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憂国の士コミュの細菌部隊731部隊捏造の真実(フェル・レポート) 2010年09月06日03:51 『悪魔の飽食』は旧ソ連のプロパガンダだった。

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細菌部隊731部隊捏造の真実(フェル・レポート)

『悪魔の飽食』は旧ソ連のプロパガンダだった。



中川八洋・筑波大学教授 「正論」平成14年11月号

GHQの占領下で、米国は石井四郎ら731部隊関係者を調査した。

 その報告書を次にリストする。

 1.サンダース・レポート(1945年11月および同12月)
 2.トンプソン・レポート(1946年5月)
 3.フェル・レポート(以下、1947年6月20日のものを「第一」、24日のものを「第二」という)
 4.ヒル・レポート(1947年12月)

森村誠一は、『続・悪魔の飽食』の中とじ写真Bのトンプソン・レポートを「フェル・レポート」、写真Cのサンダース・レポートを「トンプソン・レポート」と誤記している。
悪意はなさそうだが、このような杜撰さは「ホラー小説」にすぎない、その著作全体の捏造性と無関係ではないだろう。
軍医中佐サンダースのレポートにも、獣医中佐トンプソンのレポートにも、「石井731部隊」が人体実験を行ったという記述は一行もなく、細菌兵器の実用化に至らなかったと結論している。

トンプソン・レポートの結論の部分を引用しておこう。

4.〜生物兵器を実用的な武器として開発する上で障害となった。
5.生物兵器が実用化されても、日本がそれを使ったとは思えない。すなわち彼らは化学兵器による報復を恐れていた。
(常石敬一『標的イシイ』、大月書店、327頁、以下のカッコ内頁数も同書)。

人体実験をしたと主張する最初の文献は、1947年6月20日付フェル博士の、米国陸軍科学戦部隊長あてに送った「第一レポート」である。
そのなかで、旧・石井731部隊の「重要人物19人」が「1ヶ月かけて作成した」と称する「人間を使った細菌戦研究について60ページの英文レポート」なるものに言及している。(256頁)
しかしこの「60ページの英文レポート」を米国に送付した(持ち帰った)形跡はほぼ絶無である。
そして、なぜか、その「要約」だけを送付している。

すなわち、「60ページの英文レポート」には19名のサインがなければならないが、「要約」にはサインは不要であるから、フェル博士が「要約」すべてをでっちあげた可能性が高い(仮説1)。

とくに「フェル第一レポート」全体は、捏造と推断できる内容に満ちすぎている。
端的にいえば、空想された“創り話の虚偽報告”である。

例えば、石井四郎が「目下、細菌戦計画の全貌について執筆中である」(256頁)とも述べているが、執筆された形跡は絶無である(仮説5)。

仮にそんな計画が存在したとすれば尚のこと、石井は拷問されても書くことはないのは当たり前ではないか。
そもそも731部隊の技術水準は、爆弾すら完成させられず、実戦体制に入っていた英国などとは異なって細菌戦を計画立案するレベルにも達していなかった。
【中略】
第二レポートにあるように、全くの部外者で専門家でもない亀井貫一郎やアラマキ・ヒロトをなぜフェルは「調査」したのだろうか。
(註:亀井は戦前社会大衆党代議士のマルキスト、アラマキはその秘書で、二人とも医者ですらない部外者)
ここにも、フェルの不可解な行動がある。
第二レポートでの人体実験についての言及はこの亀井が「増田から聞いた」という“伝聞”しかない。
しかし、この時インタヴューされた増田本人はそんなことは何も語っていない。・・・
【中略】
フェル博士は、米陸軍細菌兵器研究所キャンプ・デトリックのパイロット・プラント・エンジニアリング部の主任であるが、軍医(軍人)ではない。
その経歴は調査する必要があるが、自らのレポートにこれだけの創作話を書くとすれば、そして第一レポートの内容が二年半後のハバロフスク裁判での「偽証」と同一であることを考えれば、フェルがソ連のエージェント(工作員)であった(仮説9)、と推定できる。
【中略】
しかし、第一レポートにある、全面的な創作であろう“幻の60ページの英文レポート”の「要約」は、米国政府・軍内を徘徊したらしく、1947年8月5日付で海軍情報局長が関係者に配布している(423頁〜434頁)。
しかし、米国政府・軍に対するフェルの偽情報工作は失敗したのかも知れない。
フェルが6月に帰国してから4ヵ月後の1947年10月、キャンプ・デトリックは、ヒル博士(基礎科学部主任)を再派遣した。フェルに対する疑いの調査も任務だったのかも知れない(仮説10)。
このヒル・レポート(同年12月)は、信頼性が全くないフェル・レポートとは異なり、おどろおどろしい「物語」などは全くない。
冷静に一分野に限ってのみ人体実験を行ったと分析している。
すなわち、「人間について各病原体毎の感染に必要な各細菌の量に関するものである。
こうした情報は人体実験に対するためらいがある、われわれの研究室で得ることはできない」(265頁)と述べている。

