児や教育を受けた子どもが社会人となり様々な問題に波及しています。

現在の自己責任(実際は無責任)のあり方を例えると、
"無知な親と子ども"の構図なんです。

まず骨格から、
私の見解である1→2→3→(本当はローマ数字にしたい)の、
日本型育児・教育の【定型ルート】を説明します。
私が個人的に問題だと考えていることでネットにも転がっていない定型を表したものです。
(子どもを国民とも解釈できるように作ってあります)

1↓■子どもに対して言いつけ(先救済)(過干渉・過保護・マインドコントロール)から始まり、自主性や自立した思考力や判断力を禁止する。
2↓■ある程度、成長すると自由(実際は放任)を与え、自主性や思考力や判断力が育っていない子どもを放つ。
3↓■自立した思考力や判断力が育っていない子どもは当然、何か問題を起こす。
4↓■1に戻る。
自己責任だと切り捨て、問題に苦しむ子どもに対して、叩く舌刀で斬る制裁を加える。
他の大人も同様に育てられたのでそれは躾(正義)と云う"空気"を築く。

【これを育児や教育で見ると】
1↓■先に言いつけ(先救済)
(あれはダメこれもダメ、ああしなさいこうしなさいと自主性や自立した思考や判断の禁止)で過干渉・過保護・マインドコントロールから始まり、従わない子どもには叩く舌刀で斬る制裁を加える。
それは躾(正義)
(1)↓■学校現場→先に1つの答えを用意しそれを記憶詰め込みして考えさせない。(自主性や自立した思考や判断力を育てない)
先の問題育児の子どもが問題を起こし学校が乱れる。
2↓■ある程度、育つと自由の尊重と云い放任。自主性や自立した思考や判断力が育っていない子どもを放つ。
過保護・過干渉・マインドコントロール→放任・無関心・責任回避への切り替え。
3↓■思考や判断力が育っていない子どもには何かしら問題が起きる。
4↓■自己責任と切り捨てる。
叩く舌刀で斬る制裁を加える。
それは躾(正義)

(フリーターバッシングにも少し関わっていますよね)


こうして日本は大人から子どもまで無責任。

何故、大人や子どもが無責任な行動を起こすか。自主性や思考力や判断力が未熟だから。(良心も知的判断)

それをいちいち救済していたら社会保障費が増大する。
なので
1から改めることを考える。

>生まれ変わったRさん
書かれている内容についてですが、次のように考えます。

1.実効性について

幼い子供に対して自主性や思考力や判断力を育む教育を
施すのは効果が見込めると思います。

しかしながら、人格形成の終わった大人に対して、
同様の教育を行っても効果は薄いのではないでしょうか。

2.即効性について

幼い子供に自主性や思考力や判断力を育む教育を行ったとして、
彼らが労働市場の主体になるまで、一体何十年待てばよいのでしょうか。
続き
では、育児や教育の問題にどう手をつけていくか。

要するに
周りの人が描く絵を見て絵を書きはじめるように、
思考や判断を他者に依存し自分で思考しない判断しない国民を生産しないよう、減らしていくようにするのが課題としてあります。


まずはコストの低いことから、
意識の切り替えからはじめていく。


■過保護・過干渉な育児は子どもへの虐待と云うことを周知させ意識を変える。
(現在は過保護=子どもが可愛いからで濃密な愛情と誤解されています。実際は子どもの自主性や思考力や判断力を奪うので虐待でしかありません。)
■子どもは家庭で育てる→子どもは社会で育てるに意識を切り替えて、過保護や虐待を受けている懸念がある子どもをすぐに保護できる体制に変える。
(現在の状態は児童相談所も親への対応に苦慮して手を出しにくい)
■現在は子どもへの過保護や虐待の影響を宣伝するだけ→親のメンタルケアも考える。
市町村でパンフレットなどを配布して問題を周知させる。
■それにより幼少で平穏に教育を受ける機会から排除されてしまう子どもがあらわれ、後に社会保障費にツケがまわらないために真剣に育児や教育を考える意識を広める。
■義務教育は子どもが勉強する義務→社会、大人が子どもに教育を受けさせる義務に意識を切り替える。
■先に用意された答えを言いつけて記憶詰め込みさせる育児や教育→考える力を育てる教育を取り入れる。↓そのために
■考える力を育てる教育の必要性について教授や教師や一般人も述べながら
今までズルズルと対処を先延ばしにしてきたので、
全国から教授や教師などを集めて会議を開く。
■それを踏まえて新たに先鋭で議論・会議をして教育のマニュアルを作成して、
現場教師に配布する。一気にやろうとすると現場教師が混乱するので、現場教師を急かさずに。
■日本はあまりに教育費(学費)が高額なので現実的で可能な限り引き下げていき、少しでも有能な人材を増やしていく。
■現在のオンリーワン教育は少し‥どうなんでしょう?
私は個人的に大丈夫なのかなと心配しています。
自分の頭で考える力をつければ解決すると思います。
自分の見方(目)、自分の考え方(脳)、自分の意見(口)、相手の意見を聞く(耳)、自分のセンス(鼻)
こうしてその人の個性が自然にあらわれます。

