ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

パラマハンサ ・ヨガナンダコミュの自己実現への旅

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
この自己実現への旅「JOURNEY TO SELF-REALIZATION」という書籍はヨガナンダジの講和集第3巻目であり、人間の永遠の探求、聖なるロマンスに続くものです。

人間の永遠の探求をお読みになった方々にはお分かりでしょうが、非常に素晴らしい書籍であると思われるのに、残念ながら日本語訳では発売されておりません。

そのため、これから少しづつ翻訳をしていきたいと考えております。

聖なるロマンスが講和の104回目で完了しておりましたので、この書籍は105回目からの講和集となります。




「自己実現への旅」


講和105

永遠の若々しさ表現する方法
(1938年3月20日 エンシニタスのSRF旧礼拝堂における講話)


 神の王国は雲の中の、空間のある指定された場所にはありません。それは、まさにあなた方が閉じた目によって認める暗闇の背後にあるのです。神は意識であり、絶対的な存在であり、常に新しい喜びです。この喜びは遍在しています。その喜びとのワンネスを感じなさい。それは、あなた方の中に住み、無限を取り巻きます。物質の粗く振動する境界を超えて、不変の無限である神は、すべての壮大さと広大さにおいて君臨しています。永遠 ― それは神の王国、永遠であり、果てしない意識的な至福です。魂を拡大し、至る所にその存在を感じるとき、あなたは御霊と融合します。

 我々は、空が海と出会う地平線の祭壇で、無限の神にひれ伏します。そして、心の中にある平和の祭壇で、超越した無限の神にひれ伏します。

 我々が無知を演じているにもかかわらず、神は内在することによって我々に生命を与え続けます。彼は芝生の中で眠っており、花の中で夢見て、鳥や動物の中で目覚めます。そして、人間の中で起きることを知っています。特別な人の中に、彼はご自身を再び発見されます。

 過去の時代に、庵で隔離されたインドのリシや大師たちは、偏在する御霊の隠されたミステリーを解き明かしました。彼らの研究は、我々に生命の果てしない源と全人類に宿る知性に対する体と心を調和させる、価値あるテクニックや方法を与えました。心の中で無限の神に集中することによって、あなた方はこの果てしない力を受け取ることができるのです。

 本の研究や学問のある人から得られる知識では限りがあります。しかし、無限の神から、知恵の無制限の力を得ることができるのです。どのようにそれを得るのでしょうか?我々はワシントン山の本部から送られる週1回のレッスンでその方法を教えています。これらのレッスンの真理は、神から、そして、インドの大師たちの研究からもたらされたものです。

コメント(334)

生命は、目に見えない神の存在で満たされる


 あなたの人生のカップは、心の中も外も、神の存在によって満たされますが、注意不足のために、神の内在に気づけません。ラジオの電波を合わせるように同調すると、、あなたは御霊を受信します。海水を1本の瓶に入れて、それを栓で密閉するかのように、あなたは人生のカップを海に浮かべています。ビンは水に浮きますが、その中味は周囲の大洋と混ざりません。しかし、ビンを開けさえすれば、中の水は海と混ざり合います。御霊と接触する前に、我々は無知のコルクを外さなければなりません。

 無限の神は、我々の家です。我々は、まさにしばらくの間、体のキャラバンサライ(中東の砂漠にあった中庭のある大きな宿屋)に逗留しています。妄想によって酔っぱらっている人々は、神に通じる道をたどる方法を忘れてしまいました。しかし、瞑想において神が放蕩する子供を捕まえると、もう戯れることはありません。

 新しい希望を持って新年を迎えなさい。あなたが神の子であることを思い出しなさい。あなたが何になりたいのかということは、あなたの責任です。あなたが神の子であることを誇りとしなさい。何を恐れる必要があるのですか?たとえ何がやって来ても、それを送り出しているのは神であると思いなさい。そして、それらの毎日の挑戦を征服し、成功しなければなりません。そこに、あなたの勝利があるのです。神の意志を実践しなさい。そうすれば、何もあなたを傷つけることができません。神は永久にあなた方を愛されております。そのことを考えなさい。それを信じなさい。それを知りなさい。そして、突然ある日、あなたは神の中で永遠に生きていることが分かるでしょう。

 何が起ころうと関係なく、もっと瞑想して、神が常にあなたと共におられるというその強い意識を信じなさい。そうすれば、妄想のベールが剥ぎ取られ、あなたは神であり、神と一つであることに気づくでしょう。それは、私が人生における最も大きな幸せを見つけた方法です。私は、神の中にすべてを持っているため、今は何も期待しておりません。私は決して財産によって、最も豊かであることを手放したりすることはありません。

 これは新年の、あなた方へのメッセージなのです。



講和143 完
講和144



「あなたの愛だけで十分です」
夕方の神性な交わり


1936年12月6日 パラマハンサジがインドへの1年間の訪問から戻ってすぐ、SRF国際本部(ワシントン山)で催された木曜日夕方の礼拝


 「最愛の神よ、そして、偉大なグルたちよ、どうかあなた方の無限の恩寵によってSRFを、この団体を祝福してくださいますように。それはあなた方に命じられて、今まで私が望んできたことです。」

 「天の父よ、私のハートの子、聖者リンを祝福してください。あなたとあなたの真理を示すために、私自身と呼べる、そのような1つの魂を私に送ってくださったことを、あなたに感謝します。また、命を捧げるためにここにやって来たすべての素晴らしい魂のために、そして、あなたを捜しに来たすべての者に対して、あなたに感謝します。彼らの人生において、あなたの人生をお示しください。我々がワシントン山を地球上の天国とするために、あなたに対する我々の愛を通じて、我々を祝福してください。我々はあなたに奉仕する際、栄光ではなく、あなた自身を求めます、父よ。携帯可能な天国が、あなたを捜すためにここにやって来る、それぞれの胸の内に確立されますように。あなたは、このワシントン山で、ここにいる最愛の人々によって神聖化されています。どうかこの場所が神を愛する人々を産み出しますように。」

 「最高の御霊よ、父よ、母よ、友よ、最愛の神よ、我々はあなたに無条件の情熱を提供します。どうか我々がすべての聖者たちの愛を持って、あなたを愛せますように。あなたは顕現のすべてのしずくからなる泉です。星々を創造するパワーであり、すべての創造を継続し、すべての生命を育てるバイタリティであり、すべてのものを美しくする美であり、すべてのハートに愛を感じさせる愛なのです。あなたは、瞑想する全探求者の魂の寺院にきらめいてほとばしる、常に新しい喜びの泉です。私のハート、魂、知性、心、情熱を持って、私の中におられるあなたという存在に、あなたの子供として要求し、祈ります。私のハートを満たすものは、あなたをおいて他には何もありません。」



 「神よ、私は今、それほど幸せではありません。それは、多くの魂があなたに呼びかけているからです。御霊よ、私は力も弟子も求めてはおりません。あなたの愛だけを求めているのです。私のハートを占めるものは他には何もありません。あなた以外に居場所はありません。私の愛、ハート、魂以外、これ以上、言葉で祈ることはできません。」

 「聖なる母よ、昨晩あなたは私に何が欲しいか尋ねられました。私は、私のハートにあるあなたの愛、そして、私を愛する人々とあなたを探す人々の中にあるあなたの愛以外、切望するものは何もありません。それがすべてなのです。」

 「神聖な御霊よ、心の中にあるあなたの王国を神聖にしてください。我々皆の情熱を持って、あなたに訴えます。我々の中であなたの意識を明らかにしてください。我々が与えられた理性の悪用によって落ちてしまった誘惑のくぼみに、我々を置いていかないでください。それが我々を試験するための御意志であるならば、我々がもっと強くなるように、父よ、あなた自身を誘惑よりも魅力的にしてください。私の精神の天秤で、あなたを他のすべてのものと比較検討してみたところ、他とは比べ物にならないほど、興味をそそられ、より美しく、より魅力的であると気づきました。あなたの無類の美に匹敵できるものは何もありません。あなたの美しさの前では、他の全ての誘惑が色あせます。」

 「魅力的なプリンスよ、我々にあなた自身をお示しください。我々の人生におけるすべての経路を通じて、我々のハートの中にあるあなたの愛より劣るものは決して受け入れず、欺かれないよう、我々やあなたの熱心な信者を祝福してください。あなたは、我々が真に愛する方なのです。そのような喜びであり、至福であり、永遠の栄光です。欲望などどこにあるのでしょうか、離別などどこにあるのでしょうか?それらは、あなたの常に新しい喜びの輝きの前では薄れてしまいます。」

 「御霊よ、あなたの愛に匹敵するものなどありません!愛する私のハートよ、愛するすべての人々のハートよ、支配者たちの中の絶対神よ、神々の中の神よ、父よ、母よ、友よ、最愛の神よ、あなたの栄光は偉大です。私は、あなたを忘れさせるすべてを避け、あなたを反映するすべてを歓迎します。聖なる御霊よ、あなたは探求者たちをここにお呼びになりました。私は説教による言葉ではなく、むしろ、私のハートの花束を持って、彼らにあなたの愛を与えます。」

 「神聖な御霊よ、あなたの栄光を我々のハートに浸透させ、あなたの精神で我々の魂を満たしてください。永遠に我々の心の中であなたを確立してください。あなただけなのです。御霊よ、あなただけなのです。我々は、何度でもあなたにお辞儀します。我々は、あなたのバラ色の足元に愛を奉げます。御霊よ、あなたの喜びで、我々の意識を引きつけてください。肉体の心を惑わす宇宙の喜びを和らげてください。あなたの喜びが沈黙のベールの背後でまさに待っているとき、小さな体によって我々を欺かないでください。あなたの助力によって、我々はベールを引き裂きます。もうこれ以上、宇宙妄想によって我々を惑わせず、あなたは1人であり、唯一の存在であり、我々が捜し求める方だと理解するよう、あなたの愛で我々を満たしてください。」





 「私はすべての野心を御足に降ろします。壮大な神よ。あなたの愛だけで十分です。それがあなたの願いであるなら、今すぐ私の命を奪い去ってください。私は、あなた以外に何も必要としておりません。あなただけが欲しいのです。あなたの探究者たちのハートの中で、私はあなたと語り合います。私は時間を浪費せず、あなたを愛するすべてのハートの意識の中で印象づけられた御名前を味わうために、各瞬間を使います。それが、私が望むものなのです。あなたは天国の永遠の宝物です。御霊の栄光の他に、一体何を望むことができるのでしょうか?」

 「聖なる御霊よ、私の人生、私の心、私のすべてを持って、知恵と認識をあなたから、そして、愛するグルから受け取ります。私はハートの中で、あなたに対する永遠の忠誠を誓って、そして、あなたを愛する探究者に対して、私のすべての愛を持って、何度でもこの盛式誓願をいたします。御霊よ、我々に留まってください、我々に留まってください。そのような喜び、そのような喜び、ああ、御霊の幸運、ああ、栄光の幸運!あなたの愛以外に何を話せるのだろうか?いや、我々のハートをあなたの愛で満たしてください。それが、私が望むすべてなのです。

 「無限の神よ、あなたは果てしなく広がる空です。私は、空から落ちる1滴の雨です。[パラマハンサジが繰り返された]『私は空です。母よ、私は空なのです.... 私は空から、極寒の空から落ちる少量の雨の滴なのです。』」*

* パラマハンサ・ヨガナンダの宇宙聖歌「私は空である」から。

 空、その無限の空間は、何にも制限されず傷つくことがありません。我々はその無限のしずくであり、遍在する御霊の揺りかごで寝かされた、小さな温床にいるのです。
[ここでパラマハンサジは至福のサマディに入られた。内面化された交わりの後、彼は探究者たちの集まりの前で演説された。]


 無駄に神の名を語らないでください。あなたが神を歌うとき、あなたが歌っていることを感じ、感じていることを歌いなさい。天国の神、雲や星々の神、神の中の神、やって来ては去る何百万人の中の神、すべての探究者たちの神 ― 永遠なる神に対して、我々は不滅の忠誠を奉げます。なぜ乾いた言葉で、そして、制限された考えで神を語るのでしょうか?我々は瞑想の寺院の中で神を感じ、神はそこに我々が来ることを切望されています。

 海はまさに波の真下にあるように、御霊の海は、まさに体の波の下にあります。睡眠中、体の意識はなくなります。あなた方はまったく体を持っていないのです。目覚めると、肉体の妄想に制限されますが、目を閉じると、意識には限界がないと感じることができます。

 私は、この小さな体を凍結した空とみなします。そして、私が瞑想すると、体は広大な空になり、無限の神に抱えられます。凍結した空は、夢の中のイメージのように、凍った幻想、凍った想像力を意味します。夢の中で、あなた方は人々が生まれて、笑って、死ぬのを見ますが、目覚めると、すべてはなくなります。同様に、この体は果てしない大空間の凝縮です。しかし、それはあなたを表す方法ではありません。あなたが普通の意識で目覚めているとき、体とその限界は本物のように思いますが、実は夢を見ているのです。瞑想の真の不眠において妄想の夢を放棄すると、地球の経験が神の凍った考えであると理解します。潜在意識の睡眠である夢は、我々自身の凍った考えであり、我々は神の凍った夢の考えなのです。この夢から脱出するために、あなた方は神の中で目覚めなければなりません。その不眠は現実です。それは、私が毎秒刻一刻見ているものです。その意識は、常に私に残されています。

