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私塾 靈明閣コミュの【4】物語日本史(上)P57〜63

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■概要(あらすじ(▼)、疑問点(□)、補足等(※))

▼▼▼ 御歴代天皇
・昔は、苦労することを「たしなむ」と言ったらしい。
(その苦労によって、素盞嗚尊は尊い神になったらしい。

・イギリスの貴族「ポンソンビー」は、124代に至る天皇家に感動し、全て覚えていたらしい。

 ※イギリス貴族のポンソンビー:1878−1937
皇室の尊厳に憧れ京都に住み、生活の凡てを日本式とし京都御所には土下座で遥拝しました。かれは日本で神を見た英国貴族といわれた。

・崇神天皇は、乱世を憂いて自分に非があると思い、八咫鏡と天叢雲剣を倭の笠縫村に奉安
(神社と整え、お祭りが粗末にならないようすると、疫病など乱れがなくなったらしい。

 ※倭の笠縫村
(大和笠縫(かさぬい)氏の子孫が古くから移住したところ。笠づくりの盛んな土地らしい。
(伊勢神宮式年遷宮(しきねんせんぐう)と天皇即位式大嘗(だいじょう)祭には、今でもここから納められているらしい。

・垂仁天皇の皇女「倭姫尊」が、伊勢に神宮を建てたらしい。

・殉死を嘆いた垂仁天皇が、野見宿祢(ノミノスクネ)に命じて、人身御供の変わりに埴輪を考案
(野見宿祢(ノミノスクネ)、当麻蹴速(タイマノケハヤ)は相撲の神様
(野見宿祢は、菅原道真の先祖らしい。

 景行天皇の御世に九州に反乱があり、大碓尊(オウスノミコト)に熊襲鎮圧に向かう。
 反乱の首謀者「川上梟帥」を宴会中に女装して刺し殺す。その際、大碓尊(オウスノミコト)は、「日本武尊」の名を「川上梟帥」から送られる。

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▼▼▼ 日本武尊
 九州を平定して、大和へ凱旋した日本武尊は、次に東国へ征伐に向かう。
 伊勢神宮に立ち寄った日本武尊は、「天叢雲剣」を授かり、駿河で焼き討ちにあうが、まわりの草を焼き払い難を逃れる。これによって、「天叢雲剣」は、「草薙剣」と呼ばれるようになる。
 相模から上総に向かう際、暴風雨にあった一行は、弟橘姫の犠牲によって事なきを得る。
 大和へ帰る途中の峠で、犠牲となった姫を嘆き「わが妻よ!」と嘆く。このことから関東は「吾妻」と呼ばれるようになったらしい。
 尾張までたどり着いた一行は、近江の伊吹山へ。山の神は大蛇に化けて道を塞いだが、神だと思わぬ日本武尊はそれを跨ぐ。起こった神は、天変地異で日本武尊を苦しめるが、なんとか脱出。その後の伊勢で永眠。
 墓を作ると、白鳥になってそこから飛び立ち、奈良県、大阪府に留まる。それぞれに墓が作られる。

・487年に編纂された「宋書」に、日本統一の記述があるらしい。

■参考資料/余談等
・「火の鳥(黎明編)」-手塚治虫
(このあたりの話

平成20年2月17日五月雨

コメント(4)

細かいことは
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=27031599&comm_id=2973664
に書きますが、色々と問題があったので。

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▼▼▼素戔嗚尊(すさのおのみこと)▼▼▼
昔は暴れん坊であった素戔嗚尊(すさのおのみこと)が、苦労して尊い神になった。

※※※ 苦労することを、昔は、たしなむ、といった。

▼▼▼崇神天皇▼▼▼
崇神天皇の御代に疫病が流行ったり、国が乱れた為、神徳を穢すことがあったのでは、と天皇は考え、三種の神器を奉安して天照大神をお祭りしてたものを、八咫鏡と天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を御殿から移し、倭の笠縫邑(かさぬいのむら)に奉安し、天照大神をお引っ越しさせた。

▼▼▼伊勢神宮▼▼▼
倭姫命(やまとひめのみこと)は、神鏡を奉じて諸処ご巡歴になり、伊勢の五十鈴川の川上が大御神をお祭りする聖地である、と神宮を建てた。これが伊勢神宮である。(正式な名称は「神宮」。)

□□□ 伊勢の五十鈴川(いすずがわ)の川上は聖地であるとのこと。
何故、かの地が聖地に選ばれたのでしょう。聖地の条件とはどんなものか?
聖地、と呼ばれる土地の共通点や特徴などを調べてみると面白いと思います。

▼▼▼土師連(はじのむらじ)▼▼▼
当麻蹴速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね )が力持ち自慢大会。
争うが、蹴速が負けてしまう。殉死は残酷であるということから、土器で人形を作り、お墓の周りに建てた。
野見宿禰の子孫は代々これを掌り、土師連(はじのむらじ)と呼ばれる。

※※※ 出雲の野見宿禰(のみのすくね )は、相撲の神様である、とのこと。
※※※ 殉死とは、主人が亡くなると、一緒に生き埋めになること。

▼▼▼日本武尊(やまとたけるのみこと)▼▼▼
宴会で女装(!)した小碓尊(おうすのみこと)は、川上梟帥(かわかみのたける)を刺す。
刺されたのに…皇子に感心した川上梟帥は、これからは「日本武尊(やまとたけるのみこと)」と
名乗れ、と言い息を引き取る。

□□□ 川上梟帥(かわかみのたける)は、猿田彦であった???

