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憂国の士コミュの外国人から見た日本と朝鮮

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以前あったサイトがどんどん見れなくなるのはどうしてなんでしょう?そのほとんどが、韓国・朝鮮の歴史観からみて不都合な事実が掲載されているサイト。

しかしそこをキチンと捉えないと日本が朝鮮統治をした経緯も、その実態も見えなくなる。


以下のサイトも現在見れなくなっていますので保存の意味も込めここに残しておきたいと思います。


<外国の方から見た日本と朝鮮>

ノース・チャイナ・ヘラルド紙 1905年5月5日号 (「外国新聞に見る日本3」 1992年 
毎日コミニュケーションズ)
朝鮮ほど贈賄や腐敗がよく見られる国もないだろう。また、この半島ほどなんの理由もなくだましたり、だまされたりすることが広く行なわれている国もない。そして、これまで朝鮮政府ほど詐欺、うそ、横領が満ちあふれ、骨の髄まで堕落した政府はなかった。しかし、朝鮮はそのような自分たちのやり方に慣れ、これには気づかなくなっており、他人の欠点ばかりが見えるのだ。 (エッソン・サード記者)


悲劇の朝鮮」 アーソン・グレブスト 1912年 (1989年 白帝社)
(学者である両班は)礼節上、天地の間に起こることならすべからく知っていなければならないし、質問されたことにはことごとく答えられなければならないわけですが、ただ、わざと騙そうとするのではありませんが、その嘘っぽい理論で結論を下す論法ときたらまったく驚くべきほどです。
自分が正しい場合がほとんどないにもかかわらず悪びれる様子がほとんどない。もし誰かが彼の言うことを受け入れないで別の論理で反駁を加えたりすると、彼は礼を守り抜くために必死の努力をするんです。なかなか信じようとしない人を説得したり、または自分の正しさを納得させたと自分自身思えるまでは、決して投げ出したりはしません。


読者は朝鮮人の無気力、怠惰、居候根性、貧しさをつぶさに観察されたことになるが、このため朝鮮の独立はきわめて困難で、将来を望むことが難しい。
  朝鮮の事々物々はことごとく低級である。貧弱である。劣等である。
イギリス旅行家 イザベラ・ルーシー・ビショップ夫人  「三十年前の朝鮮」

朝鮮人は一般に頑固で、気難しく、怒りっぽく、執念深い。それは彼らがいまだ浸っている未開性のせいである。
ダブリュイ主教「朝鮮事情」


朝鮮人は、自己の知的水準を引き上げ、精神世界を拡大しようとする努力が あわれにもないのに、社会的地位を高めようとする激しい欲望だけはある。
ホーマー・ハルバート「朝鮮亡滅」



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伊藤博文公は世界周知の如く日本の最も偉大かつ、有名な政治家である。
彼の韓国赴任は、たいへんな自己犠牲であった。
 伊藤公が、その韓国改善のプランを打ち明けたとき、私の心は躍った。そこには 改革、公正、斡旋があった。(李朝朝鮮)が犯したあらゆる誤りがそこでは救済されるはずであった。
 「私は、自分が韓国国民と日本国民との間に立って、両者の間に正義がおこなわれる ようにすべき立場に立っていると思う」と公はそう言明したのである。
カナダ人ジャーナリスト フレデリック・アーサー・マッケンジー   1906年 ロンドン・ディリーメール紙


 韓国は日本の保護によって新生命、新光明に浴している。高い政治道徳
を重んずる進歩的であり、円満である伊藤総監によって、韓国人は暗黒時代 から光明世界に導かれ、未開時代から文明時代に進むべく手をとられて進みつつあり、旧来の久しい悪政から免れ、彼らの生命財産は確実に保護 されつつあって、あらゆる面において、三年間に二倍の進歩を遂げた。

宣教師 ラッド博士


 私の見るところをもってすれば、伊藤侯の統治は最大なる賞賛に値する べきものであり、大変満足しております。韓国国民は今やようやく、彼をもって自分達の友人であると知って、これを事実の上に現し始めました。
過去三年の間における韓国の進歩の大きいことは、実に私をして統監政治 の最も熱心な支持者であることを告白せしめます。私は伊藤侯の必ず成功すべきことを信じて疑わないものであり、また、すべての宣教師及びその他 の韓国における文明開発の義務を知る者は、等しく伊藤侯の統治を支持しなければならないと思います。
宣教師 ハリス博士 伊藤(博文)公が、その韓国改善のプランを打ち明けたとき、私の心は躍った。そこには、改革、「公正」、斡旋があった。
(李朝朝鮮が)これまで犯したあらゆる誤りがそこでは「改善される」はずだ。  