 それらを感じながら、私はこれらの話しをしています。私は、これ以上講義を行いたくはありません。聖なる母は「ただ、探究者たちと共に私の愛情に酔いなさい」と言われます。つまり、私はそうしたいのです。私には、他のいかなる望みもありません。私のところへやって来る人々よ、そのような精神で訪れなさい。

 インドの最も偉大な先生の何人かは、ほとんどと言っていいほど何も話しませんでした。彼らはむしろ心の中を探求させ、感じるように彼の支持者たちを導き、彼らに何を経験したか説明するよう言われました。現代の宗教は、それどころか、感情過多または知的な解説を強調します。これらは探求者に神の本当の経験をさせません。神に対する渇望は、他ならぬ神ご自身でなければ、何によっても満たされることはできません。

 この絶えず変わる不確かな世界で、あなた方はしばしば非常に孤独であると感じることでしょう。神だけはあなたを決して失望させることはありません。他の中にある喜びは全て飽きてしまうため、何か他のものを望むようになります。しかし、神がそれなのであり、あなたが神と共にあるならば、ますますあなたは神を望むことでしょう。

 唯一、真の説教は、神とのコンタクト ― このホール中、至る所で振動している神の強いパワー ― です。それは、非常に神聖なものです。そういうわけで、私は言葉によって野次馬の関心を引きたくはありません。至る所で渇望している魂に主の愛を与えたいだけなのです。大師たちの栄光は、蘇らせねばなりません。彼らはかつて、まったく話さず、まったく盲目的な支持者を造ろうとせず、神の愛の磁力によって引きつけられた本物の魂に囲まれ、神との交わりによって森に座ったものでした。野原や木々の間、そこに神の光が降りかかります。想像してみなさい!なんという喜びなのか!なんという栄光なのだろうか!神と交わる場所、このワシントン山もそうなります。日夜、我々は主の名前に酔いしれます。ここにやって来る人々は歌い、感じ、神を語って立ち去るかもしれませんが、このように我々は神を探し、神を感じ、神を語らなければなりません。



 聖なる母はここに来られました。私は彼女と話をしたのです!「聖なる母よ、私はあなたの意識、栄光、パワーとの交わり以外、望むものは何もありません。サタンの網から他の人々を救い出すことができるように、我々の認識からあなたを感じ、あなたと話すことができるよう、我々、そして我々各自を祝福してください。」

 「父よ、母よ、友よ、最愛の神よ、私が感じているこの愛をすべての魂の中で呼び覚ましてください。他のいかなる欲求でもなく、野心でもなく、あなたの喜び、知恵、永遠の美を受け入れ、表現させてください。我々は生きて、動いて、あなたの中に存在しています、神よ。肉体、心、魂の土の上に我々があなたの愛の種をまき、幸福を収穫するなら、この体にも価値を見出せるでしょう。」

 「私が去ったとき、仕事を継続してくれた、聖者リンを何度でも祝福してください。私は彼ほど正直で、誠実で、自尊心を見せない者を他では決して見たことがありません。彼が常にそうありますように。たとえどこにいようとも、彼は必ず保護されるでしょう。彼が聖なる御霊の愛によって人生を送れますように。彼の人生が、私の人生の証をもたらしますように。」

 「聖なる母よ、あなたの愛の光が世界の悪によって、わずかな間、遮られます。しかし、我々は常に暗闇を照らし出す、輝く神の洪水のように、あなたの愛を明らかにします。私は、あなたの大きな力を感じます。あなたの力の大砲によって、我々は世界の悪を破壊することができます。しかし、聖なる母よ、あなたの偉大な力は、愛の力です。世界で起こる戦争とトラブルを止めさせるために、我々が確立しなければならないのはその力なのです。私は世界の苦しみを感じて、あなたの子供たちを救うために、何度でも地球上にやって来ます。」

 「最愛の神よ、あなたのメッセンジャーの熱心な一団として、我々はあなたを称賛し、御名前と栄光を広めるために、地球を横断できるよう我々を祝福してください。その間、いつも人の認知ではなく、あなたの認知を求めます。御霊よ。」

 「私は、あなたを愛している人々と一緒にいることだけを願っています。あなたを欲している人々と一緒にあなたの御名前で酔いたいのです。私のところへお越しください。最愛の神よ、あなたは私のハートの最初で最後の愛なのです。彼らがすべてのもの、すべての空想的な夢を放棄して、あなたの愛で満たされるようにあなたの愛と栄光をすべての者に感じさせてください。あなたの愛、あなたの喜び以外、他に私が話せることはありません!あなたの愛の絶え間ない認識とすぐにあなたと親しく語り合う切迫感を我々に植え付けてください。あなたから我々を遠ざけるすべてを放棄することを教えてください。」

 「あなただけが永遠であり、唯一の現実です。すべてのものはあなたによって活性化され、権限を与えらました。あなたは私の食物、私の睡眠、私の強さ、私の喜びです。ああ、何という自由、なんという喜びなのだろうか!私を解放してくださったように、すべての人々を解放してください!私にこの喜びをもたらしてくださったように、すべての人々を祝福してください。」

 さあ、私と共に祈り、あなたの言葉の背後にあるものを、あなたの魂の切望としてください。「天の父よ、母よ、友よ、最愛の神よ、私はあなたに魂の叫びを奉げます。物質の大地で放浪する私をお許しください。今すぐ永遠に、絶え間なく、あなたの祝福された存在を感じられるよう、私にお姿をお示しください。私はあなたを手に入れる必要はありません。なぜなら、あなたはすでに永遠を通して私のものだからです。ただあなたの存在の記憶、あなたを永遠に所有する記憶を蘇らせるために、私を祝福してください。オウム、オウム、アーメン。」



講和144 完
講和145


ハートの征服者でありなさい

1938年11月3日 SRF国際本部における僧院居住者とその他のメンバーに対する非公式の話し

 もし我々が非個人的に生命について考えるなら、それが素晴らしいと分かります。毎日が異なる映画、我々はそれをショーであると考えます。我々は、何度も何度も同じ映画を見ると飽きてしまいます。それは無駄であり、単調なものだからです。人生にその浮き沈み、勝利、逆境がなければ、ほとんど生きがいを持てなくなってしまうでしょう。あまり深刻に人生を受け取ってしまうと、それはとても惨めになる場合があります。もしあなたが不変の、冷静沈着な御霊の状態に到達したいなら、常に穏やかな心でいるようにしてください。「アルジュナよ!この世のここにおいてさえ、存在の相対性は、精神が穏やかである人々によって征服されるのだ。それによって、彼らは御霊 ― まことに汚れの無い、完全に釣り合いの取れた御霊 ― の中で王座に就くのだ。」*

* バガヴァッド・ギータV:19

 個人的な欲望は、魂の平和を腐食させる酸に似ています。時には、すべてがうまくいき、世界を考えてみても、どこにも問題はないように思います。しかし、すべてが我々にとって逆風であるように思える時がやって来ます。それは我々を強化するために行われるレッスンであり、我々の隠れた力を引き出します。しかし、その代わりに、欲望が満たされないことから怒りを引き起こします。欲求が挫折され、怒りの発作に捕らわれると、心は霧で包まれ、立場を忘れて、識別を失います。そして、識別なく行動すると、過ちや不幸がその後に続きます。† もし人生の挫折に対して、または挫折させた扇動者に対して決して腹を立てないなら、何があなたの周囲で起ころうとも、よりクリアに自分の道を見ることができます。

†「感覚の対象を考え過ぎると、それらに対して執着が生じる。執着から欲望が生じ、欲望は怒りを生み出す。怒りから妄想が生じ、妄想は記憶の(大いなる自己の)喪失を引き起こす。正しい記憶の喪失によって、識別するための能力が衰える。識別力の衰えから、人(霊的な生命)は滅びる。」(バガヴァッド・ギータ?:62-63)

 そうなれば、あなたの平和は他の全てにも増して、守られることになります。あなたが内なる安らぎを保ち続けることができるなら、そこには最高の勝利があります。たとえ人生がどのような立場に置かれたとしても、決してあなたの安らぎを失うことに関して正当性を感じてはいけません。その安らぎをなくし、はっきりと考えることができなくなってしまったことは、戦いに敗れたことを意味します。たとえトラブルの結末がどうであったにしても、決して安らぎを失わないなら、あなたは常に勝利していることに気づくでしょう。それは、人生を征服する方法です。あなたが恐れるものは何もありません。仮に恐れる必要があるとしたら、あなた自身だけを恐れなさい。しかし、もしあなたがハートの中ですべてのことを誠実に愛を持って行うなら、誰も何も恐れる必要はありません。あなたが平和という魂の貯蔵タンクを見つけるとき、争いはほとんどなくなり、人生を悩ますことはなくなるでしょう。

 神を愛する人は魂において、自分の本当の自己の中で生きています。彼は、自分自身のためには何もせず、すべて神のために行います。世界を神の宇宙劇場とみなし、すべての人々を愛しています。彼は、立腹して何かを言ったり、怒りやエゴで何かを行ったりすることは決してなく、すべての人々への助けとなることだけを望んでいます。それは、あなた方が見習うべき姿勢です。そのような人生を送られなければなりません。それはどんなに装っても手に入れることができません。しかし、皆の中に神を認める時だけ ― 神に対するあなたの愛の一部として、皆を愛するとき ― 手に入れることができるのです。

 あなたが家族を想うその同じきずなを感じるために、あなた方各自と共に、私は働いているのです。私は、あなた方が最も近い親族に対して感じるように、全人類と同じような一体感を感じます。その感情を説明することはできません。そのようになるとき、それはあなた方が生命の意味と美しさを理解し始める時なのです。
人々の過ちを責めずに、彼らを愛しなさい


 あなたが神を愛し、その結果、皆を愛しているなら、それはあなたが人々の欠点を見ていないことを意味します。愛情深い神は、あなたを主の原則によって動揺させないようにされます。私が神お一人のためだけに働いていることを確信したとき、私の信念で間違っていた意識と恐れは私のもとを去りました。もし私が間違っているなら、いつでも誤りを指摘される準備ができています。しかし、もし私が正しいなら、内なる感覚は私のもとを決して去りません。それは感傷ではなく、真理から誕生します。そして、そこに自分の立場を貫きます。

 神のゆるぎない幸せは、すべての活動の、あなたが行うすべての適切なベースなのです。神からその安全な理解を授かりたいと思っている人は、誰の足の上にでも自分の頭をつけることができねばなりません。そしてまた、神の幸せと保証を逃がさないために、真理において決然たる態度をとる心構えが必要です。

 魂の寺院には、神の最も美しい完全な存在があります。神に対する愛情を浮かべ、神に対する完全な愛情を持っている人々は、全ての中に主の素晴らしい存在を見ることができます。しかし、同時に、彼らは目が間違いや無知によって閉じられた、それらの盲目的な人を見ることもできます。神の恋人は、他人の中に暗闇と光の両方をこのように見ているのです。たとえば、壮麗な寺院があるとします。目が開いている人々は、美しさを見ます。しかし、目が閉じている人々は、寺院ではなく暗闇を見ているのです。したがって、偉大な魂は、すべての魂の寺院に、神の輝かしい存在を見ることができるのです。しかし、目を閉じているために、その同じ光によって暗闇でつまずく人々も彼らは見ています。

 私は、決して先生になりたいと望んではいませんでした。そのステータスがしばしば全くといっていいほど知らない、多くを知る意識を人々に与えることに私は気づいたのです。私が人生を教育に専念させたのは、大師[スワミ・スリ・ユクテスワ]が私に「私がお前に知識を与えなかったなら、お前はこの知恵を受け取らなかっただろう」とちょうど言われた時でした。大師が私にこの真理を与えられたように、彼も私が無欲で他の人々に知識を与えるよう奨励されたのです。

 あなたが先生であるなら、誠実でなければなりません。たとえ何を言おうとしても、心から感じなければなりません。あなたが実直であり、正直であるなら、精神は神の原則から外れるように買収されることはありません。自己中心主義または怒りによって動かされることはないため、不親切であるはずがありません。あなたが行うことは、最大の誠実さを持って行いなさい。聖職者、または、生きることを教えているかどうかにかかわらず、そのように振る舞い、あなたの人生とあなたが助けようとする人々の人生を変える偶然がどのように起こるか見ていなさい。この瞬間から、真実において誠実で、大胆でありなさい。どこに行こうとも、自我ではなく、神を通して語り合いなさい。あなたは、人々と共に狡猾になる必要はありません。純粋でなければなりません。純粋であるなら、誠実である誰とでも仲良くなり、彼らから本物の感覚を受け取ることでしょう。支配するような、または怒りを表わすような態度ではなく、誠実な愛によって他の人々に接するなら、誤解されることは極めて少なくなります。そして、誤解する人々の行動によって、彼ら自身が面倒な状況に置かれるため、神はあなたを誤解する人々を助けます。

