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言語学コミュの「人魚構文」という形式主義的な誤り

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 角田 太作
「人魚構文 : 日本語学から一般言語学への貢献」
https://repository.ninjal.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=485&item_no=1&page_id=13&block_id=21

では人魚構文という文を定義し、「人魚構文は日本語では頻繁に使う。しかし,よく考えて見ると,奇妙な構文である。統語の面でも,意味の面でも,奇妙である。更に,世界的にみても珍しいようだ。」と不思議がっている。しかし、「日本語では頻繁に使う」構文であり、よく考えて見ると奇妙でも何でもない極く普通の構文に過ぎない。奇妙で不思議なのは何故この構文の意味が理解できないのか、日本語の構文を如何に理解できていないかの論者の言語、日本語、構文、意味理解の限界の方である。この点を明らかにしておきたい。

 論者は人魚構文を次のように提起している。

 ‥‥‥‥引用開始‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 人魚構文の原型は(1)に示す構造を持っている。即ち,はじめに節があり,名詞が続いて,いわゆるコピュラ「だ」で終わる。例文を(2)から(4)に挙げる。(原型から外れるものもある。7.1.2 と7.2.1 と7.2.3 と第9 節の[1]で述べる。)

 (1) 体言締め文または人魚構文
   [節]名詞 だ。[Clause] Noun Copula.
 (2) [太郎は名古屋に行く]予定だ。
 (3) [太郎は今本を読んでいる]ところだ。
 (4) [外では雨が降っている]模様だ。//
‥‥‥‥引用終了‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

さらに、次のように述べる。

 ‥‥‥‥引用開始‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 意味の面でも,(2)から(4)のような文は,文字通りの意味を考えると,実に奇妙な文である。例えば,(2)について言うと,太郎は予定ではない。(人間である。)(3)について言うと,太郎はところではない。(人間である。)(4)について言うと,雨は模様ではない。(自然現象である。)
このように,人魚構文は,統語の面でも,意味の面でも奇妙な文である。
 ‥‥‥‥引用終了‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 これら、極普通の文が「奇妙な文」に思えるのは構文の立体的な構造、意味を捉えることができずに平面的、形式的な理解、解釈に陥っているからである。

 ★ 太郎は名古屋に行く予定だ。

という文は、

 {〔太郎は〕([名古屋に行く])予定}だ。

という立体的な認識構造の表現であり、副助詞「は」は「太郎」の特殊性の認識を表しており、その内容が「名古屋に行く予定」である。この立体的な認識構造を無視し、

 (8) 太郎は学生だ。

という名詞述語文と同じ構文と見做し、「太郎は予定ではない。(人間である。)」などと誤読し奇妙だなどというのは全くのピント外れである。(8)の太郎と学生は同一の実体に対する身分の判断であるが、(2)の「名古屋に行く予定」は正しく「太郎」という人の行動予定の判断であり、実体そのもののあり方の判断ではないというに過ぎない。

また、「前半は動詞述語文であり,後半は名詞述語文である。」と云うのも、「太郎は名古屋に行く」と立体的な認識構造の文を形式的、平面的に切断、分断し本来の文の意味とは異なる意味解釈をしたものでしかない。この誤読に基づき「実に奇妙な構造を持っている。」などと不思議がっても何の意味もない。

このような誤読が生まれるのは、膠着語である日本語の助詞「は」「が」に相当する語が屈折語には存在せず、対象世界の個別/特殊/普遍という立体的な構造を反映した「〜は〜だ」「〜が〜だ」という構文の意味が理解できないためである。

言語類型を問題にするのであれば屈折語、膠着語、孤立語という類型の本質と相違を正しく理解する必要がある。生成文法や構造主義などの形式主義、機能主義的な言語観では表現としての言語の特殊性と普遍性を正しく捉えることが出来ず人魚構文などという誤った構文解釈しかできないことを本論稿は露呈しており、現在の言語学、文法論の限界を露わにしている。■

コメント(7)

人魚構文という誤った理解は主語/述語という屈折語のスーツケース的な文型を絶対視した形式主義的発想の誤りであり、膠着語である日本語の構文と認識の対応を捉えらえない西欧言語論の限界を明らかにしたものである。■
>>[1]

あはは。あなたの意見も主語/述語という屈折語のスーツケース的な文型を絶対視した形式主義的発想の誤りのようで人のことを言えません。三浦文法を詳しくなればなるほど、あなたは口先だけの人だなあと思いますね。残念です。人魚構文の定義は学者によりさまざまで統一はされていません。要は、区別するのに名前があったほうが便利だということです。

・今、東京駅についた。→普通の文
・今、東京駅についた//ところだ。→強調文→人魚構文

文末を実体的に媒介的に抽象的に捉え直した文を人魚構文と言い、文末で捉え直していない文と区別したい場合、先も言いましたが、名前があったほうが便利です。別に人魚構文という名前でなくても構いません。

それで構文解釈についてですが、あなたは明らかに誤りです。英語のように、

・私は//名古屋へ帰る予定だ。

このように「私」を主語にして「予定」を述語としてしまっています。しかし、「私」は人であって「予定」ではなく、「私」と「予定」に主述関係はありません。「名古屋へ帰る予定」を述部にすることもできません。あなたの意見はまったくの誤りで、

・私は名古屋へ帰る//予定だ。

こうです。主語はありません。日本語は主語がなくても構いません。詞辞の結合が統一条件です。





それで、「包む」が2種類あるのは理解できましたか?誤りなのは風呂敷のみです。風呂敷と入れ子は別物です。入れ子も大きなものに小さなものを入れて包むのですよ。

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