1906年 フレデリック・アーサー・マッケンジー

「伊藤博文公暗殺」に対するドイツ人の論調

<韓国人が公を暗殺したことは、特に悲しむべきことである。何故かといえ ば、公は韓国人の最も良き友であった。日露戦争後、日本が強硬の態度を以って韓国に臨むや、意外の反抗に逢った。陰謀や日本居留民の殺傷が相次いで 起こった。その時、武断派及び言論機関は、高圧手段に訴うべしと絶叫したが公ひとり穏和方針を固持して動かなかった。当時、韓国の政治は、徹頭徹尾 腐敗していた。公は時宜に適し、かつ正しい改革によって、韓国人をして日本統治下に在ることが却って幸福であることを悟らせようとし、六十歳を超えた 高齢で統監という多難の職を引き受けたのである。>ドイツ人 エルウィン・ベルツ博士 「伊藤公の追懐」


  「伊藤公暗殺」に対するロシア人の論調
<思えば思うほど情けない限りである。最後の大戦争(日露戦争)以前に
伊藤公爵が言われたことを、もし、ロシアが聞いていたら、あの悲惨な戦争 も、ロシアの敗戦という不名誉もなかったのである。伊藤公爵のハルピン来訪目的は、わが大蔵大臣との外交上の空しい儀礼的なものでなかったことは、 誰もが知っていた。伊藤公は「ロシアは満州から去れ」などという、一点張りの主張をする人ではない。尊敬すべき老大偉人の逝去は、日本の損失ばかりで なく、わがロシアの損失であり、韓国が大損失をこうむることは必至である。>
     東清鉄道長官 ホルワット少将 「ハルピン・ウェストニツク紙」

「伊藤公暗殺」に対してのイギリス人の論調
<公を泰西の政治家と比較するに、公はビスマルクの如く武断派ではなく、 平和的であったことはむしろ、グラッドストーンに類するところである。
財政の知識が豊富であったことはビールにも比すべく、策略を行うに機敏
かつ大胆であったことは、ビーコンスフィールドに似ている。公はすべての 大政治家の特徴を抜粋して一身に集めた観がある。殊に公は驚くべき先見の明を有し/要するに四十余年の永きにわたって終始一貫、国家の指導者たる 地位を占めたのは、実に千古の偉観というべきである。>

  「伊藤公の性格」ブリンクリー主筆 イギリス紙「ジャパーン・メール」

朝鮮人も同じく

「伊藤公暗殺」に対する韓国皇帝の論調
<伊藤を失ったことで、東洋の人傑がいなくなった。公はわが国に忠実正義 をもって望み、骨を長白山に埋めて、韓国の文明発達に尽くすと揚言していた。日本に政治家多しといえども、伊藤のように世界の大勢を見て、東洋の 平和を念じた者はいない。実に伊藤はわが国の慈父である。その慈父に危害を加える者があるとすれば、物事の理事を解さない流浪人であろう。>         十月二十七日   太皇帝(高宗)

<伊藤を失ったことは、わが国といわず、日本のみならず、東洋の不幸である。
その凶漢が韓国人とあっては、赤面のほかない。>
                十月二十八日   太皇帝(高宗)



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韓国は多年、その自主独立の政治ができなくて、過去数世紀の間、支那の宗主権を承認していた。日本がこれを、その境遇から救った後は、日露の係争 の地であった。次いで、日本は又々、これをロシアの圧迫から脱けさせるや、財政に行政に日本の忠言指導を受けることになり、外交の事は、挙げてこれを 日本に委せた。それ以来韓国は少なくとも、露、仏、英諸国が、その付属国民に対すると同様の恩恵に浴するにいたった。けれども近来、韓国は徒らに名を 無実の独立国に借りて、陰謀、奸計を弄し、隣国の激怒を招き、威圧、否戦火を蒙った。これが実に日清・日露の二大戦役を実現したゆえんである。
 ここでこそ韓国の地位に、根本的な改革を加え、それによって禍根を除去 するより以外ない。ゆえに我々は、日本保護下における韓国に対し、そのいわゆる韓国の独立に永遠の離別を告ぐるものである。
アメリカ・ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙

<日本はアジアの光である。大東亜戦争は欧米人にアジア人の勇敢さを示したもので、チンギス・ハーンとともにアジア人の誇りである。/ここで、インド ネシアの日本民族の価値について申し上げる。今、忽然として日本民族がこの地球上から消えたら、アジアとアフリカは非常に困る。その時に韓国が一番 困ると思う。韓国は工業大国の日本と競争したから、立派な工業国になれたのである。近くに強力な競争相手がいることは素晴らしいことだ。/つまり日本の近く に位置していることは幸運なのだ。経済的支援を連続的に受けているといってよいくらいだ。インドネシアが日本に近ければ今のような貧弱なインドネシアではない。
 つまり、我々インドネシア人は「日本はなにもしてくれなくてもよい。」と考え ている。日本は欧米と肩を並べて進歩しているだけで十分アジア・アフリカに尽くしている。
 だから、我々アジア人は外交面に弱い日本を支援したいと思っている。日本から援助 をもらうだけで応援しないのでは運命共同体の一員とは言えないし、対等のパートナーとも言えないのではないか。>
「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著 国際企画より