 人が他でもなく父を愛していても、誰かを復讐したい、または罰したいとわずかでも考えているなら、その人は神から100万マイル離れています。神を愛する人は、誰かを侮辱して楽しむつもりはありません。もちろん、やみくもに誰でもサポートすることは間違っているでしょう。しかし、他人の悪事を支持しないことは、誰かが他の人々を執念深く傷つけることを意味しているわけではありません。哲学者がかつて以下のように述べました。「最もよい仕返しの種類は、怪我をした人に似ないことである。」他の人に我々の意見を尊重してもらいたいなら、他の意見に対する敬意がなければなりません。醜さには居場所がありません。我々は、愛を込めて同意するだけではなく、愛を込めて異なる意見を言う必要があります。
神とあなたの良心の前で自分自身を裁きなさい


 言葉を極めるのは簡単ですが、人々と一緒に暮らすことを極めるのは、相当な強さを必要とします。誰もが自分自身の心にしたがって自分を知り、裁きます。数年前、東海岸からロサンゼルスまで講義旅行中に、我々と一緒に旅した若い少年がいました。彼はよく、批判するためにわざわざ面倒なことをしました。講義時間前に、私は長い髪を櫛でよくとかしたものでした。彼は常に私を分析していましたが、私もまた、彼に精神的なカメラを向けていたことを知りませんでした。2週間後、私は彼に「君とちょっと話したいのだが、君は手紙で何か私のことを書いただろう?」と言いました。すると彼は驚いて「誰かが僕の手紙を開けたのですね」と言いました。私は言いました。「それでは認めるのだね。君がそうしていることを知っていたので、私は君に手紙を書く機会を与えたかったのだよ。私は鏡の前に立って、髪をわざと櫛で大げさにとかすために大変苦労をしたのだよ。」彼は恥じていました。

 神とあなた自身の良心の前に、あなたがいるのです。たとえ全世界があなたを誤解したとしても、何も失われることはありません。あなたは、あなたなのです。批判に耐えることは個人的に成長するための非常に効果的な方法です。他人を批判することは、あなた自身の誤りを発見するより容易なことですが、最初にあなた自身の誤りを指摘することが最も重要です。非難されたとき、私は断片的に私自身を選別することを大師から学びました。私がそこで欠陥を見つけたら、私自身の誤りを指摘し、何も見つけないときは微笑みます。

 真理の確信は、あなたの魂を満たす最高の要因です。決して降伏せず、譲歩しないでください。エゴを満たすために自分が優れていることや優位に立つことを表わし、ただ誰かを批判し、否定するのは間違った行為です。同情的な態度をとると、知的な人々は合意のレベルを素早く見つけることができます。大師は、そのような物凄い知恵を持っておられたので、私は物議をかもす議論に先生を巻き込んで楽しんだものでした。私の理解が不完全だったとき、先生はご自分の立場を貫かれました。しばらくして、私はどこが間違っていたかを知り、理解したものです。あなたのビジョンが神のお力によって導かれるとき、そのようなことはまったくありません。常に御霊が導き手に触れています。それは、人生で維持していきたい調和です。恐れを知らず、誠実で、愛情深くありなさい。そうすれば、心から、最善を尽くしたことを知って、誰の顔でも見ることができるでしょう。あなたが誠実さを誰かに証明したいならば、行動に代弁させなさい。

 神はあなたが必要とするそれらの経験を送ります。それであなたが恩恵を被るためです。それらのレッスンから逃げてばかりだと、どこか他でいつかまたそれらを学ばなければなりません。あなたがそれから学べるなら、あらゆる経験は良い先生になります。しかし、憤慨と非理解によってその機会を誤用するなら、それは暴君となります。正しい態度を持つと、人生は非常に単純で、非常に容易なものとなるのです。
スピリチュアルの関係だけが長期的に続く


 私は、あなた方が私の言葉を理解することを望んでいます。私は、完全に神に私自身を奉げました。そして、神がお話しになられることはすべてあなた方にも話します。神が私に与えられるものはすべて実際に価値があり、私と親しい者や大切に思っている皆さんにあてはまると信じています。以前にも言ったように、私には親類がおりません。神を愛しているあなた方各自が、私自身のものなのです。強制的に自然に定められた家族関係は誤解を招きます。しかし、神は我々の父であり、我々は主の子供であることから、スピリチュアルの関係は続きます。母が現在、彼女の子供を愛しているとします。しかし、その子供が亡くなって、彼女の隣家に生まれ変わっているとしても、以前と同様にはその子を認められないでしょう。しかし、スピリチュアル的な関係は、ある生涯から次の生涯まで連続的であり、最も強い絆なのです。

 究極の感覚において、我々すべてが神の子であるように、心から、そして、完全に、そして、公平に皆を愛することを学ばなければなりません。「お前は等しく皆を愛しているか?」と大師が私に尋ねられたときのことを私は思い出します。「はい」と私は言いました。しかし「まだ、まだ」と先生は仰いました。その後、私の末弟がランチ* にある私の学校へ勉強しにやって来ました。そして、私は彼が私の弟であるという、そのような意識を持っていたのです。私はそのとき、大師がなぜ「まだ、まだ」と言ったのか理解し、徐々にその意識はなくなっていき、弟が私の愛する全人類の一部であるに過ぎなかったことを理解したのです。 それは、鈍感で、冷酷な態度ではありません。神が愛されるのと同様に、すべての人々を愛することを意味しているのです。そのとき、自分のことのために行うように、他人に役立つことを理解します。ある日、再び大師は私に「お前は全世界を愛しているか?」と尋ねられました。私はただ「愛しています」と答えました。すると、先生は「お前はすでに理解したようだな」と微笑んで言われました。

* ヨゴダ・サットサンガ・ヴィディアラヤ(1918年にパラマハンサ・ヨガナンダによって創立)

 私が1935〜36年にインドに戻ったとき、生まれた土地に対する愛情は薄らいでいませんでしたが、すべての国に対してその同じ愛情を感じたと知って、すごく大きな喜びとなりました。数年前、私がこの道をたどるために実家を出発したとき、母の死後、私にとって最も大切であった父が「私が死んだら、誰がお前の兄弟や姉妹の世話をしてくれるのだ?」と言い、私は答えました。「お父さん、僕は世界の誰よりも、お父さんを愛しています。しかし、すべてにおいて最も偉大であり、愛している神は、僕にお父さんを与えてくださいました。神がいらっしゃらなければ、僕はお父さんに感謝することができず、お父さんも僕を感謝することができません。いつか、僕が胸で脈打つその神の意識と共に、お父さんのところへ行くとき、僕がお父さんの愛に報いたことをもっと感じることでしょう。」





 神の愛は最高の愛です。それより素晴らしい愛はありません。本能に抱かれる愛は強要されるため、欠陥を持っています。そういう理由から、私は聖なる母として、神に歌いました。「この世では、母よ、誰も私を愛してくれません。この世では、彼らは私を愛する方法を知らないのです。」† 偉大な人の神性な愛だけが知恵から生まれます。その愛は両親の愛、または人間愛のどんな形より、無限に大きなものです。イエスは、世界のために人生を放棄されたのです。

† パラマハンサ・ヨガナンダによる宇宙聖歌「どこに愛があるのだろうか?」より。「この世では、母よ、誰も私を愛してくれません。この世では、彼らは私を愛する方法を知らないのです。どこに純粋に愛情こもった愛があるのだろうか?私を本当に愛してくれる人はどこにいるのだろうか?私の魂は、そこに行き着くことを切望します。」SRF出版。
 
 しかし、神と私の大師だけは私の魂の世話をしてくださいます。常に私を守ってくださった ― 愛のみによって行動され、私を無知から守ってくださった ― のは大師でした。先生は無限の愛が私に知恵を与えることをお示しになりました。私は、最高の愛より他には何もないことをこの目で見ることができます。

 愛する人を通して我々を愛してくださるのは神です。したがって、我々に素晴らしい母や父、親友を与えてくださり、我々のために最高のものだけを望んでくださるグルを与えてくださった神にいっそう感謝しなければなりません。母の愛情は神の完全な愛にちかいものです。なぜなら、他の誰も愛してくれなくても、母は我々を愛してくれているからです。そして、彼女は、我々が間違っていても許してくれます。しかし、神の愛の究極的な表現は、本物のグルの愛情です。彼は、無条件で我々を愛しています。そして、その崇高な愛から、魂の永遠の幸福のために我々を教えて、訓練します。私は常に母を心から愛していますが、大師に対する愛情はこれ以上ないものなのです。
本当の愛情 対 利己的な愛情


 愛の態度を持ってすべてのことを行いなさい。神のために愛し、すべてにおいて神のために行いなさい。普通の人が、他人の幸福に対する願望と自愛を満たす願望の間の違いを見分けるのは難しいものです。善意を持っている人が他人を気づかう際、その代わりに、自愛に心を奪われてしまうことがしばしばあります。利己心に対する欲求が意識から完全になくなると、唯一の願望は、他の人々に貢献することであり、すべての人々のために最も役立つことをします。つまり、知恵が働くのです。それは、非常に難しいことです。しかし、利己的な愛が完全に去っていくと、人は神性な愛を経験します。

 本当の愛は、あなたが魂の進歩を絶えず確認している時にあります。誰かの身体的な欲求や悪習の要求を満たすや否や、すでにあなたはその人を愛していないことになります。悪意を避けるために、単にその人を喜ばせているだけだからです。間違っていますよ、と友人に話すことがどんなに不快であろうとも、もしあなたがハートの愛を持って、断固たる態度で忠告するなら、そしてあなたが正しいなら、いつかその人はあなたを尊敬することでしょう。もしあなたが間違っていたとしても、彼はあなたが愛によって、誠実にそれを言ってくれたことを理解してくれるでしょう。あなたにとって近親者でなくても、間違っている人々に賛成しないでください。悪事に同意することは、悪者から好意的に見られるため、あなたの魂は買収され、それは後ほど、惨憺たる結果を生み出します。争わないでください。それは、彼らを納得させる方法ではありません。他人に影響を及ぼす方法は愛なのです。1〜2回言わなければならないことを言って、その後に心からそれを手放しなさい。控え目にして、怒りを溜め込まないようにして、ただこのように言いなさい。「静観しよう。 時が経てばいずれ分かることだ。」時間はすべてを明らかにします。そして、友人との間に同情的な理解があるなら「私は正しかった。そして、あいつは間違っていた」といったような態度はまったく湧いては来ません。

 したがって、あなた方全員が本物の友になる方法を学び、本当に優しい人になる方法を身につけることは、あなた方に対する私の祈りなのです。あなたがその神性な態度をとれるのであれば、ハートの征服者になるでしょう。それよりも満足できるものは何もありません。あなた方は決して一人ではありません。なぜなら、本当の魂をあなた自身に引きつけるからです。たとえ放っておかれたとしても、あなたは神と一緒にいるのです。

 あなた方は、そのような愛がどれほど素晴らしいか、分かっていません。それは、崇高なものです。時々、あなた方がとても幸せになるとき、そして、他人の中に神との一体感を感じるとき、― どのような人間関係にもかかわりなく、神が父であるが故に、あなた方がお互いを愛するとき ― あなた方はちらっとそれを垣間見ます。
執着は霊的な絆を築くことができないが、愛は可能である


 我々はわずかな間、一緒に旅するため、ここに集められています。そして、多様な方向に我々は行かなければなりません。しかし、魂の中に神の愛があるなら、たとえどこに行こうとも、神の王国で再び会うことでしょう。我々は、決して別々のままであり続けることはありません。再びお互いに引きつけられます。執着は、この霊的な絆を築くことができませんが、愛は可能です。自然は、この死の舞踏、死のダンスを踊っています。愛は、死や時間の破壊行為よりも長く続きます。私が現在または他の生涯において、過去に愛していたすべての人々を、現在も同じように愛しています。

 執着は強制的であり、制限されるため、惨めになります。子供が産まれると、すぐに母は子供に恋します。その感覚は、自然に母に刻み込まれます。さもなければ、彼女は無力な幼児の世話をしないでしょう。家族を愛する衝動は、無条件にすべてに愛を与えることを学ぶ最初のレッスンとして、我々に与えられました。しかし、執着は家族の愛を損ない、そして、他人を排除して、やみくもに愛を独占するため、人間関係のすべてを損なってしまうのです。執着をなくし、すべての人々に真実の、誠実な愛を与えることを学びなさい。真実の愛は個人的なものではなく、何にも束縛されません。我々の目は愛にあふれ、素晴らしい一体感を感じます。我々は1つであることを感じます。時にそれは普通の人生で感じられますが、慣れと尊敬の欠落によって、とても簡単に台無しにされてしまいます。

