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泡蟹文庫コミュの2巻目「魅惑の花弁」その2

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                   †

――彼は幸せだった。
――認める者がいなくとも彼は幸せだった。
――長く続かないことを知っても彼は幸せだった。
――つまり彼は幸せだった。

 それは突然やってきた。
 祖父が召されてから幾日かして祖母が倒れ、そのまま息を引き取った。本当に悲しいときは、涙など出ないものなのだと感じた。
 途端に家の中が静かになった気がした。
 他に人がいなかったわけじゃない。心で僕を認識してくれる人間がいなかったのだ。給仕達はお金がもらえるから傍にいた。
 僕のためにいるわけでは無かった。

――人に囲まれていても、ヒトを感じることができなくなっていった――。

 そんな状況でも、僕以外に家を継ぐ者がいないことから遺産は全て僕のものとなった。一生の内に使い切れないほど。隣人はなげくフリをする者、うらやむ者、騙し取ろうとする者でいっぱいだったが、僕はどうでもよかった。そんなことよりも誰も僕を見ようとしないことに、嫌気がさしていた。

――人をヒトとしてみることができなくなっていった――。

 そんな思いがあったからだろうか。いつしか僕は人と交わることをうとましく思うようになり、やがては避けるようになっていった。どうかしていたといえばそうかもしれない。でも考えが未熟なあの頃の僕にとって、それが自分を守る精一杯の術(すべ)だったのだ。給仕達はまだ通常の賃金を与えてさえいれば、可もなく不可もなく僕に仕えていてくれただけ良かった。どうにかして僕から遺産を分けてもらおうと、連日押しかけてきた連中にはほとほとあきれ返った。一ヶ月先まで予約が入っていても、もう知り合いなんてものはこの家に来ないことを知った。僕は部屋にこもり本を読む毎日を過ごし始めた。誰が来ようと面会すらしない。それはこの上なく有意義な一日となっていった。
 もとより人は要らない。僕は本さえあればそれで良い。
 幸い祖父が残した本は膨大な数を数えており、全てを読むのにはゆうに数十年はかかるとみていた。

 そんなある時だった。僕はいつものように書斎で読書にふけっていた。そしていつものように読み終わった本を棚にしまった。そしていつものように次の本を手に取った。
――それは日記だった。

名前からして祖父のものだろうが、かなり古びている。何か面白いことでも書いていないだろうか。何の気なしにパラパラとめくっていると、中から一枚の写真がヒラリと落ちた。拾い上げてみる。表はセピア色で一輪の花が写っており、写真の裏には『愛しのローズ』と書かれている。恋文、なのだろうか……。公然と花を渡せないものへ、写真を送るという……。しかし祖父母のことを思い出すと、祖母の名前はローズで無いし、祖父が祖母以外に愛する人を見た事が無い。きっと祖母に出会う前の話であろう。そうだとするとこの日記もその当時のものに違いない。それならば、僕の知らない祖父を知る機会だと、鮮やかな装飾の表紙をめくると、日記を読み始めた。


 拍子抜けした。内容は学生時代のもので、『ローズ』という人と会っている様子など書かれていない。それどころか、勉学の忙しさのあまり祖父はこの家から出てすらいないようだ。『愛しの』と書くからには、それなりの付き合いがあるのだろうと期待していたのだが。
 次の本に取り掛かろうと写真を挟んで閉じようとした。一応どこまで書かれているのかパラパラとめくっていると、本の中央あたりで違和感を感じた。改めて開いてみる。そのページにだけテープで黒っぽい何かが貼り付けてあった。種子……か? 日記には『ローズの子』と記されている。なるほど。写真に写っていたそのものが『ローズ』だったということか。特に読書以外趣味の無かった僕はその種子を育ててみることにした。



                 3 暗主

 ワタクシが彼と始めて出会ったのは、暖かな陽光が差し込む、全面がガラス窓に囲まれた、小さな小屋の中でしたわ。眠っていたワタクシをそっと起こすかのように、鳥たちがささやき合い、開いた窓から流れる微風が外へと誘っておりました。それにつられてうっすらと目を覚ましますと、あたり一面緑の草花に包まれておりましたの。それはそれは美しい――はい? それ以前にワタクシはどうしていたかですって? それは……。残念ながら憶えておりませんの。ただ暗いところにずっと縛りつけられていたような気はしますけれど。気のせいかもしれませんし。
 とにかくワタクシがまぶしさをこらえて瞳を開けたときに、彼の御姿がすぐ傍にありましたのよ。それがワタクシの中にある最初の記憶ですわ。そうして彼は、ワタクシに挨拶の言葉をかけると、コップいっぱいの水をくださいました。初めは何がなんだがか分からなかったのですが、特に悪い方では無いという印象だったので、素直にお水を飲ませていただきましたの。とても清らかな味で、身も心も浄化されるのではないかと思わせるほどでしたわ。あまりのおいしさにしばし恍惚(こうこつ)としておりましたら、彼はそそくさとその場から離れて行かれました。何か恥じいるものでもあったのでしょうか……。ハッとしたワタクシはお礼が言いたくて彼の傍へ参ろうといたしましたけれど、思うように動けないことに気づきました。まるで足が地中深くへ根を張ったように動かないのです。何度か動かそうと試みましたけれど、見事なほどに一寸たりとも動きませんでしたわ。そのときはあまりの急な状況の中で、混乱と失望の感情が沸いてまいりまして、頭に『死』という文字しか浮かばなくなっておりました。しかし理由は知らないけれど助けてくださった彼にお礼を言わず命を絶つのも、いささか失礼な気がいたしまして。彼がまた現れるのを待つことを決心いたしました。矛盾しておりますけれど、たとえ幾日か過ぎてこの身が枯れ果てようとも、救ってくださった彼のためにこの命を使おうと思っておりましたのよ。
 幸いその日はすぐにやってまいりましたわ。翌日には彼が現れ、またコップいっぱいの水を与えてくださったのです。ワタクシは早速お礼を言おうと昨日から考えていた言葉を述べさせていただきました。しかし今度は彼の耳にその言葉が届かないようで、何の反応もないままなのです。あまりのことに、最初は恥ずかしさを隠すためにわざとそうしているのかしらと思っていましたの。ですが、話し続けているとどうもそうでは無いと気づきましたわ。なぜ伝わらないのか、一体どうすればいいのか頭をその謎だけがグルグルと渦巻いて、また無言の内にお別れを告げられてしまいました。
 そのときは悲しくて寂しくて切なくなって、ワタクシはただ一人でひっそりとたたずんでおりましたの。やっと冷静に考えられるようになってから、きっと彼とワタクシは生物学的に違うために通じないのだと思うのが精一杯でした。そうして彼に言葉を投げかけていることを気づいてもらうため、それはもう色々考えましたわ。けれどどれも効果はいまひとつでした。仕方なくワタクシはただ彼との時間だけを大切に考え、たとえ一方的であろうとも会話を楽しむことにいたしましたの。彼はいつも挨拶を交わすとそれ以降は何も話すことはありませんでしたけれど、それはそれで楽しい時間でしたわ。ワタクシのほうからといえば、聞きたいことが山ほどありましたもの。答えを期待はいたしません。独りよがりと思われても仕方ありませんわ。ですが、それでも幸せでしたのよ。

 それがいつの頃からだったでしょうか。彼が徐々にワタクシへ気を向けてくださるようになっていきましたわ。それは決してワタクシの言葉に反応しているものではありませんでしたけれど、とても嬉しく思いましたのよ。どんな形にせよ彼がワタクシのためにいろいろ考えてくださっているんですもの。いつかきっと話すことが可能になる。そう思い続けることが夢でなくなっていったような気がしましたわ。

                   †

    ――三月十一日 午後十一時三十五分
              私立探偵 ブライアンの日記――

 先日のペット探しの件における報告。
 六日まで降り続いた雪も陽光に溶け、微かな残雪が視界の端に映るのみとなった。地道に聞き込みから開始したものの、得られた目撃情報の中で最も近日のものは、失踪してから三日後であった。
 聞き込みに廻ったのは、超高級住宅地帯。ただの探偵という職業にもかかわらず、ご親切なことにくずかごから溢れたゴミでも見るかのような目つきで接してくれた。面と向かえるのはまだいいほうで、インターフォンごしがほとんど。警察を呼ばれそうになったのが、ニ・三件はあった。別に物取りをする気は無いにもかかわらずだ。悪人の弁護をするつもりもないが、どれだけ遊んでも使い切れないほど溜め込んでいるのだから、丸腰の人間一人が持っていける程度の量などほんの微々たるものであろうと思う。しかしそれですら許せないのか、私に対する警戒の念がこの地域一帯に漂っていた。頭がいいのも確かなので、決してその態度を表に出すことは無いが、それでも私の職業上ある程度の言葉から感じ取ることくらいはできる。
 それにしても理想が高すぎるのか、配偶者のいない家が多かった。敷地の大きさからして給仕達がいるだろうに、ペットの声がしていたり、姿を見たりしたのを憶えている。あれほど周りに人がいても寂しいのだろうか。ペット自体はそれはそれは可愛がられているようで、見たところ飼い主の自己満足以外の何ものでも無い『服』をまとっていた。その『服』にしても有名ブランドのオーダーメイドらしい。こちらが聞かずとも答えるあたりは図々しいというのか……。それにしてもペットにとっては素晴らしい待遇だろうが、そこで働く人間よりも動物の方が優雅な生活をしていたことに、少々腑に落ちない気もする。
 だからといって長々と不満を書き綴っていても、私が彼らになれるわけではない。聞き込みの内容を要約して書くとする。
 非協力的な方々を除くと、大抵は同じ答えだった。犬の写真を見せた直後に依頼者(クライアント)の名を出したかと思うと一・二分考え、二週間前に見たというだけ。そしてその後は甲高い声を出して、ペットを抱きしめていた。近所のことでもまるで国境で起こったことのように、見事に他人事になっている。人間と会話している気にはならなかった。
 あれだけ廻ってこれといった手がかり一つも見つけることはできなかったが、とりあえず依頼者(クライアント)へ報告しておくとする。探し始めてから一週間。おそらくとてつもない言いがかりを付けられ、料金をも踏み倒して追い出されるのではないかと考えをめぐらす。しかし彼女は、予想に反してバイオレットのドレスで優しく迎えてくれた。

 ペットというのはそれほど大切なものなのだろうか……。
 性格の一片を変えてしまうほどに……。

 とりあえず寒さも飢えもピークに達してきていたので、言われるがままに客間へとお邪魔することにする。彼女に続いて部屋に入ると、華やかな紅茶の香りと共に、私では目にすることすら適わないような菓子類が銀色の皿の上に鎮座していた。食費節約のため、ここ数日食事を制限していたこともあり、目の前に並べられた誘惑に勝てるわけもない。遠慮なく口へと運ぶ。……う・うまい! 甘さの中に、微量にアルコールが含まれているのだろう。微かな苦味が大人向けとしての上品さを含んでいる。食欲が望むまま次々に胃へと収めていった。彼女は手を伸ばさず薄く笑みを浮かべている。そんなに食べ方が珍しいのだろうか……?
 十何度目かの菓子に手を伸ばしたとき、急に頭がボーっとしてきた。アルコールにしてはまわりが早い。意識をとどめようと必死で抵抗はするが、体まで思うように動かせない。毒……か? 彼女へと視線を移すと、妖艶な笑みを浮かべつつ私の体へ体重を乗せてきた。Yシャツのボタンを一つ一つゆっくりと外されるが、止めることはできない。罠……か。そのままソファへと体を沈められた。

