【三国志の凡将を名将のように説明する集い】にようこそ。
三国志が好きな方、一度覗いてみませんか?
以前、2ちゃんねる内の三国・戦国板にあった良スレ(?)
「凡将を名将のように説明するスレ(ミラー)」
URL= http://
そのスレをmixi上で復活させたくて開設したコミュです。
コミュ名のように「凡将を名将のように説明(逆もあり)」すればなんでもありあり!
本家スレは日本の戦国武将もOKでしたが、こちらでは三国志のみで行きたいと思います。
例えば…↓ (凡・名スレ内より抜粋・作者不明)
例:【楊松:ヨウショウ】
五斗米道の教主・張魯配下。清廉潔白の臣で張魯陣営の軍師に任命される。状況把握に優れた人物であった。馬超反乱の際は傍観を決め込み馬超が敗れるとそれを保護し曹操を牽制し、劉璋を攻めると見せかけた。しかしそれにより、劉備が蜀征圧に乗り出すと劉璋に恩を売る為、今度は馬超を出陣させる。どっちが勝っても恩を売るという一石二鳥な策略は張魯も舌を巻いたという。
劉備から朝貢という形で収めさせると対曹操戦で降伏時に一番の障害になると思われる馬超・馬岱軍を切り離すなど先見の明に優れていた。自軍より曹操軍が優れているのはとっくの昔に看破していたので、馬超がいると何かとめんどくさいので劉備に恩を売ったのである。しかもホウ徳は毒を盛り手元に置いておき今後の馬超対策にも万全の構え。その証拠に彼(楊松)が生存中は劉備は張魯を攻めなかった。しかし遂に彼の読み通り曹操が攻めてきた際は主君・張魯を少しでもいい条件で降伏させる事に全神経を注ぎ見事にそれに応えた。城を明け渡す際、食糧庫や宝物庫を焼き払わずそのままにしておくなど功績が認められ主君・張魯は列候に封ぜられた。
楊松も曹操陣営で今までは一端しか披露していない軍略・知略を天下の為に使えると思っていたが、自分の元で甘い汁を吸っていた閻圃に讒言され曹操も楊松の機知の凄さに恐怖すら抱いていたので、有無を言わさず市中にて斬首された。彼に関しては正史と演義ではここまで評価に差があるのかとは言わざるを得ない。
【何進:カシン】
字は遂高。市井の屠殺業者から漢王朝の大将軍にまで上り詰めた立志伝中の人物。
彼の在任中に起こった未曾有の農民大反乱である「黄巾の乱」に対し、近衛兵を率い卓越した指揮によって劣勢を挽回する。将軍として初めての非常事態が誰も経験したことのない未曾有の状況であったにもかかわらず、半年余りでほぼ鎮圧するなど見事な手腕を発揮した。
その後、宦官達の専横により腐敗の極みにあった政治を正すべく、袁紹らと宦官の排除に乗り出すが、事が露見し、逆に暗殺されてしまう。激高した袁紹が宦官をみな殺しにするも、政変をまとめきれたであろう何進ほどの器量は袁紹にはなく、結果として董卓の専横を招いてしまう。このことが各地行政官の軍閥化を招き、漢朝は滅亡への歩みを早めた。
何進が暗殺されなければ、卓越した彼の手腕によって漢王朝はその命脈を保てたであろう
【趙雲:チョウウン】
いつも単身で敵陣に突撃ばかりしていたため、
主君の劉備は『全身これ胆なり』(度胸ばかりで頭が足りない)と嘆いていた。
【董卓:トウタク】
後漢末期の涼州軍閥。エネルギッシュな人。
死して尚、人々を照らし続けた。
【黄祖:コウソ】
剛力無双の勇将。
千数百年後の異国ですら「黄祖パワーはトップ」と謳い継がれている。
などなど、思い思いの武将紹介を書き綴ってみて下さい。
人物重複しても問題なし。文才なんて関係なし。三国志が好きならば、書き込みなんてしなくても参加自由です。ROM専門の方もいらっしゃいな。何にも審配いりません!
ただし、あまりにも歴史から逸脱した内容(梁習はガンダムを使って北方異民族への対策に尽力した〜とかね)はご勘弁ください。また「○○のどこが凡将なんだ、このボケェッ!」とか「私の○○さんのことを酷く書かないで!」などのクレームもご遠慮致したく… だって、凡将を名将のように、名将を凡将のように書くには、その人物への愛、三国志への愛があるからこそできることなのですから。
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