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百済・新羅・高句麗コミュの高句麗語は日本語に繋がっているか?

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数詞 ひふみよいつむうななやここと
なんていうのから高句麗語に起源ありとする説がありますが、なんか史料おもちの方いらっしゃいましたら教えてください。

コメント(17)

人間のDNAの伝播からそれは有り得ない。

コリアンの妄想。
>ウィキペディア

あれには、何の権威も無い。歴史に関しては、ただの落書き。
日本人のDNAには、北方からと2000年前以降の中国南方からの流入が見とれ、
米のDNAについても同様。

古代日本語が、高句麗語に影響を与えていた可能性のほうが高い。
”高句麗語”の数詞3「密(ミル)」、7「難隠(ナヌン)」などが、
日本語の「み」「なな」と同源ではないか、という説がありましたね。

村山七郎著『アイヌ語の起源』(三一書房)のなかで触れられていた、と記憶してます。


あと、こんなのもあります。

数詞 「五」、「十」 は高句麗語と同源か?
http://homepage3.nifty.com/rosetta_stone/wissenshaft/AN_2/numeral_1.htm

大工さんが使う物差し「くじら尺」は高句麗からという説がありますね。

仏教が半島経由で伝わった史実からすれば仏閣の建築に使う工具も同じように伝わったと考えるのが普通ですねウインク
高句麗系の人々の中には、高句麗が「こうくら」と読めることから、
日本風にならって「高倉」と名前を改めた方もいたとか。

全国の「高倉」とかいて「こうくら」と読む姓のみなさま、元をたどると高句麗人かもしれませんよ?
埼玉の高麗神社に行くのでたずねてみますね。

ちなみに 高句麗=高+句麗と分解できて、高は敬称の「御」とか 嗚呼という意味のようです。よく呉という地名がありまますが、これは中国の呉(ご)地方でなく、高句麗の句麗(クレ)の当て字だそうです。もともと漢字も中国から日本にダイレクトにもたらされたものでなく、百済のアヤ氏(漢=あや)がもたらしたので、漢字は当て字のごとく、文字のない古代日本の言葉にあてらてたり、現代の英語のごとく、造語されたようです。ところどころ、混在しているので朝鮮語の研究をされた古代歴史学者の存在が必要ですね。奈良時代以前に日本は戦後の様にたくさんの文化と外来語がはいってきたようですね。疑う人はお水取りで有名な若狭の神宮寺に行くとお寺の由緒書きに若狭(わかさ)は朝鮮からの渡来人が名前をつけたことがわかります。奈良時代はまさにバイリガルがたくさんいたのでしょうね。

渡来人の記述を詳しく知りたい方は以下もご拝読くださいね。

◎渡来人の記事
新羅が伽耶を滅ぼしたことをきっかけに、ヤマト政権は新羅と関係を持つようになる。また、中国との関係も復活した。しかし、それも百済滅亡(660)、高句麗滅亡(668)によって一度途絶える。日本には百済や高句麗から多くの人が渡来した。こえに対応して百済人男女400を神前郡(665)、男女2000名を東国(666)、余自信ら男女700名を近江蒲生郡に配した。一方で高句麗からも高麗若光や背奈福徳等が来ているが、高麗人687名を常陸国(687)に、さらに1799名を武蔵国(716)に配している。新羅とも国交が回復して(668)、新羅人を下野国に配した(持統期)。
(詳しくはここから ↓)
http://www.bbweb-arena.com/users/hajimet/toraijinrekisi.htm

このあたりでも読むといいよ。
三国史記の内容が書いてあるから。

日韓がタブーにする半島の歴史 (新潮新書)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106103605/mixi02-22/

内容(「BOOK」データベースより)
古代日本は朝鮮半島から稲作などの先進文化を学び、国を発展させてきた―という
“定説”は大嘘である。半島最古の正史『三国史記』には、新羅の基礎を造ったのは
倭人・倭種、中国の『隋書』には、新羅も百済も倭国を文化大国として敬仰していたと
明記されているのだ。
日韓古代史の「常識」に異義を唱え、韓国の偏狭な対日ナショナリズムと、日本のあまりに
自虐的な歴史観に歪められた、半島史の新常識を提示する。

どうも、朝鮮人の捏造戯言を信じている連中が多すぎる。
高麗神社に行きました。
数詞のことをききましたが、宮司さんにお会いできず、詳しくはきけませんでした。残念です。記述にある 武蔵の国は意外と広いエリアで、東京都や埼玉、神奈川の一部を含む東国の要所でした。渡来人の名残がところどこ地名や神社、仏閣にありました。
 本や先生の話もいいですが、自らの肌でその地を感じることもいいものだとおもいました。私は日朝間の歴史に疎いですが、奈良時代の日本は今でいうところの、アメリカ合衆国のような場所で、多くの移民が200年以上かけておこり、国として形勢されたように思えます。アメリカ人は本当はインディアンなのでしょうが、アメリカ出身の方をアメリカ人と呼びます。確かにアメリカに行くとそれぞれは○○系のアメリカ人だといいますし、ご先祖は何年に船でわたってきたと言われます。信じる宗教もさまざまですし、他の国にも文化的・政治的・経済的影響をよくも悪くも与えています。
 古代の日本は国家対立の激しいかったアジア大陸の民にとって ニューフロンティアであったし、厳しい開拓の場所でもあったのではないかと感じました。また、政治的・経済的に朝鮮半島に影響を与えたり、受けたりしていたとは歴史が語るとおりです。
 
ひふみ 祝詞 が神社ののりとにあります。ホツマ伝えのラインからも調べることができるかもしません。
最近しりましたが、 お稲荷さんの「イナリ」の「イナ」は「鉄」を意味しており、式神の狐さんは「日を経る」=「日経(ひつね)」のことで、「暦」をつかさどる式神だと知りました。普段口にしたり、目にしている言葉にそんな意味があると驚きました。暦を操る、産鉄族の集団のことと解釈もできますね。もちろん、諸説あり、すべては藪の中、歴史の中にしか証明をすることはできにくです。
歴史が逆なんだよね。

翡翠や黒曜石を中心とした交流圏とかの知識が皆無だから、半島からなんてデマに騙される可哀相なおつむの一丁上がりなわけ。

■倭人の言語―『倭語』は国際語であった。
                           
 中国語の中に、倭語の残影が見える。
 中国語で、夜をイェ(YE)と発音するが、 古代 日本語(倭語)では、夜(よる)をヨ(YO)とか、ヤ(YA)と発音する。
音が似ている。
 中国語では泥をニィ(NI)と発音するが、古代日本語では土をニ(NI)と言った。
また、中国語では気をチィ(CHI)と発音するが、古代日本語では霊をチ(CHI)と言った。
 中国語では土をトゥ(TU)と発音するが、古代日本語では処をト(TO)と言った。

 また、中国語では「良い」という意味の『好』の字をハオ(HAO)と発音するが、古代日本語では「優れている」「他よりも立派だ」「特別に良い」という意味の『秀』の字をホ(HO)と言った。

 これらの言葉の音と意味の類似は、もちろん偶然ではない。中国語の中に大陸南部や山東半島で使われていた倭語の単語が残っているのである。
 中国語の気(チィ)と古代日本語の霊(チ)は、漢字は異なるが意味は近い。古代シナの倭人が語った気(チィ)を、古代日本人は霊(チ)として理解したのだ。

 もちろん、中国語と日本語はまったく系統が異なる言語である。中国語は北方遊牧民の言葉である漢語が発展したものであり、日本語は、古代シナ大陸南部で話されていた倭語が発展した言語である。
 しかし、4世紀から10世紀にかけて、シナ北部の漢人・鮮卑勢力が南下して、大陸南部の倭人勢力を支配下に置いた。
そして北方遊牧民と南方農耕民=倭人(呉人)が混血することで、現在の中国人の原型となる民族が形成されたわけであるが、その過程において、倭人が話していた倭語の単語の一部も漢語の中に吸収されていき、それにより中国語の基本型が生まれたのだ。
 そのため、漢語と倭語は異なる言語ではあるけれども、中国語の中に古代倭語の言葉がわずかに残っているのだ。
>13 ともさん

ある言語と別のある言語の間には、単に音が似ているだけの語彙がたくさんあり、それらが同語源だと言うためには、言語学・音韻学的な点から慎重に真贋を判別しなければなりません。

言語は時代によって(音韻も文法も)変化します。「中国語」といっても地域によって違うのはもちろん、時間的にも違います。現在=同時代の”中国語”とたとえば隋や唐の時代の中国語、さらに漢代以前のものとでは音韻・文法上にたいへん大きな相違があります。これは日本語についても同様です。

例として挙げておられる中国語音・日本語音はいずれも現代語における音ですね。

古い時代の語の関係を考える場合、当然ながら過去の語形・音韻にまで遡って考えなければなりません。

翡翠や黒曜石の文化圏まで発展して行くとは面白いですね。

翡翠は新潟の佐渡や長野の糸魚川付近からの採取ですね。対馬海流を利用した海人族の交易範囲ですね。対馬に行き調べましたが、ワタツミの神や安曇野族の流れでありました。高度な航海技術をもった集団の存在があっようですね。

黒曜石
に関しては隠岐島以外に小笠原諸島の神津島からのものやそれ以外からのものが、本州内陸部でています。これには驚きですね。黒潮の流れを巧みに操る、超高度な航海技術をもった集団がいたことになります。

沖縄の久高島には世界の七つの海を渡った海人がいて、稲作や星座による運航術を伝承しています。日本に稲作が最初に入ったのもここからだといわれ、沖縄からも一目もふた目も置かれた場所です。ここは航海に携わる民の聖地といわれ、倭寇もここの海人が乗る船には手をださないといわれました。

言語学的にはよくわかりませんが、航海術なしにはアジア大陸から日本列島本州は移動できず、文化(言語も含む)の行き来きには不可欠なことですね。


この集団はどんな言葉や文化だったことを知ることは大事ですね。
日本や半島の言語はつまるところ、海洋系の民により伝播され、また、他に広がっていったので、一方通行的なものでなく、相互交換的に存在して、大陸の内陸ほど、その伝播が遅く、海洋部や沿岸ほど、共通性が高いと考えられないでしょうか?つまり 文化の流れるベクトルは 半島⇒日本や日本←半島、中国などでなく、海洋や海流の流れるベクトルで行われたと認識すべきですし、より包括的な思考が必要となると思います。


ひーふうみぃは古代イスラエルが語源じゃなかったでしたっけ?

ここと同じ内容のことをちょうど
このコミュのヤマタノオロチの正体のトピで話していたところでした。

http://mixi.jp/view_community.pl?id=5632274

新潟県糸魚川のヒスイ輝石の文化は世界最古のようです。

中国や韓国のヒスイは本ヒスイではないので、
本ヒスイが魅力で日本から文化が行った可能性もあるかもしれません。

縄文人は、糸魚川ヒスイを使うことにかなりこだわりがあったようですよ。

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