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憂国の士コミュの●超拡散《「南京問題」にトドメを刺す最終戦》

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南京の 「南京大虐殺記念館」は、日本の社会党田辺誠一委員長が、シナには作るつもりもなかったのに、労組の寄付を募り、日本の建築家を連れていって わざわざ作らせたものです。

日本の労働組合の組合員よ! 毎月徴収されている組合費が こんなことに使われていることを知っているのか!!?

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Sent: Friday, November 25, 2011 4:24 PM

●超拡散《「南京問題」にトドメを刺す最終戦》

■戦後、日本精神を荒廃させた、最大の歴史認識問題に
「南京大虐殺」があります。

小生が南京歴史認識問題に直接関わるきっかけは、
1980年代後半に田中正明先生と阿羅健一氏の知遇を得たことから始まりました。 それ以来、この二十数年間、「南京問題」を糺すことを中心に様々な「日本罪悪史観」と戦って来ました。

1994年、「南京郵便袋虐殺事件裁判」の訴訟支援に加わってからは、
主に水面下でマスメディア対策を中心に活動していました。

1980年代後半に「南京大虐殺は捏造された」と、発言すると、疑惑の目を向けられる社会情勢だったのです。

また、その頃、キヨスクで販売されている有名雑誌に、 「南京大虐殺」が否定的に掲載されることなど、夢のまた夢物語の状況だったのです。

転機が訪れたのは、同南京裁判が東京地裁で勝訴したことでした。
それは、その裁判の被告の東史郎氏の著書「南京プラトーン」などの書籍に記載されていた「郵便袋虐殺事件」を、 中国が「南京大虐殺」の何よりの証拠と大宣伝していたからです。

それが、我が国の司法の場で「捏造」と判定された衝撃は、中国のみならず国内外を駆け巡りました。
その頃、「教科書を糺す親子の会」事務局長を務められていた半本茂氏から、「現役の大学教授で『南京大虐殺』に疑問をもって研究を始めた方が出てきたので、 勉強会を開催する」と、誘われ、東中野修道教授に会うために、亜細亜大学へ田中正明先生、犬飼総一郎氏(第16師団中尉;通信担当者として南京陥落後に入城)阿羅健一氏に 同行したことが、つい昨日のことのように思い出されます。

※「郵便袋虐殺事件裁判」を含め、現在に至る「南京問題」の情報戦に
興味がある方は、『「反日」包囲網の正体』に詳しく記載してありますので参照してください。

「南京問題」の情報戦を闘う上で、歴史研究者にとっての限界は、反日包囲網を構築している敵にとって、南京問題は「歴史問題」でなく「政治問題」だったことです。

実際、「南京問題」は、1980年代の田中正明先生、阿羅健一氏、犬飼総一郎氏、佐藤振壽氏などの研究や証言で、すでに九割以上捏造と証明されていたのが実態だったのですが、 最後のトドメを衝くことが出来ずにいました。

それが、『南京の実相』に収録した「国際連盟理事会議事録」によって、完遂できたのです。

昨日、「『南京の実相』を国内外のメディア 図書館等に寄贈する会」を設立したことを告知すると「とんでも本を送られた方が迷惑」などと、
工作員がネットに書き込んでいるのを散見しました。

そんな意見は、当時の「国際連盟理事会議事録」とか「タイムズ」など、外国の資料も「とんでもない資料」と、 批判することと同じで、漫画以上に漫画です。

小生の友人に外国通信社の記者がおりますが、「南京の実相」を貸してあげたら、 掲載されている英文資料を読むだけで『南京大虐殺』は中国の政治プロパガンダだと判断していた、とのことなのです。

この3年間に同じように分析力のある友人に、『南京の実相』をプレゼントして反応を調べた結果、同様の感想を述べる者ばかりでした。

同会の設立を批判する者の中に、保守を装った者がおりますが、それらは、小林よしのり氏が『戦争論』で「南京大虐殺」を批判した以降、 保守言論が「商売」になると首を突っ込んできたエセ保守の単なる商売人です。

「南京商売人」から見ると、「南京問題」が完全に終結するといろいろ困るのでしょう。 いずれにしても、工作員も南京商売人も国賊です。

※阿羅健一氏は、「国際連盟理事会議事録」を評して、
「この価値が理解できる者は日本に数人しかいない。
この資料で南京問題は終了した」と、述べていたのです。

※ジャーナリスト水間政憲;ネットだけ転載フリー《http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

