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はまかず文庫コミュの春恋(6)

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第5章 梅雨明け


週明けの月曜日は久々の晴天で、東の空にある太陽はもうすぐ夏の訪れを予感させるものだった。
近々梅雨も明けると天気予報では言ってたけれど、空の色はプールの水みたいに薄くて、夏と呼ぶには程遠かった。
道端の紫陽花はといえば、葉の表面に水滴を湛え、その横をカタツムリがゆっくり散歩していく。
彼らにとっても夏はまだ先のことなのだろう。
僕は朝の通学路をのんびりと歩きながら、この空よりもきれいな青について思いを馳せていた。

教室の自分の席についても飽きずに空を見上げていたら、誰かに呼ばれた気がした。

夏の空がそこにあった…という表現は、我ながらかなり気障だと思う。
けれどすぐ側でこちらを覗き込む春日野さんの目には、それを自然に受け入れさせる何かがあった。

僕が急に振り向いたからだろうか。
彼女は何か言おうと口を何度も開け閉めしていたが、結局そこから何の言葉も出ては来なかった。

「何か用?」
できるだけ優しい口調になるよう心がけながら声をかける。
彼女はしばし辺りを気にする素振りを見せ、
「これ」
とだけ言って、僕に淡い桜色の紙袋を差し出した。
ちょうど両手に収まるぐらいの大きさのそれには、きれいな緋色のリボンがあしらわれている。

でもこれって…?
状況が飲み込めずに戸惑っていると春日野さんは、
「傘のお礼よ」
と注釈してくれた。
お礼の割には無愛想な態度だったけれど。

「あの傘は病院のだから気にしないでいいよ」
と遠慮する。
「…いいから受け取って」
強引に僕の胸へと紙袋を押しつけ、春日野さんは自分の席に帰っていった。
去りぎわに怒ったような顔をしていたのは、気のせいだろうか?

それが少し気がかりだったけれど、とりあえず袋の中身が気になったので中を確かめることにした。
膝の上でリボンを解く。
思わず小さく声をもらしてしまった。
周りの生徒が、訝しむような目付きでこちらを向く。
僕は慌てて袋を机に隠し、「何でもない」と言ってごまかした。
みんなの注目はすぐにそれて、いつものざわめきが戻る。
僕はもう一度、こっそり包みの中を確認した。

袋の中には、こんがり狐色に焼かれたマドレーヌが3個入っていた。
焼き菓子特有の甘い香りが、鼻をくすぐってくる。

そしてもう一つ、袋のなかには紙があって、整った字でこう書かれていた。

『傘のお礼です』

春日野さんの席の方を見ると、勉強している彼女と目が合った。
僕が「ありがとう」と口だけ動かしてお礼を言うと、彼女はすぐにまた勉強に取り掛かった。



昼休みになって、僕はいつもと同じように公太の席へ向かった。
そして弁当箱を机の上に置く。
お互い顔を見合わせる。
彼の長い眉毛がかすかに上がる。

このとき僕は、
「しょうがないから一緒に食べてやる」
か、はたまた、
「友達いないから一緒に食べてくれ」
のどちらを言うべきかさんざん迷った挙句、結局、どちらを選択すべきか公太に相談することにした。
公太は、俺に聞くなと言わんばかりに鼻で笑うと、鞄の中から弁当を取り出した。
それでまた、いつもどおりの会話が始まった。

「いやいやいや」
公太とサッカーの話をしながら弁当に箸を伸ばそうとしたとき、突然にやけた声が聞こえてきた。
みると、橘さんが悪戯っぽい笑顔を振りまきながら立っていた。

どうかしたのかと尋ねると、彼女は、
「べぇ〜つにぃ〜」
と変に語尾を伸ばしてしゃべった。
「何?なんかみょーに気になんだけど?」
公太の半笑いにも、
「男の子っていいなあと思っただけ」
と曖昧な言葉を残し、そして椅子を持って僕らの横に座る。
「やっぱ弁当は大勢で食べるに限るよねー!」
子供みたいに無邪気な笑顔だ。

「遠足かよ」という公太のツッコミを耳の端で聞きながら、僕はなぜか春日野さんの方を見た。
まるでデジャヴのように、彼女の青い瞳がそこにあった。
そしてこれもまたいつかのように、僕は彼女に声をかけた。

