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お金・法律・思想の義務教育化をコミュの死んだらどうなる

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丹波哲郎氏の“死後の世界”関係の映画が随分たくさんyoutubeにアップされていますので、それらを張り付ける専用のこのトピを立ち上げておきますね。

ただこれらの映画作品は、死後の世界の存在を確信する資料としては、そのとっかかりとしては面白い内容の資料かも知れませんが、これらの映画よりも、あくまでも丹波さんの御著書そのものの方をお読みになられる事を私はお勧めしますけどね。それから、何度も申し上げているように、私は丹波さんの死生観の全てを、一字一句違わず完璧に信奉、崇拝している人間ではありませんのでね。ただ、80年代後半に参加したとある集会にて、生前の60代真ん中頃の御年齢だった丹波哲郎氏と偶然直接口をきく、きかせていただく機会があった人間としては、いかにも芸能人という感じの「かっこいいオジサン」ていう感じの人でしたが、丹波哲郎氏は、特別思い入れのある日本の思想家ですよ。丹波氏は。少なくとも、私は丹波哲郎氏のお陰で、死後の世界の存在だけは腹の底から確信できるようになれましたのでね。つまり死後の世界があるないで言えば、私は死後の世界は「ある」と考える人間であるという事ですよね。昨年享年80歳で旅立った父の他界を経験して、尚更その思いを強くしましたよ。私はかれこれ父の遺体とたった一人で4〜5時間は一緒にいましたが、去年、父が他界した日の日本医科大学多摩永山病院にて、爪の先程も怖い、とか、恐ろしい、とか言う気持ちが浮かんでこなかったですからね。実の父の遺体な訳ですから、当然といえば当然なのですが…。そして自分の父親の死を通じて、「人はいつか必ず死ぬ」、その事を再確認させられたようにも思いますね。人間はいつか必ず死ぬ訳ですから、人間が「死んだらどうなる」のかに関心を持っておく事は、極めて自然な流れである、と私は感じますね。

コメント(38)

それから、youtubeを散策していて偶然発見した、この木内鶴彦氏の臨死の御体験談も、私には実に心ひかれるものがありましたね。こうしてこのトピのタイトルの「死んだらどうなる」に関係のある映像を貼ってコレクションしておけば、よりこのトピのテーマである「死後の世界は存在する」を論証していく事にもなルと思いますからね。丹波哲郎氏関係の映像ばかり貼ると、私が著名な芸能人だった俳優としての丹波哲郎氏へのひいき目に偏ったレポートのように取られてしまうと、このトピの目的である「死後の世界の存在の立証」からずれていってしまう可能性もありますから、こうして丹波氏関係以外の死後の世界関係の映像も貼ってコレクションするようにしておきますよ。







一つ前の木内さんの御体験談にて私が特に心惹かれたのは、木内さんにとっての「20年前の事件」についてのお話ですよね、2012年の今現在の20年前とは、私にとっては私の人生の中で絶対に忘れる事のできない1992年の「愛という名のもとに」の事件だから、ですよね。私も木内氏のように20年前のあの日に幽体離脱して行ってみたいものですよ。決して私が善人とばかりは言えないあの事件当時に、ね。
それから、いわゆる輪廻転生、即ち「生まれ変わり」が実在するのかどうか、という問題に関してですが、それは添付した動画である、江戸時代末期に実際にあった話、実話である、東京の多摩地区にて報告されている「勝五郎伝説」がその面白い実例でしょうね。多摩地区は私が実の父である喜代吉と、父の最晩年の数年間を一緒に過ごした地区でもありますが・・・。更には私がこの生まれ変わりを観念などではなく、現実に実在する物理的な事実である、と信じる実例として、昭和37年9月22日に、生まれて数時間で亡くなった嬰児である私の実の兄「弘之」と、私の従兄弟、つまり父の兄弟の、つまり私から見たら叔父のお子さん、息子さんである「ひろゆき」さんの実例がありますね。





