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創価学会破折にご協力お願いします。

以下の文を、できる限り流出させ、学会破折の役に立ててもらえれば幸いです。


昔の創価学会の「折伏教典」より  (昭和43年9月16日 改訂29版発行)


P.119
日蓮大聖人は、出世の本懐としての大御本尊をご建立になり、弟子・日興上人にすべてを相伝(そうでん)された。
日興上人は、これを日目上人に相伝になり、爾来(じらい)法灯(ほうとう)連綿(れんめん)、一糸(いっし)乱(みだ)れず清浄(せいじょう)に伝承(でんしょう)されてきている唯一(ゆいいつ)無二(むに)の宗こそ日蓮正宗富士大石寺である。

P.238
日蓮大聖人のご本懐は、一閻浮提総与の弘安二年十月十二日の御本尊にあることに間違いない。
日蓮正宗は、これを本尊として日蓮大聖人のご遺志を継ぎ、一切衆生を救うものである。したがって、世界唯一の本尊であり、日蓮正宗は最高にして唯一の宗教である。

P.239
信仰は、感応の妙理であるから、拝む対境となる本尊の力は、そのまま信心する人の生命力の上に、また生活の上に具現化する道理である。
すなわち、拝んで功徳があったか、なかったかが重要である。

日蓮正宗の本尊は、三世十方諸仏の能生の根源である。
したがって、その法力・仏力も無量無辺、とうてい凡智で計ることはできない。
いかなる人でも、この御本尊に向かって、純真に南無妙法蓮華経と唱えるとき、必ずや宿命転換の方向を見出し、幸福建設へ向かうのである。


P.335   
勝手に作製した本尊に題目を唱える。対象はバラバラで、どれが大聖人の教えにかなった本尊であるか、全く知ることができない。
ゆえに、ただ「南無妙法蓮華経はありがたい」と言って、一番大切な信仰の対象たる「本尊」を知ろうとせず、邪宗邪義により、ついに「地獄」に落ちていくのが、現在の「南無妙法蓮華経」を唱えている宗教である。


P.336
大聖人の題目を盗み、これを金儲けに利用して、人を不幸にする「悪魔の所為」である。題目を唱えれば「対象」は何でもよいということは絶対にない。それは、大聖人を悪(あ)しく敬(うやま)うどころか、仏説に反対するがゆえに、大聖人に弓を引いていることになる。大聖人の仏法は、三大秘法である。この「三秘整足」しない宗派は、邪宗邪義である。

P338
正しい御本尊なき題目は無益であり、「地獄へ行く直道」をつくっているのである。三大秘法の御本尊に対し、三大秘法の題目を唱えたてまつるは日蓮正宗のみである。日蓮正宗によって初めて広宣流布、戒壇建立がなされるのである。


P339-341
弟子や信者たちの手元にある一機一縁の御本尊は、すべて、日興上人の手元にとりまとめられた。
それにもれた一部のものが、人々へ伝わって、今日、ご真筆として「勝手に信仰の対象」とされているのである。
ただし、これは、ちょうど電灯にたとえて考えてみると(御本尊様を電球に例えるとは、もったいないことであるが)ヒューズがとんで、電流が流れてこない電灯は、電球が本物でも、電流が流れてこなければ、光は出ないのである。

御本尊が大聖人のご真筆であっても、大御本尊に直結しなければなんの功徳もない。したがって富士大石寺の大御本尊を拝まないものは、すべて謗法である。
謗法のところには、大聖人の御魂(おんたましい)は、住まわれないのである。

そこで、もし、このようにたしかなご真筆の御本尊を拝した場合は、大石寺のご法主猊下のお手元に戻し、改めて、「感得願い」を申し上げて、大御本尊に直結した御本尊として、お下げ渡し願えばよいのである。

【ここでいう「感得」とは、つまり「開眼」ということではないだろうか?
それなら、創価学会も「感得」、つまり「開眼」を認めていた、ということではないだろうか?】


P340-341
信仰の対象として、一切をささげて南無したてまつる御本尊であるから、総本山においては、ご相伝により、代々の御法主猊下お一人が、おしたためあそばされるものであり、三大秘法抄、観心本尊抄等の御文に照らして拝察するならば、勝手な御本尊を拝むことが、大きな誤りであることがはっきりわかるのである。

これは、不相伝なるがゆえに仏法の深義に迷うのであって、不相伝家はみな「本尊に迷う」ということができる。

P342-343
大聖人の仏法を修行するならば「南無妙法蓮華経」の法本尊と、日蓮大聖人ご自身である人本尊、この人法一箇である一閻浮提総与の「本門戒壇の大御本尊」に向かって、唱題修行する以外にないのである。
これを知らずして絵像等を拝むことは、大聖人の教えに反する邪義であり堕地獄の因となることは明らかである。

P345-346
大御本尊をマネた本尊をかつぎだす、いわゆる付属のないもの。これは偽札本尊といって、これらを本尊と立てる連中は、「御本尊は誰が書いてもよい」などと考えているのである。
信仰してもさっぱりよくならないと、「信仰がたりないからだ」と、何事も、無知な信者のせいにする。それを対象として、どんなに拝んだところで、絶対に幸福はなく、かえって悪道に陥ることは必定である。


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