それらがない人々を精神世界を観る眼で観ると"のっぺらぼう"
つまり、個性がないんです。
続き
他にもあります、
どう優先順位を立てるか、どこから財源を持ってくるか、役割の分担はどうするか‥etc

語りなれていないので疲れましたorz

長くなるので避けますけれども、


自己責任論者は、
自己責任社会をどうやって実現するかの思考があって、
はじめて自己責任論者だと思います。


メディアやネットは、
自己責任の言葉を使い、自身の了見で他者を裁き、他者を舌刀で斬りつける類の人々などを自己責任論者と云う視点で捉えている感がありますけれども、

それは自己責任論者ではなく"クレーマー"だと思いませんか?
> ましゃさん

白黒アレルギー自体も二極化(なんでも白黒に堪えられないタイプと、とにかく白黒つけないと気が済まないタイプ)といったところでしょうかね・・・。

でもどちらも根っこは一緒のアレルギーかもしれません・・・。

アレルギーを起こさない人は問題を起こさず、システムに順応しやすいですから。


あと、過当競争(塾講習料の価格破壊の例でしたね)の責任は、消費者、企業双方にあるというのは、その通りですよね。

でも、事の発端は、消費者に消費の自由の全権限が与えられているから、「あっちはタダだぞ!」と安易に消費者が飛び付く現象がまず起こるからですね。

特に「判断力の乏しい消費者」にこの全権限が付与されると、不毛な価格破壊競争が起こり、結果として、企業も消費者双方に利益をもたらさない 「競争社会の逆効果現象」すら 引き起こしかねません。

しかし、だからといって 企業間の自由競争を制限すると、今度は独占・寡占チックなルールを企業間で談合まがいの行為で取り決め、企業が不当に甘い汁を吸い始める。

まあ、どっちもどっちなのかもしれませんが、序列で言えば、やはり、権限は確実に 消費者>>>>>>>>>企業。
でも商売の智恵(悪智恵含む)は、企業>>>>>>消費者 ですよね。


改めて私は思いますが、「自己責任」って もう破綻していますよ。

例えば、人間にとってもっとも基本となる(プリミティブで不可欠な)仕事は、第一次産業の農業、漁業などの食料生産・調達ですよね。

でも、これが一番低収入だったり、リスキー(冷夏、天候不順、台風、豪雨水害等最近特に地球規模で異常気象だし)(漁業だって、ちょっと原油相場が乱高下したら途端に行き詰まる)だったりする。

昨今の行き過ぎた世界経済の無秩序化、自然破壊のツケが こういった基本産業に一番打撃を与えている。

真面目に、必死に 日本の一次産業を支えている人々に「自己責任」の言葉を突き付けることができるだろうか???
なんでもかんでも社会責任だ!

というのもクレーマーだと思う
> 生まれ変わったRさん

そう、つまり相手の発言する権利は等しく尊重に値するということですね。

だから私は個別具体的に発言内容を批判することはあっても、発言者をグループ分けした上で発言そのものを否定したりはしません


相手の発言する権利を否定することは誰にもなく、どの発言者が排除・隔離・否定に値するかは誰にも分からないからです
>173
忙しくて御返事遅れました。
色々と御伺いしたいことはありますが、確かにトピックの本題に入る前提を議論しているのが余りにも長くなってしまっている(私が議論を掘り返した)ので、私もここら辺で止めておきます。
>>208

>>でも確かダイさんは今の生活保護でも足りないと考えていらっしゃいましたよね?