生まれ変わりは真実である、物理的に実在する現実の出来事であると断言してしまう、断言できてしまう、それ程の決定的な証拠に成り得るかどうか、はわかりませんが、決定的な証拠であると断言してしまうのは違うかもしれませんが、その私の従兄弟の「ひろゆき」さんは、御本人さんは、非常に残念な事に、お仕事の御都合上、残念ながら来当日は来ていただけませんでしたが、昨年の父の葬儀の際には、その「ひろゆき」さんの奥様とその妹さんが、私の父の葬儀に参加して下さいましたのでね。生前、あまり良い噂の無かった私の父の葬儀に参加して下さった、私の母でさえ参加してくれなかった父の葬儀に、父の親戚としては唯一父の葬儀に参加して下さったのも、その「ひろゆき」さんの奥様と妹さんだけ、だった訳ですからね。私はこのお二人には今でも深く感謝しておりますし、また、このお二人を父の葬儀に送る手配をして下さったひろゆきさんや叔父にも、実に深い感謝の気持ちを抱いておりますが。

そのひろゆきさんがお生まれになった年、というのが、私の実の兄である「弘之」が他界した昭和37年からちょうど6〜7年位たった頃であったのですよね。勝五郎さんのお話に出てくる生まれ変わった方のその生まれ変わられた周期も確か6〜7年位だった筈ですからね。

「ひろゆき」さんのお父様に当たる私の叔父は愛媛県松山市にずーっと住まわれておられる方、で、しかも私の父が生前自分の血縁者とあまり深い交流を持とうとしないタイプの人間でしたので、私が叔父の息子さんに「ひろゆき」というお名前の方がおられる事を知ったのは、私が成人して、特に30代前半に私が単身父の故郷である瀬戸内海の島である中島に帰省した折に、立ち寄らせていただいた際に初めてはっきりと知った訳なのですが、
去年の父の葬儀の際の写真ですね。一番右端の女性が「丸児ひろゆき」さんの奥様、そのすぐお隣の女性が「ひろゆき」さんの妹さん、ですね。お二人には深く感謝しております。
18の続き


私の勝手な妄想かもしれませんが、私の生まれてすぐに亡くなった実の兄・弘之と、発音は全く同じ同姓同名に当たる方な訳ですからね。叔父の息子さんである「ひろゆき」さんは。私が学生時代に読んだ本に「前世とあなたの不思議関係/田口真堂」という本がありましたが、この本の中でも著者の田口真堂さんは、「共通の文字が名前の中にある場合、その人がその人物の生まれ変わりの可能性が高い」と書いてありましたが、全くの同姓同名の人物が、戸籍の上で、私の父の息子と私の叔父の息子にわずか6〜7年ずれて誕生する、誕生している、というのを私はただの偶然だとは言えない神秘を感じる訳なのですよね。その不思議な偶然に、私は田口真堂さんの「前世とあなたの不思議関係」の記述を思い出してしまった、という訳なんですよね。もちろん私の単なる誇大妄想、「ひろゆき」さんと、私の実の兄の「弘之」さんは全くの別人、別人格、そういう可能性の方がもちろん遥かに高いのですが、もしかしたら丹波哲郎氏の映画の中でも取り上げられている「勝五郎」と同じようなケースの生まれ変わりの可能性だってあるのではないか、そう私は感じる訳なのですよね。
19の去年の父の葬儀の際の集合写真ですが、前列の三人が父の子供三人(私・弟・姉)、後列の立っている人達が、その関係者ですね。


左の私のすぐ後ろの人のグループが弟関係の親類血縁縁者の方達、真ん中の姉のすぐ後ろの人のグループが姉関係の親類血縁縁者の方達、一番右側の女性お二人が、「ひろゆき」さん関係の親類血縁縁者の方達、ですのでね。つまり、後列に並んでいる方々は、全て姉・弟関係の最も近い血縁縁者の方達である、という事ですよ。こう見てみると、私だけが、血縁縁者の中でポツリと浮いた状態となっている事がよく分かりますよね。


