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言語学コミュの接尾語「み」と「さ」の相違 

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 ひろく使われている<接尾語>に「み」と「さ」を挙げることができます。
 現在の機能主義的な言語観に基づく言語論、文法論ではこの語の意義を正しく捉えることができていません。

 さ
〔接尾〕(「さま(様・方)」と同源か)
形容詞・形容動詞の語幹、また、これに準ずる助動詞に付いて名詞をつくる。
1 その性質、状態の程度。その様子。「親切さ」「高さ」「短さ」「苦しさ」「静けさ」「静かさ」「きのどくさ」「男らしさ」「見たさ」など。

 み
〔接尾〕形容詞または形容動詞の語幹について名詞をつくる。
1 そのような状態をしている場所をいう。「高み」「深み」など。
2 程度・状態を表す。形容詞に対する主語としてはその程度、動詞に対する主語としてはその状態についていう。「真剣みが薄い、たりない」「真剣みが現れる」など。漢語の「味」と混同して意識され、味を当て字として用いることも多い。
【日本国語大辞典】

 膠着語である日本語の裸体的な性格を認識論に基づき展開した、三浦つとむによる<接尾語>「さ」と「み」の解明を以下に紹介します。


 「甘【み】」「辛【み】」「暖か【み】」「高【み】」「深【み】」「厚【み】」「重【み】」「悲し【み】」「苦し【み】」「おかし【み】」「ありがた【み】」「すご【み】」

など、かなりひろく使われているが、「さ」はいっそう広汎に「み」の使われないものにも使われる。

 「長【さ】」「軽【さ】」「よ【さ】」「さわがし【さ】」「静か【さ】」「やりきれな【さ】」「男らし【さ】」「かたじけな【さ】」

などがあるし、また

 「頑固【さ】」「大胆【さ】」「惨忍【さ】」「不思議【さ】」

などという使い方も見られる。<形容詞>の語幹がこのように<接尾語>を連結してたくさん使われているのでは、語幹がはじめから一語であると思うのもむりもない。実はこれも実践上の要求なのだが、

 【固定・不変の属性は実体にいつもついてまわるだけに、これも実体と同じく、属性の存在自体を独立の対象として扱うことが必要になる。しかも属性それ自体として把握して【質的】に扱う場合と、実体化・凝結化して把握して【量的】に扱う場合と、二つが要求されていて区別して表現しなければならない】。

 前の場合の<接尾語>が「み」、後の場合の接尾語が「さ」である。「暖か」という語幹がはじめから自立した一語として意味があったのではなく、「暖かみ」の場合には属性それ自体として把握しながら<活用>を省略し「み」で性質であることを明らかにしたもの、「温かさ」の場合には属性を実体化して把握しながら「さ」で量的であることを明らかにしたものと解すべきである。

「高【さ】30メートル」「長【さ】10センチ」「重さ【60】キロ」「明る【さ】8ルックス」「さわがし【さ】90ホン」「可愛【さ】あまって憎【さ】が百倍」などと、

 【具体的な量や量的な比較をとりあげるとき「さ」が用いられる】

ことを考えなければならない。また、昔は「逢ふ【さ】」「帰る【さ】」などのように<動詞>の連体形に「さ」を連結して実体化した把握の表現に使っていたことも見のがしえない。「逢いた【さ】見た【さ】にこわ【さ】も忘れ」「誉められた【さ】の身の願い」などと、「逢いたい」「ほめられたい」という希望全体を実体化して捉えかえした、使いかたもある。英語では、length, height, weight など、「長さ」「高さ」「重さ」に相当する別の名詞が存在している。

 同じ実体でもスタティックとダイナミックと把握のしかたを変えることで「流れる」が「流れ」になるように、同じ属性でもスタティックとダイナミックと把握のしかたを変えることで<形容詞> と<動詞>と異なった品詞になる事実も、ここで問題にする必要がある。「赤い」→「赤らむ」、「ぬるい」→「ぬるむ」、「暖かい」→「暖まる」などのような、<動詞>化である。日常生活で、「頭が【痛い】。」という場合と「頭が【痛む】」という場合とがあるが、精神的な苦痛のときには前者を、肉体的で絶えず変化する痛みのときには後者を、意識しないで使いわけている。「痛み」には「痛い」に<接尾語>「み」を連結した性質としての把握と、「痛む」の連用形で実体化した把握と、異なった内容を持つ二種類が存在するわけである。流行歌手の歌う「胸の痛み」と内科の患者の訴える「胸の痛み」とは、文法的に区別しなければならぬ場合もあるはずである。

