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広瀬淡窓コミュの菅茶山

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 淡窓先生が廣島の神辺町の菅茶山(かん・ちゃざん)と交流を持っていたが、菅茶山が亡くなったことに対する文章があったのでここに掲載する。

「 余二十七歳の時、詩稿を茶山に寄せて筆削を乞う。是交りを納るるの初めなり。其事既に前に出せり。此人極めて人の善を称し、人の美を挙ぐ。余名を山陽以東に伝ふること、此人の悠揚によること多し。師弟の名なしと雖も知己の遇思はずんばあるべからず。謙吉歸る時、硯一面を以って余に贈りて云はれけるは、僕世を去ること近きにあり。是遺物なりと。硯今家に蔵せり。茶山の没は七八月の頃なるべし。歳八十なり。」

 菅茶山は1748年、山陽道の宿場町だった備後国安那郡神辺郷に生まれた詩人であり、かつ教育者。1781年34歳のとき「黄葉夕陽村舎」(こうようせきようそんしゃ)、後の「廉塾」(れんじゅく)を開き、若い人々を教育した。頼山陽もそのうちの一人。東洋文庫には「菅茶山と頼山陽」(富士川英郎)が参考になる。

 教育者として先輩にあたる菅茶山に強い思いがあったのだろう。死期の近いことを悟った茶山は形見に硯を茶山に謙吉を介して送った。淡窓先生は人生の寂寞を感じられたのかもしれない。

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