ハハ
本来なら弟のすぐ後ろの位置に弟関係の血縁縁者の皆様が入られて記念撮影にのぞむべき場面だったのですが、私があまりにも不甲斐ない男(配偶者無し・子無しのアルバイター)であった為に、父の葬儀などという非常に重要な冠婚葬祭の席において、とてもとても中心となって会を進行させる事などできる状況ではない、と姉や弟が判断したが故に、弟と私の位置が逆になっている訳だったのですよね。不甲斐ない男を兄弟に持たざるを得なかった姉や弟には申し訳ないという気持ちで一杯ですよ。また、そういう事情からも、參敬運動を提案している私は絶対に麻原彰晃にはなれない、という事ですね。もし私が麻原彰晃となったら、つまり殺人事件の犯人となったら、19に写っている私の親類縁者の皆さんが一人残らず全員が、殺人鬼(=麻原)の血縁縁者になってしまう訳ですからね。誰かを犯人扱いする際には、常にその人物を犯人にしたら、どれ位の方々に迷惑が行くか、それを考えながら言動して行かなければならないという事ですよね。ただ、当然ですが、もし誰かが真犯人である事が間違いがない事であるのならば、その犯罪の被害者になられておられる方々の為にも、心を鬼にして真犯人に対しては、その罪を追求して行かなければならない、とも私は思いますけどね。その方が永い目で見た場合、世間の為になるというものですよ。残念ですが…。
1992年の「愛という名のもとに」の事件から現在の2012年までに至る丸20年間、私を


宮崎勤・麻原彰晃・宅間守・加藤智大などの猟奇的な殺人鬼に仕立て上げようと巧みにプロパガンダをしてきた人達


は、19の写真に写っている方々の社会的信用をも同時に殺害しようとしていた殺人未遂犯人でもある、ともなっていた、(宮崎勤の御両親は自殺されたそうですよ)その事を見つめて頂きたい、そういう事ですよね。それ位のキツイ表現を使っておかなければ、かつて実に激しかったと自意識過剰している私への日本社会の虐め、日本の大手マスコミの虐め、村八分は緩まないのではないか、そう思えばこその強い表現ですよ。やはり一度激しいバッシングを経験していると、どうしても一抹の不信感が拭えないものですからね。


まあそういう事とは関係なく、もう今更私が日本社会にて認めていただけるようになれる可能性は限りなくゼロに近い、とは思いますが、ね。



…でも、少なくとも、殺人犯人にだけはされたくはないですよね。やっぱり。人間としての最低限度のプライドとしてね。その位の誇りを持ち続ける事位の権利は私にだってありますよね。
24の主犯格のマスコミ企業は、もちろんフジテレビですよ。最近でこそ大人しくなってきましたが、“かつて”を知っている人間としては絶対に心から心許せる相手ではないですね。数々の



牛歩戦術



など、到底全面的に信頼していけるような相手ではありませんのでね。
牛歩戦術とは言い換えれば



拉致



とも言えますよね。
私が日本のマスコミに決定的な不信感を抱く最大のポイントは、宗教、宗教団体といったら条件反射的に全てを、100%を完全に頭から



悪である



という視点からしか報道しない点、ですね。最近の例で言えばオセロ中島さんのケースを私は挙げたいですが。私が參敬運動を言い出すきっかけとなった4冊の本のうちの一冊である「聖書が変えた経営人生」の著者の豊島幹男氏のように、一家心中、倒産、破産ギリギリの危機から奇跡的に“宗教によって”回復されたケースや、やはり私が參敬運動を言い出した本4冊の内の一冊の著者の池口恵観氏の「密教の秘密」に出てくる「癌がなおった」ケース、不治の病だと医者から匙を投げられていた患者さんが奇跡的に直ったケース、などといった“宗教の持つ良い点”を全くと言ってよい程取り上げないで、