 我々は純粋に家族が愛し、純粋に友人を愛し、純粋に国を愛し、純粋にすべての人類を愛することを学ばなければなりません。愛国心は素晴らしいものです。しかし、それが攻撃性を引き起こすならば、間違っています。愛国的な自己中心主義は良くありません。国は、自己中心主義に注意しなければなりません。どれほど多くの国が神によって破壊されたことか。インドは、世界で最も偉大な国の1つでした。上流階級が「我々はアーリア人だ」と言い、カースト制度を制定し、他を排除して、卑しめることを始め出し、自己中心主義の影響を受けたとき、カルマの影響を受けて、インドの富と権力は外国の支配によって破壊されてしまいました。しかし、インドは独自の精神性を持っているため、いずれ以前のステータスを回復することでしょう。

 家族に対する完成された愛情、友人に対する完成された愛情、国に対する完成された愛情、すべての人類に対する完成された愛情 ― それは、偏らずに生きる心構えを持ち、すべてのために死ぬ、神に対する愛情です。それは、私があなた方全員にこの関心を持つ理由です。私がエンシニタスで神を満喫していたとき、神は、私があなた方に対して無頓着であったと感じさせました。† ここへ私をもたらしたのは神のためであり、そして、あなた方全員のために私の愛から生まれた、霊的な義務の感覚です。私には、神のための欲求以外に他の欲求はなく、神のために働く熱意より、他の熱意はありません。

† 1936年にインドから帰国以来、パラマハンサジはSRFのエンシニタス僧院で多くの時間を過ごされ、そこで隠遁に関連する執筆に取り組まれた。

 我々を呼び集めたのは神です。それは、誰もが神に奉仕することができる最も大きな機会です。我々がこの地球から去るとき、多くの魂がやって来て、我々の波動をここで感じます。良い波動を残すときは、いつも永遠の命の一部を残していきます。シェークスピアは亡くなり、リンカーンも去りましたが、彼らは人生の不滅の一部をここに残していきました。したがって、私の大師とパラムグルを胸に刻みなさい。この地球の名が永遠に続く限り、素晴らしい魂たちによって残された波動は続きます。そして、この地球が滅び去るときは、その記録は、父のふところにしまわれます。
 
 したがって、我々の後からやって来る人々が良い波動を持った霊的な足跡を感じられるように、我々も「時の砂の足跡」を残しましょう。我々が神に対する愛情や神の仕事に貢献することによって、それらの波動を増大させるなら、どれほど素晴らしいものを後の世代に残すことができるのか考えてみてください。
すべての善良な人々を支援して、お互いに協力しあいなさい


 組織の中では、自由の法則は慣習の法則に依存します。 コミュニティ ― 僧院、瞑想センター、家族、ビジネス ― において、皆がすべての善良な人々のために、自分の欲望と自我を犠牲にしなければなりません。あなた方が一緒にいるときは、一緒に行う原則が尊重されなければなりません。それは、より大きいか小さいかという問題ではなく、お互いに協力しあうことは理想です。私はこのようにあなたの本分を尽くすよう願います。組織の一般ルールに従うことは、強さと調和を創出する方法です。

 神のご意見は永遠の羊皮紙に書かれ、それは決して消されません。真っ先に神、そして人を喜ばせようとしてください。人を喜ばせようとすることは、神にとっても満足させられることですが、人を喜ばせる努力は知恵を伴わなければなりません。人々を不快にしないように努めなさい。けれども、最初に神に対する義務について常に考えなさい。

 優しく、控え目であることはとても素晴らしいことです。わがままは人を不快にさせ、謙遜は人を引き寄せます。人が謙遜な方法で振る舞うと、人は他の人々のハートに美しい琴の音を響かせます。謙遜である人は、他人に対して霊的な影響を容易に及ぼします。そのような人は、彼がこの地球で最善を尽くした満足感を持っています。それは、救世主ラーマ王が言ったことです。「私は、玉座がすべての者の心にある、ラーマである。」心を本当に統治する人々、彼らは本当の王です。神がハートの中に君臨しているなら、誰も自己中心主義を感じることができません。控え目である者ほど、より強い御霊の中に君臨することでしょう。

 セルフ・リアリゼーションが進撃しているとき、ハートの中で常に「どこに純粋な愛情こもった愛があるのだろうか?」とあなた方全員が言うことを私は望みます。愛の力は、すべての力の中で最も大きなものです。権力の力はそれより大きくありません。愛は、すべてを征服することができます。ここにはそれだけ多くの愛と理解があります。シスター・ギャナマタ* と聖者リンは、私がこれまで見てきた中で最も理解が進んでいます。シスターは、求められていなくても、客がやって来ると、宿泊するための部屋を提供するために、自分の部屋から静かに出て行きます。そして、彼女は洗濯室に泊まるのです。もし我々全員ハートの中に神の愛があり、我々の魂と考えが非常に明瞭であるなら、誤解のすべてのスクリーンがなくなるその土地にいずれ到着することでしょう。

* スリ・ギャナマタ(「知恵の母」)は、SRF修道会の最初の僧侶(最終的な誓いをする人々)の1人であった。パラマハンサ・ヨガナンダは、彼女の聖人のような霊的水準をしばしば称賛された。彼女の人生とインスピレーションを与える霊的な助言は、「God Alone」の聖人の人生と手紙の数々(SRF出版)の中に示されている。
 
 我々は神の完全な愛を持ってお互いを愛するために地球上にやって来ました。そして、どんな利己的な欲求もありませんでした。我々皆、時々そのように感じますが、それはサタンによって奪われてしまいます。サタンは不和と誤解です。神は愛であり、愛は神なのです。誰かがあなたについて思いやりがないことを言っても、あまり真剣に受け取らないでください。ただお返しに愛を与えなさい。誰かがあなたを理解しなくても、ただあなたの目の中には愛を抱き、完全な理解から生まれるその愛を持って見ていなさい。すると、その人がどのように変わるか分かるでしょう。
「たとえ私が何を言ったとしても、心から言ったのです」


 私が言うことは、単なる言葉ではなく、あなた方のために私が感じたものです。沈黙しているか、去って、一人で神と共に木の下で過ごすのは最も簡単なことです。もしこれまでに私が無知によってあなたを傷つけたなら、あなたの許しを請います。私の良心は恥じることがありません。私は恐れるものは何もありません。たとえ私が何を言ったとしても、私は心から言ったのです。もしあなたがそれに従うならば、あなたは神を喜ばせるでしょう。そして、そうしないなら、神を深く悲しませることでしょう。しかし、あなたに対して、あなたが行ったことによって私に怒りを感じさせることはありません。なぜなら、私には欲望がないからです。私の唯一の欲望は、神を喜ばせて、あなた自身の目的のためにあなた方に奉仕することなのです。

 一緒に祈りましょう。「天の父よ、我々全員のために真実の愛をお与えください。そして、特にお互いが誠実にその愛を実践することを支援してください。すべての解放された魂たちと共に神のために我々が永遠を楽しめるよう、その愛を感じて表明しましょう。神よ、あなたは愛そのものです。」

 今、私があなた方と話しているとき、神は私に全世界のビジョンをお与えになりました。神は仰いました。「私はすべてを愛しており、私を捨て去るか、受け入れるか、すべての人々に対して自由を与えました。彼らが私の希望に従うか、私の意向に反したとしても、私は彼ら全員を愛しています。私は世界に愛を与えましたが、不注意にも、彼らは爆弾でお互いを殺し合い、憎悪でお互いを破壊しています。それでも、私は彼ら全員を愛しています。心の中の寺院で愛を捜すなら、彼らは私の愛を感じます。私が全ての国々、全ての現代社会に対して持っているこの愛は、彼らの不正にかかわりなく、あなた方が持たなければならない愛なのです。それは、あなたがすべてに対して私の愛を感じ、理解することを可能とします。」これは、あなた方への神からのメッセージです。我々は神を悲しませる間違った行動によって我々自身を傷つけていますが、神は我々の過ちや凶悪な行動に関係なく、我々全員を愛しているのです。我々が神の本物の子供であるなら、神のように無条件で愛情深くなければなりません。

 したがって、あなたが行うことはすべて神のために行いなさい。あなたが生きている限り、真理と愛を広げて、小さな子供のように、恐れず、シンプルに、親切にしてください。他人がどのように振る舞うか、決して気にしないでください。以前私が彼らを助けるために立ち上がったとき、誰かに手をたたかれ、若干の憤慨、苦痛を感じた時がありました。しかし、私はもうそのようなことは感じません。私のハートは、神に対する愛情とすべての人々に対する主のとてつもなく大きな愛情であふれ返っているのです。





講和145 完
講和146



霊的な進化を早める方法
1943年8月22日 SRFエンシニタスの僧院における講話


 神への道は、鋭い刃の上と同じくらいの幅でしかなく、時にはそれと同じくらい鋭いものだと評されています。人が自由な選択によって、ひたむきさと共にその幅の狭い道を歩き、その鋭利さに尻込みせず、決してあきらめないならば、神に到達するでしょう。それは、とても難しく聞こえます。しかし、神を愛するためにとことんやる決心をするなら、道は非常に単純であると私は断言します。神を愛している者は皆、決して引き返そうとは思いません。

 適切な態度は、道を単純なものとしますが、途中でいかなる紛争やトラブルに巻き込まれないことを意味するものではありません。しかし、それらは真の探究者を狼狽させることはありません。

 直面するかもしれない試練の間に、疑念は破壊的な障害となります。それほど多くの人々が、神についての推測の中で、神を知ることが本当に可能であるかどうか疑問に思い、そしてもし可能であるなら、神を発見する能力が自分にあるかどうかといった、疑念の煮え切らない態度に捕らわれます。

 私は、多くの探求者が妄想の道に屈服し、経路の上で行ったり来たりするのが分かります。私は、過去から彼らのカルマを垣間見ます。そして、彼らの決意の物足りなさに悲しませられますが、私はそれを理解しています。そのような理由により、私は探求者がやって来ても、決して過剰に押し付けることをせず、去っていく人々に対して決して落胆しません。私は、正確に各々の人のカルマがどこに導いているのか分かっていいます。しかし、そのパターンは、絶対不変である訳ではありません。大師の話しに耳を傾けるなら、その人は自己創造の青写真を変えることができ、カルマを克服することができるのです。

 人が適切な食事についての確信が持てないなら、食事を止めることはありません。それでも、神を求めて疑念と対峙するとき、一部の人々はまるで霊的な栄養がなくても問題なく生きられるかのように、彼らの霊的な栄養を放棄します。その際に、彼らは苦しみます。したがって、疑念が沸き起こるなら、信頼と意志によってそれを破壊しなければなりません。神を見つけた人にしがみつきなさい。それは、霊的な道で成功する確実な方法です。
盲目は盲目を導くことができない


 他の人々を導こうとしているが、導く権利がない多くの人々がおります。盲人は、盲人を導くことができません。自分自身で神を見つけない限り、誰もあなたを神へ導くことはできません。社会はカリスマ的存在の回りで発展しますが、彼らはそれらの存在によって滅びます。本物のグルには、名前または名声に対しての個人的な野心はありません。彼の唯一の願望は、他の人々に神の理解を与えることです。

 私は、本物の大師を見つけるために、インド中を探しました。数々の本の中で捜しました。ある聖地から別の聖地に行って、寺院から寺院を旅しました。しかし、私の疑念はどこまでも私について来たのです。しかし、私が悟りを得たその人 ― グル、スリユクテスワジ ― を見つけ、彼の目の中にその神性な心を認めたとき、すべての疑念は晴れました。彼の恩恵を通して、私の生涯は変わりました。そのような理由により、私は本物のグルと彼の教えに従うことの重要性をあなた方に強調します。私自身が神を経験しない限り、決して神のことを教えられないでしょう、と私は大師に言いました。無条件にグルについて行くことによって、私は神を見つけたのです。

 あなたがグルと弟子との関係の原則において忠実であるなら、霊的な道は非常に容易になります。あなたはそのとき、誤った状態に進むことはありません。たとえ妄想があなたを引き離そうとしても、神を経験した大師があなたのトラブルを知って、再び道の上にあなた自身を揺るぎないものとすることを助けます。あなたが彼と調和しているなら、それはグルがあなたのために行うことです。たとえあなたとグルが数千マイル離れていようとも、彼の助力はあなたに手を差し延べます。たとえもはやこの地球の次元に大師が存在しなくても、私は常に先生を感じます。グルの導きと恩寵を持つこと、それは、霊的な道を進む最も簡単な方法なのです。
神はすでにあなた方のものである


 神は入手できるわけではなく、理解されるのです。なぜなら、神はすでにあなた方のものだからです。私はいつもこのように神に言います。「神よ、なぜあなたはお隠れになるのですか?あなたにはそうする権利がありません。なぜなら、誰もがあなたのものであり、永遠に、そして永久に、あなたは皆を所有されているからです。それなのになぜ、このような外観上の分離を作るのでしょうか?」無計画な探求者は、合理化することによって「私の心はあまりにも落ち着きません」あるいは「私はあまりにも肉体的な感覚が強過ぎます」などと言って、彼らの霊的な無気力を許してしまいます。あなたの過ちに決して集中しないでください。そうすることによって、あなたはそれらと同一視してしまいます。あなた方は知恵の目の前に妄想のベールを張っているのです。たとえ何を考えていても、それはあなたが考えていることなのです。