 穿いていたものをずり下ろす音が聞こえたかと思うと、下半身に息がかかるのを感じた。しばらくして、温かいものが触れる。どうやら服の上からでも盛り上がりの気になっていたその二つの柔肌に包まれ、さらに先端を舌でもてあそばれているようだ。数ヶ月振りの刺激に、身を硬くする。上下にこすれあう音と舌先に転がる水音が快楽のリズムを奏で始めた。時折吸い上げる攻撃に意識までもがもっていかれそうになるが、必死に理性で押し留める。雪原に生える苺のような先端は、彼女が動くたびに私の体をなぞっていた。こんなもてなしも悪い気はしないが、依頼者(クライアント)とこういった関係を築くのはまずい。そうだとしても考えに反して私の体は動かない。逡巡している間にも興奮は高まりつつある。
 彼女はそろそろ私の限界が近いと見て、くわえたまま口の端だけを上げて「我慢するなんて体に毒よ」と笑った。その声の振動と微かに触れる舌先が引き金となり、私の意識も限界を告げる。微かな痙攣と共に、こらえきれない欲望をその艶やかな舌をもつ口内へと乱射した。
 彼女はのどを鳴らし嚥下する。
「あぁ、すごいわ……。こんなに、たくさん……。んんっ、熱い。まだ、出て、くるぅ……。ん、ふぅ。」
お互いが感慨を味わうようにうっとりとため息をつく。
「……一回くらいじゃ、収まりきらないでしょう?」
再度隆起しつつある私自身を見て、彼女はそうつぶやくと、薬で動けない私に乗ってきた。

――その夜、私は幾度も甘美な世界を味わわされた。

 久しぶりの感触に、未だに体が反応してしまう。しかし一体なぜ彼女は私に体を任せたのだろうか……。彼女自身の欲望が私を選んだというのか。私にあれほどの女性をひきつけるほどの魅力も財力もあるとは思えないが……。唯一の条件として挙げられるならば……まさか?! 気づいた時にはすでに門を出た後だった。おそらく彼女は今回のことをネタに、ペット探し料金の抹消と少々の慰謝料請求、もしくは無料報酬一生分という奴隷以下の約束を合法的にとり決めるつもりなのだろう。
 財産のために自分の体すら道具にするとは。怒りやあきれはとうに通り越して哀れや寂しさがこみ上げてきた。

                   †

――彼は一途だった
――好きなことに彼は一途だった
――だから植物の研究に彼は一途だった
――だから邪魔者の排除も彼は一途だった

 祖父の形見である種子は順調に成長していた。僕は毎日水をやり、観察を続けた。植物に関する本を読みあさり、何が植物を育てるには良いのかを学びつつ、欲しい情報が祖父の書斎に無い場合は、給仕達に買いに行かせたりもした。全て種子のための毎日だった。午前中に水をやり、健康状態を確認。色、艶、室温、土の状態、栄養の増減、成長度合い等を鮮明にデータに記入。その後、書斎で種子の成長に関する本を読み、一日を過ごす。たとえ独りであっても十分楽しめた。

 いつものように植物に関する書物を読み進めていた時だった。一つの論文に惹きつけられた。――『植物の意識に関する研究』――植物にも感情があり、意思の疎通が可能であるという。何とも興味深い。僕は今までにそのようなことがあるとは思いもしなかったが、この論文を読んだところ実際に実験もして成功したらしい。その時は電極を葉につけ、電圧の増減で判断したため、意思まで読み取ることはできなかったそうだが、特定の研究者に対して一定の反応を示したそうだ。人間もまた電気信号によって思考が行われるのならば、植物のそれを読み取れないという道理は無い。僕は、現在育てている温室のあの花と会話をしてみたいと思い始めた。

 実験はうまくいかなかった。最初からうまくいくはずは無いと分かっていたが、理論上可能なはずなのに何度も失敗を重ねると、常に平静でいるのも難しくなる。僕には感情を開放する場が与えられていない。しだいに溜まっていたストレスは、周囲の人間へと還元されていった。なんでもないのに、給仕達に八つ当たりをしてしまう。最初はほんのささいな事。いつもより飯がうまくないということから始まり、朝起こしにくるのが早いと不機嫌になり、研究中に呼びに来るとうるさいと退(しりぞけ)る。その後呼びに来ないと「なぜ来ないのか」と怒鳴り、廊下ですれ違うたびに目障りだと罵り、健康を気遣う言葉にすらも噛み付いた。今思うと、その姿は身勝手で独裁者さながらであったと思う。しかし給仕達はとことん耐えていた。時に理不尽な言いがかりをつけたこともある。それでも微笑んでこちらを見つめてくるのだ。その僕の想像を超えた優しさに嫉妬し、僕はさらに理不尽な命令を返していった。
 やがて一人が暇をいただきたいと願った。当然の結果だろう。僕は決して自分が優しく健全な主人だとは思えない。そんな事は自分でも分かりきっている。しかし、花と会話がしてみたい。その思いはこの先変わることは無いだろう。そして、そのためには何としても会話のできる装置を完成させなければならないのだ。
――たとえ人間が僕をどれだけ嫌おうとも。



                 4 暗転

 そのときは突然やってまいりましたわ。
 彼とのいつもの儀式が終わり、穏やかな午後の日差しにウトウトと眠りかけておりました。するといきなりドアが開き、彼が大きな機械を運んで入ってまいりましたの。一体何が始まるのかしらと思うか思わないかのうちに、周囲を何かの配線で埋め尽くされてしまわれました。ワタクシは嘘発見器につながれた犯罪者のように、指先から配線を伸ばし部屋の中央へと安座させられたのです。彼は難しい顔をしつつ、機械に配線を差込みしばらくうなっておりましたわ。やがて彼の代わりにブーンと無機質な声がうなり始めたかと思うと、緊張する間もなく始められたのです。初めは何をなさっているのか理解できませんでした。ワタクシの頭の中には疑問符と共に不安がいくつも浮かび上がっていて、彼の口から発している音を理解するまで時間がかかりましたもの。
 ようやくそれが彼の挨拶なのだと理解できるようになって、初めて返答いたしました。そうしましたら、彼はいきなり飛び跳ねて喜びをあらわにしたのです。何がそんなに嬉しいのか不思議に思いまして、尋ねてみましたのよ。そうしましたら、彼はワタクシと会話できたことがこれ以上無いくらい嬉しいのだとおっしゃいました。もちろんワタクシも嬉しさを感じましたわ。ですが、会話できたくらいで何をそんなに……。とまで思って、初めて彼と意思の疎通が可能になっていることに気づきましたわ。それを知ったときは、もう本当に全身が紅潮するほど歓喜いたしましたの。今まで夢に見るたび、現実がこうであったらと何度想像にふけったことでしょう。それが今、目の前に存在しているのですから。
 ワタクシはそれまで我慢していた心がもう張り裂けそうなまでに膨らんで、今まで質問したかった事がいくつもいくつも溢れてまいりました。彼のほうもワタクシと会話できたことがとても嬉しかったらしく、いくつもの質問を投げかけてこられましたわ。お互いにお互いを知ろうと質問をいくつも投げ合っているうちに、このままでは埒があかないと一問ずつ交代に回答していくよう彼が決めたのです。
 ワタクシは彼にワタクシ自身のことを、彼はワタクシに世界のことを、それぞれ語り合っていきました。やがて夜が来て光が落ちても、薄闇の中でワタクシと彼の言葉だけが行き来を繰り返していました。ワタクシが話す意思を持つたびにその言葉は電光掲示板を通して彼に伝わります。それはまるで、蛍が闇の中で互いを探すために、淡い光を放ちつつ飛び交う様子に似ておりましたわ。闇が薄れて光が世界を満たすころになっても、彼もワタクシも一向に話を終える気は無く、二人ともその場へ横になりながら会話は延々続いておりました。本当に楽しいひと時でしたわ。体は疲れているのに、頭はさえて相手のことをもっと知りたいという欲望だけに満たされていますの。
 ねぇ、とても素敵じゃありませんこと? あなたもそう思われ――えぇ、確かにそうですわね。ワタクシと彼とでは生きる世界が違いすぎるかもしれませんわ。ですが、彼と一緒にいられるだけ、彼とお話させていただくだけでもう十分すぎるほど幸せでしたのよ。本当にいられるだけで。フフフ。

暗に続く。

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