宗教=カルト・マインドコントロール・テロ・麻原・イスラム自爆テロ



というイメージだけを強調してプロパガンダしようとするのは、明らかに日本の大手マスコミの間違った点ですよ。

彼らの報道が宗教は全て悪だ、という非常に良くない害毒・放射能を日本社会に垂れ流しているのだと私は思いますね。

キリスト教の礼拝に参加して「人からしてもらいたいと思う事を人にもそのようにしてあげなさい」という理念に感動して、布施の精神を実践しようという気持ちになって来られたお子さんに



その教えはマインド・コントロールだ、如何わしい霊能者によって洗脳された人間の屑の考え方だから捨てろ、と教えるのか?、っていう事ですよね。

私がバカの一つ覚えのように強調する弁証法・ディベート・プラグマティズムの視点に欠けるニュース記事は、読んでいても、見て、聞いていても面白味に欠けるニュースでしかない、という事ですよね。


日本のマスコミの宗教=悪という視点に固定してする宗教関係の報道は、おかしいっていう事ですね。
丸児「ひろゆき」さんとは、丸児弘征さんですね。私は御本人さんとは殆ど面識のない人間ですので、このような形でこのトピにて御本人さんの実名を挙げてしまうのは、御本人さんの今のお仕事の営業妨害とならないかが非常に心配なのですが、ね。この書き込みにて、基本的には「ひろゆき」さん関係の書き込みは一切しないようにしていこうと思っていますが。ただ、変に隠すのも逆におかしいのではないかとも思いましたのでね。宜しくお願い致します。
27の視点は、おかしい、というよりも



殺人犯罪だ



という強い表現を使っておきますか。豊島氏からキリスト教信仰を取り上げる、いや、命綱を破壊する、殺人的な放射能を含んだ殺人綱だとして否定する事は、その命綱に掴まって地獄の底から這い上がってきた豊島氏をまた地獄の底に蹴り落とす行為でもあるからですよ。癌などの不治の病にかかって、あらゆる病院、医者に匙を投げられた患者さんが、誰かから池口恵観氏のお寺の話を聞いて、「ものは試しだ」とばかりに池口氏の加持を受けようという気持ちになってきていた人に


池口恵観という男はマインドコントロールする怪しい霊能者、ペテン師だ



と強く食い下がって池口氏の加持を受ける気になっていた不治の病にかかっていた患者さんに加持を受ける事を“親切にも”止めさせたヤツは、その後その患者さんが不治の病にて死亡した場合、その患者を殺害した事にはならないのか?




そういう視点ですよ。本当に一家心中まで追い詰められた人にとっては、その苦しみから逃れられるのなら(テロ行為をやらない)オウム真理教でも、イスラム原理主義でもなんでもいいんですよ。不治の病にかかった人からすれば、それが治る為の手段はマインドコントロールでも如何わしい霊能者のおまじないでもなんでもいいんですよ。犯罪にさえなってなければ、結果さえ出せればなんでもいいんですよね。その事がイマイチ実感の世界でわかられていない、日本の大手マスコミの方たちは、そんな気がしますね。一つの懸案事項を解決する為の手段を選ぶ際に、必要以上に宗教というキーワードを魚の小骨のように、神経質になって取り除き過ぎ、ですよね。思想科目を創設する、という政策を日本に実行に移す事によって、そういう日本社会の悪弊に良い影響が出ていく事を望みますよ。そういう思想科目教育を受けた方々が日本社会の多数派となれば
そういう思想教育を受けられた世代の方々が社会の多数派となる社会に日本が移行できれば、宗教団体に関して言及する議論の全てを、

宗教=悪

という固定観念を崩さないで報道、吟味していく姿勢が、よい方向に変わって行けるのではないか、そういう事ですよね。ある意味、そういう思想全般に関してタブー視する事が美徳である、という教育を受けてこられた世代の方々は、マスコミ企業の皆さんも、視聴者の皆さんも、日本の教育システムが産み出したすき間の犠牲者、被害者、とも言えるかもしれませんよね。