 日中、あなた方は弱点である記憶に拘束されますが、毎晩、睡眠中に世界を忘れると、限界を忘れます。深い睡眠中に、あなたは純粋な御霊になり、無限の大いなる自己と一体になるのです。なぜ昼間にそれを理解することができないのでしょうか?毎晩、神はあなたが何者であるのか教えてくださいます。なぜそれを疑うのでしょうか?あなたはいやしくも、骨と肉の塊ではありません。意識的に、または無意識に、あなたは神と共におります。夢の国の向こうで、本当の大いなる自己が明白となります。「空想のフライトを越えると、私には姿形がありません。」* あなたの意識は、遍在する御霊において拡大されます。毎晩、御霊と共にいるという考え方を保持しなさい。昼間の一時的な時間のみ、あなた方は神を忘れてしまっているのです。

* スワミ・シャンカラによるサンスクリットの聖歌からの一節。その一部はパラマハンサ・ヨガナンダによる「誕生はなく、死もない」というタイトルの宇宙聖歌に含まれている。
 
 神が人に与えた全てのものの内、最も大きな贈り物は睡眠であると言うことができます。なぜなら、いずれ死ななければならないというこの夢を忘れさせ、この意識から小休止させてくれるからです。普通の人は他にいかなる脱出手段もありませんが、最も未熟な者でさえ、睡眠の無意識のサマディで霊的なエネルギー回復を行います。それでも、意識的なサマディとは対照的に、睡眠は一種の麻薬です。私はよく睡眠中に遊んだものです。睡眠の状態に近づき、それから、眠れない状態と眠気の間に留まっていたのです。そして、時には深く眠って、私自身が眠っているのを同時に観察します。意識のこれらの状態管理によって、魂と自我の働きの異なる理解がもたらされました。

 今夜、深い睡眠に漂流されるとき、あなたは無数の生まれ変わりを通して集められる、弱点の全てを忘れることでしょう。あなた方は御霊の抱擁に閉じ込められます。昼間、意識的にそうすることを身に付けなさい。深い睡眠の静かな内なる穏やかさを保持しなさい。そのとき、あなたは穏やかさの中で無限の状態となり、神を知ることができるのです。クリヤヨガの瞑想は、あなたがその状態で意識を確立するよう助けます。
神の性質を取り戻しなさい


 私が強調するのは、ただ瞑想することだけではありません。瞑想にプラスして、活動している間にもあなたの心を神と共に保つことが必要です。瞑想によって、半分は勝ったも同然です。瞑想によって発揮する魂の力が活動している間にも、あなたの考えや振る舞いに影響するからです。深く瞑想すると、霊的な考えに実体化を与えます。より長く、より深く、定期的に瞑想すると、仕事と瞑想に違いがないことがもっとよく分かるでしょう。すなわち、働いているか、瞑想しているかどうかにかかわらず、至福の御霊の神性な意識に没頭し続けます。そのときはもはや、いずれ死すべき体の活動とうずき、痛みと自分を同一視しなくなります。自分が純粋な御霊であることに気がつくのです。

 体は妄想の巣です。それはこの有限世界の現実を信じさせます。しかし、我々が神とともにあるとき、その外観上の現実はなくなります。それは、とても単純です。瞑想のサマディの状態では、我々は唯一の現実として、神の至福の認識を意識的に楽しみます。

 なぜあなた方は神の性質を放棄するのでしょうか?なぜ、あなたが本当は何であるのか表現を歪める、ありとあらゆる気持ちや感情を身につけるのでしょうか?常に、容易には動じない穏やかさを保ちなさい。穏やかさからなるあなた自身の精神的な領域の王、専制君主になりなさい。穏やかさの中では、心には感情的な動揺がまったくありません。心が穏やかでない限り、神は覆い隠されるでしょう。したがって、誰にも穏やかさの平和的な王国を妨げさせないでください。夜も昼も「人のすべての考えにまさる神の平安」* があなたに喜びをもたらすのです。

* ピリピ人4:7


 不機嫌は、あなたの最大の敵です。それらの気のままにさせないでください。それらを滅ぼしなさい。なぜなら、それらは進歩の道の恐るべき障害だからです。注意深く、容赦ない力で、あなた自身を不機嫌から守りなさい。たとえどんな試練が起こっても、私は決して頭に浮かぶ不機嫌を許しません。そして、不機嫌である者とは交際しないようにしています。それらはとても伝染する性質があるため、私は彼らの不機嫌に関心を払いません。誰かが不平を言うと、あなた方は彼を見て回り、そして、あなた方も機嫌が悪いと感じることになります。ポジティブで、陽気な性質がある人々と付き合いなさい。誰かが微笑んでいると、あなた方はその人を見て回り、そして、あなた方も微笑みたい気がするでしょう。

 決して怒らないでください。決して誰にも仕返しをしようとしないでください。そして、他人に文句を言わないでください。あなた自身の誤りを指摘しなさい。全世界はあなたを虐待するかもしれませんが、なぜ間違った振る舞いによって、あなた自身を虐待しなければならないのでしょうか?
制限している影響を受け入れないこと


 トラブルの全てが、意識上のただの接ぎ木であることを覚えておきなさい。それらはあなたの魂に属しておりません。それなのに、なぜそれらの制限する影響を受け入れるのでしょうか?なぜ心配し、疑うのでしょうか?なぜそわそわして、不機嫌になるのでしょうか、あるいは瞑想することができないと言うのでしょうか?そのような発言は嘘です。なぜなら、それらはあなたの本当の大いなる自己の真実を否定するからです。むしろ心の中で「私は神の子です。私は神と共にいます。神は私と共におります」と主張しなさい。私は幼児期以来、多くの年月の間、時々心が落ちつかなかったとしても、日夜、心の中に神がいなかったことはなく、どんなときも神を思い出さなかったことはありません。それは、人生を送る方法です。慣れるまでは ― おそらく長い間 ― 絶えず努力する必要があります。そして、努力の必要は過去のものとなります。なぜなら、あなたは常に神と共にいるからです。コンサート・ピアニスト志望者は最終的に音楽が彼の一部になるまで練習し、上達しなければなりません。作家が常に作品について考えているように、また、発明の才のあるエンジニアが常に力学のことを考えているように、神性な人は常に神のことを考えています。神のその絶え間ない回想を持つことは、強力な幸せを得られることになるのです。その神の喜びを口で説明することはとてもできません。

 昨日、私は人々と一緒に一日中忙しくしており、沈黙の時間を持つ時間が遅かったのですが、瞑想するために座ったとき、心は直ちに神と共にありました。「神よ、あなたは私自身です」と私は祈りました。そして、私がそのように言うと同時に世界は私の意識から流れていき、神との完全な忘我の状態になっていました。あなたが努力をするなら、その経験をする時がやって来るでしょう。

 神はすでにあなたに神ご自身をお与えになりましたが、あなたは神を受け入れませんでした。あなたが神を知るための必要な努力をしないことは、すべての悲しみの根本原因なのです。あなたは自分自身でその悲しみを引き起こします。「神よ、あなたは私を王子にされましたが、私は故意に神性な領域から横道にそれました。そして、放蕩息子のように、乞食になることを選んでしまったのです。」

 もちろん、私も神を非難して、神が我々を創られたのですから、神が我々の困難に対して主に責任があると言います。毎日私は神に対して「神よ、あなたはこの厄介な世界を構築するために、あまりにも悪いカルマを集めませんでしたか?」と小言を言います。しかし、私は神がカルマを持っていないことを知っています。そして、あなた方が主の似姿で創られたように、神とのワンネスを理解するとき、あなた方もカルマを持ちません。そういう意味から、私はそれほどカルマの理論を強調しません。あなたが制限の概念にしがみつくほど、もっとあなた自身を縛り付けます。イエスは仰いました。「あなた方の律法に、私は言った、あなた方は神である、と書いてはありませんか?」* 進んだ態度は、罪の考えをくよくよ考えないことです。なぜなら、それは嘘だからです。眠っている王子が、彼が乞食で、貧困と飢えに苦しんで叫ぶ夢を見ているとき「乞食よ、目を覚ましなさい!」とあなたは彼に言わないでしょう。「皇太子様、起きてください!」とあなたは言うはずです。同様に、なぜ自分自身や別の誰かを罪人と呼ぶ必要があるのでしょうか?その概念を忘れなさい。たとえどんな間違いを犯したとしても、絶えず「神よ、私はあなたの似姿で創られています」と考えなさい。あなたは良いことを行なう力を心の中に持っているのです!

* ヨハネ10:34
神の他には何も望まない


 単に泣いて、運命を嘆き悲しむことが何になるのでしょうか?この生涯において、神を悟る決心をしてください。あなたは神のところへ戻らなければなりません。なぜなら、神の中にあなたの家があるからです。神から離れている限り、肉体的、道徳的、精神的、霊的なトラブルに終わりはないでしょう。あなた方は何を経験しなければならないか分かっておりません。しかし、あなた方は大いなる自己を知るための十分な知性を持っています。神の元に戻らなければならないと理解するための十分な知性をあなた方は持っているのです。

 神に対する愛は、神以外のどんなものよりも大きなものでなければなりません。私は神に求める、いかなる願望も思いつきません。時々、私は主の仕事に関連して何かを求め、しばしば神は直ちにそれをお与えになります。しかし、私は以下のことを除いて、決して私自身のために何も要求することはありません。「常に私と共にいてください。どんな試練が私のところへ訪れるかは、重要ではありません。あなたの意識によって試練に相対する力をお与えください。しかし、神よ、あなたの不在によって私を試さないでください。」

 しばしば、私は神に言います。「私は今、あなたのトリックを良く知っています。あなたは、我々があなたとあなたの創造のどちらを好むか見分けるために、感覚を魅了するこの世界を作りました。私はあなただけ、神だけを望んでいます。あなた以外に私を助けることができる方は誰もおらず、私の心を満たすことができる方はあなたをおいて誰もいないのです。」

 そのように神に向かって話しなさい。神は、あなたに対して神が反応していないと思わせるでしょう。しかし、あなたがわずかでもそのために探しているとき、完全な愛と真実を持っているなら、神はあなたに答えられます。神があなたから離れていると思うときでも「なぜ神は来られないのだろうか?」と、まだあなたが絶え間なく神を待ち望んでいるなら、神はあなたと共におられます。それを忘れないでください。神はあなたを見ています。あなたが考えるあらゆる考え、あなたが感じるあらゆる感覚を神はご存知なのです。心をゴミでいっぱいにしておくことは愚かなことです。心を神への想いで満たしなさい。神への絶え間ない想いのために祈りなさい。あなたが行動する前に、行動している間、そして、義務を終えたあと、神について考えなさい。「万物の中に私を認めて、私の中に万物を見る者は、私を見失うことはなく、私も彼を見失うことはない。」* 神は親しいものの中で最も親しい方であり、愛しいものの中で最も愛しい方であり、最も密接なものよりももっと密接な方なのです。
 
*バガヴァッド・ギータVI:30






 神があなたの人生において最も重要な方であるという真実を常に思い描いていなさい。あなたが人間の愛または生命、美、名声、お金、何か他の重要と思われるものに固執する限り、神はあなたの元へ現れないでしょう。

 神の宇宙ショーを体験して、それから神の中の住居に戻るために、あなた方は地球上に送られたのですが、あなた方はこの映画館を家と見なしてしまったのです。ここはもはや私の家ではありません。世間の人にとって、そのように言うことは非常に奇妙に思われるでしょう。しかし、それは最も素晴らしい考え方なのです。決して終わることのない幸せの中であなた自身を確立させたとき、他に何を望むことができるのでしょうか?あなたが常に新しい喜びの中にいるとき、どうしたら不機嫌になり、怒り、あれこれと切望することができるのでしょうか?そのような死に関する複雑な絡みを考えている時間はありません。私は、今すべてから内的に離れ、神とのワンネスにロックされていることを知っています。私は、神に興味を持っている人々を除いて、他の何にも興味を持っておりません。健康または富、力を得るために宗教的な会合に参加するというアイデアはナンセンスです。これらはアイデアを転換しています。もちろん、健康は病気よりよく、成功は失敗よりも良いのですが、宗教の目的はあなたを神へ導くことです。何とかして、あなた方は神の元に戻らなければなりません。
 
 我々が神を喜ばせるために知っている唯一の方法は、すべての欲望(健康に対する欲求でさえ)を退けることです。心の中では完全な世捨て人でありなさい。体と心の必要性に気を配り、執着のない欲求を持って神から与えられた義務を果たしなさい。世界から逃げる必要はありません。世界の中であまりに没頭し過ぎてはいけません。そのようになると心の中で執着を持たないでいることが難しくなるからです。神を捜す名目で隠遁し、すべての義務を放棄する怠惰な人々は、トラブルを増加させます。たとえ彼らがどこに行こうとも、彼らの気分、情熱、弱点は彼らにくっついて行きます。瞑想によってもたらされる節度を持った行動は、小さな自分を征服するより確かな方法です。
なぜ神は力と奇跡で我々を楽しませようとされるのか?