 同じことが「【楽しみ】」や「【苦しみ】」にもいえる。ところが一方には、「痛い」「楽しい」「苦しい」から実体化した把握の表現として「さ」を連結した「痛さ」「楽しさ」「苦しさ」があって、実体化した把握の表現にも二種類が存在するわけである。そこで、内容的な区別ができないと、

【「痛み」その他の<動詞>の<活用>のありかたから、「み」を<活用>として不当に一般化し、またこれらと同様に実体化した把握の表現である「痛さ」以下についても「さ」を活用だとする解釈が生まれてくる】

のであって、明治以前は「み」「さ」を<形容詞>の活用と解釈する者が多かった。これは時枝が<形容詞>の<活用>を<接尾語>と解釈したのとちょうど逆である。大槻は「み」「さ」の使いかたを吟味して<接尾語>と正しく規定した。「さ」も日本語の「裸体的」性格を示す好個の例であって、日本語のこのような認識構造を詳細に説明できるか否かは認識論にとって一つの試金石といえよう。

(三浦つとむ「日本語の裸体的性格 七 <動詞><形容詞>が体言化する場合の内容について」より 『認識と言語の理論 第三部』1972 所収)■

コメント(17)

 現在の接尾語「〜さ」「〜み」理解がどの程度かは下記の論稿が明示しています。

 国立台湾大学大学院生
  曾 寶 儀
「〜さ」派生名詞と「〜み」派生名詞に関する一考察
    ―共起表現をめぐってー
https://www.cf.ocha.ac.jp/ccjs/j/menu/consortia/d002832_d/fil/jap2.pdf

 ここでは、

 5.おわりに
 以上、本発表では(1)語基の性質(2)構文的特徴(3)共起動詞、という三つの面から「〜さ」と「〜み」派生名詞の相違点を考察した。

 a. 語基性質の分野から、「〜さ」派生名詞はいずれも意味の多様性が高い、その形容詞語基の多義
性を反映する。それに対して、「〜み」派生名詞は語基の分野によって、意味用法が限定され、相違するのであるが、「味覚」に関する形容詞の「〜み」派生名詞は「具体的なもの」に限定されるが、「量的な属性」の形容詞を語基とする場合は、かえって「抽象的な物事」に偏ると分かった。

 b. 構文的特徴から、「〜さ」派生名詞は常に他の名詞によって「〜さ」の意味・性質を限定しなけ
ればならない。「〜み」派生名詞は存在文の主語として用いられ、「〜み」派生名詞自体が意味の具体性や明確性が強いことを示すと考えられる。

 c. 共起の動詞から、「〜さ」派生名詞は思考したり、伝達したりする限定的な内容(具体的、また
は抽象的もの)として用いられることが見られる。一方、「〜み」は積極的「表面からは見られない」「〜み」派生名詞の性質が引き出されることによく使われる//


と纏められているように、現象の周りを堂々巡りしているだけの議論でしかない。そもそも形容詞、動詞の意義とは何かが理解されていない以上、論理的必然ということになります。

本Topiの考察とは比ぶべきもないことは一目瞭然でしょう。■
 接尾語の話「さ」「み」「め」 辞書
 2018-03-12 21:12:58
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12359747491.html

ここでは、辞書の説明に依拠し、

>>『大辞林』にはこんな記述もある。「接続する語が「さ」より少なく、対象の性質・状態・程度を主観的・感覚的にとらえる」。というわけで接尾辞「さ」についても国語辞典を見てみたが、「み」とあまり変わらない記述ばかり。となると、「み」の特性としては「主観的・感覚的」がポイントか。//

などと言われているが、全くピント外れな意味不明な解釈と云う他ありません。

 そもそも、形容詞とは一体何を表しているのかが全く理解できていません。

 辞書の自立語/付属語などという形式的、機能的な品詞分類では品詞そのものの意義を全く理解できないというより、動詞、形容詞、名詞の語の意義の相違、自立語/付属語の意義の相違が理解できていないために品詞区分の根拠もまた不明というのが現状です。■
 相変わらず、本Topiで明らかにした接尾語「さ」の意義を理解できずに、単に形式だけを問題にし既に7年間、いや10年ほどを経過し何の進展もないのが下記のブログであろう。


1136)【「〜なそう」「〜なさそう」「〜なすぎる」「〜なさすぎる」〈1〉〈2〉(修正版)】
 2024-06-17 09:46:23NEW !
 テーマ:日本語アレコレ 総集編
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-11879440586.html

 一体、全く論理性皆無のこんな現象論や、表を掲げて、何の役に立つと考えているのだろうか???

そこには、「サ入れ」などと単なる形式としてしか捉えられない言語観、品詞観の欠陥が露呈している。■

>>[3]

>接尾語「さ」

誤りです。

これは名詞です。根拠はここです。

> (時枝、中等国文法口語編別記、1950年、71ページ) 「めく」が動詞であるからである。
 「形容詞名詞化の接尾辞−SAと−MIの違いの認知論的再考察 」
  藤井佳子,コロンビア大学修士課程
https://pjpf.princeton.edu/sites/g/files/toruqf1151/files/2008proPDF/8%20Fujii_PJPF08.pdf


も認知という表面的な差異しか捉えることができず、認識の相違を捉えられないために「ソト的に捉え」「ウチ的に捉え」などと全くピント外れな理解を提示することになっている。■
>>[8]

>接尾語「さ」

誤りです。

これは名詞です。根拠はここです。

> (時枝、中等国文法口語編別記、1950年、71ページ) 「めく」が動詞であるからである。
 感情を表す「さ名詞」と「み名詞」について
          加藤恵梨(大手前大学)
https://conference.wdc-jp.com/jass/42/contents/common/doc/P-04.pdf

では、「さ名詞」と「み名詞」の相違を次のように纏めている。


 3.5. 感情を表す「さ名詞」と「み名詞」のまとめ
 以上の分析から,感情を表す「さ名詞」と「み名詞」について次のようにまとめることができる.
「さ名詞」は,「ある事物に対して人々が一般的に抱く感情で,他の人とある程度共有できる」「身体に伴う感情」「ある事物の外的要素に感じる感情」を表す.
一方の「み名詞」は「個人的感情であるため,共有することが難しい」「精神に関わる感情」「ある事物の内部要素に感じる感情」を表す.//


 ここでは、形容詞、名詞が何を表すのかが全く理解できておらず、それ故、名詞である実体が持つ量/質という性格の相違が全く把握できずに、感情自体の性格にすり替えるという誤った結論を導き出している。

 対象と認識、実体と属性、量/質という現実世界のあり方とそれに対する認識のあり方を捉えない限り、接尾語「み」と「さ」の理解はできないことを露呈している。■

この接尾語「み・さ」は、最近「Twitter(ツイッター)」などのインターネット上の交流サービスにおける若者の投稿に使用され、何故このような使い方をされるのかが問題になり、下記のような解釈が示されていますが、本TOPIで明らかにしたような認識の相違を正しく捉えないと適切な判断ができないことが分かります。

「やばみ」「うれしみ」の「み」はどこから来たのか【再掲】
https://www.gentosha.jp/article/19914/?srsltid=AfmBOorckyrf4-9KjR9aiqwAlnEenYm5ADKJkYjUF_L2RehsSJeZ2_DD
◆
  接尾語「さ」は、「旨さ」「楽しさ」「寒さ」のように形容詞の語幹に結び付いて〈名詞〉になりますが、

  私ゃお前の政所 いつか果報も一森と 褒められ[た]【さ】の身の願ひ (長唄『喜撰』)

   逢い[た]【さ】見た[た]【さ】に怖【さ】を忘れ 暗い夜道をただ一人 (歌謡曲『籠の鳥』)

のように、主体的表現である〈助動詞〉「たい」の語幹に結びついて、〈動詞〉の「褒め」「会い」「見」以下を〈名詞〉化するような使い方もあります。

 これと同じように、「分からなさ」「楽しくなさそう」「行かなさそう」「食べなさそう」のように否定の助動詞「ない」の語幹「な」に「さ」を結び付ける使い方がされています。◆

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