とにかく、一人でも多くの方々が幸福となる為に、今までタブー視されてきたジャンルとも言える、そういうジャンルに堂々と踏み込んで言及して行ける雰囲気の社会に、少なくとも今よりは移行して行っていただけたら素晴らしいですよね。
魚には小骨が付いているから魚は健康的に水の中を泳いで行ける訳ですからね。あらゆる成功体験、成功哲学という魚から、小骨を抜き取ったら、その魚(成功体験・哲学)は忽ちのうちにふにゃふにゃの役立たずの生き物に成り下がってしまう、という事ですよね。魚を小骨ごとガリガリ食べるようにした方が、蛋白質だけではなくカルシウムも摂取でき、その魚を食した人間をより健康体としていく筈である、そういう事ですよね。

そういう小骨ごと丸かじり出来るような思想教育を受けれる社会に日本社会が移行して行って欲しいものですよね。

魚には小骨があるのが現実なんですからね。何の宗教団体にも所属していない、という宗教団体に所属する、という概念もある、或いは人間は全ての人間がいずれ皆死ぬ、というのと同じで、全ての魚には必ず小骨が付いている訳ですから。マグロのように、人間が食べる部分には全く骨が付いていない種類、高級魚に多いですが、もありますが(笑)。

それはそうと、丹波哲郎氏の映画「大霊界3/勝五郎の転生体験」の最後の丹波哲郎氏の語りの映像の時点では、私は一応、ほんの数十秒位だったですが、既に丹波哲郎氏に肉眼にて見て頂き、会話を交わした事があったのだな、もちろん氏は私の事など全く覚えておられないとは思いますが、が、その事は、今改めてこうして1994年当時の丹波氏の映像を見ると、なんとなく感慨深い、ですね。もしかしたら「愛という名のもとに」の事件のお話も、この時点での丹波氏の耳には入っていたかも知れませんしね。丹波哲郎氏の事は、芸能人、俳優さんである前に、思想家、宗教家として、氏は、私には決定的に特別な存在ですね。それ位死後の世界が存在する事を確信できた精神状態と確信できていない精神状態というのは、雲泥の差と言える程の大きな違いがありますよ。これは私の実感ですね。

著名人でもなんでもない私が、あまり個人的に丹波氏を支持・尊敬しているような事を言うのは、いろいろと問題があるのかもしれませんが。

ただ、丹波氏が強調される「あの世の研究をする事、霊界研究をしておく事は途方もなく有益な事である」という考え方は、私の「思想科目の創設は大切な考え方である」という考えにももちろん強い影響を与えていますからね。もちろん。そういう丹波氏の強調される視点からも、思想科目は必要ですよね。それだけが思想科目の必要性ではありませんが。
それから、またこのトピの「死んだらどうなる」というテーマに戻った事を一つ書きますと、去年、父が他界した折に、姉と二人で父の遺品の整理に永山団地の父の部屋へ行って発見した事に、亡くなる一年位前から父が付け始めていたと思われる父の日記の文章がありますね。亡くなる事となる入院の前にも同じ病院に1週間程入院する機会があった父は、もうその頃から心のどこかで自らの死期を悟るものがあったのかも知れませんが、亡くなる数カ月前に、その日記の文章に「昨夜一面お花畑に覆われた広い草原で、父(=つまり私から見れば祖父)と出会う夢を見た。それが現実の事なのか、それとも幻想の世界の出来事なのか自分でも分からない」みたいな文章がある事を偶然発見して、姉と二人で「やはり心のどこかで死期を悟るものがあったのかも知れない」と話したものでしたよ。私の父にも世間でよく聞く、いわゆる死ぬ直前に、お花畑で以前死んだ自分の血縁者と出会うという夢を見るという体験があったのだな、その時はそのように、やはりそういう事はあるのだな、そういう思いを強くしましたね。私が20代の後半にやはり今の母とのように二人で住んでいた伯母、その後私は伯母の元を離れて寮暮らしを始めましたが、その伯母も亡くなる2〜3カ月前に、今母と住んでいる浦和の家に突然母に会いに訪問に来たそうですし、ね。母が言うには伯母には「お父さん(=つまり私から見れば祖父)に貞子がどんな暮らしをしているのか見に行ってきなさいと言われた」と言われたそうですし、ね。その訪問から数カ月して、ある夏の日、伯母はまるで眠るようにこの世を去りましたからね。68歳の若さで、ね。不思議なものですね。
ちなみに、既に御存じだとは思いますが、丹波哲郎氏はたしか2006年に、若山富三郎氏(大霊界1にて重要な役をこなされておられた)はたしか1992年にお亡くなりになられておられますのでね。若山氏は大霊界1を撮影されたのち数年後、ですよ。