それは無いですね。
私は存在する制度は、積極的に活用すべきという考えで水際作戦などの
「受けさせない」ようにする対処療法については否定的な考えですが
生活保護制度にそのものについては、受給者を減少させる施策が必要だと
考えています。

だからこそ社会的なハード面の改革が必要という考えです。

現行の生活保護制度は対処療法にしかなっておらず、
「受けなくて良いようにするにはどうすればいいか」という視点が無い。

対処療法とは、問題が減少傾向にあるときこそ意味があるもので
問題が拡大傾向にあるときは、必ず抜本治療が必要であるという考えです。

ですので、今の金銭面でワーキングプア層を越えてしまうような
生活保護の中身そのものについては否定的な考えですよ。
以前にも地域振興券や地域商店で使える商品券など現金以外の支給方法も
ありではないか、という主張を書いたりしてますし。

ですので、月夜さんの主張とは単純な優先順位の違いだと思います。
さくっちょさん>
白黒アレルギーの二極化、そして根っこ・・・順応性・適応性が低いとはいえるかもしれませんね。
「なんでも白黒に堪えられないタイプ」は温厚で、そういった競争が嫌いな人とか。「とにかく白黒つけないと気が済まないタイプ」これは僕の考えでは自己中心的な人ですね。良くも悪くも周りの人と合わせたり、協調するとかが苦手なのかと。

>過当競争(塾講習料の価格破壊の例でしたね)の責任

これの背景としてその大手は各校舎に高いコストをかけて立派に立ててましたが採算が取れなくなってきた。
(塾業界も競争は激しいです。価格よりもいかに結果を出せるか・・・かけたお金に見合う結果が出せるのか。ここを重視される。この大手はそれができなくなってきていたんです。社員数も減って質が低下してましたし。)

そこで塾業界では異例の価格破壊をやったわけです。
技術・質の低下ゆえ手っとり早く生徒を獲得しようとしたわけです。

この例では、企業側の責任のほうが重いと思います。
しかも結果としてタダで入った子は講習会のみの参加(これならタダなので)とか生徒のレベルの問題からあまり成果が出せず今も苦しんでます。


例によって様々ですが、安けりゃいいと考える消費者だけではないですよ。
ところがてっとり早い方法をやり始めたからどつぼにはまる。

>日本の一次産業を支えている人々に「自己責任」の言葉を突き付けることが
>できるだろうか

自己責任っぽいことをいってましたが、これは言いませんよ。
おおくのことについてもそう。
ただ最近、格差をいいわけにするような輩も割と周りにいるので。
それでつい、それは自分の行動の結果だろうと言いたくなってしまう。
難しいですね、ほんとに。
生まれ変わったR さん>
フリーターバッシングってそもそもよく問題にしてますがそんなによくあることなのですか?正直、過剰反応な気がします。

様々書かれてましたが、過保護のところ。
過保護とありますが、まず幼児期に親の愛情をしっかり感じさせることは大事ですよ。それをだらだら中・高校生と続けるのが問題なのです。

それと過保護になるのは少子化の影響と子供への性犯罪や猟奇的犯罪が増えているのも原因ですよね。地域の人でも安心はできない。こんな状況ですから。
ここの改善も不可欠でしょう。



個人的見解ですが、やはり一番の問題はネットだと思います。
情報があふれ、不特定多数の人と交流もできる。

子供にとって自分に賛同してくれる仲間を見つけやすく、同じ価値観の人と交流さえしてればいい。すごく楽なんです。

結果、外で遊ばず、部活もせず・・・結果会話能力や社会適応能力が育たない。
その意味でネット、ゲームが害になっていると思う。

ネットリテラシーを親に教育することが必要でしょうね。
ただ大人になると・・・・即効性のある対策が思いつきませんね。
【社会責任派】
社会を形成する特定の権力層や、とにかく社会すべてが悪いとパッシングするのみで 具体的改善案を真剣に議論する姿勢が見られず、「俺を助けろ」的権利意識の固執するタイプ→社会責任派クレーマー

格差等の社会の不条理を問題視し、どのように社会が変われば これらの不条理を解決・改善できるかを真剣に議論・提案する姿勢を持つタイプ→純粋な社会責任派

【自己責任派】
格差等、社会の不条理を認めつつも、自己の利益等の都合から、社会責任派の真剣な議論に、すぐ「努力論」を振りかざし、妨害・阻止しようとするタイプ→自己責任派クレーマー

社会に問題意識を感じ、その原因を「自己責任能力の欠如と位置付け」、その自己責任能力を社会全体で高めていこうとする議論・提案を真剣にするタイプ→純粋な自己責任派


【責任論否定派】
そもそも、社会に何の問題点もないと言い切るタイプ→自己・社会共に責任なし
格差社会の問題点を認識しつつも、弱者の自業自得を強調し、救済に完全否定タイプ→純粋な自己責任派のように見えて実は「単なる弱者切り捨て派」(責任以前の切り捨て論者)


当コミュでは、「弱者切り捨て派」や「責任否定派」は コミュの趣旨からして、参加すべきでない。


問題は、その他の4つどもえをどう折り合いつけながら 建設的議論ができるか?