「人間に感染する細菌の量を人間で実験した」というのである。
731部隊にかかわる論争はこの一点の真偽を確定することに限ってのみ根拠がある。
が、他の事項に関しては論争する以前のものばかりで、何らの根拠も存在せず、妄想の域のものばかりである。
加えてヒル・レポートは、人体実験の「唯一の物的証拠」は、石川太刀雄丸が敗戦前の1943年に日本に持ち帰った病理標本だけ、と結論付けている。
731部隊にからみ、人体実験の“証拠”はそれ以外まったく存在しないのである。
【中略】
第二次世界大戦中、細菌兵器を攻勢作戦で使用できる態勢にあったのは英国、ロシア、米国の三ヶ国であった。
化学兵器では最先進国のドイツはなぜか細菌兵器では遅れをとった。
石井中将が発明した宇治式爆弾のお粗末さを見てもわかるように、日本は、英米露から見ればB兵器の後進国であった。

前に述べたフェル第一レポートですら、「我々(米国)が大規模生産という点でも、気象学の研究という点からも、実用的軍需生産という点でも、日本より十分優れていたことは明白である」と述べている。
【中略】
石川太刀雄丸がもっていた病理標本のほかは、米国は石井731部隊から学ぶものがなかった。
東京裁判に訴追しなかったのは、取引をしたからではない。
「免責」という言葉を与えたようだが、初めから訴追する気がなかった。
石井731部隊の訴追にソ連の謀略の匂いを、米国は充分に嗅ぎとっていたからである。
一言付け加えるならば、病理標本(臓器標本ではない)は大量の臨床例があれば人体実験をしなくても作成できる。
そして満州は風土病の宝庫だった。
病理標本の存在だけで、人体実験の実在を断定することは不可能だ。

(フェルレポート)
下記は、アメリカから派遣されたノバート・H・フェルが731部隊関係者の尋問を基にして作成した調査報告書であり、アメリカが日本軍の人体実験について調査した最初の報告書である。アメリカが、日本軍の人体実験の調査に乗り出したのは、ソ連が石井四郎(731部隊長)、菊池斉(第一部細菌研究部長)、太田澄(第二部実践研究部長)の3人の尋問を要求したことがきっかけであるという。ソ連は抑留した川島清(731部隊第四部細菌製造部長)と柄沢十三夫(同部第一班細菌製造班班長)から731部隊の情報を得て、3人の尋問を要求したのである。ところが、アメリカは独自に調査をし、731部隊関係者の戦犯免責と引きかえに、その研究成果を独占入手したのである。下記はその第3次の調査報告書であり「フェル・レポート」といわれるものである。この調査報告書は、参謀本部作戦課員井本熊男「業務日誌」(防衛研究所に23冊あり、現在は閲覧禁止になっているという)や中国戦犯管理所における関係者の自筆供述書、またハバロフスク軍事裁判公判書類等とともに、731部隊細菌戦にかかわる重要文書の一つである。「論争731部隊」松村高夫編(晩聲社)よりその一部を抜粋する。
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                フェル・レポート(「総論」)

主題:日本の細菌戦活動に関する新情報の要約
宛先:化学戦部隊部隊長
経由:技術部長、キャンプ・デトリック
   司令官、キャンプ・デトリック
発信:PP─E部門主任、キャンプ・デトリック

