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正史 三国志コミュの劉備の実像の魅力

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演義では仁徳の人として描かれていますが
実際はそうでもなかったみたいなので
何があれほど臣下の心を惹きつけたのか理解できません。

「劉備のココが好きだ!」
という点をわかりやすく説明できる方いらっしゃいますか?

コメント(19)

自分はまだあまり知りませんが、僕は劉備、関羽、張飛の仲…、これが劉備の魅力だったのでは?と思います。桃園の誓いはウソでも放浪時代からずっと一緒だった3人の信頼関係は乱世の裏切りの連続の中で素晴らしいものだったのではないかと思います。
個々を見ると癖がありすぎでイヤですが(笑)
信頼できるものの裏切りや人間不振で滅んだ君主(袁家⇒兄弟、董卓⇒呂布、孫権⇒陸ソン?)がたくさんいる中で血縁もない3人の信頼関係ほど魅力的なものはないと思っております!
もっと詳しくは後の方お願いします(>人<)笑
>おにくさん
早速ありがとうございます。

たしかに、
長坂でも趙雲が曹操軍に向かって走って行ったと聞いて
投降を疑った家臣を叱り付けて
「あいつは絶対裏切らない!」
とキッパリ言ったとか、
純真に人を信じるところは魅力的かも。

ただ、関羽を大切に思うあまり、
その死の原因を作った人間をバッサバッサ処罰したのは
冷酷すぎるような気が…。

それすら男のロマンなのでしょうか…?
正史の劉備はもっと血気盛んなタイプですよね?
だから人徳の人じゃなくて関羽みたいな親分肌って事じゃないうですか?
そうですね〜B.B.さんのおっしゃるとおり気取らない親分肌な点が良かったんでしょうね。
あと、もう一つあげるなら人を見る目があってこれはっと思う人物にはよくへりくだって教えを請うた所も良かったのかも知れません。諸葛亮が惹かれたのも、自分を必要としてくれているんだ!と劉備に感じたからだと思いますしね。
確かに、親分肌であったことも一因でしょうが、何より「この人についていけば大丈夫。この人はなにかやらかす人だ」と周りに思わせる雰囲気があったことが大きいのではないでしょうか。
また、アルさんの言われるとおり、人を見る目があったのは確かだと思います。(そしてこれが諸葛亮にはなかった致命的な部分…)それをあらわしているのが馬謖の件でしょう。
「あいつを重用すべきでない。馬謖は頭でっかちだから」このことばに彼の人を見る目が集約されていると思います。

彼には、曹操のような地位や基盤はありません。話は少しそれますが、そこから皇帝までのし上がったという魅力が我々をつかんでいるのでしょうね…

あと、蛇足ですが…
>ただ、関羽を大切に思うあまり、
>その死の原因を作った人間をバッサバッサ処罰したのは
>冷酷すぎるような気が…。
これに関しては諸説ありますが、麋芳・傅士仁はまあ置いておくにしても(どう考えても軍規違反)、劉封が処罰されたのは、劉禅との後継者争いを回避するためという説がありますね。劉備はそういうところ、ほんと冷徹です。そうじゃないと乱世で生き残れなかった、という面もありますが、それにしたって、どれだけ君は渡り歩くんだ、ってくらい沈み行く船からとっとと逃げ出します(公孫サン、袁紹、劉表など)。変わり身の早さ、時流の読みの鋭さ。そのあたりも慕われる理由なのかもしれないですね。
 演義ものの影響を受けているせいかも知れませんが,中盤までの劉備を領主並みにイメージすると実像を見誤ります。独立性の高い傭兵部隊で,劉備はその隊長と認識されるとしっくり来ると思います。

 それでも,劉備の言説は実に変わり身が早く,詭弁だらけであることは無視出来ません。それも傭兵隊長としての彼の立場から来るべき国主への成り上がりを叶えるための唯一の算段を考慮すれば,ある程度理解出来ます。混乱に付け込み,傭兵としての直接統治に基づき信頼を集める。主家の混乱に乗じて領地の一部を掠め取るものの,永く勢力を全うするには要害の地益州を頼らなければならなかった。他の英傑に対する劉備の苦労は,生まれの不運と乱世の出発点でのデメリットのせいであり,劉備の能力にばかり由来するわけではありません。

 劉備陣営はそのため,如何に民衆の支持を獲得するかが急務であり,実際に民衆の心を捉えられるものを重視しました。民心の獲得に,関羽は重要な役割を果たしましたし,何よりも重要であったのは劉備を漢王室とつなげる伝説を重視したことです。統治の正当性の確保は王道の最低条件です。