 変わりやすい霊的な探求者に共通するもう一つの欠陥は、神が驚異的なデモンストレーションを行わないと、精神的に飽きてしまうように感じ始めることです。なぜ神は力と奇跡で我々を楽しませなければならないのでしょうか?あなた方がこれらのことに興味を持つと、神を望まなくなり、神を見つけられなくなるでしょう。神を本当に望むということは、他に何も切望しないことです。その行為は能力を含むのですが、奇跡的な妙技を行う能力を持つことは、必ずしも人が神を知るというあかしではありません。神性な人は、そのような才能に関心を持ちません。彼は、唯一のパワー ― 神 ― を崇拝します。神を知るとき、奇跡的な力をあなた自身が備えてはいないかもしれませんが、もしその力を必要とするなら、あなたの命令によって、宇宙のすべての力がそこには横たわっているのです。神は私にこの人生で多くの力をお与えになりましたが、私はそれらの力を神に返しました。神に命じられた場合のみ、私はそれらを利用します。

 神秘的なマドゥスダンの物語があります。それは、ゴラクプールの聖者であるゴラクナスと彼との出会いの物語であり、その場所で私は生まれました。私がこの物語を聞いたとき、奇跡的な力に対するどんな願望についてでも私を矯正しました。ゴラクナスは、完全に啓蒙されたヨギが達成する、すべての8つの力またはアイスワリヤスを持っていました。* 体から去る際、彼は能力のいくらかを立派な人物に預けたいと思っていました。ちょうどエリヤの力のマントがエリシャ† に移動したように、大師は行うことができたのです。ある日、ゴラクナスはガンジス川のほとりに立っていた、非常に霊的な1人の青年を内なるビジョンで見ました。アストラル体をあちらこちらに転々と転送する力を使って、ゴラクナスは青年マドゥスダンの前に現れました。若者は見上げて、聖者を見て言いました。「私の前に立たないでください。太陽を遮断しています。」
 
* アイスワリヤスまたは神通力は、ヨギが霊的に最も高度な段階に進化すると、ヨギの進歩のあかしとして現れる神性な力であり、パタンジャリのヨガ・スートラ3章、そして、スワミ・スリ・ユクテスワの神聖な科学(SRF出版)の4章で説明されている。

† 列王記 ? 2:9-44


 聖者は「あなたは私が誰だか知らないのですか?私はゴラクナスですよ」と答えました。

 若者は「知っていますよ。しかし、私は今、礼拝で忙しいのです」と言いました。しばらくして、若者は聖者に尋ねました。「あなたは私に何をお望みなのでしょうか?」

 ゴラクナスは説明しました。「私には8つの力があります。そして、私がこのチンタマニ[すべての願望を与える神秘的な宝石]を与える者は、これらの力を持つことができます。私は、あなたにそれらを授けようと思っているのです。」

 「分かりました。私にそれらの力をお与えください」とマドゥスダンは言いました。すると、ゴラクナスが大変驚いたことに、彼は神秘的な宝石を受け取るとすぐにそれをガンジス川の水の中、はるか遠くに投げ捨ててしまったのです。

 「なぜ投げ捨ててしまったのだ?」とゴラクナスは問い詰めました。

 すると、若者は言いました。「妄想を静めるため、妄想を静めるためにしたのです。それらの力は、私が望むようにするために、私に与えられたのではなかったのですか?まあ、その宝石は私がそれらに対して行う唯一の使い方です。私がすでに持っているものに比べれば、そんなものは何でもありません。」

 偉大なゴラクナスは彼におじぎをして言いました。「あなたは、神から私を遠ざけていた最後の妄想を取り除いてくださった。」

 偉大な人でさえ、時には目標からそれてしまうことがあります。ゴラクナスは、神以上に、彼の力に夢中になってしまったのでした。しかし、ついに彼がその大事にしていた財産の執着を捨てたとき、彼は神との融合を達成したのです。知っての通り、妄想は多くの形をとります。しかし、神の探求者は、この物語の中の誠実なマドゥスダンに似ています。神を愛していると、神はあなたが所有するものの中で最も愛しい方であるため、他に何も望まなくなります。探求者は、神の代用を受け入ることはありません。彼は神が全てであることを知っており、神は常に存在し、神だけが生命の労苦からの確かな避難所であるということを知っているのです。
不変の現実の中で生きなさい


 一時、この世界は私にとってもとてもリアルに思えました。しかし、現在は映画を見ているように体験しています。ゴラクプールに座って私のためにマンゴーの皮をむいている母を私は見ます。たとえ愛していた母がすでにこの世にいないとしても、まるで現在存在しているかのようにはっきりと見えます。私の幼少期に経験した、それらの全場面が私のところへやって来ています。同様に、私と共にここに座っているあなた方全員がもたらす、この現在の映画のワンシーンは、ある日なくなり、時間の進む映画の中で新しい場面と俳優とに入れ替えられます。それでも、それは常に宇宙映画の記録保管所の中に残されるのです。

 私はこの世の中に生きながら、連続的に行き来する感動的な映画として見ていますが、またこの世の映画のほとんどが私の意識から離れています。変わらない現実の中に私は進んで行きます。それは、神を捜す方法です。その永遠の意識の中で生きてください。

 全世界を捜すことによって、神を見つけることはできないでしょう。創造主についての知的な会話は、あなた方に神を与えることはありません。しかし、心の中に神を捜すことによって、毎日努力をするのであれば、神を探し当てるでしょう。神への道は、知性を通してではなく、直観力を経由する必要があります。神と魂の交わりから、直観的に経験することによって、精神性は測られます。もしあなたが心の中で常に神に向かって「神よ、私のところへお越しください!」と語っているなら、それはとても易しいことです。なぜあなた自身と神との間に疑いのバリアを置くのでしょうか?もしあなたが神を愛し、心の中で神に対して話しかけ、神があなたと共にあることを知っているなら、おそらく、神以外のすべてに対してさまよう心で瞑想し、ただ黙ってぼんやりと何時間座るよりも、とても多くの結果を得られるでしょう。常に神をあなたのハートに引き留めなさい。そして、あなたが瞑想するとき、神との交わりを深く持ちなさい。

 最終的に、あなた方は神に完全に依存します。神の力なしでは、1つの言葉すら口にすることができません。神は、あなたの心臓で脈動します。神は、あなたの脳を通して考えます。あなたが行動する前でさえ、神はあなたのあらゆる考えと行動を知っています。なぜ神を疑うのでしょうか?神と真っ直ぐに向き合いなさい。神と話しなさい。神はあなたを失望させることはありません。
神との会話は沈黙を必要とする


 人々との会話には、聞き取れる声を必要とします。神との会話では、沈黙を必要とします。あまり話し過ぎる人々は、神と共にはおりません。それは、神のことを考える時間がないからです。神と心で対話する人々は、外見上はとても穏かです。彼らの環境がたとえどうであろうとも、習慣的にとても穏やかなのです。探求者は神に言うことがたくさんあるため、他のことをほとんど話す必要がありません。神に言うべきことがたくさんある人々が話すとき、彼らの言葉は神から出て、知恵と理解で満たされます。

 神の認知が進み出すと、無駄な物事のための時間はなくなります。あなたは一人 ― 神とあなた自身だけ ― になりたいと思うようになります。そして、神と過ごす貴重な瞬間を無駄にしたくないと思います。そのような探求者は活動的なときでさえ、その活動は神に対する愛情の認識を決して損なうことはありません。

 つまらないことを話していると、神への信仰を失わせます。それは、心を神から奪い去る精神的な落ち着きのなさを提供します。昨日、私はここ、エンシニタスのプールのそばに座っていました。ぺちゃくちゃと多くのおしゃべりがありました。しかし、私は空やその他のすべてが神の輝きに吸収された、その無限の光の中にいました。私はずっと沈黙していたのです。強制的にその状態となるのではなく、その人の性質の一部になるのは内なる静寂と安らぎからなのです。

 絶え間なく神に精神を集中しようとしてください。常に神と共にありなさい。主の面前で実践しなさい。時間を浪費しないでください。活動的なこの世界では、昼間は悪魔の遊び場です。悪魔の裏をかく唯一の方法は、あなたの心を神に集中することです。そして、夜になると、その日の世界とすべての心配を放棄して、瞑想しなさい。神に対する愛でうっとりしてください。神と共にあることは、睡眠を取るよりも100万倍楽しく、強固にします。
我々は魂であり、肉体的な存在ではない


 我々は魂であり、個別化された御霊です。そのため、我々は神へ戻らなければなりません。我々は肉体的な存在としてではなく、魂として自分自身のことを見なさなければなりません。現在、父と母の写真を見るとき、私の体が両親から誕生したとは決して信じることができません。なぜなら、両親もまた神によって創造されたことを知っているからです。陶芸家は粘土を作り、そして、父と母、私を作りました。どのようにしたら、私は両親が私を作ったと言えるのでしょうか?天の父は、私の誕生に関して、唯一責任を持っていました。同様にシャンカラは言いました。「生もなく、死もなく、家柄もなく、父母もなし。我は彼なり、我は彼なり、至福の霊なり、我は彼なり。」現在、地球上の両親は亡くなりましたが、私の意識の中に、そして、魂の記憶の中に、私が神の一部であるように、両親は神の一部として留まっています。したがって、どのように両親を父、母と呼ぶことによって、その記憶を束縛することができるのでしょうか?

 両親への愛着は、神への愛着の次にあたります。なぜなら、あなたの真の両親が彼らにあなたの世話をするよう命じたからです。しかし、あなたの最初の忠義は、神のためでなければならず、父と母の背後にいらっしゃる真の両親でなければなりません。神はあなたの父であり、母であり、最高の愛なのです。神と共に両親や他の人間関係を持つことは素晴らしいことです。しかし、神がいなければ、それらはこの生涯のカルマの法則と自然法則の相互作用だけとなります。神がご自身の考えや愛を我々のハートに注入されなかったなら、それらの関係は何も意味をなさないでしょう。

 魂がどれくらい美しいか、そして、どのように自我によってその表現を損ない、間違った行動を通して神性な意識を揺るがしたか分かりさえすれば、あなた方は驚くことでしょう。ほとんどの人々は、この人生をとても魅力的であると考えています。それでも、やがて、彼らは人生に飽きて、死によって魂の方へ無意識に戻ります。私の意識は正確に逆転します。私は今、魂によって生きていますが、どうにか、この世の仕事をやり続けているのです。しかし、私は、私自身が何かに執着することを許しません。それは、生命における不公平さと一時性を見るからです。私は残酷な行為を見かけます。小さい魚を大きな魚が食べ、ある動物が別の動物の肉を常食としており、生命が生命と戦い、貧困の恐怖と病気が渦巻いています。私は言います。「神よ、これがあなたのショーなのです。それなら、それでも結構です。しかし、あなたのご意志で行うこと以外、その役割の一部でありたいとは思いません。できる限り迅速に、私はあなたの仕事を行い、あなたのこの演劇から抜け出すつもりです。しかし、私はまた、コメディと悪夢のこの紛らわしいドラマから、他の人々も救ってやりたいのです。」

 この人生をあまり真面目に受け取らないでください。あなたが人生を知る前に、それは終わってしまうことでしょう。我々の幼児期には、人生はとても美しく思えました。欲しい物がとても多くあり、わずかな責任しかなく、多くの楽しむべきことがありました。しかし、現在、人生がどのようなものか考えてみなさい。それらすべての夢は過去のものとなりました。同様に、人生におけるこのエピソードは過ぎ去るでしょう。しかし、それがあなたのために存在する限り、心の中の思考をある1つの傾向 ― 神 ― に保ちなさい。あなたが真剣に神を捜すなら、どのように神はあなたの愛に抵抗することができるでしょうか?絶えず、心の中で神と話しなさい。そうすれば、神はあなたから離れ続けることはできません。

 「母に魂の叫びを奉げなさい。彼女はもう隠れ続けることができません。」* 目を閉じて、神について考えて、聖なる母に魂から呼びかけなさい。いつでも、どこでも、あなたはこのようにすることができます。たとえ他に何かを行っていたとしても、神と精神的に対話することができます。「私の神よ、私はあなたを探しています。私は、あなた以外に何も望んではおりません。私は常にあなたと共にあることを切望しています。あなたは、あなたの似姿によって私を創りました。そして、私の家はあなたと共にあります。あなたには、私をあなたから遠ざける権利はありません。おそらく、私はあなたの宇宙劇場の妄想によって誘惑され、過ちを犯したことでしょう。しかし、あなたは私の母であり、私の父であり、私の友であるので、あなたが私を許して、私を連れ戻してくださることを知っています。私は家に帰りたいのです。あなたの下へ行きたいのです。」
 
* パラマハンサ・ヨガナンダの宇宙聖歌「私はあなたに魂の叫びを奉げる」から。




講和146 完
講和147(最終章)