「アメリカの鏡・日本」 ヘレン・ミアーズ 著
 こうした公式記録を見る限り、なぜ、日本が韓国国民を「奴隷にした」として 非難されるのか理解できない。もし、奴隷にしたのなら、イギリスは共犯であり、アメリカは少なくとも従犯である。日本の韓国での行動はすべて、イギリスの 同盟国として「合法的」に行われたことだ。国際関係の原則にのっとり、当時の最善の行動基準に従って行われたことである。しかも、その原則は日本がつくった ものではない。欧米列強、主にイギリスがつくった原則なのだ。

 日本は韓国の「独立」という実にもっともな動機から、中国、そしてロシアと戦った。第二次世界大戦後の日本は、自分達は何のために戦ったか忘れて しまったかもしれないが、日本はとにかく当時の国際慣行を律儀に守り、それに促されて行動したのだ。日本外務省が韓国の「対外関係と対外問題」 を「管理統括」し、日本人の総督が韓国の首都で行政権限を与えられていたのはすべて、韓国政府と締結した条約にもとずくものである。

 1910年、日本が韓国を併合したのは韓国の新皇帝が「請願」したからだった。パールハーバー(真珠湾攻撃)以前は、日韓関係について 語る歴史家は、日本は欧米列強から教わった国際関係の規則を実に細かいころまでも几帳面に守っていた、と言ってほめるのだ。トリート教授に よれば日本は「ひとつひとつの手続きを外交的に正しく積み上げてきた
そして宣言ではなく、条約で、最終的な併合を達成したのである」。
事実、列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど「合法的」 手続きを踏んでいなかった。

 日露戦争後、アメリカは「事実の論理」を認め、韓国から代表を引き上げた。
韓国皇帝はセオドア・ルーズベルト大統領に訴えたが、大統領は「韓国は自主 統治にも自衛にもまったく無能力であることがはっきりした」として、介入を拒否した。日本によって「その後三年の間に、現地情勢に詳しい外国人たちの 賞賛を勝ち得るような改善が多く実現された」と書いたアメリカの歴史家もいるのだ。

 日清戦争は日本からみれば、完全な成功だった。西洋列強は喝采し、 日本における彼らの「特権」を相次いで放棄した。そして、日本を対等の主権国家として承認した。日本は韓国に自由を贈り、韓国国王 は中国皇帝、日本天皇と肩を並べる皇帝の地位を得た。
  韓国は古くから中国の属国だった。国を統治する王家はあったが、彼らは 中国朝廷に朝貢し、外交政策は中国に指導を仰いでいた。

 日本が西欧に認められるうえで、日露戦争は有益な学習だった。文明世界 は奇妙な小男たちの勇気と闘争心に仰天し興奮した。彼らは民族衣装であるキモノを着ながら、たちまちにして近代戦の技術を習得していたのだ。
 1904年10月4日付けロンドンタイムズの記事が、当時のイギリス人 の反応を物語っているが、それはほとんどのアメリカ人が感じたことでもあった。アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ


1904年10月4付けロンドンタイムズ紙日本人を絶賛!!

 極東のこの戦争(日清戦争・日露戦争)を取り巻く状況には注目すべき
 ことが多い。中でもとりわけ目立つのは、ミカドの軍隊の勇気と戦いぶり である。我々は不本意ながら、日本のすべての人間の行動を支配し動かす精神力の存在を認めざるを得ない。この力はいったい何なのか。その存在 を感じると、妬ましく、落ち着かず、腹立たしくさえある。勇気は西洋にとっても珍しいことではない。が、これは単なる勇気ではない。その背後 にもっと違う何かがある。もし、西洋の軍隊がそれをもっていたら、西洋のすべての国の軍旗は絶対に汚されることはなかったであろう。そういう 何かである。これは何か。これは何か。これは何か。・・・・・
             1904年10月4日 ロンドンタイムズ紙

日本は思いやりの態度で韓国に接していると思う。今度こそ、韓国を中国からの呪縛から解放しようとしているようだ。韓国国民に平和と 繁栄と文明開化をもたらすことによって、力の弱い隣国韓国を安定した独立国にしようと考えている。こうした日本の動機は韓国知識層で ある官僚の多くが歓迎している。アメリカにも異存はないと思われる。
        1894年7月29日 韓国駐在 アメリカ シル代表


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  「我々ヨーロッパ人は、互いの間では賢く写るが、日本人に比べるとはなはだ、野蛮であると思う。私は毎日、日本人から教えられることを 告白しなければならない。私は世界の中で、これほどまで天から才能を与えられた民族はないと思う。」

  「京都は、ヨーロッパならローマにあたるが、科学、見識、文明はローマ よりはるかに高尚である。信仰さえ別にすれば、我々は日本人よりもあきらかに劣っている。」
             16世紀 イエズス会本部への報告書より
                宣教師 ニエッキ・ソルド・オルガンティーノ


