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岡山 賢人塾コミュの勝海舟 私に帰せず

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勝海舟 私に帰せず 津本陽著 



勝海舟の人物については有名な幕末の活躍者、
幕府の責任者として西郷隆盛との交渉で
江戸城を無血開城した人としての認識しかありませんでした。

津本陽氏の本で西郷さん坂本龍馬など・・・読んでいると、
どうしても読みたい本が「勝海舟」でした。

一言で表現するなら「至誠の人」と感じます。


『出会いは一生のうち会うべき人に必ず会える。
それも一瞬早すぎもせず、遅すぎもせず。』森信三先生の言葉ですが
勝海舟も津島斉彬と出会い、西郷隆盛と出会い、
坂本龍馬それに幕末の3舟、山岡鉄舟
しっかり、つながって出会っておられます。

横井小楠とも交流が深く「学校問答書」人材教育論に 経世済民 
国を治め、人民の生活を豊かにさせることをめざす、
人材を作らなければならない。
心の基本として己を修め、人を治めるのが政治の大道である。
と本の1節にすばらしい言葉があります。

江戸城を無血開城した人程度の理解でしたが、
慶喜の恭順の指示を受けて、なかなか強かに官軍と対応した。
1812年のフランスの大乱でナポレオンがモスクワに達し、占領したのに
市街を焼き払われ、宿舎の食料もなく、30万人の兵士は極寒の撤退中、ロシア軍のゲリラ攻撃に苦しめられ故国へ帰れた将兵はわずかに2万人であった。
この故事にならい。
官軍とうまくいかない時は、江戸の町を焼き払って、官軍を立ち往生させる段取りもしっかりしていた。


12代将軍家慶の第5子の遊び相手になる。勝麟太郎

150年前、黒船で迫り来る米国ペリーの恫喝外交で日本は横浜、ほかを開港させられた。
日本は長崎にて海外の窓口として開港していましたがルールを無視して浦賀に来ました。

列強の国々、開国して欧米の進んだ技術を導入しければ、
外国の脅しを打ち払う国力が育ちようが無い。

内乱を避け、国力が衰えるのを憂い、実践した勝海舟。
先覚者として島津斉彬、咸臨丸でアメリカに行った勝海舟、その弟子坂本龍馬、
吉田松陰、ほか・・・・


1859年37歳、咸臨丸でアメリカに行った勝海舟は時代の河の流れが読めていた。
たった250トン長さ50m幅7.3m 100馬力の3本マスト咸臨丸で
9日の石炭で荒天の中、37日かけて1日200マイルを帆走で走りサンフランシスコに着いた。ジョン万次郎とブルック大尉が同乗していたからこそ航海が出来たようです。



何度も何度も命を狙われ、人生の浮き沈みを経験し、大役を果たした勝海舟

勝海舟 私に帰せず 津本陽著 潮出版 お奨めします。

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