日常生活の中で神を理解すること

1942年10月4日 SRFハリウッド寺院における講話

 
 神のために深い信仰を持っているなら、あなたは神に何でも尋ねることができます。毎日のように、私は神に新しい質問をして、神は私に答えてくださいます。我々が神に尋ねた、いかなる誠実な質問にも、神は決して腹を立てることはありません。時々、私はこの創造をスタートさせた神に、小言を言うことさえあります。「このドラマの中で、すべての悪によってカルマで苦しもうとなさるのは一体誰なのですか?あなたは創造主であり、カルマから自由なはずではありませんか。なぜ我々をこの苦難の支配下に置かれるのですか?」* 私は、神が我々のために非常に悲しまれていると感じらます。神の願いは、我々を連れ戻すことですが、我々の協力と自己努力がなければ連れ戻すことができないのです。

* 当時、激しい第二次世界大戦の結果として、悲劇的な惨劇の事情により、特に深く切実な感傷があった。


 妄想を創り出されたことで、私は神を責めていますけれども、とは言っても、それは状況についてです。それは全く変わろうとしておりません。したがって、我々をこの混乱に陥れた神を責めるよりは、むしろそのままであることを選んだ我々自身を非難したほうが良いでしょう。我々は、我々自身を妄想から抜け出させなければなりません。そして、その唯一の方法は、知恵を通してなのです。より多く神から理解を深く求めるほど、もっと多く主の答えを受け取れます。本物の探求者は、多くの疑念に陥るときでさえ、信仰と決心を決して失いません。

 本物の探究者でさえ、神が彼らの祈りに答えてくれないと時には思います。主のルールを通して、神は静かに答えられます。しかし、神は探究者を完全に信頼するまで公然とは答えられず、話されないでしょう。宇宙の絶対神はとても控えめなため、神を選択するか、拒絶するかの探求者の自由意志の使用に影響しないよう簡単には話されません。一旦神を知るなら、あなた方は神を愛するに違いありません。誰が非常に魅力的な方に抵抗することができるでしょうか?しかし、神を知るためには、神に対する無条件の愛を証明しなければなりません。あなた方は信頼を勝ち取る必要があるのです。あなたがまさに祈るとき、神はあなたの話しをお聞きになられていることを知らなければなりません。そのとき、神はあなたに自分自身を自己紹介されるでしょう。神はその後、あなたの祈りを無視することができなくなります。





 神と我々の関係は、雇い主と従業員の間のような冷たい非個人的なものではありません。我々は主の子供です。だから、神は我々の話しを聞かなければならないのです!我々が主の子供であるという事実から免れることはできません。我々は、単に神によって創られた生きものではなく、神の一部なのです。神は我々を王子にしましたが、我々は奴隷になることを選んだのです。神は我々がもう一度王国に戻り、王子になることを望まれております。しかし、神の神性な遺産を放棄した者は、努力しなければそれを取り戻すことはできないでしょう。我々は主の似姿で創られましたが、我々はその真実をどうしたものか、忘れてしまいました。我々はいずれ死ななければならない存在であるという妄想に屈してしまいましたが、知恵の短剣でその妄想のベールを切り離さなければなりません。

 人生のうわべである現実に執着することは、本当の知恵が不足していることを示していますが、神はマーヤ ― 光と影の遊びを本物のように見せかける宇宙の幻想 ― をとても印象付け、それに影響を受けないでいるのはとても困難なようにされたのです。あなたが空腹なとき、何かを食べない限り、飢えてしまうと思わせるのはマーヤです。それでも、70日もの長い間、断食した多くの人がいます。私は30日間の長い断食を経験しましたが、空腹感は全くありませんでした。しかし、あなたの心が食べ物なしでは生きることができないと思っているなら、断食はできないでしょう。それは、一般的な妄想です。その基礎は、単に心の中にだけあります。常識と思っていることに対する例外は少数でしかないため、科学は人間が食べずにあまり長く生きることができないと断言します。しかし、食べることなく完全に生きている人々の事例はあります。バイエルンのテレーゼ・ノイマンとベンガルのギリ・バラの2人は、食べることなく生きている20世紀の聖者です。*
 
* パラマハンサジのあるヨギの自叙伝第39章と46章を参照


 我々は呼吸しなければ生きられないと通常思っていますが、深い瞑想においてクリヤヨガを実践するとき、それが可能だということを知ります。東洋と西洋の聖人は、しばしば呼吸を止めてサマディの状態に入りました。この世の生命は、我々が食べ物、呼吸、その他の特定のパターンに対応しなければならないと思わせる、単なる暗示のシステムなのです。しかし、瞑想して、意識がその源である不滅の魂の内側へ退くことを許すと、すぐにこれらの制限しているパターンに左右されないことに気づきます。あなたはそのとき、火があなたを火傷させることができず、水があなたを溺れさせることができず、健康と病気が両方共、夢であることを知ります。欲望と気分の頑強な熱の中で、我々は真実でない世界の概念を形成しました。真理は偉大な人々の知恵において具体化され、それが本物として世界に示します。この知恵によって受けたトレーニングがなかったとしたら、私はこの世に留まりたくなかったことでしょう。
「苦しみのこの大海から逃れなさい」


 本当のことを言うと、愚か者たちだけがこの世界に執着します。「愚か者たち」は、この世界が本物であると考え、無知のまま生きている人々であり、彼らはそれが唯一の生活様式であると思っています。無知は湿疹に似ています。かきむしりたいと言う、その要求を楽しむことによって安心を得ようとすればするほど、もっとかゆくなってきます。しかし、そのかゆさを考えなくすればするほど、悩まなくなります。そういうことから、クリシュナはバガヴァッド・ギータでアルジュナにこう話しています。「苦しみのこの大海から逃れなさい。」* 世界の中にいて、あなたの役割を果たしなさい。しかし、その妄想に巻き込まれず、束縛されないようにしていなさい。さもなくば、あなたは奴隷にされるでしょう。

* X?:7の言い換え


 常に性的次元に住んでいる人々は、セックスしなければやっていくことができないと思います。しかし、自制して、そのエネルギーを変える人は、それを決して望みません。喫煙は、同じ妄想をもたらします。これまでに煙草を吸ったことがない人々、あるいは、習慣を止めた人々は、決して禁煙に失敗することはないのです。
神はあなたの人生で最も必要な方である


 あなたが永遠の幸せを見つけたなら、死を免れない存在であると思うことを止めなければなりません。日常生活においてこの真理を遵守しなさい。それは、この人生や数々の生まれ変わりを通して戦わなければならないバトルであり、今から始める必要があります!明日から瞑想し始めようと思って、それを先延ばししないでください。その明日は決してやって来ないでしょう。ずいぶん昔、私はこのような態度で丸1年を過ごし、それでも「明日から」と言っていました。その後、私は決心したのです。「私は今日から瞑想を始めます。」それ以来、私はこの1日を逃したことはありません。

 あなたは、心の中で神の重要性を最初に解決しなければなりません。神があなたの人生で最も必要な方であることを心の中で理解しなければなりません。まず最初に、瞑想を非常に深くすることによって、日常生活において神の存在にアプローチしなさい。あちこちに走り回っている心で長く瞑想するよりも、深く少しだけ瞑想するほうがましです。もしあなたが心をコントロールする努力をしないなら、たとえどんなに長い間、瞑想するために座っても、心は好きなようにし続けるでしょう。

 次に、深く長く瞑想を行いなさい。それは、あなたを主の王国へ導くことになります。長く深く瞑想を行うことを身につけるまで、神はあなたに神ご自身を明らかにされないでしょう。ガンジーは1週間につき1日、沈黙と瞑想に費やしました。神を見つけたすべての聖者は、その沈黙で神を捜しました。私は神に夜と朝を与えます。ビジネスの世界で必ずしもそうすることは可能ではないかもしれませんが、もしあなたがそれを試みるならば、神の想いに奉げる時間がどれほど長いか驚かされることでしょう。神と一緒にいるための大きな努力を明日からにしようと思っていると、我々は惑わされ、結局何もできないのです。

 妄想は、良い仲間によって、聖者たちの仲間によって、そして、神のメッセンジャーへの信仰心によって破壊されます。聖者を考えることでさえ、妄想を取り除くのを助けます。妄想を破壊する神のメッセンジャーと思案を調和させることですら、個人的な交わりではありません。本物のグルは、他人のハートに彼自身を据え置くといった願望など全くなく、むしろ彼らの意識の中に神の意識を呼び覚ましたいという願望だけがあります。大師[スワミ・スリ・ユクテスワ]はそのような方でした。先生は我々と一緒でした。決して偉大さを見せませんでした。アシュラムにいる誰かが認識または権限の高い地位を望むなら、大師はその人にその地位を与えたことでしょう。しかし、私は大師の心が、彼にあった神の意識が欲しかったのです。そして、その結果、彼は永遠にここ、私のハートに存在します。それは、あなたが偉大な人々に望む調和です。
神の考えに応じてあなたの義務を果たしなさい


 瞑想時間と同様に、日夜、神について考えなければなりません。「私のハートの扉は、あなたのために大きく開かれています...。日夜、日夜、私は日夜、あなたを探します。」* 我々は意識を向上させなければならず、世間の多くの義務でさえ、神の考えと共に果たされなければなりません。
 
* パラマハンサ・ヨガナンダの宇宙聖歌「ハートの扉」から
 

義務には2種類あります。自分自身のためにするもの(あなたを縛りつけるもの)と神のためにするものとです。神へのささげ物として行われた義務は、瞑想と同じくらい霊的に有益です。神は行動と同様に、沈黙の奉納を作る、その献身を愛されます。しかし、あなた一人の慈善行為によって神を見つけることはできません。人は心からの愛情を神に与えなければならないのです。神はあなたにハート、心、魂を引き渡すことを望んでおられます。神は、あなたが神を愛していることを知りたがっておられるのです。あなたは活動と瞑想の両方で神を捜さなければなりません。心の中で神と共に歩み、そしてまた、地球上の義務の重荷を肩に背負って運ぶとき、神は一層あなたを愛されます。したがって、行動を起こす前、行動を行う間、行動を終えたときに、神について考えなさい。ギータでは以下のように述べています。「彼は常に私を見ており、私は彼を見ている。彼が私を見失うことはなく、私も彼を見失うことはない。」*
 
* バガヴァッド・ギータ?:30の言い換え


 瞑想は、毎日行わなければなりません。すぐに始めなさい!明日に目を向けないでください。まさしくこの瞬間から神について考え始めなさい。この考えにおいて、あなたは王なのです。なぜ死ななければならないと思い、その習慣に自由を奪われるのでしょうか?人が反省するとき、したくなかったことをしてしまったと気づくのは真実ではないでしょうか?その人の決意を実行することは、絶え間ない戦いです。1つのことをするために決意して、それを貫き通すのは良いことです。人は強く、静かで、落ち着いた意志を持たなければなりません。良い決意を翻さないでください。

 活動している間に、神について考える意志を深めなさい。これを日常生活の一部とすることはとても重要です。この過程を数日だけたどり、その後、すっかりすべてを忘れてしまうことがないよう注意しなさい。毎日、できるだけそれに従いなさい。たとえいつの間にか古い習慣に陥ってしまったとしても、努力し続けなさい。あなたは、そのうちに精神的に強く、健康になるでしょう。
我々が努力するとき、神は反応する


 我々が努力をするとき、神は反応します。そのとき、あなたは神が反応されることを知るでしょう。神はもはや神話ではありません。神はあなたとかくれんぼをして、目に見えないようにあなたの欲望に反応します。そして、その後、公然とあなたのところへやって来られます。過去の過ちは重要ではありません。しかし、それらの過ちを続けることはあなた自身に対しての最も大きな罪となります。なぜなら、過ちを犯すとき、あなたから真の幸せを奪うからです。あなたは自分を傷つけたり、自分に役立てたりする力を持っています。肉体を噛む無知のアリを遠ざけることは、あなた次第なのです。あなた方が幸せになろうとしないなら、誰もあなた方を幸せにすることはできません。だから、神を非難しないでください!そして、あなた方が幸せになろうとするなら、誰もあなた方を不幸にすることはできません。神が我々に自由な意志をお与えにならなかったのであれば、不幸なときに神を非難できますが、神は我々にその自由をお与えになったのです。人生を作るのは我々自身なのです。


 あなたは「なぜ我々に自由な選択があるなら、望んだ通りに事が進まないのか?」と問いかけるかもしれません。それは、あなたの意志、あなたの中にある神通力の意識を弱めたからです。しかし、セルフコントロールと瞑想を行うことによって意志を強化するなら、それは自由になります。そして、意志が自由になると同時に、あなたは運命の熟練者となるのです。しかし、日々良心に逆らって人生を送っているなら、決して自由にはならないでしょう。あなたは、自分の繁栄のために良いことをする時間を設けなければなりません。あなた自身を除いて、誰もあなたを止める者はおりません。あなたは自分自身のために気分と悪習によって自由を奪われます。そのような理由から、より弾力性のある意志を鍛えなければなりません。神についてもっと考え、もっと瞑想して、セルフコントロールを行うなど、人生において最も良いことをして、意志をコントロール下に保ちなさい。
「精神的なささやき」のダイナミックな力


