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憂国の士コミュの朴正煕大統領は実に傑出した人物であったが… 石原慎太郎 日本よ、ふたたび

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朴正煕大統領は実に傑出した人物であったが…
石原慎太郎 日本よ、ふたたび2015.11.16 09:30

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 私は縁あって韓国の現大統領とその父親の朴元大統領の二人と知己がある。歴代の大統領の中では傑出していたと思われる朴正煕大統領とは、実にしげしげと面談し打ち解けた会話を持つことができたものだった。彼は特に当時結成していた青嵐会を高く評価してくれていて駐日大使をしていた李厚洛を通じてしばしば我々の仲間を招待してくれていた。ある時は福田赳夫さんも交えて限られたメンバーで休日のゴルフ場を借り切りにしてプレイしたりしたものだった。彼の娘さんの現大統領との知己を得たのは、彼女の父親が暗殺された時、福田さんと同行し朴さんの自宅に弔問に出かけた折のことだった。両親を暗殺で失い孤独に留守宅を守って私たちを迎えてくれた彼女の印象は実につましく質素なもので強い印象を受けた。

 その彼女が女ながら大統領になりおおせたのは、父親の後にろくな大統領が続かず北に比べて押されぎみの政情に飽き足らぬ国民が彼女の父親への畏敬の念を絶ちやらずの故とも思われるが、それにしても娘さん方はさしたる指導力も発想力も感じられず、政治は財閥関係の不祥事にも介入できずにお手上げで、特に日韓関係に関しては言う事やること父親とは大違いで昔を思うと感無量なものがある。

 私は最近列強の植民地支配について研究しているというイギリスの学者の『朝鮮が瞬間的に幸せになった時代』なる本を贈られて読んだが、それはまさに日本の朝鮮統合についての記述だった。断っておくが、日本の朝鮮統治は植民地支配ではなしに、あくまで彼らの議会が裁決し自ら望んで行われた合併であって、それによってこそ朝鮮の近代化は進みロシアへの属国化は免れたのだ。

 ある時酒の席で朴元大統領は思いがけぬ述懐をしてくれたものだった。「自分は貧農の息子で勉強をしたくてもできずにいたが、日本人がやってきて子供を学校に通わせぬ親は罰を食う、ということで親も嫌々許して小学校に通うことができた。そこでの成績がよかったので日本人の校長に勧められ、ただで通える師範学校にいかされた。さらにそこの校長が私を見込んで、これからは軍人の時代だからと推薦されて満州の軍官学校に送られ首席となった。そして、他にもいた日本人の子弟をさしおいて卒業の際には代表して答辞を述べさせられたものだ。あれだけの事をさせる民族はあまりいないと思うな」と。そしてまた突然私に「あの竹島は厄介なことになるよ、あれは李承晩が国際法を無視してやった線引きで、その内必ず困る火種になると思うから、今の内にお互いダイナマイトでもしかけて無くしてしまったらいい」と。

 彼なら今問題の慰安婦について果たして何と言うだろうか。当時人口二千万人しかいなかった朝鮮で二十万人もの若い女性たちを官憲が本当に拉致していったとしたなら、当時の朝鮮の男たちは無為のままにそれを看過していたのだろうか。敗戦後の日本の街で在日のいわゆる三国人たちが暴れ回っていた頃、戦争帰りの若者たちは絶対の支配力を振るっていたアメリカ軍のMPにも逆らって自警の組織を作り彼らに対抗して戦ったものだ。それが後に暴力団化し『安藤組』や『銀座警察』ともなったものだが、当時の朝鮮にはこうした気骨のある男たちは果たしていなかったものだろうか。

 従軍慰安婦の問題は歴史の名を借りた意趣晴らしの作り事でしかありはしない。それは歴史という冷厳な現実への政治的歪曲(わいきょく)であって真実への冒涜(ぼうとく)に他ならない。あの朴元大統領がもしも存命ならお互いの将来のために少し頭を冷やせといってくれるに違いないが。

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