「よかったら一緒に食べない?」

正直に言うと、僕はこのとき断られてもいいと思っていた。
前みたいに断られても、納得できる理由を僕は知っていたから。

だから春日野さんが、
「食べる」
と上目遣いで頷いたとき、僕は逆に、「いいの?」と聞き返してしまった。
彼女は承諾の意思表示を繰り返した。
同席の二人も了承してくれた。
公太が含み笑いを浮かべていたけれど、それはあえて無視。
そうして僕らは4人で食事することになった。



とはいうものの、実はこのとき、春日野さんが僕ら3人の輪に溶け込んでくれるか、不安な気持ちでいっぱいだった。
なにしろ僕だって、彼女と会話したのは三日前なのだ。
案の定、僕以外の3人はお互いに遠慮して話しにくそうだった。
食事中、春日野さんに話を振っても、あまり長く会話は続かなかった。
自分で呼んでおいて情けない。
このまま食事が終わる前になにか話題をと思い、目を逸らした拍子に、あの紙袋が頭をよぎる。

「春日野さん、ちょっといい?」
「なに?」
「春日野さんにもらったアレ、二人に食べさせてもいい?」
「えっ!?」
僕の提案がよほど意外だったのだろう。
彼女は目に見えて狼狽していた。
「せっかくだから、ね?」
「でも…そんな…」

小さい声でつぶやく春日野さんを見て、公太が怪訝そうな顔で「アレって何だ?」と聞いてきた。
「マドレーヌだよ」
その瞬間、
「マドレーヌ!?」
すっとんきょうな声を発する橘さん。
それに対して公太は、
「あのオレンジの皮のジャム?」
と真面目な顔をして尋ねてきた。
それはママレード。
「FWがラウル」
それはマドリード。
というか食べ物じゃないし。
「ひょっとしてマドレーヌ知らない?」
「知らん」
即答だった。

「そんなことはどうだっていいわ!」
机を強く叩く音とともに、橘さんは身を乗り出して春日野さんを見据えていた。
「そのマドレーヌってどこのお店のなの!?」
目の輝きが尋常じゃない。
そう言えば彼女、いつもはのんびりしているけれど、お菓子のことになると性格変わるんだっけ。
今年の2月14日のことを思い出して苦笑していたら、春日野さんが、
「自分で作ったの」
とためらいがちに答えた。

それに対して橘さんは、「うっそー!」と叫び、最高点と思われていたテンションをさらに上昇させた。
「私、手作りのマドレーヌって大好き!」
早く持ってきてと、燕の子供みたいにせがむ彼女をなだめすかして袋を手に戻ってくると、彼女はそれを引ったくるようにして、中を覗き込む。

「うわーっ!いい匂いー!ねぇ、これ全部食べちゃダメ?」
「それは颯太のもんだからダメに決まってるだろ」
満面の笑みではしゃぐ彼女を、公太が諭す。
「えーっ!?じゃあー公太君の分、ちょうだいよー」
「それは無理」
「なんでー?」
橘さんが頬を膨らませてすねた振りをする。
「だって俺も食ってみてーもん」
公太が意地悪な笑いを浮かべてそう言うと、橘さんは、「マドレーヌ知らないくせに」と、ぼそっと文句をつぶやいた。

本気で拗ねてるらしい橘さんがあまりにも可愛らしかったので、僕は自分の分でよかったら半分あげると申し出た。
「颯太くんは優しいねー。誰かさんと違って」
「うっせー」と橘さんの皮肉を適当にあしらった後、公太は僕と春日野さんを交互に見比べて、
「でも手作りのマドレーヌもらうなんて、何かあったのか?」
と探るような視線を送ってきた。

仕方なく僕が金曜日のことを話そうとしたそのとき。

「か、彼が傘を貸してくれたの!」
春日野さんが急に立ち上がって大声を出した。
「病院で傘がなくて困っていたとき、病院の人に傘を貸してもらったの!」
公太も橘さんも、狐につままれたみたいに呆気にとられている。
「そうよね!」
尋問口調で同意を求められて、僕は反射的に首を縦に振る。
「そうなのよ!」
公太と橘さんの方を向いて強調する春日野さん。
「へ、へえー…」
「そうなんだー…」
二人はすっかり気圧されて、それ以上何も言えなくなっていた。