クレーマーを排除しきることはできないし、時にクレーマーの力強い主張は、事の緊迫感を生々しく露呈してくれて、議論の火点け役になってくれる。
あんまりやられると荒れるけど・・・。
さくっちょさん>
あまり一括りにするのは良い事とは思えません。
自分は格差等の社会の問題でおこる不条理を解決・改善できるかを考えたい。
が、一方でそれは社会の問題か?個々の問題もあるぞ。
責任があるのでは?努力すべきところでは?

と思うことも多々あるな。

改善策を出されても、その背景や動機に納得できないケースなどもありますしね。

「弱者切り捨て派」や「責任否定派」は確かに困るけど、そういった人達が何故そう主張するのかは知りたいと思う。だから排除ってどうなのだろうかと思うな。

そして本当に困るのが「おまえは自己責任論者だ!!」「弱者切り捨て派だ!!」
と勝手に決めつけられ言いがかりをつけられることではないかな。
議論もなにもないですからね、こういった人。
>>あまり一括りにするのは良い事とは思えません。
>なにが良くないのでしょうか?

そんな単純ではないのです。
住みにくい社会(世の中)になったことは、多くの人が認めるところでしょう。
非正規雇用の急激な増加で、収入差が生まれ、固定化されつつあります。
超少子高齢化による逆ピラミッド、非婚化も襲いかかっています。
危機感を持っている人もいれば、パラサイト先で諦めモードの人もいます。
そして何より、日本経済浮上の鍵である製造業の足元がおぼつかない。
モタモタしている間に中国、韓国に追いつかれ、追い抜かされる現実が目前にある。
アメリカ頼みの防衛も、危うくなってきている。アメリカの後楯がない日本は丸裸。

こういう状況を加味した上で、格差問題も考えていかないと、理想(机上の空論)でしかない。
【責任】なんて言葉に惑わされず、本質を見なければいけない。

私のスタンスは、上記例示を用いるならば

格差等の社会の不条理を問題視し、どのように社会が変われば これらの不条理を解決・改善できるかを真剣に議論・提案する姿勢をする。同時に世界を含めた環境下で、どうすれば個々の生活レベルを上げることが出来るのか、そのために個人、社会、そして政治がすべき事は何かを追究する。特に個人レベルで即改善できることはないのであろうかを中心に。
>ボブさん

>>>あまり一括りにするのは良い事とは思えません。
>>なにが良くないのでしょうか?
>字面通りに考えると「一括りにする」=216の議論参加者の類型化 ということだと
>思えるのですが、216は問題分析としておかしくは見えないので、どこが良くないのか、
>もっと良い軸の提案があるのか、それが聞きたくて218を書きました。

責任を【社会】【自己】に分ける(類型化)こと自体に意味がないということでしょう。

もし4つに分けるならば、投稿者のスタンス(立場、態度)でしょう。
1.自分に責任は無く、社会が悪いというスタンス
2.自己改革はさておき、社会に対して改善を求めるスタンス
3.社会に対して改善を求めるのと同時に、自己改革をするというスタンス
4.社会改善は必要なく、自己責任で突き進むというスタンス


>意思決定の生産性(ある合意を得るまでにどれだけのコストがかかるか)を考えると、
>議論に参加するメンバーは多少は絞った方が良いと私は思いますよ。

政府の諮問機関ならその通りです。
しかし、ここは不特定多数が勝手に意見を述べ合う場。自然に浄化されるしかないでしょう。


>・・・・むしろ他の意見でも議論の阻害因子として活躍をしている方もいるので、
>意見より態度を見て対応を考えた方が良いと思います。
>生産性のある議論がしたいという点で、多くの人は考えが一致していますから、
>議論を阻害する癖がある人に対しては、協力して慎重に対応していけるといいですね。

これはレスやロムする人の判断で良いでしょう。
反論するも良し、スルーするも良し、これも技術でしょう。
こういう場でのやり取りは、リアル(面と向かっての会議や交渉)で非常に役立ちますからね。

そして、ここでの議論で現実が変わるわけではありませんし、結論は出ません。
ここで醸成された知識、価値観を自分の一部として、それぞれがリアル(現実社会)で
反映していくのです。私はそのように考え、利用させていただいております。
>ビバさんがおっしゃる「もし4つに分けるならば」も、さくっちょさんがなさった
>自己/社会と純粋/クレーマーのマトリックス分析も、同じように問題分析の一例ですよね。
>私は問題分析をすること自体に意義があると思うので、多少恣意的な観点だったとしても
>行為自体を肯定しています

いやいや、そういうことではなくて。マトリックスにする意味は何でしょうか?
自己/純粋の窓に人が多い、自己・社会/クレーマーの窓にいる人を排除しましょう。
これだけ。そこからは何を見出されるつもりですか??
どんな解決の糸口が見つかるのでしょうか???