日本人は何よりも名誉を重んじ、彼らの大多数は貧しいが、貧困は貴族にとっても 武士にとっても平民にとっても、決して恥ずかしいことでも、不名誉なことでもない。
彼らは「正直さ」のほうを選ぶ。未信心者のなかで、日本人より優れている民族は いないと思われる。
                 宣教師  フランシスコ・ザビエル

ザビエルの見た日本

そこで私は、今日まで自ら見聞し得たことと、他の者の仲介によって識ることのできた 日本の事を、貴兄等に報告したい。先ず第一に、私たちが今までの接触に依って識ることのできた限りに於いては、此の国民は、わたしが遭遇した国民の中では一番傑出 している。私には、どの不信者国民も、日本人より優れている者は無いと考えられる。
日本人は総体的に良い素質を有し、悪意が無く、交わって頗る感じが良い。彼らの 名誉心は特別に強烈で、彼らにとって名誉が凡てである。日本人は大抵貧乏である。
しかし武士たると平民たるとを問わず、貧乏を恥辱だと思っている者は一人もいない。

ペドロ・アルベ、井上郁二訳「聖フランシスコ・ザビエル書簡抄」より
http://www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/kirisutokyou.html





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読者は朝鮮人の無気力、怠惰、居候根性、貧しさをつぶさに観察されたことに なるが、このため朝鮮の独立はきわめて困難で、将来を望むことが難しい。
            「三十年前の朝鮮」 ビショップ夫人



「朝鮮の両班は、まるで支配者か、暴君のごとくふるまっている。両班は、金がな くなると、使者を送って商人や農民を捕えさせる。その者が手際よく金を出せば釈放されるが、出さない場合は、両班の家に連行され投獄され、食物も与えられず、 両班が要求する額を支払うまでムチ打たれる。両班の中で最も正直な者たちも、多かれ少なかれ、自発的な借用のの形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺か れる者は誰もいない。なぜなら、両班たちが借用したものを返済したためしが、いまだかって、ないからである。彼らが農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの 場合支払いなしで済ませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止する守令は一人も
いない。」      マリ・ニコル・アントン主教

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両班はキセルですら、自分で持つことをせず、徹底して何もしないのが習わしで あった。」
「両班はいつも借金で首が回らず、何かちょっとした官職の一つでも回ってこない かと首を長くしており、それを得るために「あらゆる卑劣な手段な行為」をつくし、それでもなお、望みがかなえられない場合には飢えて死んでしまう。」
           イザペラ・ルーシー


1910年、日本が韓国を併合したのは(韓国の)新皇帝が「請願」したからであっ た。パールハーバー以前は、日韓関係について語る歴史家は、日本が欧米列強から教わった国際関係の規則を、実に細かいところまで几帳面に守っていた、といってほめ るのだ。トリート教授によれば、日本は「一つ一つの手続きを外交的に正しく積み上げていた。そして、・・・宣言ではなく条約で、最終的な併合を達成したのである。」
事実、列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど「合法的」手段を踏んで でいなかった。
         アメリカの鏡・日本ー ヘレン・ミアーズ



朝鮮の王室と政府は腐敗堕落しきっており、、頑迷な朋党は、人民の財を略奪して いる.その上、人民はあまりにも愚昧である。これでは国家独立の資格はなく、進んだ文明と経済力を持つ日本に統治させなければ、ロシアの植民地になるだろう。
伊藤博文総監の施策は、朝鮮人にとって有益で、人々は反対していない。
    アメリカ人の朝鮮外交顧問  ドーハム・スティーブンソン


併合前の朝鮮は地獄だったといってよい。
              玄永燮


『朝鮮亡滅』(ホーマー・ハルバート)
「(李朝期の司法について)裁判は金次第でどうにでもなり、多額の金を提供するか、 裁判官を畏怖させるほどの有力者を後ろ盾にもっていることを見せつけるかしたほうが、必ず有利な判決にありつけることが世間一般の常識になっている。
 この国では、富と官職とは、事実上は同義語である」



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『朝鮮紀行』(イザベラ・バード)

「このように堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したのであるが、 これは困難きわまりなかった。
名誉と高潔の伝統は、あったとしてももう何世紀も前に忘れられている。
公正な官吏の規範は存在しない。日本が改革に着手したとき、朝鮮には階層が 二つしかなかった。
盗む側と盗まれる側である。そして盗む側には官界をなす膨大な数の人間が含まれる。
搾取と着服は上層部から下級官吏にいたるまで全体を通じての習わしであり、 どの職位も売買の対象となっていた。」

「日韓関係の近現代史」  自由主義史観研究会会員  
http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/index-jkorea.html



<併合前の半島>
1.第一印象、住居等
イザベラ・バード:1894年始めてソウルを訪れたバードはソウルについて次のように述べている。58−60頁

「北京を見るまで私はソウルこそこの世で一番不潔な町だと思っていたし、 紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世で一番ひどいにおいだと考えていた。
都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい。
礼節上2階建ての家は建てられず…」