 神に精神的にささやく習慣は、あなたを高めるための最も大きな助けとなります。あなたは自分の中で、とても好まれる変化を認めることでしょう。たとえ何をしていても、神は絶えず心の中にいなければなりません。あなたが特別なショーを見たいとき、あるいは、ほれぼれするドレスや車を買いたいとき等、たとえ何をしていても、心の中ではそれらのものをどうやって手に入れようか常に考えているのではないでしょうか?あなたが強い欲望を満たすまで、心は休むことがありません。心はそれらの欲望を満たすまで常に働き続けます。同様に、日夜、心を神の上に置かれなければなりません。ささいな欲望を神に対する強い欲望に変えなさい。あなたの心は絶えず「日夜、日夜、私は日夜、あなたを探します」とささやかなければなりません。

 精神的なささやきはあなたが望むものに物質化するダイナミックな力を高めます。あなた方は心の力がどれほど大きなものであるか理解しておりません。心と意志が神のご意志と同調すると、もはや地球上で変化を引き起こすために指を動かす必要はありません。神の法則はあなたのために働きます。私の人生におけるすべての際立った成果は、神のご意志と同調した、その精神力を通して成し遂げられました。その神性な発電機がオンになると、たとえ何を望んでも必然的に起こります。この新しい寺院が私の心に浮かんだとき、その背後に止めることのできないと分かっていた力がありました。私には、神の大きなご意志が働いていることが分かっていたのです。この世の心では、期待し、望むことさえできなかったことが、それにもかかわらず果たされたのです。*
 
* 1942年8月30日に完工したSRFハリウッド寺院に言及。その建設は建材が不足していた第二次世界大戦中に着手されたため、一般的に制限されたものであったが、すべての障害が1つずつ克服されていった。


 心で強烈に信じているものは、何でも実現します。イエスは仰いました。「誰でも、この山に向かって、動いて海に入れと言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言った通りになると信じるなら、その通りになります。」†

†マルコ11:23


 あなたが罪人であり、神があなたのところには決して来てくださらないという考えを抱くことによって、自分自身を落胆させないでください。そうしてしまうと、意志を麻痺させてしまいます。罪は一時的な妄想であり、犯すと終わります。罪はすでにあなたが所有しているわけではありません。しかし、二度と同じ間違いを犯すべきではないでしょう。
あなたの悪いカルマを受け入れないでください


 カルマを否定しなさい。あまりにも多くの人々が宿命的な態度を取り、カルマの意味を誤解しています。カルマを受け入れる必要はないのです。たとえば、あなたが過去にある人を殴ったとします。あなたを傷つけるつもりで、誰かがあなたの背後に立っていますよ、と私が言い、あなたが「ええ、それは私のカルマです」とおとなしく言って、その人からたたかれるのを待っているのであれば、もちろん、あなたは一撃を得られるでしょう!なぜあなたはその人をなだめようとしないのでしょうか?彼をなだめることによって、彼の苦痛を軽減させ、あなたを殴りたいという彼の願望を解消してあげてもよいではありませんか。

 神の子としてあなたが自分自身を理解するとき、あなたはどんなカルマを持っているのでしょうか?神にカルマはありません。そして、主の子供であることを理解するとき、あなたもカルマを持たないのです。毎日、あなた方は「私は死ななければならない存在でありません。私は体ではありません。神の子です」と主張しなければなりません。それは、神の存在を現しています。神にはカルマがありません。あなたは、主の似姿で創られたのです。あなたもまた、カルマから自由な存在なのです。

 あなたの弱点を改善する最高の方法は、それらのことを考えないことです。さもなければ、あなたは圧倒されます。光を採り入れなさい。そうすれば、あなたは暗闇が決して暗くなかったと感じるでしょう。その考え方ですが、私の人生において最も大きなひらめきが1つありました。暗闇が数千年間も支配した洞穴に光が差し込まれると、暗闇はすぐに消えてしまいます。そして、神の光をもたらされると、我々の誤りや弱点も消滅するのです。すると、無知の暗闇は二度と入ることができなくなります。

 それは、我々が活用しなければならない人生哲学です。明日でなく、今日、今これからです。神について考えないことに、いかなる弁解もあり得ません。日夜、心の背景を包み込んでください、神よ!神よ!神よ!お金やセックス、名声の代わりに。あなたが食器を洗っているか、溝を掘っているか、オフィスや庭で働いているかどうかにかかわらず、どんなことをしていても、心の中で言いなさい。「神よ、私の前に現れてください!あなたはちょうどここにおられます。あなたは太陽の中におられます。あなたは芝生の中におられます。あなたは水中におられます。あなたはこの部屋の中におられます。あなたは私の心臓の中におられます。」

 そして、心の中に神に対する大きな愛が宿るとき、何もミスすることはなく、たとえこの世に何を持っていても、何も持っていなくても、それでもあなたは充足感を感じられるでしょう。神性な愛はすべての世俗的な欲望を変えてしまいます。人間の愛に対するあこがれでさえ、その気まぐれな性質、あるいはしばしば痛みを伴うそのすさまじい情熱をも死によってさらわれ、変えられてしまいます。神を愛すると、より小さな愛によって満足する状態に戻ることはできません。神の中では、すべての人々のハートに対するすべての愛を理解します。あなたはそこに完全性を発見します。人々に世界が与えられ、その後、それが奪われ、痛みや幻滅が去っていくわけですが、あなた方は神の中で悲しみの余波なく、非常に素晴らしい道を見つけられることでしょう。
すべての時間は貴重である


 生命はそのように触れられる現実のようですが、それは捕えにくいものです。すべての時間は貴重です。今日、あなた方はここにおりますが、明日はいないかもしれません。私は毎日、このことを思い出します。1人ずつ、我々はこっそりと去って行きます。他の人々がやって来て、我々は去って行くわけです。しかし、体はただの衣です。あなた方は何回もこの人生で衣類を着替えたことでしょうが、だからといって、変わったと言わないでしょう。同様に、死によってこの身体のドレスを放棄しても、あなた方は何も変わることはありません。あなたはまったく同じであり、不滅の魂、神の子なのです。輪廻は、単にこの世の衣替えを意味しています。しかし、本当の自分は決して変わりません。衣服以外の何ものでもない体にではなく、本当の自分に集中しなければなりません。

 私は時々、感覚による認識が人にとって最悪の敵ではないかと思います。なぜなら、そうではないはずのことを、感覚は信じさせるからです。寒さの感覚は我々に寒いと思わせ、熱さの感覚は我々に熱があると思わせます。我々が心においてこれらの感覚を否定するなら、寒さも熱さも感じないことでしょう。

 ある夜、随分昔に、私はマサチューセッツのダックスベリーで、月光の中、海に水浴びをしに行きました。M. W.ルイス博士と彼の息子のブラッドフォードが私に同行しました。水は非常に冷たく感じられましたが、私はすべてが電気でできていると思い出しました。冷たくなる同じ電気がまた、熱も作っており、水自体は電気エネルギーの現れ以外の何物でもありません。私がちょうどこれらのことを考えていたとき、不思議なことにブラッドフォードが私を見て、彼の父に振り向いて「スワミジ* の体のまわりが光っているよ!」と叫びました。すべてが神の電気で作られている事実を再確認し、私が寒さの感覚を受け入れないようにしたため、神の光が私を覆ったのです。

* 1935年に、スリ・ユクテスワは、彼の最愛の弟子ヨガナンダに崇高な称号であるパラマハンサを授けた。その前、彼はスワミ・ヨガナンダと呼ばれていた。接尾語のジは尊敬を意味しており、インドにおける名前や称号に加えられる。
無条件の愛のネットで神を捕えなさい


 しかし、あまりにも多くこれらのことを話していると、それらはその価値を損ないます。神は小さな子供に似ています。神は狡猾さを知りません。しかし、少しでも嘘をついたりだましたりするなら、神はいなくなってしまいます。そのため、神を捕えるのはとても難しいのです。あなたは無条件の愛のネットで、神をつかまえなければなりません。愛は神への切望を意味しています。神は信仰よりも愛を評価します。信仰の中には、距離と畏怖、それとおそらく恐れがあるでしょう。愛の中には、調和と償いがあります。

 神に対する無条件の愛をまだ感じていなくても、絶望しないでください。救済はすべての人のためにあります。あなた方が進化のこの道程で遅いほうを選ぶなら、それはあなたにとっての損失です。じっと立ち止まることはできません。前に、または後ろに進む必要があります。しかし、いつかは救われるに違いありません。救い出されるということは、魂を覆う無知を落とすことです。金の塊も泥で覆われているなら、見ることができません。そして、無知の泥が黄金の魂をべたべたと塗りたくっている限り、あなたはその魂を知ることはできません。あなた方は体だけしか知らないため、魂として自分自身のことを見なすことができないのです。人の容姿は、あなたが魂の上に塗りつけた泥であり、それはあなたが自分自身のことを知らない理由です。泥を洗い流して、瞑想によって体を忘れなさい。そうすれば、何であるか分かるでしょう。あなた方は神の子であるのですから、完璧な存在であるに違いないではないでしょうか?しかし、固有の神を認識する必要があります。

 あなたは、神に対する愛を本当に秘密にし、主への愛についてとても沈黙を守る必要があります。あなたと共にいらっしゃる主の存在について話してはいけません。絶えず花の後ろの美しさ、太陽の背後の光、すべての目にきらめく生命、すべての心臓の鼓動、すべての足で歩き、すべての手で働く動作、すべての頭脳を通して働いている心、すべての愛する人々にある愛について心の中で考える偉大な人のようにしてください。

 神はとても偉大であり、とても驚嘆すべき存在です!神の意識の領域に住むことは、悪夢として、この現世の世界 ― 神を知らない世界 ― を知ることであり、その脅威からの永遠の解放を得ることなのです。

 あなた方は、毎日、貴重な時間を浪費しています。神と過ごすすべての短い瞬間が、あなたにとって最も役立つものになるでしょう。そして、心の中で神を喜ばせたいという願望によって達成するものは、すべてが永遠に留まります。神はすべての惨めさからの解放です。神は、あなたが捜す富と健康です。神は、あなたが求める愛情です。神への魂の欲望は、他の全欲望の背後にあります。煩悩は、神の至福との再会を望む魂の願いをカモフラージュします。神だけがこの人生の、そして、過去生のすべての欲望を満たすことができます。私はそれを見つけたのです。
何も神の経験とは匹敵することはできない


 したがって、日夜、神を捜してください。あなたが日々探すなら、その経験に匹敵するものは何もありません。神は、あなたが捜すゴールなのです。神なしでは生きることができません。そして、あなたが望むすべてのことを神の中に見出すことができるのです。神は探求者とかくれんぼをしていますが、いつか、この遊びが終わった後、あなた方各自に神は言われるでしょう。「あなたを拷問するためではなく、最終的に我々の再会を華やかに美しくするため、私は長い間、あなたから隠れていたのです。あなたが生まれ変わりによって探検した後、ついに私のところに戻ってきたので、私は喜んであなたを家に迎え入れます。私は長い間、あなたを待っていました。あなたを探していたのは、ただ一人だけではありません。生涯の経験を通して、あなたを追跡していたのは家族や友人のように、別々の愛する人々に変装していた私だったのです。私は、あなたが私を探すよりも熱心にあなたを観察し、待っていました。何度もあなたは私を忘れましたが、私はあなたが私の子供であることを忘れたことはありません。愛する者よ、あなたはついに自分の自由意志によって私のところへ戻って来たのです。我々は決して二度と引き離されることはありません。」


 すべての人は、そのように神に愛されているのです。神はあなたを待っておられます。世間に意識を注ぎ過ぎないようにしなさい。あなたの義務を果たしなさい。けれども、神と共にありなさい。神にはそれだけの価値があります。人生のあらゆる瞬間が、神の考えで満たされなければなりません。時間を浪費しないでください。私自身のためだけでなく、他の人々にその永遠なる安全への道を示すために、私は神のもとに帰ることを願っています。私は、私と一緒に他の人々を神のもとへ連れて行きたいと願っています。私と共に祈りなさい。


 「御身に栄光あれ、宇宙の神よ、私の魂の絶対神よ!我々があなたを愛していないときでさえ、あなたは我々を愛し、追跡してくださいます。愛の支配者よ、世界の神よ、我々の命の寺院を占拠してください!我々の欲求の王座に座る、唯一の王となってください。あなたは唯一の至福であり、唯一の喜びなのです。毎日いつでも、まさに我々の考えの背後におられるあなたの存在を見つけられるよう、我々を祝福してください。いずれ死ななければならないという妄想を我々から取り去ってください。しかし、もし我々がわずかな間、その妄想を味わう必要があるのなら、永遠を味わえるように、大きな喜びと楽しみによって我々を祝福してください。オウム。ピース。オウム。」



講和147 完




自己実現への旅はこれですべて完了です。

長い間、ご覧いただきありがとうございました。
>> アサエさん

素晴らしいお話を伝えて下さいまして、どうもありがとうございます。

ログインすると、残り296件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

パラマハンサ ・ヨガナンダ 更新情報

パラマハンサ ・ヨガナンダのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング