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言語学コミュの助詞「は」と「が」の使い分け  事例(1)

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日本語文法についての質問です。
「当時理系の学生だった私 が/は 思い切って自分の専攻を社会学に変えることを決めた。」

この文はどうして「が」が使えないのですか?https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10869549.html

という質問が出され、種々回答されています。

「は」と「が」〈11〉相当……当時理系の学生だった私{が/は}思い切って自分の専攻を社会学に変え
2018-12-12 21:37:27
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12425515514.html

というブログも展開されています。しかし現状では、

>>これをもっと正確に分析するには……とってもむずかしいことになる(泣)。

ということになる他ありません。

 「当時理系の学生だった私【は】 思い切って自分の専攻を社会学に変えることを決めた。」
 
は、「(現在の私ではなく)当時理系の学生だった私」という現在の「私」との比較・対照による私の特殊性の判断を表すもので、「当時理系の学生だった私【が】」という特定の個別的な私に対する判断の場合には比較・対照の認識はなく、比較・対照すべき観念的な前提を有する点で「は」は副助詞とするのが適切です。

このような話者の認識の相違を捉えることができずに、表現された結果である主語や主題という意味の相違から「は」「が」の相違を導くのは因果が逆転していることになります。

それゆえ、最初から「詳しく議論しようとすると大変」「答えるのは非常にむずかしい」などと遁辞が最初に述べられ、結局最後まで何の結論、解明も無いまま毎回やり過ごすことにしかなりません。

 この「は」は、

 鳥が飛ぶ。
 鳥は飛ぶ。

の「は」「が」の相違と同じであり、話者の判断の相違を捉えなくては説明は不可能です。どちらの文でも鳥は主語であり、「が」と「は」は排他的な関係にあり、「鳥は」は主題などと言ってみても何故に「が」と「は」が排他的であるのかを説明することは不可能です。

しかし、未だに主語と主題の相違というレベルの議論に終始しているのが現在の日本語文法論の現状です。これについては、

 井島正博[編著]『日本語ライブラリー 現代語文法概説』:朝倉書店 2020年11月1日 初版第1刷

の 野田尚史 稿『5「は」と「が」』を参照下さい。■ 

コメント(2)

 「わたしは買います」と、
 「わたしが買います」はどう違うのでしょうか。

この違いと活用法をどのように外国人に説明できるでしょう。教えていただきたいのです。よろしくお願いします。
https://mixi.jp/view_bbs.pl?id=41999401&comment_count=75&comm_id=2748

という質問もされているが、結局、当然ながら結論は出ていない。

これも、上記の通り他の人ではなく「わたし」という特殊性の判断を表すのが「わたしは買います」です。単に特定の個人としての「わたし」についての判断の表現であれば「わたしが」であり、「私が買います」になります。

このように、「わたし」という存在のどの側面を捉えるかの相違であり、特殊性か個別性かの判断の相違です。この相違は以下の文の内容に結び付いていますが、以下の表現自体が必ずしも形式が相違する訳ではないので結果としての構文と結び付けても相違を見出すことが出来ないために混乱を招くことになります。

2022年11月22日18:41251 view
普遍・特殊・個別をハガの違いに適用しようとするのは無理筋ーその2ー goo
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1983769446&owner_id=5019671

などというブログもありますが、ではどう解釈、解明できたのかと問えば全く何の進展も解明もないという体たらくです。

個別/普遍/特殊というのは客体の在り方で、個は特殊と普遍の統一として存在しています。この現実の存在の在り方が認識に反映しているのが「は」と「が」という判断の相違であり、これを反映論として捉えられない現在の日本語文法論では「は」と「が」の相違を正しく捉えられないのが現状です。■
>>[1]

>私の特殊性の判断を表すもので、

誤りです。

特殊性の判断を表すのではなく、特殊性を表します。根拠はここです。

>(三浦、認識と言語の理論2、1967年、483ページ) 限定ということが特殊性を意味する

特殊性=限定です。ちなみに言い回しが違うだけで、その言葉を使う目的は同じなので、そういう意味で、特殊性=限定=取り立て、で、特殊性辞や限定辞、取り立て辞などと言っても構いません。

それで、判断を表すのに判断辞を使う場合と使わない場合とがあります。例えば、

・三浦は中卒「だ」。→肯定判断に、判断辞を使う。
・花が咲か「ない」。→否定判断に、判断辞を使う。

しかし、

・私「が」話す。→個別的判断に、詞格辞を使う。
・太郎「は」行く。→特殊的判断に、限定辞を使う。
・犬「は」動物だ。→普遍的判断に、係り辞を使う。

後者は判断に判断辞を使いません。ここをあなたは理解できていません。単純に前者と考えてしまいます。

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