「こういった溝に隣接する家屋は一般に軒の深い藁葺きのあばら屋で、
通りからは泥壁にしか見えず、ときおり屋根のすぐ下に紙をはった小さな窓があって人間の住まいだと言うことが分かる。
又溝から2,3フィートの高さに黒ずんだ煙穴がきまってあり、
これは家の中を暖めるとと言う役目を果たした煙と熱風の吐き出し口である。」

「瓦屋根の反り返った上流階級の家屋でも、通りから見た体裁の悪さと言う点ではなんら変わりがない。」
1の続き)

シャルル・ダレ、住居の項にて:289頁

「貴方はみすぼらしい茅屋というものを見たことがあるでしょう。
では貴方の知っている最も貧しい茅屋を、その美しさと強固さの程度を更に落として想像してみてください。
するとそれがみすぼらしい朝鮮の住まいについての、殆ど正確な姿となるでしょう。」

「2階建ての家は探しても無駄です。そのようなものを朝鮮人は知らないのです」

「朝鮮の宮廷は非常に貧しく、国庫はさらにもっと貧弱です。
宦官やその仲間である国王の妾、宮中の侍女たちは、もし大臣の地位や、
又時には他の幾つかの高官職を売って得る金がなくなれば、きっと打撃を蒙るでしょう。
従って権力の座にあるものは、贈り物を次々と与えては機嫌をとり、これらすべての貪欲な吸血鬼をいつも満腹にしておかなくてはなりません。特に今までに増して国王の寵愛を獲得しようとする時には、巨額の金が必要になります。

所が金炳国(きむぴょんごく・国王の義兄弟)は、幾つかの官職をかなり高く売り、朝鮮人参の専売権を引き受けたのだが、それでも尚必要とされるすべての人々に富を行き渡らせて、地位を買収するだけの金を得ることができなかったのです。昨年の真冬に、金炳国のおかげで多くの地位と富を得た1人の男が金炳国を訪ねてきて、「最高権力を握りたいとは思わないですか」と尋ねたのです。
「答えるまでもないでしょう。しかしそれを得るためにはとにかく金がいるのというのに、私にはそれがありません」と国王の義兄弟は答えました。
「それでは私に王国の南部地方の租税を徴収する職を下さい。そうすれば必要なお金を手に入れて差し上げましょう」「よろしい」と大臣は答え、すぐさまその男の指示に従って対策を講じたのです。
南部地方の租税は主に米で、それは海路を通じてソウルに運搬されていました。
くだんの男はこれらの米をみんな集めて船に積み込み、中国まで運搬し、
朝鮮で売る4倍の価格で売りさばいたのです。
帰国した彼は租税に必要な米を再び買いととのえました。
こうした値段の差額によって、国王の義兄弟は、宮中にあふれている一群の宦官と侍女の支持を一手に獲得することができたのです。
そして彼は自分の競争相手を罷免し、すべての権力を独占しました。
いかなる穀物を輸出しても、それは極刑にかけられる犯罪になります。
ましてや王室の維持費のために徴収された米を売るものは許し難い国事犯なのです。
この密輸出が原因となって、とうとうこの年は幾つかの道にとっては深刻な飢えの年となったのです。
しかし彼にとって何の関係があるでしょう。
彼が権勢を得、豊になった以上、誰が彼の行状を問い正そうとするでしょうか」


フランス人宣教師のシャルル・ダレは、当時の朝鮮王国のがんこな鎖国政策について、こう書いている。

「1871年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が朝鮮半島を襲 い、国土は荒廃した。あまりの酷さに、西海岸の人々のなかに は、娘を中国人の密航業者に1人当たり米1升で 売るものもいた。北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人か の朝鮮人は、 惨たらしい国状を絵に描いて宣教師達に示し、「どこの道にも死体が転がっている」と訴えた。
しかし、そんなときでさえ、朝鮮国王は、中国や日本からの 食料買入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくのを 放置しておく道を選んだ。」(朝鮮事情・平凡社東洋文庫)
2の続き)


シャルル・ダレ  112−114頁、118−119頁、122−124頁

「ある日1人の若い常民が、両班の子弟と喧嘩している内に、誤って斧で脇腹を一撃して殺してしまった。
殺人犯である常民は、即座に捕らえられ守令の前に連行された。
証人の中には被害者の父親もいた。
一言二言三言訊問した後、守令は斧を持ってこさせてその父親に手渡し、
縛られたまま地面に倒れている殺害者を指さしながら、
「こやつが、どのようにお前の息子を打ち殺したか、見せてみよ」と言った。
守令はその父親に犯人をその場で殺害させ、煩わしいこの事件から早く逃れてしまいたかったのだ。」

「大きな邑には、捕卒から報酬を受けている盗賊の頭目が数人いつもおり、 人々が彼らの行為に耐えられなくなった時か、守令がいつになく強い脅しをかけた時に、法廷に突き出されてくる。
彼らを逮捕する時にも、比較的軽い犯罪については合意が出来ていて、
それから捕卒が告発し、被告が是認する。重大な問題に関しては、
すべて堅く沈黙が守られ、真犯人が自分の犯罪に対してそれ相応の懲罰を受けるようなことは稀である。
のみならず政府は必要なときに備えて大胆で図太い補助者を自らの手元に確保しておくため、世間に名の知れた数多くの泥棒を自由にさせておく。」