【『南京の実相』を国内外のメディア 図書館等に寄贈する会】

■2012年9月29日の日中国交正常化40周年を前に、
故中川昭一先生の遺志を引き継ぎ、日中間の歴史認識を正常化する目的で、 「『南京の実相』を国内外のメディア 図書館等に寄贈する会」を設立しました。

●『南京の実相』(日新報道)とは、2007年6月19日、
「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が、憲政記念館に於いて、
ロイターやAP通信社、 朝日新聞など国内外の記者に発表した「南京問題の総括」をまとめ、同会が監修して2008年11月1日に発行した書籍です。

●「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」とは、故中川昭一先生が、
1996年に「自虐的歴史認識の是正」を目的に設立した議員連盟です。

●『南京の実相』に掲載されている故中川昭一先生の推薦の言葉。

〈この度、「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が、南京問題を総括して一冊の本として出版することになりました。
大変意義深いことである。
御尽力された関係者一同に深甚の謝意を表します。

この総括は、一次資料を冷静沈着に検証されたことで、
南京攻略戦当時の状況がよく理解できました。
南京攻略戦の歴史認識問題は、 戦後、日中国交正常化を前にした
1971年に、朝日新聞の連載記事「中国の旅」から始まったと記憶しています。

そして、日中友好と声高に報道されればされるほどに、「南京虐殺」から「南京大虐殺」へとエスカレートする状況だった。

また、日本側の報道が過熱した1980年代になると、それまで掲載されていなかった中国の教科書にまで掲載されるようになりました。

これまでの経緯は、歴史認識問題と言うより、「政治宣伝」の意味合いを強く感じられます。

それは、中国へのODAの交渉が始まる前になると不思議に「南京問題」などの歴史認識問題がくり返し報道されて来たことによります。

「歴史議連」の総括で注目したのは、1938年2月、国際連盟理事会で顧維欽中国代表が「南京で二万人の虐殺と数千の女性への暴行」があったと演説しても、 理事会が無視していたことです。

その議事録全文が、今回始めて翻訳され掲載されたことで、今後の南京歴史認識問題は、政治問題から、公文書などの一次資料を中心とした歴史研究に移行されることを望みます。>


上記は、故中川昭一氏の推薦文ですが、他に平沼赳夫先生、島村宜伸先生も推薦文を寄せてくださっております。

また監修者の挨拶文として、中山成彬会長(まえがき)、
古屋圭司副会長(出版にあたって)、 小島敏男幹事長(出版にあたって)、
西川京子事務局長(出版にあたって)、戸井田とおる南京問題小委員長(あとがき)などの方々が、『南京の実相』出版の意義を述べられてます。

●『南京の実相』は、中山同会長、西川同事務局長、戸井田とおる同小委員長の決断により、2009年6月に米国上下両院議員全員へ寄贈されております。

『南京の実相』の内容に関しては、国内外の記者団に発表してから4年間、ロイターや朝日新聞など国内外のメディア並びに中国も沈黙しています。

それは、同書の監修に参加された「南京問題」の第一人者であられる阿羅健一氏が、同書に収録された国際連盟理事会議事録を評して、
「この資料で南京問題は終了した」と断言されたことを物語っております。

●南京問題は、極東国際軍事裁判で米国と中国が合作した
「日本罪悪史観」です。

米国には前述した通り、両院議員全員に寄贈して楔を打ち込んでいますが、 現在、中国は「ユネスコ世界遺産登録」をくり返し申請している状況です。

そこで、同書出版から3年の熟成期間も過ぎたことを祈念し、
覚醒されていらっしゃる民間有志の皆様の総力を結集して、 国内外のジャーナリスト・歴史研究者・政治家・メディア・図書館などへ同書を寄贈することで、「南京問題」を完全に終結させるため、御支援を仰ぐことに成りました。

●まず手始めに、野田首相が、本年12月中旬に中国を訪問することが決定しましたので、野田首相、藤村官房長官、玄葉外務大臣の他、 ロイター、AP通信など外国メディアに集中的に寄贈することになりました。

●寄贈先は、中国との情報戦の貴重な情報になりますので、基本的には明らかにしませんが、世界48ヵ国から閲覧されていらっしゃる 皆様方からの寄贈先に関する情報は、FAXか郵送で送って頂ければ幸いです。