私が強いて言った「4つのスタンス」提示は、議論者のそれを知ることにより
なぜそういう意見なのか奥が見えてくる。何を求めているのかも見えてくる。
こう思ったから提示したまでです。類型化で並べる(分析?)するつもりはサラサラありません。
他者が所有する責任に言及し、「責任を取れ」と多く述べている人は
得てして責任感に乏しい気がします。

人生における自由とはどれだけ責任を担ったかに掛かっていると
私は考えます。
運動に関しても自己の動作一つ一つに責任を持ち、
その数や深さに応じて動作の自由は変わってきますし、
社会生活においても自由とは責任を持ち果たした場合において
真の賞賛される自由と見なされますし、
責任無き自由は言わば自縄自縛への道です。精神的にも肉体的にも
社会的にも真の自由が遠ざかるでしょう。

自己責任論は他者の困難に対し”私は責任を持ちませんよ”と
あえて宣言をするサディスティックな精神に基づいて
使われていると感じます。
真に自己責任を扱える人ならば、その対象となる人に起こった問題に対して、
自身何が出来るかを実践することでしょう。
ボブさん>
>ビバさんがおっしゃる「もし4つに分けるならば」も、さくっちょさんがなさった
>自己/社会と純粋/クレーマーのマトリックス分析も、同じように問題分析の一例ですよね。
>私は問題分析をすること自体に意義があると思うので、多少恣意的な観点だったとしても
>行為自体を肯定しています

問題分析のために一括りにすること自体は別に構わないのですよ。
でも、今回の場合「自己/社会と純粋/クレーマーのマトリックス分析」を行いそれによって
特定枠に入った人を排除する・・・

これに意味・意義があるのでしょうか?
といったこと。だから今回は排除するために一括りにする必要性がないのではと思いました。
言葉たらずで申し訳ない。
実際問題、公務員が本来果たすべき役割を果たさず、己の権利だけは行使するという事を50年やって来た
結果が今あると言えます。

現在ある全ての問題は、公務員が原因です。

問題の芽が出てきた段階で対策をせず、先送りにして来た結果、ドッチを向いても問題ばかりになってしまいました。

消費税率が上がっても、税収は幾らも増えないことでしょう。
その一方で、生活が成り立たない人が激増します。
どの辺りかワカリマセンが、日本でも人々の絶望感が高まれば一揆や打壊しが繰り返されてきました。
情報だけは全国に伝播する現代に一揆がおこれば、全国にスグサマ波及。日本国はなくなります。

1900年ころの朝鮮半島を国際社会は援助しようとはしませんでした。
> 東急不買さん

リンク先も含めて読ませていただきました。

まあ、そんな感じなんでしょうね?感じはします。
44名もの 東大医学部生を対象に調査したのは興味深い内容です。

彼らは、頭良いんですよ。本当に・・・。(勉強しかできないおバカさんではないという意味で)

人間のポテンシャルを引き出すのに、同じ行為(勉強)を一日15時間以上毎日続けるとか、そういうやり方が逆に非効率であることも知っている。

ただ、東大生に極貧層が極めて少ない(ほとんどが中流以上の家庭)であるような記述がありましたね。

そういう現象は、まあ普通に考えれば「普通」なんだろうな〜と勝手に自己納得しました。


でも、私が一つ懸念するのは、彼らのような人達はきっと、最も「格差問題」とかに関心がない(自身や身内に生活困窮経験のある人が少ない・・・)のでは?ということ。


例えば、歴代首相などの政治家の学歴とかは、東大若しくは東大に近いレベルの大学出身者が多くないでしょうか?

そういう人達が、日本の舵取を担っているわけです。
彼らはきっと解っている。何が問題でどうすれば良いのかも・・・。

でも、自らを犠牲にしてまでやり通す、「貪欲な正義感」まではない。

ビジネスライクなんですよ!普通にお仕事・・・。ただそれだけ。(それもどちらかというとあまり関心のない分野が得てして社会保障とかだったりする)

頭は良いから、尚更そのことを承知している。

なんか、もどかしいですよね。

すみません。単なる個人的感想です。

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