1 1947年2月中に、極東軍のG─?から、日本の細菌戦活動に関する新しいデータが入手可能だろうとの情報を得た。その情報は、主として、日本の細菌戦組織(防疫給水部)のさまざまな旧隊員たちから極東軍最高司令官宛に送られた多数の匿名の手紙にもとづいている。それは満州の平房にあった細菌戦部隊本部における人間に対して行われた各種の実験について記述していた。G─?はこの情報が十分信頼できるので、集められた情報に評価を下すため、キャンプ・デトリックの使節を現場に派遣するという要請を正当化できると考えた。

2 筆者は1947年4月6日付の命令にもとづき極東軍総司令部のG─?との一時的任務のため、日本の東京に到着した。筆者は4月16日に到着するや、集められたファイルを吟味した結果、その情報は日本の旧細菌戦組織の指導的隊員たちを再尋問することを正当化するのに十分なほど信頼できそうだとするG─?の代表たちの意見に同意した。次々に幸運に恵まれた状況にあったことや、一人の有力な日本人政治家(彼は合衆国に対して全面的に協力することを真摯に望んでいるようである)の助力が得られたこともあって、最終的には細菌戦に従事してきた日本人の重要な医学者に、全ての事実を明らかにすることに同意させることができた。得られた結果は次のようなものである。

 A 細菌戦計画における重要人物のなかの19人(重要な地位に就いていた数人は死亡している)が集まり、人間に対してなされた細菌戦活動について60ページの英文レポートをほぼ1ヶ月かけて作成した。このレポートは主として記憶にもとづいて作成されたが、若干の記録はなお入手可能であり、これがそのグループには役立った。このレポートの多岐にわたる詳細な記述は後述する。

 B 穀物絶滅も大規模な実験が行われていたことが判明した。この研究に携わっていたグループは小規模で、植物学者と植物生理学者が各1名と少数の助手たちから成っていた。しかし研究は9年間にわたり活発に行われた。その植物学者は非常に協力的であり、結局、植物の病気に関する研究について10ページの英文レポートを提出した。成長ホルモンの研究は行われていなかったが、植物の病原体は広範囲に研究されていた。キャンプ・デトリックでなされるこの双方の研究とも日本人が行っていたものであり、加えてその他多くのことも注目されていた。菌類、細菌そして線虫類に関しては、とくに満州およびシベリアで成育する穀類と野菜については実際に全種類についてそれらの影響を調べている。

  例えば…以下8行省略

 C 爆弾あるいは飛行機からの噴霧による細菌戦病原体散布のさいの粒子のサイズの決定および水滴の飛散について、理論的に・数学的に考察した興味あるレポートを得た。

 D 中国の市民と兵士に対して12回の野外試験を行った。その結果の要約、および関連した村と町の地図が提出された。この要約および採用された戦術の簡単な記述は、後に述べる。

 E 風船爆弾計画に関わっていた一人から短いレポートを得た。このレポートでは、細菌戦の病原体の撒布のために風船を使用することが大いに注視されたと記されているが、この目的遂行のためには不満足だったと指摘されている。しかしながら、、もし望むならば、風船爆弾に関する完全な詳細な記述は、当初からその計画に携わっていた他の人々から得られるかも知れない。

 F 細菌戦の指導的将校の一人がスパイおよび破壊活動に与えられた一連の漏洩を記した原本の文書を得ている。この文書の翻訳された要約は、キャンプ・デトリックの手中にある。

 G 家畜に対する細菌戦研究は平房とは全く別の組織が大きな規模で行っていたことが判明した。そのグループの20人の隊員がレポートを書いており、それは8月中には入手可能となろう。

 H 細菌計画の中心人物である石井将軍は、その全計画について論稿を執筆中である。このレポートは細菌兵器の戦略的および戦術的使用についての石井の考え、さまざまな地理的領域での(とくに寒冷地における)これらの兵器の使用法、さらに細菌戦についての石井の「DO」理論のすべての記述が含まれるだろう。この論稿は、細菌戦研究における石井将軍の20年にわたる経験の概要を示すことになろう。それは7月10日頃に入手可能となろう。

 I 細菌戦の各種病原体による200人以上の症例から作成された顕微鏡用標本が約8000枚あることが明らかにされた。これら標本は寺に隠されたり、日本南部の山中に埋められていた。この作業すべてを遂行あるいは指揮した病理学者が、現在その標本の復元、標本の顕微鏡撮影、そして、各標本の内容、実験上の説明、個別の病歴を示す、英文の完全なレポートを準備している。このレポートは8月末頃入手可能となろう。