●月々の寄贈数は、「外国関連寄贈数」と「国内関連寄贈数」を日新報道ホームページと水間条項にて、毎月5日に発表します。

また、皆様方からの御支援に関する収支決算は、一年に一回10月末日に「日新報道ホームページ」と「水間条項」にて発表します。

●尚、上記の趣旨に賛同され御支援くだされる皆様方には、
誠にお手数で御座いますが、下記の郵貯銀行番号まで宜しくお願い致します。

《ゆうちょ銀行【口座名】
『南京の実相』を国内外のメディア図書館等に寄贈する会
【店番】018【種目】普通預金【口座番号】8012181》

※連絡先住所;
〒105ー0011 東京都港区芝公園6番23号;光輪会館5F;
日新報道気付;『南京の実相』を国内外のメディア 図書館等に寄贈する会
※FAX;03-3431-9564
「『南京の実相』を国内外のメディア 図書館等に寄贈する会」
代表;水間政憲《http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/

コメント(4)

http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/75f2d41aa7ddabc0818d1be23560b3eb?__from=mixi

【30万人もの南京大虐殺があったとする俗論は、歴史の真実をゆがめる歴史
の改ざんであり、アメリカ政府と朝日新聞が作り上げた虚妄であります。】

2011年12月17日 土曜日

◆鈴木史朗さんが「南京大虐殺」は真実ではないと思う理由 12月17日 ぼやきくっくり

 鈴木史朗(フリーアナウンサー)
 1938年、京都生まれ。62年、早稲田大学法学部卒業後、TBSに入社し、アナウンス部へ配属、その後報道局なども経験。主な出演作品に、TBS『さんまのスーパーからくりTV』、『水戸黄門』(ナレーション)、日本テレビ『オジサンズ11』など。著書に『鈴木史朗の健康道場 ご長寿TVで長寿のコツ』(小学館文庫)。

〈「もう一度南京へ」〉

 TBSのバラエティ番組『からくりテレビ』の名物コーナーで、私が司会を務めていた「ご長寿早押しクイズ」。毎週数名のご長寿の方にご登場いただき、クイズに答えていただく人気コーナーでしたが、今から十一、二年前、南京戦に参加されていたという会津若松の方にお会いしたことがありました。

 撮影の合間に南京の話になり、私が「あそこは大変なことがあったから、もう南京には行けませんね」と声をかけると、その方が「いや、私は死ぬまでにもう一度南京へ行きたいんであります」とおっしゃった。私は驚いて、「どうしてですか」と聞いたところ、こんな話をして下さいました。

 「衛生兵として南京で日本兵を助けたが、怪我をした中国の敗残兵も助けた。軍のトラックで送ってやったら中国人の家族が非常に感謝して、家宝の掛け軸をくれたんです。

 さらに『戦争が終わったら、ぜひもう一度南京へ来てほしい。歓待したい。一日千秋(いちじつせんしゅう)の思いで待っている』とまで言われたんです。だから、私は死ぬまでにもう一度南京に行きたい」

 このことでハッと思い出したのは、私自身が幼いころ、南京戦直後に中国にわたり、天津で過ごした日々のことでした。それは、「大虐殺」があったなどとは到底考えられないほど、大変のどかな日々だったのです。

 この方にはその後、もう一度お会いする機会があったので、「南京大虐殺」の証拠写真とされている、松葉杖をついた片足の中国兵と、笑顔の日本兵が並んで移っている写真を持って行ったんです。キャプションには、「残虐な日本兵によって、逃げられないように片足を斬り落とされた中国兵」と書かれていました。

 ところが、この写真を見せたところ、南京戦に参加されたその方がとても喜んだんです。

 「この兵隊のことは良く覚えていますよ。アルマイトがなかったので、ヤカンをつぶして義足を作ってやったんです。いやー、よかった。この写真、いただいてもいいですか」

 他にも、実際に参戦された方々からさまざまなエピソードやをお話しいただきました。

 
1の続き)
 「たしかに、南京戦で相手の兵士を殺した。だが、それはあくまでも中国の兵士であって、日本兵も戦死しています」

 「トーチカから撃ってくる兵士を仕留めて近づくと、機関銃手はまだあどけない顔の若者で、鎖でつながれていた。武士の情で彼らの墓を作ってやりました」

 「南京戦後、中国人から『兵隊さんありがとう。あなたの靴を磨かせてください』と言われて、泥だらけだからと断ったのだが、どうしてもといわれたので磨いてもらった。気持ちが嬉しくて、飴玉をあげました」

 そして、少しずつ勉強する時間が取れるようになり、勉強しはじめてみると、東中野修道氏や北村稔氏、また『WiLL』に連載されている西尾幹二氏ら「現代史研究会」の研究成果が自分の体験と重なって、歴史を学べば学ぶほど、また中国での日々を思い出せば思い出すほど、「大虐殺なんてあり得ない」という確信を得るにいたったのです。(中略)

 三、四歳の頃には南京へも行っているんです。まだ記憶はおぼつかない頃ですが、親父に後から聞いた話は覚えています。

 「お前を南京に連れて行った時、泣かずに頑張った。南京のある中国人が、そんなお前の態度を見てとても気に入ってほめてくれたんだ。しかも、『耳の形がいい。こういう人物と付き合うと、自分の運気も上がるから、是非抱かせてくれ』といって抱き上げてくれたんだよ」

 また、父は南京で聞いた話をもとに、よくこんなことを言っていました。

 「聞いたところによると、日本の兵隊さんが食糧を分けてくれたので、南京の人々は助かったんだそうだ。お前もいい兵隊さんになるためには、強いだけではダメで、思いやりをもたなければいけないよ」

 この話は非常に印象的だったのですが、後のこの話に通じる事実があったことを知りました。

 あのジョン・ラーベも日本軍宛に「私どもは貴下の砲兵隊が安全地区を攻撃されなかったという美挙に対して、また同地区における中国民間人の援護に対する将来の計画につき、貴下と連絡をとり得るようになりましたことに対して感謝の意を表するものであります」との書簡を送っており、報告書でも、日本軍からの米と小麦の配給があったことに触れています。

 もし本当に大虐殺が起こっていたとしたら、いくら書簡の挨拶文とはいっても「感謝」など示すはずがありません。(中略)

「南京大虐殺」のような「嘘」があるかぎり、日中が手に手を取ってやってくことはできません。日本と中国は永遠に隣同士ですから、その関係を悪化させる中国の反日プロパガンダ、反日教育はたださなければなりませんし、このような状況は日本にとっても中国にとっても、「最大の悲劇」としかいいようがありません。

 私にとって、中国は「第二の故郷」なのです。その中国の方々が、このような「嘘」を永久に教え込まれ続けるとすれば、本当に悲しいことです。

 映画『南京』の冒頭には、このような字幕が流れます。

 「我々の同胞が一つになって闘った数々の光輝ある歴史の中でも南京入場は燦然(さんぜん)たる一頁として世界の歴史に残るだらう。その日の記録としてこの映画を我々の子孫に贈る」

 我々は、どんなに時間をかけても「南京大虐殺は真実ではない」と伝えていかなければならない。それが「我々の子孫」……つまり日本人の未来のためであり、中国人のためでもあるのです。
2の続き)


◆ニセ生首写真で“南京大虐殺”ねつ造「世界日報社刊『朝日新聞の「犯罪」より』 「朝日新聞」の犯罪 

私は本著で、以上四氏に対する批判や反論を随所に加えつつ、また先年出版された中国初の公的発表と称する南京市文史資料研究会編の『証言・南京大虐殺』の白髪三千丈式の大デタラメの被害者の証言も徹底的に批判し、各部隊の戦闘詳報や、当時の一級資料をふまえて、しかも新しく発掘した資料や証言を駆使して、南京事件の真相に迫ったつもりであります。
 私はさきに日本教文社から『“南京虐殺”の虚構』を上梓しました。この著は国内で多くの反響を呼んだばかりでなく、中国では「南京大屠殺記念館」建設にあたって、この本がよほど目ざわりとみえて「人だましの本」だと悪宣伝につとめ、ソ連の赤い電波も、著者の私を名指しで非難しました。つまりそれだけ海外でも反響が大きかった訳です。本著は若干前著とダブル点もありますが、文字通り「総括」の名にふさわしく、虐殺の定義からはじまって、東京裁判や教科書との関係、本件と虐殺論、否定論を網羅し、欧米のマスコミや米・英・仏政府にこの事件に対する反響や対応にまで手を伸ばし、「南京事件50年の節目」を期して、その全貌と真相に迫った決定版のつもりであります。
 いずれにせよ、巷間伝えられるがごとき南京に20万、30万もの大虐殺があったとする俗論は、歴史の真実をゆがめる歴史の改ざんであり、虚妄であります。ことにこの虚妄を教科書にまで記述し、次代を担う小国民にかかる自虐的な、祖国呪詛のいつわりの教育を施しつつあるということは、許し難い父祖の歴史への冒涜であり、民族の恥辱であり、国をあやまることこれ以上はなはだしきはありません。私は今後ともこの歴史的虚構――日本罪悪史観――一掃のため、不退転の決意でいっそうの努力を重ねて参りたいと思っています。




(私のコメント)


