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御門庵コミュの月の館 <1>

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 僕は深い霧の中をさまよっていた。
 もう何時間歩いたか知れない。僕の足は限界に近づいていた。
 何故、こんな事になってしまったのか…。
 事の始まりは、大学時代の仲間に誘われてメンバーの一人が所有する別荘へ遊びに来た事にあった。
 別荘は、とある山の麓の森の中にあった。一番近くの民家に行くにも、ろくに舗装もされていない道路を車で三十分ほど行かなければならない。そんな、外界とは隔絶されたような空間。喧騒うずまく普段の生活から解放された僕達は、そんな静かな森の中で気持ちの良い
日々を送った。
 しかし、今日の朝、ふと僕は一人で物思いにふけりたくなり、他の皆には気付かれないように森の中へ散歩に出たのである。
 それが間違いだった。
 歩き始めて十分ほどすると、あたりに白い霧が立ち込め始めた。そして、案の定、僕は迷ってしまったのだ。
「まずいな…早く戻らないと」
 そう簡単に戻れる状態にはないという事は、自分自身解っていたのだが、それにあらためて気付くのが怖かった。
 しかし、そろそろ僕の体力も精神も限界に近付いていた。空腹感と疲労感に、もうほとんど耐えられない状態だった。
「ダメだ…もう、このまま…死んじまうのかな…」
 ついに地面に座り込んで、僕はそう呟いた。
 その時である。
──かさっ…。
 何かが動く気配がした。
 思わず僕はビクッとして、音のした方向に視線を向ける。と言っても、数センチ先も見えないような深い霧の中。何があるかは全くわからない。周りには巨大な木々が立っているという事しか。
「……」
 僕は息を潜めて、気配をうかがった。
 すると、しばらくして霧の向こうから小さな黒い影が近付いてきた。
 人ではない。人にしては小さすぎる。かと言って、野犬や狼の類でもなさそうだ。もっと小さい。
 その時、その黒い影が鳴き声を発した。
「にゃあ…」
「…猫…?」
 まさか…。こんな森の奥に猫が…? しかし、確かに猫の鳴き声だった。
 そして、やはりそれは間違いではなかったのである。
 深い深い霧の向こうから、一匹の黒猫が姿を現した。全身が漆黒の闇を思わせるような、真っ黒な毛に覆われた猫。ようやく仔猫を卒業した頃であろうと思われる大きさで、その瞳だけが爛々と輝いていた。右目が青、左目が黄色く輝く黒猫。
「にゃあ」
 黒猫は、まるで最初から僕を探していたかのように、まっすぐに僕がへたり込んでいる場所にやってきた。そして、僕の真正面にやってくると、じっ…と僕の眼を見据えた。青と黄色の瞳で。
「黒猫くん…君はどこからやって来たんだい?」
 今の状態に自暴自棄になっていた僕は、その黒猫にそう尋ねた。
 その時僕はふと気付いた。よく見ると、その黒猫は首輪をしているではないか。赤い首輪だ。リボンも鈴もついていない、全く飾り気のない首輪だった。
 さて、首輪をつけていると言う事は、どこかの飼い猫だという事だ。と言う事は…、もしかしたら助かるかもしれない…! 僕はそんな淡い期待を抱いた。
 しかし、よく考えてみれば、こんな何もない森の奥に住んでいる人間なんているはずもない。この猫だって、都会のどこかで飼われていた猫が逃げ出してきたのかもしれない。ましてや、きまぐれで有名な猫である。
「僕の最期を看とるのは、黒猫くんという訳か…」
 僕は自嘲の笑いを浮かべて言った。
「にゃあ…」
 黒猫は、そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、投げ出された僕の足に擦り寄ってきた。
「独りで死ぬよりはマシかな…」
 そう呟いた時である…。
 僕は、ハッとして耳を澄ませた。遠くから人の声が聞こえたような気がしたのだ。
「…ユエ…。ユエ…!」
 気のせいでは無かった! 確かに人の声である。
 『ユエ』という言葉を発しているようだ。
「にゃあ」
 僕の足元にいる黒猫が、その声に反応した。『ユエ』というのは、この黒猫の名前だろうか…?
「ユエ…。そんな所にいたの…?」
 どうやら、声の主は女性のようだった。
 女性はどんどん近付いてくる。助けを求めなくては…!
 しかし、何故か僕は声を発する事ができなかった。もう助けを呼ぶ余力も残っていなかったのである。
 声の主は、ついに僕の視界に入る距離までやってきた。
 その瞬間、安心してしまった為か、体力の限界が来ていたのか、僕はついに気を失ってしまった。
 しかし、気を失う瞬間に視界に飛びこんできた女性の姿はよく覚えている。
 こんな場所には全くそぐわないような姿だったからだ。
 女性は、黒を基調としたエプロンドレスを身につけていた。いわゆる『メイド』の姿をしていたのだ。そして、僕を見つけた瞬間、少し驚いたような表情をしたように見えた…。

 僕にとって、自分の人生は何の変哲も無い、全くもって平穏な、言いかえれば面白みの無い人生だった。
 普通に地元の公立高校を出、家から一番近いという理由で選んだ二流大学に入った。まぁ、大学生活に限って言えば、気の合う仲間もいたしそれなりに楽しく過ごしていたと思う。
 大学を出た後は、中堅クラスの不動産企業に就職して、毎日が営業の日々。
 そんな変わりばえの無い毎日に嫌気がさしてきた頃、大学時代の友達から今回の旅行を持ちかけられたのだ。
 それが…こんな悲劇になるなんて。その時にはどうして予想できようか?

 何時間経ったのだろう…。
 僕は特に何のきっかけがあったわけでもなく、ごく自然に目を覚ました。そして、困惑した。
 どうやら、死んだ訳ではないらしい。しかし、この周りの風景は一体…?
 僕が寝かされていたベッドは、どうみてもツインの大きさはあった。部屋はおそらく二十畳はくだらない、だだっぴろい部屋。ベッドの他には、丸いテーブルと椅子が二つほど。そして、小さなタンス。それら全てがなんだか上質な調度品に見えた。天井からは、やたら豪華なシャンデリアが吊り下げられていた。
 どうみても、常人の住むような家じゃない。
 そういえば、気を失う直前にメイド姿の女性を見たような気が…?
 僕が困惑していたその時、何の前触れも無く、部屋のドアが開いた。
「!?」
 ドアの向こうから現れたのは、僕が気を失う直前に見た、あの女性…。
「あら…お気づきになられたのですね」
 どうみてもメイド姿の女性は、にこやかな笑顔を僕に向けて言った。
「は…はい…」
「良かった…。丸一晩、眠り続けておられたんですよ」
 それにしても、この日本でこんな典型的な「メイドさん」にお目にかかれるとは思ってもいなかった。
 黒と紺色をベースとして、白いエプロンが映えるエプロンドレス。頭には、メイドがよくつけている例のフリフリの…。(後で知ったのだが、白いフリフリはホワイトプリムというそうだ)
 そして何より、その女性は一目見てハッと驚いてしまうような美人だった。
 女性というよりは、少女と言う形容の方が合っているかもしれない。歳はおそらく十七か八、行っても二十代の前半であろう。腰までとどくかと思われるような長く美しい黒髪は、先端の近くを白いリボンでまとめられていた。そして、その整った顔立ち。すっと通った鼻筋に、控えめな口元。優しげな視線をたたえる瞳。メイド…つまり、使用人というよりはむしろ、お嬢様のような品が彼女にはあった。
「どうかなさいましたか? やはり、お身体の具合が優れないのでしょうか…?」
 その少女は、心配そうに眉をひそめて言った。
「あ…いや…大丈夫」
 僕が言うと、少女は安心したように笑顔を浮かべた。
「私の名前は、燐。この『月の館』でご奉仕させていただいております」
 「燐」と名乗ったメイドの少女は、胸に抱くようにして抱えていた物をベッドのサイドテーブルに置いた。僕が着ていた服だった。
「勝手だとは思ったのですが…随分汚れていらしたので、お洋服はお洗濯をさせていただきました…」
「え…?」
 その時初めて、僕は自分が素っ裸だという事に気付いた。
「……ッ!?」
 思わず僕は、毛布をかぶり直す。
 そんな僕の様子を見て、燐はクスクスと笑った。その笑顔がまた見とれてしまうほど美しい。
「ご主人様がご挨拶されたいと仰っておられるのですが、ご体調の方は大丈夫でしょうか?」
「え…あ、はい!」
 僕の声は、必要以上に大きくなっていた。
「それでは、私は部屋の外におりますので、ご用意していただけますか?」
「わ、わかりました」
 僕が言うと、燐は丁寧に頭を下げて部屋から出ていった。
 僕はベッドから抜け出ると、サイドテーブルに置かれた洋服を手に取った。綺麗にアイロンがけまでされていて、まるで新品のようだ。
 洗濯された洋服を着ながら、僕はいろいろと考えてみた。
 おそらく、あの時気を失った僕を彼女が助けてくれたのだろう。そして、介抱してくれたに違いない。それにしても、この館の主人とは一体…? 状況から考えて、僕は森の奥に隠居した老人を思い浮かべた。まさか、助けた事を恩に着せて高額な報酬を請求されはしないだろうなぁ…。
 ふと、そんな不安が頭をよぎる。
 今の世の中、無償で人を助ける人間なんて滅多にいない。哀しいかな、これが現代の風潮である。
 洋服を着て、手で適当に髪を整えた僕は、部屋の扉を開けた。
「ご用意はよろしいですか?」
 そこに、燐が待っていた。
「はい」
 見ると、彼女の足元に昨日の黒猫がいるではないか。彼女の足元から、じっと僕を見上げている。
「その猫は…?」
「はい?」
 歩き出そうとしていた燐は、不意に僕が声をかけたので思わず立ち止まって振り向いた。そして、足元にいる黒猫に目をやる。
「あぁ…。ご主人様が可愛がっておられる猫で、ユエという名前です。昨日は、この子が最初にお客様を発見したんですよ」
「えぇ、覚えています」
 燐が説明してくれている間中、僕とユエはじっと見詰め合っていた。何故か、この黒猫は普通の猫とは違うような気がする…。何が違うのかと訊かれても困るが、違うのだ。
「参りましょうか」
「あ、すいません」
 先に歩き出した燐の後を追って、僕も歩いた。
 僕が介抱されていた部屋は、長い廊下の突き当たりにあった。その廊下をずっと進むと、突如だだっ広い吹き抜けのホールに出る。どうやら、僕は二階にある部屋に寝かされていたらしい。吹き抜けを間に挟んで、向こう側にも同じような廊下が続いていた。
 ホールの下を覗くと、玄関が見えた。そして、二階と同じように廊下の入り口が片方に、もう片方にはやたら大きな扉があった。おそらく、食堂か何かだろう。
 燐はホールの壁にそって螺旋状にのびる階段を上に上っていく。この館は三階まであるようで、三階も二階と同様、対称に廊下が伸びていた。つまり、この館はホールを中心として左右対称に翼があるという構造のようだ。
 それにしても広い。
「こんなに広かったら、お手伝いさんが何人いても手入れが大変でしょう。一体、どれくらいの人がこの家に務めているんですか?」
「は…? 私一人ですが…?」
 さもそれが当然と言うように、燐が答えた。
「え、君一人!?」
「えぇ。この館に暮らしているのはご主人様と私、そしてこのユエだけです」
 なんとまぁ…。これだけ広いのだから、使用人の十人や二十人はいて当然だと思っていた僕はあっけにとられた。
 しかし、ちょっと待てよ…? 使用人が燐一人しかいないと言う事は、僕の服を脱がせたのはまさか…!? いくらなんでも「ご主人様」がそんな仕事をする訳ないだろうし…。
 その事実に気付いた僕は、顔から火が出る思いになった。が、あえてそれは口に出すまい。言ったら、ますます自分を追い込むだけだ。
 先に立って案内する燐は、三階の片方の廊下に入ってすぐの扉の前で立ち止まった。その扉は、明らかに他の部屋のそれとは違う。
「ここがご主人様の書斎です。よろしいですか?」
「…はい」
 よく考えたら、よろしいも何もあったもんではないが、僕にはそう答えるしかない。
 そんな僕を尻目に、燐はその扉を軽く二回ノックしてから言った。
「ご主人様、お客様をお連れしました」
 すると、部屋の中からよく透る男性の声が返ってきた。
「入りなさい」
 声を聞く限りでは、思ったよりも若い…?
「失礼します」
 燐は言って、ドアのノブを回した。
 ドアが開いて、僕が中に通される。
「ほう…元気になったんですね。顔の血色も良い。良かった」
 正面のやたら大きい机の向こうに「ご主人様」はいた。
 僕の予想に反して、「ご主人様」は若かった。おそらく二十五、六といったところか。眼鏡をかけてはいたが、相手を射抜くのではないかと思われるような鋭い視線。形の良い鼻筋。口元に浮かぶ、不適な微笑み…。髪は背中の上あたりまで伸びているのを、首の後ろで一つにまとめていた。男性としては「美しい」部類に入るのではないだろうか。とにかく、何やら常人ではない雰囲気は第一印象で感じられたのである。
「あ、あの…この度は何やらお世話になってしまいまして…何とお礼を申し上げたら良いか…」
 僕がそう切り出すと、この美青年はクスッと笑って言った。
「そうかしこまる事はありません。人として当然の事をしたまでです。それに、あなたを介抱したのは、そこにいるメイドの燐ですから。私はその場所を提供したにすぎませんよ」
 男だろうが女だろうが、美人は性格が悪いと言うが、この館の住人に関して言えばその例えは当てはまらないようであった。この主人といいメイドといい、現代の人間には珍しい部類だ。
「まぁ、おかけ下さい」
 館の主人に勧められて、僕はそこにあったソファに腰を下ろした。そして、あらためて書斎の中を見まわしてみる。
 左右の壁には、天井までとどくかと思われるような本棚があり、ぎっしりと本が詰まっていた。中には、洋書もあるようだ。「ご主人様」の座っているデスクの後ろの壁は、ほとんどが窓になっていたが、今はブラインドが下ろされていて外の様子はうかがえなかった。天井には、客間と比べればいくらか落ちついた感じのシャンデリアがぶら下がっている。その他に家具と呼べる物は、館の主人が座っている大きな机と、僕が座っているソファセット、そしてそれとセットなのであろうガラスのテーブルくらいだった。
 燐はドアのわきに立って、口元に微笑をたたえたままじっと僕と「ご主人様」を見つめている。足元にいたはずの黒猫、ユエは、いつのまにか主人の膝の上におさまって丸くなっていた。
「まずは自己紹介から参りましょう。私は、この『月の館』の主で、光月右鏡と申します。そして、そちらに控えているのが、使用人の燐です」
 館の主人に紹介された燐は、あらためて僕に頭を下げた。
「あ、僕は香住零次と言います」
 僕は慌てて自分の名前を名乗った。
「香住くんですか、よろしく」
「こちらこそ…」
「まぁ、何も無い所ですが…気の済むまでゆっくりして行ってくださって構いませんので…」
 光月右鏡と名乗った主人はそう言ったが、僕は一刻も早く帰りたかった。いや、けしてこの館が気に入らなかった訳ではない。僕は、例の別荘に一緒にきた友人たちに無事を知らせたかったのである。おそらく、今ごろは行方不明者として警察に届けている頃かもしれない…。
「しかし…僕は早く友人に無事を知らせたいのですが…」
 そう言って僕は、森で遭難するまでのいきさつを説明した。
「なるほど、それはご友人も心配なさっているでしょうね。しかし…この霧の中を戻るのは、到底不可能でしょう。今度こそ、遭難して白骨死体になってしまいますよ」
 確かに…。
「この辺りは一度霧が出ると、二、三日は晴れないのです。せめて、霧が晴れるまではお待ちになった方が…」
「じゃあ、せめて連絡をとらせてください。電話を貸していただければ…」
 すると、その眼鏡の主人は困ったような表情を浮かべた。その表情に疑問を感じて、僕は後ろに控えている燐の方へ振り返った。ところが何と、燐までもが主人と同じような表情を浮かべているではないか。
 僕は何だか嫌な予感がした。
「残念ですが…この館には電話という物が無いのです」
 予感的中。
 それにしても、この時代に電話が無い家なんて…。一体、この人たちはどんな生活をしているんだ?
「とにかく、霧が晴れるのを待つしかありませんね…」
 背後の燐がそう言った。
 仕方が無い…。
「わかりました。それじゃあ、それまで少しの間、お世話になります」
 僕は、館の住人に頭を下げるしか無かった。


<続く>
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