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憂国の士コミュの【決断の日本史】(18)1779年1月 塙保己一と群書類従・・・・・へレンケラーが尊敬していた日本人

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http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100216/acd1002160720003-n1.htm

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【決断の日本史】(18)1779年1月 塙保己一と群書類従
2010.2.9 07:37
 ■ヘレン・ケラーも感動

 昭和12(1937)年4月6日、東京・渋谷にある社団法人「温故(おんこ)学会」は時ならぬ騒ぎに包まれていた。盲(もう)、聾(ろう)、唖(あ)の障害を克服した米人社会福祉事業家のヘレン・ケラーが来日し、ここを訪ねていたからである。

 温故学会は日本の歴史・国文学の最大の史料集『群書類従』を編纂(へんさん)した塙保己一(はなわほきいち)(1746〜1821年)の業績をたたえるため設立された。保己一ゆかりの品や、類従の1万7千枚を超える版木(国重文)などを、いまも保管している。

 ヘレンは桜の木に彫られた版木や保己一の像、愛用の机などを手で何度もなでながら、次のように言った。

 「私は子供のころ、母から塙先生をお手本にと励まされて育ちました。今日、先生の像に触れたことは、日本訪問における最も有意義なことです。先生のお名前は流れる水のように、永遠に伝わることでしょう」

 保己一は埼玉県の出身で、7歳の時に失明した。江戸に出て盲人の職業団体に属し、音曲や鍼灸(しんきゅう)などの修業に励む。やがて学問の才能を見いだされ、国学や和歌、医学、法律などを学んだ。その勉強法も目が見えないから、人に本を声に出して読んでもらい、記憶に焼き付けるのである。

 菅原道真を尊崇した保己一は安永8(1779)年正月、古典的な基本文献を世に広め後世に伝えようと群書類従の刊行を決意した。幕府や学問好きの大名らの支援を得て、類従666冊が完成したのは40年後だった。

 ヘレン・ケラーはなぜ、保己一のことを知っていたのだろう。そこには電話の発明者、グラハム・ベルとヘレン一家との交流があった。障害者教育の専門家でもあったベルは、日本人留学生を通じて、保己一の業績を聞かされていたのだった。

 230年前の保己一の決断は、日本の代表的古典を現在まで伝えるとともに、世界中の障害者を勇気づけることにもなったのである。(渡部裕明)

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