昨日の「株式日記」では、従軍慰安婦問題を背後で煽っているのはアメリカ政府だと書きましたが、南京大虐殺30万人を煽っているのもアメリカ政府(国務省)だろう。そもそも南京大虐殺と言うことが一番先に問題になったのは「東京裁判」の時であり、30万人と言う数字は中国にある記念館に表示されています。

しかし、なぜ東京裁判で南京大虐殺が突然出てきたのか? 一般市民への大虐殺は、アメリカ軍による広島長崎への原爆投下や東京大空襲などで、数十万人の一般の日本人市民が殺されている。それを誤魔化すためにはそれを上回ることを日本軍はしていたという事実をでっち上げる必要があった。しかし鈴木史郎氏が体験していたように大虐殺が行なわれていれば気づいたはずである。

東京裁判が行なわれていた当時は、参加した兵士も南京にいた市民も大勢いたのだから、大虐殺があればいくらでも証人や物的な証拠も沢山あったのでしょうが、東京裁判の判決では「残虐行為が広く行われたことは、日本側証人によって否定されたが、いろいろな国籍の、また疑いのない、信憑性のある中立的証人の反対の証言は、圧倒的に有力である。この犯罪の修羅の騒ぎは、一九三七年十二月十三日に、この都市が占拠されたときに始まり、一九三八年二月の初めまでやまなかった。この六、七週間の期聞において、何千という婦人が強姦され、十万以上の人々が殺害され、無数の財産が盗まれたり、焼かれたりした。」と言うことで、松井大将は処刑された。

つまり、日本側の否定の証言は却下され、肯定する証言だけで松井大将は処刑された。しかし大虐殺を物的に証明できる証拠がなく、50日間で30万人を殺害するには1日の6000人殺さなければならない。さらにその死骸をどのように処分したのかが明確でない。それが今日まで問題になっていますが、東京裁判は裁判ではなく戦勝国による一方的な敗戦国への報復であった。

日本人は、このような不当な裁判に対して連合国及びアメリカ軍に対して抗議しなければなりませんが、アメリカ政府はそれが嫌だから朝日新聞を使って事あるごとに、証拠とされる写真や証言をでっち上げては大々的に報道した。それに中国の新聞が反応して伝えるとさらに朝日新聞がさらに大きくそのことを載せる。その度に日本の政治家が謝罪を繰り返して村山談話や小泉談話を繰り返した。

小泉総理にいたってはブッシュ大統領に「アメリカ軍によって日本の軍国主義から開放された」として感謝している。まさに司馬遼太郎史観や戦後の歴史教育によってこのような政治家が育ってしまった。このようなことに対して日本の学者や知識人やジャーナリストは徹底して戦わなければなりませんが、日本は侵略戦争をした犯罪国家と断定されてしまっている。

中国や韓国には日本がしたとされる残虐行為を展示した記念館が沢山作られているようですが、日本も中国や韓国を見習ってアメリカ大使館の前に広島・長崎・東京大空襲記念館を作ったらどうだろうか? アメリカ人の多くは核攻撃の正当性を教育されて肯定されていますが、その事はアメリカが核攻撃を受ける正当性も認めることになるだろう。だからアメリカの大統領は広島長崎には訪問して謝罪はしない。謝罪すればアメリカこそ「大量破壊兵器」を用いた戦争犯罪国家であることを認めることになってしまう。

昨日も書いたようにアメリカ政府関係者が、「カルトオブヤスクニ」といって恐れるのは、日本人が「東京裁判史観」から、覚醒していしまうことである。それを避けるためにアメリカ政府は朝日新聞を使って、南京大虐殺や従軍慰安婦問題をでっち上げて洗脳を続けている。それと同時に日中・日韓の分断工作になり、アメリカによる日本国総理に対しての思想検査にもなる。安部総理や麻生総理のような「カルトオブヤスクニ」一派はアメリカ政府にとっては警戒すべき総理と看做されている。

だからこそアメリカ政府は、民主党に政権交代させましたが、政権担当能力がなく、官僚すら上手く使いこなせなくなってしまった。国際情勢すらどう認識しているか分からぬ状況で、沖縄の普天間基地問題も拗らせてしまった。鳩山政権のように反米的な政権ができてしまったから慌てて菅総理に首を挿げ替えましたが、これがさらに酷いルーピー総理であり、菅を首にして野田にしたらこれも使いものにならない。だからアメリカは自民党の石原のぶてるを呼びつけましたが、また政権交代させて石原のぶてるを総理にするつもりなのだろうか?

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