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憂国の士コミュの「江戸時代」の精神

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国際派日本人の情報ファイル より転載しています。

天下の無法松「国家再建シリーズ」第5弾

「江戸時代」の精神

■転送歓迎■ No.1637 ■ H21.12.27 ■ 9,212 部 ■■■■■■■


先週は「江戸時代」に「明治の近代化」の芽生えがあったと言うこ
とで色々と述べましたが、今回はその「近代化」の為の精神、つま
り、「明治の精神」の礎となった「江戸時代」の精神なるものにつ
いて語りたいと思います。

「明治の精神」と言う言葉は昔から良く聞かられるかと思いますが、
「江戸時代」の精神と言う言葉遣いは初めての方も多いと思います。
もしかするとこの言葉はおこがましくも「天下の無法松」の造語と
なるかもしれませんが、無法松は「江戸時代」の精神とは一言で言
えば、それは「侍」の精神だと考えております。

そして「侍」の精神とは、つまり、「公」の精神だと思います。
この「公」と言う一字はこの国際派日本人養成講座のサイトでは良
く目にされると思いますが、この「公」の一字こそが国の「近代化」
には絶対必要な精神なのです。

なぜならば、近代国家とは法によって治められた国家のことであり、
そのような国家を作っていくにはまず、「公」の精神(己のことよ
りも、「公」を優先する精神(背私奉公の精神))が絶対に必要で
あるからです。

そして、法治国家では無い国は「近代国家」では無いのです。です
から、現在の北朝鮮民主主義人民共和国は近代国家ではなく、まだ
法治国家に成り切っていない中華人民共和国も近代国家であるとは
言い切れないのです。

北朝鮮はまだしも中華人民共和国が近代国家であるとは言い切れな
いと言うと、それならば世界で一番早い?高速鉄道が走っているの
に無法松は何を言っているのかと思われる方も多いのではないかと
思いますが、「近代国家」とは何も「科学技術」が進んでいる国家
のことを言うのではありません。勿論、19世紀以降の人類が辿っ
た「近代化」には「法治国家」と共に、「文明化」と言う、「科学
技術」の発達も必要条件の如くにありますが、果して、「科学技術」
の発達が「近代国家」成立の必要十分条件となり得るのでしょうか。

無法松はここで、敢えて、それは否と答えたいと思っております。
原子爆弾まで作ってしまい、人類だけでなく、今や地球環境までも
破壊しようとするに至った「文明化」と言われている「科学技術」
の発達が「近代国家」成立の必要十分条件であるとしたならば、そ
れは人類にとって余りにも悲しいとは皆様、思われないでしょうか。
(無法松は「科学技術」の発達が即、「文明化」であるとは定義し
たくはありません。そのように定義してしまうと「文明化」とは単
に、原子爆弾を発明することが「文明化」となってしまい、それは
本当に悲しいことです。)

話をここで「江戸時代」の精神に戻すならば、無法松は今こそ、日
本人が全世界に向けて、「江戸時代」の「侍」の精神を訴えるべき
だと考えております。つまり、「公」の範囲を国から世界へ広げ、
その精神を日本人が全世界の人々へ伝えていくのです。

「江戸時代」には前回のメルマガにあるように「科学技術」の発達
の芽生えもありましたが、西欧人には無い日本人特有の精神の深さ
(日本人の精神の真髄はやはり神道だと無法松は思います)があり、
この神道の精神(茶道・剣道・能・歌舞伎etcの文化の精神の源)
が仏教や、キリスト教・イスラム教他多くの宗教までも取り組み、
その精神が日本国の文化を形成しました。

そしてその神道の頂点に立っておられるのが歴代の天皇であられ、
我が国の国家体制(略して国体)とはこのような体制を言い、これ
は体制と言ったものの、体制と言うような人為的なものではなく、
自然発生的なものであり、天皇の御存在は米国製憲法(日本国憲法)
に定義されるものては決して無く、その御存在は何千年と言う悠久
の歴史(未来をも含めるならば何万年)の中で定義されるものなの
です。つまり、天皇の御存在は一握りのある時代の人々によって左
右できるものでは絶対に無いと言うことであります。畏れながら言
えば左右できるのは神のみであると言うことです。

話がずれましたが、権威の御象徴として天皇を仰ぎ、天皇の下に「
公」の精神を伝えてきた「侍」達が「公」の精神を発揮して、「明
治時代」に「侍」達が自らの腹を切り、自ら「侍」階級を滅ぼして
「公」の精神に殉じて「江戸時代」は「明治時代」へとバトンを渡
していったのです。

もし、その前に、西欧による「近代化」が無ければ、無法松は日本
が世界に先駆けて「近代国家」を成立させていたのではないか、少
なくともその可能性はあったのではないかと思っております。
そして、もしそのようになっておれば、その近代国家は神道の精神
(全く純粋で優しく、バランス感覚に優れ、幽玄の深い精神)を第
一にし、「科学技術」の暴走を許さない真の「近代国家」となって
いたのではないかと無法松は考えております。
 
■天下の無法松より一言■

「坂の上の雲」は五回からなる第一部が終わってしまいましたが、
無法松の感想としては第一部はドラマとしては予想していたよりか
は大変良かったと思います。ナレーションも音楽も俳優達の演技も
良かったのではないでしょうか。

尤も、所々、やはり、司馬遼太郎氏の作品であるだけに、「我が国」
では無く、「この国」と俳優に言わせたり、戦車部隊に所属した為
か、どちらかと言うと海軍は良く、陸軍は悪く描くと言う、どうか
と思われる点が無いことも無いではありますが、まあ、今の平成の
時代に無法松をも含めて明治時代以降の歴史を知らない人々にはこ
のドラマは大変良い教科書となっております。

(私の知るある50才近くの教師は日本海会戦がどこで行われたか
も知らず、まして、海軍記念日と言う祝日があったことも知りませ
んでした。逆に、無法松がそのようなことを知っているだけで、良
く御存じですねと驚かれました。教師がこれですから、今の40才
代以下の若い人々が日本の歴史につしいて何も知らないことは驚く
べきことでは無く、それ程、戦後の日本人達はGHQとGHQに迎
合してきた日本の大人達(左翼を代表する日恐組だけでなく、マス
コミ人達やそして、歴代の総理大臣や文部大臣をも含みます。)に
よって洗脳され続け、未だに多くの日本人達は年齢に関係無く、洗
脳され続けていることさえも全く意識していないのです。)

只、どうしても司馬遼太郎氏のことを言えば、先の外発的であれ、
内発的であれ、「近代化」というもの自体に司馬氏は懐疑の念を向
け、挑んでいたかと言うとそれは無かったというのが無法松のこれ
までの見解であります。

漱石や鴎外から三島由紀夫に至るまで、多くの著名な作家達はその
ことに挑んでいたと無法松は思いますが、悲しいかな、司馬氏には
そのことに懐疑の念を抱く感性に少々欠けていたのではないか、あ
まりに御自分の体験に左右され過ぎて、バランスの取れた歴史感覚
を持ち合わせること無く死去されたのではないでしょうか。(司馬
氏と異なり、晩年、西欧風「近代化」に懐疑の念を向けられ、保守
人となられたのが、江藤淳先生です。)

以上で、今年の「天下の無法松」は終わりますが、年明けは正月の
11日より開始したいと思います。
では、皆様、来年度も頑張って参りますので、また平成22年は良
き年となりますよう、お祈り申し上げます。

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