 J 自然的および人工的ペストのすべての研究についての合計600ページにのぼる印刷された紀要も手中にある。これらの資料はともに日本語であり、まだ訳されていない。

3 研究室および野外実験に使われた人間の実験材料は、各種の犯罪のため死刑判決を受けた満州の苦力とのことであった。アメリカ人あるいはロシア人の戦争捕虜が使われたことは、(何人かのアメリカ人戦争捕虜の血液が抗体検査に使われたのを除けば)一度もなかった、と明確に述べられていた。この主張が真実でないことを示す証拠はない。人間の実験材料は他の実験動物と同じ方法で使用された。すなわち、彼らを使って各種病原体の、感染最小量及び致死量が決定された。また、彼らは予防接種を受けてから、生きた病原体の感染実験を受けた。さらに彼らは爆弾や噴霧で細菌を散布する野外実験の実験材料にさせられた。これらの実験材料はまた、ペストという広範な研究で使われたことはほぼ確実である。人間について得られた結果は、多少断片的である。それはどの実験でも統計的に有効な持論が得られるほど十分に実験材料をつかうことができなかったからである。しかしながら、炭疽菌のような最も重視されていた病気のばあいには、数年間に数百人が使われたようである。
4 人間を使った細菌戦活動についての60ページのレポートの多岐にわたる詳細な記述の要約は、次の通りである。特記なきときは、ここで示されたデータは、全て人体実験によるものである。
【以下(1)の(d)以外は項目のみとする】
(1) 炭疽
  (a)感染量あるいは致死量
  (b)直接感染
  (c)免疫実験
  (d)爆弾実験
 野外試験の完全な細部の記述と図表がある。ほとんどのばあい人間は杭に縛りつけられ、ヘルメットとよろいで保護されていた。地上で固定で爆発するものあるいは飛行機からとうかされた時限起爆装置のついたものなど、各種の爆弾が実験された。雲状の濃度や粒子のサイズについては測定がなされず、気象のデータについてもかなり雑である。日本は炭疽の野外試験に不満足だった。しかし、ある試験では15人の実験材料のうち、6人が爆発の傷が原因で死亡し、4人が爆弾の破片で感染した。(4人のうち3人が死亡した)。より動力の大きい爆弾(「宇治」)を使った別の実験では、10人のうち6人の血液中に菌の存在が確認され、このうちの4人は呼吸器からの感染と考えられた。この4人全員が死亡した。だが、これら4人は、いっせいに爆発した9個の爆弾との至近距離はわずか25メートルであった。
  (e)牧草の汚染
  (f)噴霧実験
  (g)安定性
  (h)事故および実験による感染
(2)ペスト
  (a)感染あるいは致死量
  (b)直接感染
  (c)免疫実験
  (d)爆弾実験 
  (e)結果…
  (f)安定性
  (g)ペストノミ
(3)腸チフス、パラチフスAおよびB型、そして赤痢(細菌性)
  (a)腸チフス
  (b)パラチフスAおよびB型
  (c)赤痢
(4)コレラ
  (a)感染量
  (b)免疫実験
  (c)噴霧実験
  (d)安定性
(5)馬鼻疽
  (a)感染量
  (b)免疫実験
  (c)爆弾実験
  (d)噴霧実験
(6)流行性出血熱(孫呉熱)
(7)結論(60ページのレポートの最終部分)
 前記以外にも各種の病気が細菌戦研究の初期の段階で研究された。その中には、結核、破傷風、ガス壊疽、ツラレミア(野兎病)、インフルエンザ、それに波状熱(ブルセラ症)があった。結核菌の静脈注射で全身的な粟状結核の急激な感染は起こせるが、呼吸器によって人間に感染させることは、容易ではないことが判明した。一般的に、日本が研究した細菌戦用病原体のうち二種類だけが有効で、炭疽菌(主に家畜に対して有効と考えられた)とペストノミだけだったと結論できる。日本はこれらの病原体で満足していたわけではない。それは彼らはそれらに対する免疫を作るのはかなり容易であろう、と考えていたからである。
 細菌戦の野外実験では通常の戦術は、鉄道線路沿いの互いに1マイルほど離れた2地点にいる中国軍に対して、1大隊あるいはそれ以上をさし向けるというものだった。中国軍が後退すると、日本軍は鉄道線路1マイルを遮断し、予定の細菌戦用病原体を噴霧か他のなんらかの方法で散布し、ついで「戦略的後退」を行った。中国軍はその地域に24時間以内に急拠戻ってきて、数日後には中国兵のあいだでペストあるいはコレラが流行するというものだった。いずれの場合も、日本はその結果の報告を受けるため汚染地域の背後にスパイを残そうとした。しかし彼らも認めているのだが、これはしばしば不成功に終わり、結果は不明であった。しかし12回分については報告が得られており、このうち成果があがったのは3回だけだったといわれている。高度約200メートルの飛行機からペストノミを散布した2回の試験において特定の地域に流行が起きた。このうちひとつでは、患者96人がでて、そのうち90パーセントが死亡した。鉄道沿いに手でペストノミを散布した他の3回の試験では、どの場合も小さな流行は起こったが、患者数は不明である。コレラを2回そして腸チフスを2回、鉄道の近くの地面および水源に手動噴霧器でまいたところ、いずれのばあいも効果があるという結果を得た。
筆者は、日本人が思い出せるだけ詳細に、真実の話を我々に語ったと信じている。しかしながら、おそらくさまざまな報告を分析したのちに我々は回答可能な質問をすることができるだろう。我々が大規模生産という点でも、気象学の研究という点でも、実用的軍需生産という点でも、日本より、十分優れていることは明白である。(石井将軍は大規模生産のために固形培養基の使用を主張した。というのは、石井は毒性は液状培養基では保存されないと信じていたからである。)良好な気象学のデータの欠如と軍需生産の分野の貧弱な進言によって、陸軍のなかや、陸軍と科学者の間や、科学者自身のなかのさまざまな職種の間に意見の相違が絶えず存在した。平房の部隊は実際空軍や………(判読不能)からなんの援助も受けていない。しかしながら人体実験のデータは、我々がそれを我々や連合国の動物実験のデータと関連させるならば、非常に価値があることがわかるだろう。病理学的研究と人間の病気についての他の情報は、炭疽、ペスト、馬鼻疽の真に効果的なワクチンを開発させるという試みにたいへん役立つかもしれない。今や我々は日本の細菌研究について完全に知ることができるので、化学戦、殺人光線、海軍の研究分野におけるかれらの実際の成果についても有益な情報が得られる可能性は大きいようである。
ノバート・H・フェル
PP─E(パイロット・プラント・エンジニアリング)部門主任 