「許されている拷問が、未だ数多く残っている。次に主要なものを挙げてみよう。(詳細省略)
1.棍杖(長さ1.6−2メートル、幅20センチ、太さ4.5センチ位の棍杖で殴る)
2.平棒、笞、棒杖
3.骨の脱臼と屈折(3種類ある。その内の1例は、両膝と両足の親指を縛り、その間に2本の棒を入れ、反対方向に引っ張る)
4.吊り拷問
5.鋸拷問或いは足の鋸引き
6.3稜杖(木製の斧若しくは鉞で肉片を切開する拷問」 

マッケンジー  27ー28頁、33頁、79頁、119−120頁

「監獄は呪詛の的となり、拷問は自由に行われていた。
周期的な監獄清掃に際しては一時に数十人の囚人を絞首してしまい、裁判は売買された。」

「罪人たちがその首をはねられた後、鳥や犬に食わせるよう野っ原に放り出して置かれるのを見て、不快感を抱いたこともあろう。
更に彼はしばしば行われた囚人に対する拷問や笞刑の光景を見て全く嫌になってしまったこともあるだろう。」

国王のロシア大使館逃避後。
「第2の詔勅が天下に公布され、兵士たちに自分たちの国王を守り、謀反の首謀者たちの首をはねて国王の所にそれを持参するよう呼びかけた。
この詔勅は集まった群衆の怒りを最高潮にかきたてた。
大群衆が前閣僚たちを殺害しようと捜し求めた。
2人の大臣(前内閣総理大臣金弘集と前農商工部大臣鄭秉夏の2人)が街路に引きずり出され、残忍きわまる方法で殺害された。
その内1人は首の後ろから耳の前にまでわたるひどい深傷を負っていたが、群衆はその彼が倒れるとき猛獣のような大きな歓声を張り上げた。
群衆はその死体に向かって石を投げつけ、或いは踏みつけ、又或ものはその四肢をずたずたに切り裂いた。
1人の男は自分の小刀を抜きはなって、死体の一つの内股の肉を切り取り、その肉片を自分の口に入れながら、
群衆に向かって「さあ!奴らを食おうではないか」と叫んだ。」


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    弱いものは徹底的に苛め抜く!これが韓国の歴史である!
<動物がひどく苦しがっていることが判ときでさえ、一般の朝鮮人はまったく、関心を示さない。道路に病気になった猫や犬や、けがをした鳥などがいると、子供も大人も老人も手に手に棒や石を持って、この哀れな動物をいじめ殺してしまう。>アメリカ人 メソディスト派宣教師 幕末に来日した総領事、 ホーマー・B・ハルバート


>「北京を見るまで私はソウルこそこの世で一番不潔な町だと思っていたし、
> 紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世で一番ひどいにおいだと考えていた。
> 都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい。
> 礼節上2階建ての家は建てられず…」

一方日本は・・・
「人々はみな清潔で、食料も十分にあり、幸福そうであった。
 これまでにみたどの国にもまさる簡素さと正直さの 黄金時代をみる思いであった。」
         
3の続き)


  意気地なしのくせに、怒ると正気を失う韓国人
「朝鮮人は本当に怒ると、正気を失うといえるかもしれない。自分の生命 などどうなってもいいとぃった状態になり、牙のある動物になってしまう。
 口のまわりにあぶくがたまり、いよいよ獣めいた顔つきになる。遺憾なこと だが、この怒りの衝動にわれを忘れるといった悪弊は、男だけの独占ではない。/
  女は立ち上がってひどい大声でわめくので、しまいには喉から声が出なくなり、つぎには強烈に嘔吐する。精神錯乱に陥るこうした女たちを見るたびに私は、どうして脳卒中で倒れずにすんだのかと、不思議に思う。どうも朝鮮人は幼少のときから自分の気分を制御する術を学ぶことがないらしい。子どもも親をみならって、自分の気に入らないことがあると、まるで気が狂ったように大暴れして、結局、我意を通すか、それとも長くかかって鎮静にもどるか、そのいずれに落ち着く。」

     ホーマー・ハルバート「朝鮮亡滅」


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 カナダ人の見た李朝末期の韓国社会の惨状と韓国人の自堕落!
 私は、十分に耕せそうな土地をほったらかしにしていながらも、飢えに
苦しむ農民のさまが理解できなかった。「どうしてそれらの土地を耕さないのか?」と聞いたところ、「耕せば耕すほど、税をとられるだけのことだ」という返事があった。
「朝鮮の悲劇」カナダ人ジャーナリスト  マッケンジー



