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happy hapticaコミュの潜在意識(下層の記憶)と愛撫

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実はこの話は私の日記のために書きかけたのですが、書いてるうちに、内容がHaptica的になってまいりましたので、こちらに上げました。軽く読み流してください。

休日に息子と話をしてて、表題のことを考えさせられました。
潜在意識というか、下層の記憶は普段は隠れているように見えても、実は日常の判断においても重要な決定権をもっているのはご存じの通りです。(いわゆる性格を形成)
またこの記憶ですが、乳幼児の頃に形成されるということも良く知られています。
でもおかしいですね。子供に乳幼児の頃のことを聞いても全く覚えていません。でもこれって逆におかしい。だって子供の単純な記憶力って、大人は全くかなわないはずなのに。
子供は覚えています。ただそれが取り出せないだけ。なぜ取り出せないのでしょう。それはその記憶に「言語」というタグというかアンカーがくっついていないからです。

で登場するのが、触覚です。
いかに乳幼児といえども、何も(微分的な)情報が無ければ、記憶はなされません(脳資源の無駄使いになりますからね)。で、その情報とは・・触覚です。
いわば記憶の原風景は触覚の記憶のみから形作られていると考えられます。
例えば"親"の記憶(識別)は触りごごちあるいは触られごごち(パターン)で記憶(判断)していると。
#証拠としては、赤ん坊が「親以外に抱かれると泣く」という現象があります。(目も見えず鼻も詰まっている乳児に入ってくる情報と言えば触覚のみです)

そういうわけで、私は潜在意識(記憶)には触覚系のアンカーがひっついている可能性が高いと思うのです。つまり触覚(パターン)により、潜在意識にアクセスできる可能性もありうるということです(言語ではアクセスできないこの領域に)。

例えば、乳幼児期に虐待(極端な触覚刺激)を受けた場合には、その子供の脳(下層記憶)に深い傷を負い、大きくなってからも様々な適応障害が生じますが、その傷に触覚からアクセスすることにより、記憶の修正(治療)も可能であるということにもなりますね。

#そういう意味では、例の戸塚ヨットスクールも理論的(下層記憶の再プログラミング)には、間違っていなかったことになります。(もちろんやり過ぎの部分はありましたが)
他の例を上げれば、ネイティブの会話で床を振動させる英語教育に効果があるというのもうなずけますし、乳児にビデオのみを長時間見せていると(ビデオ(TV)で子守)脳の発達が悪くなるというのも、ビデオには触覚刺激が無い(乳児にとっては何の情報もない)ということを考えればうなずけますね。

それで、具体的にどう潜在意識にアクセスするかですが、鍵は「愛撫」にあると思うのです。
#Hapticaも基本的には愛撫ですから、そういう意味でも、以前から申しておりますように、単なるフェイシャルエステにとどまらない、大きな可能性を秘めていると思います。

また工学的(現実的)には、現在のいわゆるマッサージ器とは全く原理の違う、"愛撫器"を開発するのが面白いと思います。
振動パターンを精査し、いわゆる愛撫神経を効率的に刺激する機器を作成するわけです。実現すれば性格改造(矯正)???までは何とも言えませんが、究極のリラクゼーション装置はできるでしょう。それよりなにより新たな芸術表現手段として、すごく面白いものになるでしょうね(^_^)。

コメント(3)

記憶へのタグというよりは、アフォーダンス論的な
アクティブ・センスというか、行動と不可分の感覚
に関係している気はします(余談ですが、言語もまた
そういう無意識的な部分を持っていて、言語のそういう
『マジカル』な部分には言語的には迫れないんだろうな
なんて気もします)(そういえば、その昔、身体的に
分節化する『記憶のようなもの』を表す「カッターモデル」
ってのを考えてたなあ)。まあ、その『潜在記憶』が
ある種のメタ言語的なものだとするならば、言語という
モーダルに関わっているかどうかではなく、オブジェクト
レベルからメタレベルが見えないという問題かなと思います。