 民心を確保するうえで,劉備は成果の追認を多く用いました。配下には実務上がりのものが多く,しかも寄せ集めの感は否めません。性急な改革,基礎研究,文化風雅は,劉備には無価値でかえって兵卒の調和を乱すもとに映ったようです。諸葛亮は如何かと申されますが,彼は劉備の窮地を救い,かつ最も劉備の応えて欲しい回答を用意したからこその信頼であり,それ以上の改革・立案能力があるが故の別格であっただけです。実務のみ,現場への決定権の下降,成果の追認は荊州での大戦略の失敗となって,結局劉備の自滅に繋がりました。

 劉備の戦略,内政は緩やかの諸将の連衡にあり,配下諸将の個性に依拠するところが大きいものでした。傭兵時代のノウハウを国政に当て嵌めた故の特徴です。ただ,これでは,律令制度,兵制をはじめ集団化された戦闘を持ち込んだ曹操には,終局的には太刀打ち出来ませんでした。

 劉備は能力あるものを登用することにおいては優れた才覚を発揮しましたが,癖の強さ故に多くの有能,無能を問わず武将を失ったことも記憶されていることと思います。劉備が取り逃した武将,文官には多くの有能な人材がいます。それでも,劉備は自己の利益となる人物に対し,絶妙の気配りを発揮し,見事に取り入ります。温厚な振る舞いを装いながらも,利益となる人物を如何にしても擁護し続けます。この特性は強く劉備の魅力となり,人徳として民衆からも受け入れられました。

 劉備は場と人を分けてころころ態度を入れ替えるのを常としました。見栄と外見にはことのほか気を配ったそうですし,振る舞いでの威厳と格付けでは,相手をどうしたいかで見事に使い分けました。下手なものがやると単なる嫌味な小人物の悪足掻きですが,劉備は相手が最も求めざるを得ないなと考えざるを得ない部分を見せつつ,個別のエピソードで本心を捉える技を多く用いたふしを他の武将の記述箇所から伺うことが出来ます。仕方ねえなと相手を苦笑いさせる能力,上昇の勢い,それに漢王室の復興の大義名分,民衆の支持。劉備の魅力の構成要素です。

 劉備の魅力は部下とのつながりを通じて認識されます。3人の義兄弟の契り,五虎将の勇猛さ,単福との逸話,諸葛亮の神鬼のような戦略など,いろいろな場面を通じて肯定的に語られます。中国にも判官びいきに似た感情は強いですが,劉備,関羽,張飛への感情はそれ以上のものです。

P.S.
 昔時代劇に「三匹が斬る」と言うものがありました。個人的にはあの3匹を劉備の義兄弟に当て嵌めて見ておりました。殿様=関羽,千石=張飛,タコ=劉備なんて当て嵌めると,知人から強く抗議されましたw
おおーっ!朝起きてビックリ!
たくさんのご意見ありがとうございます。

なるほど任侠かぁ…。
ヤクザものの映画見たらちょっとはわかるようになるかな。

劉邦に関しては、子供向けの本の中で
土木作業員を引率して行く時に
期限には間に合いそうもないし
毎日脱走者が出て人数は半分くらいになっちゃったし
という状態になって
残った者たちに
「君たちも逃げていいよ。俺も逃げるから」
と言った。
という逸話が紹介されていて
一気に劉邦ファンになったのですが
劉備もこんな感じの人物だったんでしょうか。
私も劉備のイメージはいつも描かれる演義のイメージよりも
蒼天航路の方が近いです。

曹操のように自身が優秀で優秀な人材を厚遇するというのは
分かりやすい魅力だと思いますが、劉備の魅力っていうのは
なかなか理屈では説明が難しいですね。

劉備の魅力っていうのはもっと掘り下げたいですね。
劉備 清水次郎長
関羽 大政
張飛 小政
劉備は演義ではお人好しみたいに書かれていますが、
実際はそうではなかったようですね。

関羽・張飛・趙雲のようななかなか人の下風に立たない、豪傑たちをよくかわいがりました。
かれら豪傑たちも劉備のために命を投げ出しています。
劉備はいわば猛獣使いですね。巨大な人物だったと思います。

魏延なんて劉備の死後は明らかに孔明に心服していなかったのですが、
劉備の存命中は、劉備の下でのびのびしている記述が魏延伝にありますね。
あの扱いづらい魏延がですよ。

劉備の人間としての魅力が劉備軍の求心力になってますね。

臨終の際孔明に「君は国を奪うがよい」と言ったと伝わってます。
本気で言ったかはわかりません。

でも孔明は劉備が本気で言ったと受け取ってます。
その後の孔明の行動が、7度にわたる北伐がそれを証明してます。
劉備の人を捉える魅力は曹操以上だったかもしれません。

以下のHPで詳しく書いてます。よかったらどうぞ。
http://www.stonyriver.qcweb.jp/html/sangoku-jinzai1.php

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