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  韓国人は「日帝」ではなく「両斑」を憎むべきではないのか!
 朝鮮の両斑は、いたるところで、まるで支配者か暴君のごとくふるまっている。大両斑は、金がなくなると、使者を送って商人や農民を捕らえさせる。
その者が手際よく、金を出せば釈放されるが、出さない場合は、両斑の家に連行されて投獄され、食物も与えられず、両斑が要求する額を払うまでムチ打たれる。両斑の中で最も正直な人たちも多かれ少なかれ自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺かれる者はだれもいない。なぜなら両斑たちが借用したものを返済したためしが、いまだかってないからである。
彼らが農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの場合、支払いなしですませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止できる守令は一人もいない。
  「朝鮮事情」 マリ・ニコル・アントン・ダブリィ主教


 李氏朝鮮の残酷な死刑や拷問に対して 
 「こんな状況がまだこの地球の片隅に残されていることは、人間存在 そのものへの挑戦である。とりわけ、私たちキリスト教徒がいっそう恥じるべきは、異教徒の日本人が朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問 を廃止するだろうということだ」
 スウェーデン人 アーソン・グレブスト  「悲劇の朝鮮」



   怠惰、自堕落、虚飾こそは韓国唯一の「伝統、文化」である!

       「両斑」についての酷評!
「人の目に労働と映るなら、出来る限りそれから遠ざかろうとする。自分 の手で衣服を着てはいけないし、煙草の火も自分で点けてはならない。そば手伝ってくれる場合は別として、馬の鞍に自分でのぼるべきでない」
     アーソン・グレブスト「悲劇の朝鮮」


 「彼らはいつも借金で首が回らず、何かちょっとした官職の一つでも回って こないかと首を長くしており、それを得るためにあらゆる卑劣な行為をつくし、それでもなお望みがかなえられない場合には飢えて死んでしまう」
 イギリス人旅行家 イザベル・ルーシー・ビショップ夫人

4の続き)

 良識ある中国人の「歴史認識」

 清国はアロー戦争でフランスに敗れ、ロシアは満州を征服して日一日と南下政策 を続けた。もし日本が北進に努力しなければ、ロシアは必ずや朝鮮を侵略したであろう。
腐敗せる朝鮮王室と両斑ががどうして露国を一掃し得たであろうか。故に日本の北進は やむを得なかったのである。日清・日露の両大戦は、日本にとって民族の興亡、国家の存亡を賭した戦いであった。中国とロシアはともに世界の大国である。小をもって大を 抗す、しかも十倍の大に抗するのである。日本人が気狂いでない限り、一歩退いて考えざるを得なかっただろう。<前進は生路であり、後退は絶路である>ということを彼ら
はよく承知していたのである。
   1928年 「日本論」 戴天仇(中国人)



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「私の村は地獄になった」
韓国軍がベトナムで行った残虐行為の被害者たちが真実を語りはじめた
        byニューズウィーク 
http://210.160.208.40/search/20000412/wa_sug1.html



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 韓国は日本の保護によって新生命、新光明に浴している。高い政治道徳を重んずる 進歩的であり、円滑である伊藤総監によって、韓国人は暗黒時代から光明世界に導かれ、未開時代から文明時代に進むべく手を取られて進みつつあり、旧来の久しい悪政 から免れ、彼らの生命財産は確実に保護されつつあって、あらゆる面において、三年間に三倍の進歩を遂げた。                    韓国在住  宣教師ラッド博士
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韓国知識人の主張によれば、有史以来、千回も侵略を受けたが、すべて撃退した という。しかし、前述のように嘘である。ほとんどの場合、徹底的に叩かれ、連行を免れた者は属国の従順な民となって、宗主国に阿諛迎合したのである。
 唐軍も、モンゴル軍も満州軍の侵入のときも、その負け方は、たいてい似たり寄 ったりである。それは新羅史、高麗史、李氏朝鮮史と諸史の原典記録を一読すれば細かく記述されている。中国諸史だけでなく、朝鮮半島の歴史も大同小異である。
 韓国知識人の多くは、なぜ歴史を直視する勇気がないのであろうか。
 朝鮮半島の歴代王朝の国防政策は、たいてい専守防衛だから、兵数が少ない。
李朝末期は数千人の単位程度で、ほとんど宗主国の防衛に頼りっぱなしだから北方 から異民族が侵入してくると、たいていは城を棄てて逃げ惑い、農民はわめき、哭くばかりであった。
 たいがい敵が侵入してくると、各地方の軍隊は総崩れとなり、地方の長官は競って 土地を献上し、帰順するか、逆に敵軍に従軍し、火事場泥棒を働く者も少なくなかった。
宗主国をかさに、高麗や朝鮮国王にゆすりたかりを働き、一族の利益を図るのが、朝鮮 半島の鉄則のようなものだ。千余年来、たいてい同じようなことを繰り返したのであった。
 だから千年進入され、千回とも敵を撃退したのではなく、属国になると誓ってから宗主国が兵を引いたという歴史事実が繰り返されている。
 ではなぜ戦後になると韓国知識人の歴史歪曲が、日を追ってますます神話まがいのものまでに変化していったかというと、それはどの民族も自存自衛のために欠かせない民族の自尊心にある。
              

