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言語学コミュの言語の二重文節とは何か

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フランスの構造主義言語学者、アンドレ・マルティネ(1908〜1999)が提起した概念で、次のように述べている。

人間の言語は、二重に文節されている。

Le langage humain est doublement articulé.

人間の言語は二重に文節されているということを、よく耳にする。実際われわれが知っているような言語現実の手短かな検討によってもわかるように、人間の言語は、意味単位(記号素)と弁別単位(音素)とに二重文節されている。 
  ―アンドレ・マルティネ『共時現語学』 1965

これは、立川健二『言語学の復権のために』(論創社;2020.2.10)からの引用であるが、「これは非常に画期的な発見である」と賛辞を呈している。庵 功雄『新しい日本語学入門 ことばのしくみを考える 第2版』〔スリーエーネットワーク; 第2版 (2012/3/24)〕なども、これを言語と非言語を区別する基準にしている。フランスの言語学者ジョルジュ・ ムーナンも言語と記号をこれにより区分しようとしている。

ここではじめて、言語と非言語表現のコミュニケーションの手段の間に引かれる【明確な一線】が見出される。この区別は、研究された対象のもつ特質に基づいたものであり、この一線は、したがって、言語学と記号学との間にもひかなければならないものなのである。
                             ―ジョルジュ・ ムーナン『記号学入門』 1970

しかし、これは日本語の事実に相違することを指摘したのが三浦(つとむ)である。次のように批判している。

ところが、われわれ日本人は、日本語の音韻表である五十音図を見て、それぞれの音韻に相当する語を亜、意、鵜、絵、尾……などのように数えあげ、マルチネのいう音素がそのまま形態素と一致する【一重分節】でしかない語がどんなにたくさんあるかを知るのである。これらは「二重文節」を持たないという理由で、非言語と規定して言語学から追放しようとするなら、妄想と嘲笑されるのが落ちである。それでは、この「二重文節」――ヨーロッパの言語のほとんどが全部この構造を持っているのだが――はいったい何を意味しており、言語のどんな特徴なのであろうか?

皮肉なことには、右のように述べたム―ナン自身が、三年後にその真相を語っているし、しかもそれが自分の「明確な一線」と矛盾していることに気づいていないのである!

今日まで、言語活動を他のコミュニケーションの方法、とくに動物において認められている体形と区別しようと試みてきたすべての人にとって、言語活動の最も不思議な特色を説明してくれるのはこの二重分節である。言語活動の最も不思議な特色というのは、他のすべての体系における組み合せの可能性の貧弱さと比べての、【そのつきることのない組み合せの豊かさである】。//

人間は無限に多様な現実の世界をそれぞれ区別して概念としてとらえていく。それらの概念は、それぞれ異なった音声ないし文字によって表現されなければならない。必要とする語彙の数は莫大なものになる。音声を人工の種類として音韻化する場合、可能な数はわずかでしかないから、それをいろいろ組合せないと多くの語をつくり出すことができない。それで表現の単位に対して、それを構成する「音素」がいくつも存在することになった。日本語の音韻は五十音図に示した数しかなくても、「キ」には、喜、器、忌、機、期、気、記、軌、危、……と多くの漢字が使われているように、多くの同音異議語が存在して文字でそのちがいを示すことができるし、かなりの数の一重音節の語が存在している。もちろん「音素」を組合わせる必要はあるが、これまた同音意義語が多くなるから、その組合わせも単純なもので足りるわけである。漢字では山(やま)、峠(とうげ)、茶屋(ちゃや)、旅人(たびにん)などのように、二音節ないし四音節を一字ないし二字で記す場合が多い。それで外国語の単語を日本語に取入れるときにも、レジ、バイト、コマソンなどのように省略している。【たとえ「二重分節」があろうとなかろうと、言語が音韻すなわち音の人工の種類において概念を表現していることに変わりはない】。それゆえ、「二重分節」の問題は【語彙の数にかかわる問題で、言語と非言語との間に「明確な一線」を引く問題でもなんでもない】。
 (三浦つとむ『言語学と記号学』 1997.7.10より)

立川も、<「二重分節」は、人間の言語の驚くべき経済性を保証している。>と述べながら、「マルティネによれば、二重分節は、あらゆる言語に共通する、人間の言語の普遍的特性であるというが、これは非常に画期的な発見である。」と【明確な一線】を受け売りしている。

これでは、残念ながら『言語学の復権のために』は役立ちそうにないと言わなければならない。■

コメント(4)

英語でも、”a” は一重分節でしかなく、単数という意味単位である。

言語の本質を表現としての過程的構造として捉えられない機能主義的な発想では、事実を正しく理解できずに形式に求めようとする誘惑を避けられないことになる。
接尾語の”s”も又、三人称、複数などの意味単位であり「人間の言語は、二重に文節されている。」などというのは誤りで、これを言語と非言語、言語と記号の区分とするのは誤りである。■
 当然、この点に対する疑問が指摘されているが、必ずしも明晰ではない。


#1062. 言語の二重分節は本当にあるか[double_articulation][linguistics][sign]
2012-03-24
 [2011-06-03-1]の記事「#767. 言語の二重分節」で解説した Martinet の二重分節 (double articulation) は,記号としての言語のもっている最も際立った特性の1つとして,どの言語学の教科書にも取り上げられている.二重分節は,機能主義の立場から言語に内在している経済性を強く押し出した Martinet の言語観を支える理論的な支柱であり,20世紀構造言語学の成果を象徴する最重要事項の1つである.
 しかし,町田 (166--68) によると ,よくよく考えてみると,二重分節というものが,Martinet の主張するような言語の経済性を本当に体現しているのかどうかは疑わしいという.第1に,monème (記号素)へ切り分ける第1分節と,phonème (音素)へ切り分ける第2分節とは,性質が大きく異なっており,分節という同じ用語でまとめてよいものなのかという疑問がある.monème は記号 (signe) であり,signifiant と signifié が分かちがたく結びついた1単位である.言語の経済性を論じる際には,この基本単位である monème そのものの種類を多くするのが情報伝達にとって経済的なのか,あるいはその種類は抑えながら,その組み合わせ(統語)を工夫することで対処するのが経済的なのか,という議論になるだろう.
 ところが,phonème については,そのような議論ができない.phonème は signifiant に属する単位であり,それ自体は記号ではない.signifié,つまり意味を担っていないのだから,情報伝達の経済という議論には関わりようがない,というわけである.
 二重分節に向けられたこの疑惑を,経済性の程度を割り出すための方法という観点からとらえ直すと,次のようになる.monème の経済性は,上で触れたように,その種類を増やすことで確保するのか,その組み合わせを工夫することで確保するのかという問題であり,伝達したい意味内容の頻度の問題などと関連させて数値化し,比較することが一応のところ可能である.極端な場合には,100個しか monème がなく,その統語的組み合わせを工夫して何とか言語機能を果たすような仮想言語を思い浮かべることができるし,反対に,「主部+述部」という単純な統語論しかもたないが,monème の種類は数百万個あるという仮想言語を思い浮かべることができる.この2つの言語の効率を云々することはできるだろう.
 ところが,phonème の経済性は,上の monème と同じようには議論できない.確かに,100個の区別される phonème が「子音+母音+子音」という1種類の並びで配置されて1つの monème を構成するという仮想言語と,区別される phonème は10個しかないが monème を構成するための子音と母音の組み合わせは幾通りもあるという仮想言語とを比べてみることはできるかもしれない.しかし,ここで比べているのは,意味を伴わない phonème の種類や配列であり,これは情報伝達の経済性に何ら関わりがない.情報伝達の経済性の問題というよりは,調音能力と聴解能力のバランスの問題というほうが近い.
 Martinet の主張する言語の経済性の原理は,汎用的で強力な説明原理ではある.しかし,その原理を象徴する二重分節という考え方にも疑問点があるということ,また,いまだに言語において何をもって経済的とみなすかという基本的な事項での共通認識が得られているとは言い難いことから,踏み固められている定説にも,より突っ込んだ批評が必要だろう.

 ・ 町田 健 『ソシュールと言語学』 講談社〈講談社現代新書〉,2004年.
Referrer (Inside): [2019-08-23-1] [2012-04-29-1]
http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2012-03-24-1.html

 英語の単数を表す″a”も、/ɑ/であり、分節などしていない。

これを、

 人間の言語は二重に文節されているということを、よく耳にする。実際われわれが知っているような言語現実の手短かな検討によってもわかるように、人間の言語は、意味単位(記号素)と弁別単位(音素)とに二重文節されている。 
  ―アンドレ・マルティネ『共時現語学』 1965

というのは言語規範ということが理解できていない誤りである。

 言語は形式と内容の統一という調和する矛盾の実現であり、規範を媒介として成立しているのであるが、矛盾を捉えられない形式論理では理解不能ということになります。■

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