しばらく沈黙が続いたあと、自分の行動の突飛さに気づいたのか、春日野さんは頬を紅潮させて、
「あっ…いや…その…」としどろもどろになり、最後には、
「ごめんなさい…」
と謝ったっきり俯いてしまった。

「…まぁーとりあえず…お菓子、食べてもらっていいの…かな?」
僕は何とか持ちなおして、春日野さんに再度確認する。
彼女は顔を伏せたまま、黙ってこくこくと頷く。
普段の彼女からは想像もつかない感情表現の多さに、ちょっと可愛いななんて思ったりした。
それからどのマドレーヌを選ぶかで散々もめた後、僕ら3人はようやくマドレーヌを食すことができた。

「…おいしい」
「うめぇ!」
「ほんと!おいしい!」
僕らは一口食べるなり、同じ感想をもらした。
口に入れる直前にバターと何か爽やかな香りがしたかと思うと、噛むたびにふわっと柔らかい食感が伝わってきて、ほんのりとした甘さが、その後ゆっくり口の中に広がっていく。
どこかのケーキ屋さんで売っててもおかしくないほどの美味しさだった。

「これ、ほんとに春日野さんが作ったの?」
僕がそう聞くと、彼女は緊張した面持ちで肯定した。

「誰に教えてもらったの!?」
僕同様、いやそれ以上に橘さんは興奮気味だった。
「昔、おばあちゃんと一緒によく作っていたの…」
「すごいね!今度私にも教えてくれない?」
まるで好きな芸能人に出会ったときのように、尊敬と崇拝の念を込めて春日野さんの手を握る橘さん。

「この香りってレモン?」
「うん、レモンの皮を細かく削いで生地に混ぜるの。外国産は農薬が残って危険だから国産の…」

春日野さんが丁寧に作り方を説明し始めると、橘さんは熱心に耳を傾け、ときに質問していた。
美少女が楽しげに会話する様は、小鳥が木の上でさえずりあっているようで、どこか微笑ましい。
僕はその姿を見て、ほんの少しだけ羨ましいと思った。



僕は春日野さんと親しくなりたいし、将来のことについてもっと話をしてみたいと思う。
でも彼女が今だに僕と距離をとっているのが、何となく分かってしまう。

それは多分、僕が異性だからで。
もし僕が女の子だったとしたら、橘さんみたいにすぐに仲良くなれたかもしれない。
そう考えると、男とか女とかすごく煩わしいもののように思えてくる。

誰かが言っていたけど、僕らは生まれたときからいろいろな鎖に縛られている。
性別、人種、家族、出身地などなど。
それらの鎖を無理にちぎろうとすれば、たいていあちこちから血が噴き出して苦痛に苛まれる。
だから僕は、じっと何もせずに人生の過ぎるのを待つのが一番だと思っていた。

でも僕は、春日野さんに夢を探すと宣言した。
それはただの虚勢だったけれど。
しょせん無駄なあがきなのかもしれないけれど。
僕は自分の鎖を断ち切りたいと思う。
そしてやはり、そのきっかけを与えてくれた彼女と、今以上に親しくなりたいと思う。



そんな感傷に浸っている間に、女の子二人はおいしいお菓子屋さんの話で盛り上がっていた。
でもなぜか春日野さんは独りで苦笑いを浮かべていたのでそれを指摘したら、
「な、なんでもない!」
と言ってごまかされた。
いったい何だろう?

今度は公太を見ると、彼には珍しく何か考え事をしてるのか、どこか遠い目をしていた。

「公太?」
僕の呼びかけに公太はハッとした表情をして、
「悪い!春日野さんのマーマレードがあんまり美味しくってさ」
と言い訳をした。

「だーかーらー!マ・ド・レ・エ・ヌ!」
橘さんがムキになって公太につっかかる。
「いいじゃん。どっちも柑橘類使ってるんだろ?」
「全然別物でしょうが!」

二人の掛け合いを見て笑っていると、春日野さんもひそかに頬を緩ませていることに気付いた。
青い瞳が公太と橘さんの間をコロコロと行き来し、そのたびに長い髪がサラサラと麦の穂のように揺れる。
その様子を眺めていると、さっきまでの感傷がいつのまにか消失して、とても満ち足りた気分になっていた。

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