731部隊の人体実験・細菌戦は嘘(全て作り話)
1・松村高夫の「731生体解剖標本」の怪
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12852767.html

(加筆中)



コメント(1)

  GHQが行った洗脳政策WGIP
  http://blogs.yahoo.co.jp/l2l_haijin_l2l/16834071.html
  GHQが行った洗脳政策WGIP その2
  http://blogs.yahoo.co.jp/l2l_haijin_l2l/17269372.html
  GHQによる日本亡国策略「公職追放」
  http://blogs.yahoo.co.jp/l2l_haijin_l2l/19822125.html
  GHQによる検閲
  http://blogs.yahoo.co.jp/l2l_haijin_l2l/16833989.html
  「日教組」を作ったのはGHQ
  http://blogs.yahoo.co.jp/l2l_haijin_l2l/17029009.html


★大東亜戦争を仕掛けたのはアメリカとソ連だったのは100%明白になった!
http://soumoukukki.at.webry.info/200809/article_4.html
★アメリカは日本の真珠湾攻撃を事前に知っていた可能性が非常に高い ! 
http://soumoukukki.at.webry.info/201008/article_1.html
★今の「日本国憲法」は、共産主義者によって作られた
http://soumoukukki.at.webry.info/200802/article_5.html
●日本には法的にも"戦犯"は存在しない!
http://soumoukukki.at.webry.info/201008/article_3.html
★支那事変(日中戦争)の真実
http://soumoukukki.at.webry.info/201010/article_4.html
●日本政府は少なくとも昭和20年5月に降伏の打診をしていた !
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1607203958&owner_id=2501670

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