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言語学コミュの言語はどんな矛盾を含んでいるか : 【9】 言語の改革をめぐって

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先に【1】〜【8】を提示しましたが本 Topi は、
三浦つとむ(『レーニンから疑え』芳賀書店,1964)の所収の同名論文、「9 言語の改革をめぐって」を話体にし適宜表記を改めたものです。原論文は同書を参照下さい。

音声や言語ばかりでなく、私たちは思考する時にも、言語を使うという意味で、「思考言語」とか「内語」とかいうものの存在を主張する学者が少なくありません。言語道具説を採る者にこの主張者が多く、ソビエトの哲学者や心理学者もこれを主張しています。哲学の教科書には「心の中で考えている人は、事実上では、一定の思想を他の人達に伝えるために彼に必要である言葉を全て人に伝えるように発音しないし、自分のためにも発音しない。」と述べています。これは、実は形式と内容の矛盾であって、感性的な手掛かりのついた概念を運用して思考したとしても、その概念を全てその感性的な手掛かりと同じ音声や文字に表現する訳ではないというだけのことです。【発音しない「言葉」というのは実は、言語でなくて感性的な手掛かりの付いた概念に他なりません】。これが「思考言語」の正体です。言語という名称を、表現以外のところへ拡大するのは、不当な行き過ぎであり誤りです。楽譜は、楽器に用いられる音の種類を概念として捉え、これを音符として言語的に表現します。音学の作曲家は、音符から感性的な手掛かりを獲得した音の概念を運用し、創作を進めていきます。これも「思考言語」でないことはもちろん、「思考音楽」でもありません。

言語が対象の感性的な在り方との拘わり合いと縁を切って、独自の感性的な形を持ったことは、【言語としての大きな進歩であると共に又、退歩の面を持っていました。これも一つの矛盾です】。前には社会的な規範を知らなくても、ワンワンと言えば犬のことだろうと大体の意味を推察できたのに、いまではそれが不可能になったからです。言語表現の能力を身に付けるには,日常生活の中での自然成長では足りなくなって来ました。経験的に話す能力は持っているが、読んだり書いたりすることはできないという、「無筆」「文盲」の人たちを無くすために、【子供の時から学校で計画的な言語実践を積み重ねることが必要になって来ました】。言語表現は単なる技能ではなく、一つの技術として、科学的な訓練と努力によって獲得すべきものとなりました。

同じ表現でありながら、音楽や演劇にあっては技術の面が重視され、質的に高い表現をするためにはたゆまぬ努力と長期の訓練が必要だと考えられているのに、言語は誰でも容易に表現できるのが当然であるかのように信じられています。音楽や演劇の基礎的な訓練は、科学的な理論に基づいて系統的に為されなければならないと考えられているのに、言語では次々と新しい単語の読み方書き方意味を教えていけば良いかのように思っている人が多い。音楽や演劇の表現は全て独自の創造であって、楽器や衣装などを使いこなす能力が必要だと考えられているのに、言語では単語という「道具」さえ渡してやればそれで十分に伝えられるかのように思っている人が多い。日本人は日本語の学習が難しいと強調しているのに、アメリカの暗号解読者あるいはアメリカ軍人の日本語学習がきわめて短時間に相当の高さまで達するということは、国語教育の方法についても日本人がもっと反省すべきことを暗示しています。

この国語教育の軽視と裏表の関係にあるものが、小学校での経験主義的な教育方法に相応しいような、あるいは簡単な事務用の文章に相応しいような、「やさしい」言語こそ理想だと考える国語改革論です。これはちょっと見ると、言語が大衆のものであることを強調して大衆に奉仕する改革のように思えますが、実は現語の発展と云うことを理解しない考え方です。【現語の在り方は、その要求される最高の表現に、科学及び芸術の最高の表現にどれだけ有効であるかということを無視して論じてはなりません】。例えば電報や広告郵便物の宛名書きに有効であろうとも、この最高の表現に於いて他の文化的な水準の高い国々のそれに劣るとするならば、その文化的な水準に近づこうとする時にその国々の言語の表現を輸入することになり、ここから文化的な支配を受けたり国語の衰退を来したりすることは避けられません。漢字・漢語の輸入やヨーロッパ・アメリカ語のを輸入を、特権階級の権威を誇示するためとか、軽薄分子の新しがり屋の結果とか、単なる主体的な原因に基づくかのように解釈するのは、言語の本質に無知な人のやることです。科学の発展は、常に新しい且つ体系的な述語を要求し、これらは遅かれ早かれ日常の言語表現に浸透して来ます。この述語を容易に作り出し自由に表現できるような言語でない限り、「言語がなければ思考もありえない」私たちはそこから制約を受け、ひいては文化的な従属を免れません。言語の改革は、言語の自然成長性がもたらした不合理な部分を是正することであって、経験主義的な国語教育に合わせて表現を後退させたり、簡単な実用言語の機能を振りかざして言語全体の在り方を論じたりすべきものではありません。■

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