もし、『潜在意識』がアフォーダンス論的な『身体性』に
根ざすものならば、それは個別性がある訳で、『愛撫器』
ってのはどうかとは思います。環境とのインタラクション
って観点からも微妙。
;; 実のところ、この辺りが、触譜批判に繋がっていく
;; のですが。
ただ、触覚における不変項のありようを見つけ出し、
視覚におけるサーフェースにあたるものの触覚版を
取り出し、操作できれば、面白いかもしれません。
時間というか、リズムが関係してるだろうから、
触覚だけって訳にはいかないのが難しそうだけど。
むにゃむにゃさんの「『潜在記憶』がある種のメタ言語的なものだとするならば」という議論は、唯識的ですね。ちなみに唯識では、修行がかなり高いレベル(『潜在記憶』にアクセスできる直前ぐらい)になると、五感の相互乗入れ(目で音を聞く、というような)が可能になると言われており、以前は何のことだかわけがわかりませんでしたが、言語/メタ言語というモデルで考えると理解しやすいですね(井筒俊彦さんに近いというか)。

それはともかく触覚的記憶へのアクセス、触覚と記憶との関係について思い出したのは、ジョン・ヴァーリイ『残像』(盲目聾唖な人々のコミュニティで触覚によるコミュニケーションが以上に発達したっていうSF)ですね。

あと、書道家は書を見ると、その書を書いた人の腕の動きとか紙との摩擦とかそういう触覚的なものを追体験するらしく、良い書というのはその追体験が気持ちいいものを言うそうです。言わば書が触覚の記憶装置になっており、書を介して触覚のコミュニケーションみたいなものが成立している、みたいな感じなんでしょうか。

ご挨拶もなく、放談ご寛恕下さい。
むにゃむにゃさん:
コメントありがとうございます(^_^)。

確かに潜在記憶へのアクセスが困難な理由を、言語の要因だけに求めるのは無謀でした。すいません。しかし言語にもマジカル領域があるというのは興味深いですね。これがいわゆる身体性(触覚的言語?)につながっている部分なのでしょう。
ところで、潜在記憶というか原始記憶が触覚と密接な関わりをもっているということは間違いないと思いますが、単純な触覚刺激でアクセスできるというものでも無いのも事実でしょう。
そういう意味では、Hapticaの触譜にも限界はあると思っています。言語のような、いうなれば「会話」(双方向の情報伝達)が成り立たないのがつらい所ですね。(ワザを極めれば、手のひらからフィードバックを得られるそうですが)

ところで愛撫器ですが、この触覚記憶のアクセス問題とは少し次元の違う話でした。すいません。
愛撫器の目的は、むにゃむにゃさんのおっしゃる触覚の「不変項」の一つとして模索したいというところが大きいです。愛撫器の最終形としては、プライベートに、各自が様々なパターンで全身を愛撫していただくという形にして、その時の情動を各人が記録(記憶)していただければ、その集約で、ある程度の傾向も得られると思うのですが。
それともう一つですが、例えば体のこりとかは、単に血流が悪いとかいうものではなく、もともとは心の歪みから来ているわけです。
#肩をもむと肩こりが治るのは、別に揉んだことで直接血流が良くなるのではなく、揉み刺激により心が気持ち良くなり、結果的に血流が良くなるわけです。針灸の原理も同様ですね。ちなみにこの"心"とは脳とイコールではなく、全身に散らばっているものです。(むにゃにゃさんの「カッターモデル」にも通じる所がありますね)
それで、その要因を無視している、今のマッサージ(医学?)に対する批判という意味もあります。(力まかせに揉む(振動させる)よりも愛撫の方が治るものなのですが)

もろもろさん:
コメントありがとうございます(^_^)。

唯識で五感の相互乗り入れができるとは楽しいですね。共感覚のように先天的なものではなく、これが、修行でできるようになるということは、修行という実体験に根ざしているだけに、素晴らしい体験になりそうですね。

また書道家の書を介する触覚感覚も面白いですね。書道家が触覚に敏感なのは、もともとの書体験が文字通りアクティブセンスに根ざしているからでしょうね。

#愛撫器には、このアクティブセンスが欠落している(一方的な刺激になってしまう)のが、致命的な欠点だとは思っています。ただ刺激を受けた場合の皮膚の反応(筋肉が収縮するか弛緩するか)などをセンシングできないか、とも考えています。

また「残像」は読んだことはないのですが、個人的にはこのような世界に住んでみたいような気もしますね(^_^)。

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