…感慨深いですね。



衷心より御冥福をお祈り申し上げます。
キリスト教の「死んだらどうなる」観も書き込んでおきますね。キリスト教には死後の世界の存在を否定する宗派も存在している筈ですから、そういう宗派のクリスチャンを牽制する為の記述ですね(笑)。



ルカ16の19〜28
〜ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。ところが、その門前にラザロという全身おできの貧乏人が寝ていて、金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。さて、この貧乏人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。彼は叫んで言った。「父アブラハムさま。私をあわれんで下さい。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。」アブラハムは言った。「子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来る事もできないのです。」彼は言った。「父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。」〜




…ちなみにルカは医者だった人ですしね。聖路加病院とは聖ルカ病院、つまりセント・ルーク病院、な訳ですから。


このように常識的な普通のキリスト教の宗派は、死後の世界の存在を明確に認めていますのでね。仏教もそのほとんどの宗派が死後の世界の存在を認めている筈ですし。ニーチェの哲学に共通する部分が多々ある日蓮宗の一部には、死後の世界の存在を否定する傾向の宗派もあるみたいですが、仏教も概ねそのほとんどの宗派が死後の世界の存在を認めている筈ですのでね。


youtubeを散策していて偶然自分が生まれた年の東京の平均的な家庭の日常生活の風景をレポートしたドイツ人が編集した映像を発見してしまいましたよ。添付動画がそうですね。丹波さんの文章には「人は死にそうな体験をする瞬間に、オギャーと生まれてからスーッと息を引き取り死ぬ直前までの全人生を瞬間的にすべて見る事がある」そんな文章があったような気がしたのですが、実感ですね。まるでタイムマシンに乗って自分が生まれた東京大田区の日赤大森病院に来て自分が生まれる様子をタイムマシンの中から観察している、そんな不思議な気分ですね。

この「もうお会いできない方々」シリーズの投稿動画を偶然youtubeを散策していて発見して、このトピのテーマを実感していただくのには非常に分かりやすい資料に成り得るな、と感じましたのでこうして貼っておきますね。この動画シリーズは、確か11位まであった筈、ですので、もし御興味がおありでしたなら、どうぞこのシリーズの最後の筈である11まで、全部見ていただけたらな、と思いますね。全ての人間はいつか必ず死ぬ、その事を実感していただくのには、非常によい動画集のように感じますよ。なんかこうしてもう既にお亡くなりになられた方々の、生前の非常にお元気であった頃のお姿を拝見できると、この方々が、もう亡くなられて既にこの世におられない方々である、という事が実感できなくて困りますね(笑)。私はこの感覚こそが、まさしく死後の世界とこの現生の世界の関係なのではないか、と感じますね。
丹波哲郎氏関係の動画が全て剥がされてしまいましたよ。はは。今日気がつきました。
手淫罪・淫行誘惑罪トピ削除




と連動した動きの可能性が高いですね。「官僚の天下りについて」トピに貼った丹波氏関連の動画も当然消滅していますし。

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