 韓国は壬辰倭乱(豊臣秀吉公の朝鮮征伐のこと)で焦土と化した。だから 三百年もへても立ち直れなかった。いやがうえにも倭乱のひどさを強調したいという気持ちはわからないでもない。しかし、考えてもみると、一回の大乱 だけで三百年も立ち直れない民族は、世界中のどこにいるのか。もしあるとすれば、もっと恥を知るべきであろう。戦後、焦土化した日本は半世紀もたたず に再び経済大国になったではないか。千回も侵略され、すべての侵略者を撃退したという自慢話と、三百年も立ち直れないでいるという論理を矛盾すること もなく主張することに自己撞着はないのであろうか。
 韓国知識人はつねにこのような歴史歪曲で「反日」を正当化する。
         韓国人の反日台湾人の親日 黄文雄 光文社

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5の続き)



日本の刺戟により朝鮮は富み且つ沃土と化した。その平野は耕作され、岡には森林が 植林されている。道路と鉄道とは網状に構成され釜山と鎮南浦さ申分なく整備せられているのである。
満州国においても同様な進歩が認められるが満州国は朝鮮の様に国が何処から何処ま で一変したというのではない。朝鮮では日本の開化事業が四十年前に始まり、三十年前に漸く一段落ついたのであるが、満州国では事業に着手してから、辛うじて七年に なるに過ぎない。しかしこの七年間に国の災厄であった匪賊を抑え、−この真偽については新京の数名のフランス宣教師に尋ねて見られるがよい−又他日沃土と化すべき 耕作可能地七、八十万方キロの四分の一を既に開拓したのである。最後に満州国に多い石炭、錫、マンガン、鉛、金、プラチナの鉱山は既に踏査され、熱心な活動により 既に採掘が始められているのである。又奉天には既に世界最新型の製鉄所がある。尚、日本は世界の共同利権を脅かした匪賊を絶滅したのであるから列国は日本の満州 国の実権を握っていることを祝賀せねばならぬのである。
クロード・ファーレル著 森本武也訳「アジアの悲劇」
昭和15年6月15日発行 日光書院刊  

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戦前は、一大畜産地・済州島で牛の疫病が発生して生活難に陥った島民が、当時 存在した済阪航路に乗って大阪に大量流入し、その後全国に広がった。
大阪や東京では7割ぐらいを同島出身者が占めていた。戦後も在日ネットワークを 頼って1970年頃まで韓国人の日本への密入国が続いた。
在日における済州島出身者の比率の異常な大きさと、朝鮮半島の総人口に占める 同島民の比率の小ささを考えると、朝鮮総督府の土地調査事業で土地を奪われた農民が、仕事を求めてやむなく来日したというのも嘘だとわかる。

 今日の在日韓国・朝鮮人には、戦後の密入国者とその子孫がかなりの比率を占めている。
日本政府は、在日の永住権を巡る韓国政府との外交交渉で、密入国者に関しても寛大に扱った。

米国公文書の秘密文書を調査したブルース・カミングス・シカゴ大学教授
http://www.korea-np.co.jp/sinboj/sinboj2001/4/0404/51.htm



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工曹−社会事業省−都市
朝鮮の都市は、その所在地と外観から見ると、おそらく商業への配慮よりも、戦略的及び行政的展望により造られたように見える。都市は商業の中心地からは遠く離れた行政区画の中心地にあり、行き着くのさえ容易ではなく、大半が壁で取り囲まれた場所に選ばれており、通常の語義の都市と言うより要塞を思わせる。ある都市にたまたま車道が走っていれば、その1本の車道は広く、比較的真っ直ぐだが、それ以外は全てが途方もなく狭苦し い、曲がりくねった汚い道である。

家屋は粘土張りの平屋で、屋根は瓦ないし葦で葺いている。室内の明かりは、油紙で上張りされた四角い小箱である。家屋は床下から暖房され、焚き口になっている床の隅から別の隅に床下を石筒が這っており、そこから煙が排出される。このような暖房装置を備えるため、街頭には常時、煙が漂い、建造物の外壁は煤けている。

みすぼらしい茅屋の間に、際だつのは官吏の住宅である。屋敷は7〜9フィートの壁で囲まれ、前面の庭とその中に建てられた家屋には一族郎党や召使いやが住み、官吏と家族は内側にある庭と住居に住む。家屋は朝鮮建築と支那建築の折衷で、部屋には格子壁が1面あり、 これには採光のために紙が張ってあるが、都市でも村落でも他と異なるもの(間取りの事?)は全く見かけなず、驚くべき単調さであった。この単調さは村落と都市の全景にも
君臨しており、都市も村落も同じ設計図に基づいて建設され、防壁の施された宿舎と言う観を呈している

朝鮮の現況 (1885) アムール州総督官房付 ダデシュカリアニ

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