※これは違います。

▼▼▼草薙の剣▼▼▼
日本武尊は、伊勢神宮で天叢雲剣を授かる。野の入った際、賊が火を付けたので、剣で草を薙ぎ払った。
天叢雲剣は、草薙の剣と呼ばれるようになった。

※※※ 賊は火を付けて野を焼いた…焼津市の名にちなむ?
□□□草薙の剣…スマップの草薙くんの名字はここから来てるのかな??彼は剛、という名。なんだか勇ましい名ですね。

▼▼▼弟橘媛(おとたちばなひめ)▼▼▼
日本武尊の妻、弟橘媛(おとたちばなひめ)は武尊の犠牲になって海へと散る。
武尊は関東平野で「吾妻はや!」と詠嘆する。

※※※「吾妻はや!」の意…わが妻よ!
日本の東部をあずまと呼ぶのは、これにちなむという。

▼▼▼居醒の泉(いさめのいずみ)▼▼▼
日本武尊は、居醒の泉(いさめのいずみ)で疲れを取る。
※※※ 居醒の泉(いさめのいずみ)は、現在の滋賀県米原の地。


メモ/ようこ
ポンソンビーって、誰それ?で調べて出てきた色々。
文章なり報道なり、そこに編集が絡むと、その発言の実体とかけ離れてしまう、、、という例えで用いました。
喜ばしいことが色々書いてありますが、その発言をした状況、前後関係で内容はマ反対にもなるということであり、そういう冷静な目を失わないのはとても重要だと感じました。
■ イギリス貴族のポンソンビー1878−1937
皇室の尊厳に憧れ京都に住み、生活の凡てを日本式とし京都御所には土下座で遥拝しました。かれは日本で神を見た英国貴族といわれた。

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■ 元フランス大使のクルーデル
私が決して滅んで欲しく無いと願う世界の中の一つの民族は日本だと。

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■ 米国のウエスト博士
日本の天皇を憧れ「私は絶海の孤島の漁師でもいい、山間僻地の百姓でもいい、日本人になり天皇陛下にお仕えしたいと。

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■ 東京裁判のウエップ裁判長
「天皇は神だ、あれだけの試練を受けても帝位を維持しているのは神でなくてはできない」

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■ 英国人ビッケン名古屋商科大学教授は
「キリスト教文化は、科学、哲学、産業革命を生み出し現在の経済中心の世界を作り上げた。だか、ユダヤ、キリスト教を中心とする宗教は、闘争に明け暮れて、疲れ果てている。これは人間と自然との関係を排除してきたからだ。自然と人間、人間と人間の調和・共生を求める日本の古神道に帰らねば人類は救われない」

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■ フランスのエリート
「十数年前フランスの若いエリート達が伊勢神宮を見て自国の聖地は伊勢神宮程の精神性は無いと言った。他の学者も伊勢の荘厳、森厳の静寂に宗教の根源的なものを感じた。」

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■ アメリカ女性歴史学者 ヘレン・ミアーズ
「日本の伝統神事は肉体的満足の対象である食物、精神的満足を齎す自然美への感謝の儀式だ。」

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■ 小泉八雲
「日本人は目に見える一切の森羅万象の背後に、超自然の神霊を考え、山川草木から井戸、かまどにいたるまでそれを司る神を見る。日本人はこの国土を創造した神々の子孫である。神道とは、その祖先崇拝の思想で、死ねば霊となって子孫と国を守ると考える」

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■ ポルトガル人・モラエス  1854年--1929年
「日本には西洋世界に無い、他人を疑わない人情味あふれる人間関係がある。平和で優美な日本の環境のとりことなった。」

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■ フランス作家 オリヴィエ・ジェルマントマ
「日本の霊性に感動した、その霊感から発する日本の文化、芸術、文学を愛し溺愛する。私は師であるアンドレ・マルローを那智の滝に案内した。その時、マルロー師は叫んだ、滝の中にアマテラスを見た、と。神聖とは何かを日本でつかんだと話された。神道の中に神聖を体感されたのである。」
■ 米国オハイオ州 コーイチ・パリッシュ氏
「神道こそ神に近づく道であり、手順であり、それを厳格に実践することで、深く霊性を開発し、人格を高めることができるものである。神道はわれわれ地球人にとって必要不可欠で「人類の宝」と確信する。」

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■ アーノルド・トインビー
トインビーは神道を高く評価し、「日本の活路」で言った。「戦後、日本人は近代化の道を邁進してきたが、その見返りとして心理的ストレスと絶えざる緊張にさらされている。それは産業革命がもたらすまぬがれない代価である。ところが神道は、人間とそのほかの自然との調和のとれた協調関係を説いている。日本国民は、自然の汚染によってすでに報いを受け始めているが、実は神道の中にそうした災いに対する祖先伝来の救済策を持っているのである。」。物質文明が避けられない災いを救う宗教であると言っている。

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■ アーノルド・トインビー
昭和42年に来日した歴史学者トインビーは、真っ先に伊勢神宮に参拝して、千古の神宮林の繁る神域に立ち、「すべての宗教の基底になるものが伊勢神宮にあると感じ」毛筆で神宮に記帳した。

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■ ドイツ植物学者ヒューセン博士
「日本人が生活環境に郷土固有の神社林を保護育成してきたこと、また山岳地帯には祖先伝来の原生林がまだ存在することとあいまって、日本民族の優秀な資質育成に大きな効果を果たしてきたことからも、現代人はこれらを大切に守って子孫に伝える責任がある。ヨーロッパ諸国では、放牧により早くから原生林を失い、その弊害を補うために人口植林に努めている。日本の社叢などを見て祖先の賢明さに敬意を表する」と神道の鎮守の森との関係で味わうべき言葉を残している。

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