ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

憂国の士コミュのお勧めの映画

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加


http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/100615/tnr1006150807001-n1.htm

南樺太の悲劇「氷雪の門」36年ぶりの劇場公開 (1/2ページ)
2010.6.15 08:05

このニュースのトピックス:国内女優

『氷雪の門』(c)「氷雪の門」上映委員会 ■「この映画は歴史の証人」

 “幻の映画”と呼ばれる「樺太1945年夏 氷雪の門」(脚本・国弘威雄(たけお)、監督・村山三男)が、36年の年月を経て、全国で順次公開される。太平洋戦争末期に、ソ連が日本領だった南樺太(サハリン)に侵攻し、自決を強いられた真岡郵便局の女性電話交換手9人の悲劇を描いた物語。昭和49年の公開直前、ソ連側の抗議によって公開中止になった。助監督を務めた映画監督の新城卓さんは「この映画は歴史の証人」と訴える。

 同作は、北海道で新聞記者をしていた金子俊男さんの『樺太一九四五年夏・樺太終戦記録』(講談社)が原作。南田洋子さんや丹波哲郎さんらが出演し、戦闘場面の撮影では陸上自衛隊が協力した。製作実行予算が5億円を超えた超大作映画として話題を呼んだ。

 だが、公開直前に配給元の東宝が上映中止を決定。「反ソ映画は困る」という駐日ソ連大使館の抗議や、東宝が進めていたソ連との合作映画「モスクワわが愛」への配慮があったとされる。結局、北海道と九州で2週間だけ上映された。

 1945年夏、太平洋戦争は終末を迎えようとしていた。樺太には緊張の中にも平和な時間が流れていた。ところが8月9日、ソ連軍は日ソ中立条約を一方的に破棄し、南樺太に侵攻。終戦後も戦闘は拡大していった。

 そして8月20日、真岡の沿岸にソ連艦隊が現れ、艦砲射撃を開始。電話交換手の女性たちは職務への使命感や故郷への思いから、職場を離れることはなかった。ソ連兵がいよいよ郵便局に近づいた。路上の親子が銃火を浴びた。「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」。この通信を最後に、9人は服毒死を選ぶ。

 配給会社「太秦(うずまさ)」の小林三四郎社長は「同作は日の目をみないまま月日が流れ、多くの関係者が亡くなった。樺太の街のセットを作り上げた美術監督の木村威夫さんと上映を目指したが、木村さんも3月に亡くなった。さまざまな思いが詰まった作品」と話す。

 新城さんも「表現の自由が約束された社会であるはずなのに、この映画には自由がなかった。日本というのはどういう国なんだろう、と悔しかった。政治的意図はなく、史実を伝えたいだけ。ザ・コーヴの上映中止や普天間問題などを考えるきっかけにもなるのでは」と話している。

 7月17日からシアターN渋谷で。全国各地の劇場でも順次公開する。

コメント(2)

「朝三露四」

「友愛」を熱っぽく語るからといって、その人が信頼に足る、愛すべき人物だとは限らない。

田母神さんとお茶会で最後まで一緒しながら「私は早々に帰りました」と平気で嘘をつく者もいる。人の本質は口先ではなく、日頃の行いに表れるものだ。

国家も同じ。良き隣人を装って本業は火事場ドロなんて国もある。正体を知るにはその国の行いを見るにしくはない。

例えばロシアだ。この国との出会いに十八世紀の若潮丸事件がある。薩摩を出たこの船が難破してやがてカムチャッカに漂着する。ロシア人は稚児にできそうな十二歳のゴンザとソウザを除いて残り十七人を皆殺しにする。ゴンザらはのちに日本戦略研究の要員にされる。

日本人がロシアの何ものかを知るのは、そのカムチャッカから逃げ出したハンガリー人ベニョフスキーがもたらした報告書でだ。それでロシアの脅威を知って林子平らが「海国兵談」を著す。

十九世紀、小平の恐れた通り、択捉で松前藩とロシア人の衝突が起きる。彼等は日本人を捕らえると武士なら腕を切り落とし、砲を扱う者なら目を抉(えぐ)った。

維新直前には露艦ポサドニクが対馬に入り、藩主に芋崎の永久租借と遊女差出しを要求してきた。

英国が介入して事なきを得たが、占領してすぐ女を要求するなどマッカーサーと変わらない下品さだ。

それでもロシアは諦めなかった。朝鮮を手なづけて日本海に出ようとして日本に完膚ないまでに叩きのめされてしまう。ロシアは白人国家仲間に顔向けできないほどの恥辱にまみれた。

次に日本人がロシア人を見たのが昭和二十年八月九日だった。日本はすでに陸海の戦闘能力を失い、米軍機は自由に日本の空を飛んでいた。この日もB29が一機、プルトニウム型原爆を小倉に落としに行き、雲が厚いので長崎に向かっていた。

まさにその日、ロシアは日ソ中立条約を破って攻め込んできた。満州も樺太も取り、日本がミズーリ艦上で降伏調印をしている最中に択捉、国後を押さえ九月五日、北方四島の占領を終えた。

彼等は占領地で略奪と暴行を恣(ほしいまま)にし、さらに数十万の日本人を奴隷としてシベリアに送り込んだ。中世の蛮族と変わるところはない。ロシアという国の下衆さが実によく出ている。

そんな国と最初に北方四島問題を語ったのが鳩山一郎だった。フリーメーソンの会員というのが自慢の白人崇拝者だから、彼のサインした日ソ中共同宣言では日本側は面積で七%ほどの歯舞・色丹だけでいいみたいに書かれている。

斉藤勉・内藤泰朗共著の『北方領土は泣いている』に詳しいが、孫の鳩山由起夫もこの歯舞・色丹でいいと信じている。「日本列島は日本人だけのものではない」と言った真意は案外この辺にあるのかもしれない。

しかしそんなことで日本人は納得しない。

それならと入れ智恵してきたのがロシアにも媚を売る朝日新聞だった。この新聞が目をつけたのが「北方四島は珍宝島方式で」という政治学者の岩下明裕だった。ウスリーの中洲を巡る中ソ国境紛争は結局、面積を半分ずつにするということで決着した。だから北方四島も日本とロシアで面積を半分にすればいい、という主帳だった。

朝日は早速、若宮啓文が審査員を務める大佛次郎賞を岩下に与え、新聞で持て囃し、河野太郎によいしょさせてきた。

最近話題の三.五島論はまさにこの岩下理論で、四島の面積を半分にすると日本側の取り分は歯舞、色丹、国後と択捉の半分になる。四つのうち三つ半と聞けば大方の日本人も納得するというのが朝日の読みだ。

しかしこれは朝三暮四的まやかしにすぎない。

北方四島は珍宝島と違って領土紛争ではない。性悪のロシアが他人様のものを盗った。それを返させる。ついでに猿でもできる反省のポーズを取らせれば上出来という話なのだ。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1585925302&owner_id=935434&comment_count=22
梨恵華(りえか)さんの日記より

「強制連行の実態」 舞鶴引揚記念館

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

憂国の士 更新情報

憂国の士のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング